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ep-SR:アクマ・前

外伝。

8:時を凍らせる言葉、まで読了推奨。

 時々違う事があっても、水車のように毎日繰り返される動作。

 その日は上手く粉がひけなくて姉に苦笑された。その代わりパンを上手くこねられたから、次はもっと違うものに挑戦しましょうと言って貰えた。

 凄く嬉しくて頷いたのを覚えている。素朴な香りのするニイの実のパン。

 豪華な暮らしではなかったけれど村の人達は優しくて、だからずっとこの生活は死ぬまで回り続けるのだと。

 信じて疑わなかった。


 ――あの瞬間までは。


 身体を丸める。こんなコトしても無駄なのは分かっていた。

 暗い、漆黒ではないけれど薄闇が辺りを覆っている。


 思い出すのはただ、寒かった事。足下から這い上がる恐ろしい怖気。美味しくできていると褒められて浮かれた気分がかき消えた。

 無数の羽音と悲鳴。屋根が軋みをあげる。両親に逃げろと言われて夢中で家の中を彷徨った。

 姉と二人裏口に回ろうとして、家が傾き裏の道が潰された。

 もう、逃げられない。分かっていたのに……生臭い匂いの漂い始めた家で『逃げなさい』と悲痛に告げる姉の声に従った。

 無駄なのは分かっていてもそう言われたら、逃げるのが姉に対してのせめてもの慰めになると信じて。

 逃げる場所は見つからなくて、近くにあるソファに身を隠した。ふと訪れる静寂。

 寒気が強くなる。背中が冷たくなった。何かが背を押している。

 遮蔽物もお構いなしに。

 話には聞いていた。悪魔とはそう言うものなのだと。

 臓腑を押し上げられるような吐き気。携帯していた十字架を握りしめる。

 いつものように神に祈ろうとして寒気が増した。指先が強張る。

 目を瞑り、必死に何か抵抗したのは覚えている。そこで意識が一旦沈んだ。


 気が付くとよく分からないところにいた。

 薄暗くて、でも少しだけ安心出来る場所。球体の壁に守られるように囲まれていた。

 肩を抱くと自分の服が見つからない。辺りが水で満たされている。

 息は出来るし、気持ちが良いぬるま湯に近い温度。まるで、母親のお腹の中。

 目を閉じる。暖かかった身体が一気に冷え込むのを感じた。

 何かが入った。この場所に。

 そこでふと疑問が浮かぶ。

 ……入った?

 知らないはずの場所なのに違和感の感じない身体。

 もしかして、ここは自分自身なのだろうか。と、とりとめのない事を考える。

 では、侵入してきたモノの正体は恐らく悪魔。

 追い、出せないかな。

 普通は無理でも自分の中なら、多少は抵抗出来る気がしてそう思った。

 意識を集中させてはじき飛ばそうとした。上手く行かない。

 どんどん近づいてくるのを感じる。急いで辺り中に膜を張り巡らせた。

 幾重にも幾重にも。

 切り裂いて進んでくる。身体に痛みを感じる。

 ――やっぱり、ここは自分自身。

 確信を抱くと同時に更に遮蔽物を増やした。この場所では通り抜けが出来ない。

 そうでないと壊さない。斬られると自分にも痛みが来るけれど、そんなのはどうでも良い。

 とにかくここに近寄らせては駄目だと思った。自分がいると言う事は、この場所は核のような場所なんだろう。

 創り、壊され。押しとどめ、無理矢理破られる。

 そんな事を何度繰り返したのだろう。

 痛む身体は力が入らない。逃げ出したくてもここから出る方が危険だった。

 ガリガリと壁がこそぎ落とされる音がする。もっと分厚く、分厚く。

 望みは叶うのに、すぐに削られてしまう。

 何をしても焼け石に水。

 絶望的だった。助からないのは分かっている。

 どうしても諦められない心が無駄な抵抗を続けていた。

 甘く囁かれても、壁越しに抱きしめられても冷たく嫌悪しか募らない。気持ちが悪い。

 頭を抑えて泣き出したくなった時。それは突然侵入してきた。

 悪魔が入り込んだ時とは違った、柔らかさで。羽が付いた鳥のように静かに中に入ってくる。

 悪意を感じる事も寒気もない。だけどこれ以上何かが来るのはイヤだった。

 急いで膜を張り巡らせて侵入を拒む。そして、初めて口から呻きが漏れた。


「あ、れ」


 今まで悪魔を拒んで押し出していた膜はそれには全く通用しなかった。

 破られた訳でもない。まるで悪魔があの時見せた時のように、遮蔽物を難なく突き抜けて進む。


「やっぱりここにいるのね、ボウヤ」


 響いてきた女の声に慌てて口を塞ぐ。向こうにいるのは女の悪魔。 

 誘惑の言葉を紡がれても裏に見える黒い欲望が分かる。怖い。

 壁を一層厚く創って、もう一人の侵入者を探る。

 見えはしないけれど、何か楽しそうだった。時折跳ね上がり、ふらふらと辺りをうろついている。

 この場所に悪魔がいて、自分の向かっている場所に悪魔がいるとは思えないとでも言いたげに軽く進んでくる。

 真っ直ぐ、こちらへと。

 慌てて拒もうとしても透けたように掴めない。意識していないのは分かる。

 足を止める事も、悪意を感じさせる事もなく進んでくる。

 これを止めるのは無駄だ。

 それに、嫌な感じがしない。だから尚更外に出そうとしているのに全く気にしていない。

 膜を張るのを諦めて幾つかに穴を開けた。

 ここに来る最短距離。来たいのなら、せめてこの悪魔に喰われる前に。

 誰が来たのか見てみたい。

 何となく、そう思って侵入者を受け入れた。


 悪魔の誘惑と寒気に耐え、壁を作り続ける。

 それが来たのは何時からだったのか分からない。

 発狂しかけていた頃に、場違いなノックの音が響いた。

 顔も姿も見えないのに、匂いがした。香ばしいニイの実のパン。

 好んで食べて、よくねだって作ってもらった姉の得意な料理。

 どきり、と心が跳ね上がる。

 不動だった壁が反応するように揺れた。悪魔の声が聞こえる。

 隣の侵入者に気が付かないような嬉しそうな声音。自分の誘惑に傾いたと囁く声。

 再び、軽く壁を弾く音。近寄ると、ずぶりと近くの壁から指先が伸びた。

 食べられる。急いで壁を修復する。もう精神力も限界に近い。


「入ってますか」

「怖い怖いやめて。え、あ。だ、だれ……?」


 壁により掛かって呻く頭に、声が……響いた。優しい鈴のような、鳥のさえずりみたいな少女の声。

 人だと認識するのにしばらく掛かった。躊躇いがちに掌が壁に当てられるのが分かる。

 暖かい。


「ええといきなり失礼してます。悪魔を引っこ抜きたいんですけど、手伝って頂けませんか」


 言葉の中身を理解するのにしばらく掛かる。抜く、と言う事は助けてくれるというのだろうか。

 それとも彼女も悪魔で罠なのかもしれない。


「助けてくれる、の?」


 自分の声が壁の中で反響する。


「善処します」


 相手の声は緊張で強張っていたけれど、真剣だった。

 それに。もう一度身体を壁に付ける。やっぱり暖かい。日差しに当てられたような心地よさ。

 心を震わせる優しい声。たとえ彼女が悪魔だとして、それがどうだというのだろうか。

 もう、自分は悪魔に捕らわれている。死ぬのならば、どちらかを選ぶしかない。

 甘く囁き続ける悪魔か、自分の前にいる少女か。

 なら、答えは決まっている。偽りだとしても優しい夢。


「僕はどうすればいい」


 姿は見えないけれど、暖かさを伴った美しい声を選ぼう。

 鍵を掛けていた場所を弛める。自殺行為、だけどこうすればあの声がよく聞こえる。

 緊張が少し解ける。あんなに怖かったのに、怖くない。寒気はなく、心地よい暖かさが身体を満たす。


「私だけの力じゃ引き抜けないので、せーので押して貰えますか。軽くで良いんで」


 僅かに驚きを露わに沈黙して、控えめに告げてくる。見えていないと分かっていても頷いた。


「うん。ありがとう」

 あなたが悪魔だとしても、感謝をする。僕は今少しだけ幸せだから。


 うー、という声と共に悪魔の気配が離れる。そして、約束通り合図が出た。

 簡単に引き受けた後疑問にぶつかった。押す、ってどうすれば良いんだろう。

 壁に手を当てて悪魔の場所を弾くように考える。もう精神力も限界だ。

 

 弾き出せ。

 

 思いを強めて心で願う。これが終われば壁は崩れ落ちてしまうだろう。

 だけどもう良い。あの暖かさと声に浸れたのなら。

 何かがはじき飛ばされる音。そして、ひび割れた場所から覗いたのは闇ではなく。

 優しい光だった。助かった、んだろうか。意識が混濁する。

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