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131:懇願

 両手で持っていたカップを音が立たぬようソーサーに戻し、机に視線を落として悩む。

 封じた後は普通なら箱にしまって二重の封印を施すか、札を破り捨てて解き放たれた悪魔を塵も残さず滅する。

 封印の前に紙の繊維と一体化すらしていそうな悪魔は、千切ったところで抵抗無く紙と共に破かれるだけだろう。


「うーん、欲しいならあげますよ」

「大丈夫なのか?」


 冗談めかして肩をすくめたら、ウィルが興味ありげに食いついてきた。その勢いに反射的に身を引きそうになりながらも頷く。


「ええ、変な細工をされていたせいか悪魔と封印札が妙に具合良く絡み合って同化してしまったようで。

 剥がれる気配もありませんし、悪魔として出る事は二度と無いかと思います」


 封印を保証する言葉を吐き出せば、ウィルの口元が楽しげに釣り上がった。


「そうか、何匹いるかの確認もしたいところだしな。聖水につけて保存しておこう」


 机上の黒い封印札を臆すことなく指先で摘み上げ、彼が薄く笑う。

 信頼されている事の表れであろうが、あまりにも躊躇いのない彼の行動に覆面下の頬が引きつるのを自覚出来る。


「私から言い出した事ですけど、ウィルも大概頑丈な心臓の持ち主ですよね」

「そうか? 褒め言葉として受け取っておく」


 疲れの滲んだ私の台詞に、彼は気のない返答をし札を光に透かし見たり、重みを確かめたりしている。

 短冊状の封印紙を何度かひっくり返して満足したのか机上に戻すと、ウィルは視線を正面に向けて話を切り替えた。


「ふむ。悪魔関連は、モノがモノだけに対処法も分からないのも難点だな。

 正式な依頼ではないから、監視の排除は君達の滞在中だけで勿論構わないが、面倒だとは思っても、出来れば一日に一度は私の部屋に顔を出して欲しい。

 悪魔の駆除についてはどんなやり方をするかはそちらに任せよう」


 予想より彼から提示された条件が緩く、ほっとなる。

 屋敷の中を徘徊するついでに悪魔を探り出せば問題なく祓えるだろう。

 滞在している最中の暇つぶしだと思えば、そう悪い依頼はなしではない。

 出された内容と条件を指を折り確認した後、ここに来た目的の一つを叶える為、重々しい空気を出さないよう気をつけながら唇を開く。


「なるほど。まあ、此処にいるだけなのも暇ですしね。

 ああ、そうだ。悪魔祓いとは関係のない私の個人的な頼みがあるのですが、良いでしょうか」

「何だろうか。用立てられる品であればすぐに手配させよう」


 いきなり何かを頼まれるとは思わなかったのか、碧瞳を瞬いて、少し不安げな面持ちで彼が首を傾げた。

 気軽な調子で切り出したつもりだったが、警戒されてしまっている。

 悪魔祓いに使用するであろう高価な道具や聖遺物か何かを請求されると考えているのだろうか。

 オーブリー神父やマーユ達が、神官の中には高価な品を使って悪魔を祓う人間が居ると言っていたのを思い出す。

 私の場合天然の対悪魔能力があるのでそんなものは必要ない。彼の不安を払拭する為、否定を交えて本題を切り出す。


「いえ、この屋敷にある書庫の本を閲覧しても構わないでしょうか」

「何か必要な書籍があるのか?」


 数拍の沈黙を挟み、彼が顎に手を添えて思案げに問いかけてくる。空気から察するに、必要な書があれば取り寄せてくれると言いたいのだろう。

 厚意は受け取る事にして、軽く首を左右に振って今は必要がないと言外に告げ〈吸血鬼一族ヴァンピリームの末裔〉である「マナ」として言葉を紡ぎ出す。


「貴方も私と接して薄々察しているでしょうが、私はあまり世間の事を知りません。ですから、知識を蓄えたいんです」


 私の素朴な願い事に瞳に疑問の色を浮かべていたウィルも、馬車内での会話を思い出したか「ああ」と納得したような声を漏らした。


「成る程、そう言う事であれば好きなように読んでくれて構わない。

 書庫は読書に向かないか。屋敷の敷地内であれば持ち運ぶ事も許可しよう」


 忌み子として迫害され、軟禁されでもしている私の姿を思い描きでもしたのか何の不審も挟まずにあっさりと快諾されてしまった。

 自分で作った設定とはいえ、簡単に納得された事に少々ながら複雑なものを感じる。


「ありがとうございます……あら、どうしたんですシリル」


 拍子抜けしながらも、ソファに腰掛けたまま姿勢を正して深々と頭を下げ。

 身体が動いた事でマントの裾が軽く突っ張り、隣の少年に裾を握られている事に気が付いた。


「そ……その。ええっと」


 尋ねても、視線を逸らして言いにくそうに口を開閉させ明確な答えは出さない。


「ウィル、彼の方も何か頼み事があるようですので、構いませんか?」


 言い出しにくそうに俯く少年の様子から、頼みがあると推察してウィルに伺いを立てる。

 緊張はしているが、頼み事を口に出そうとする意志はあるらしく、何度も口を開閉させて勇気を振り絞ろうとしている。

 あまり自分の要求を通さないシリルにしては珍しい姿にほんの少しだけ、自分の口元が緩んだのを感じた。


「ああ、構わない。叶えられる頼みだと良いのだが」


 俯き言葉を詰まらせるシリルを一瞥したウィルは小さな頷きを返し。直後、なかなか話を始めないシリルに視線を送って不安げに眉を寄せた。

 シリルが漆黒のマントから固まりそうなほどに硬直した指先を外し、震える声を抑える為か胸元に両手を添えて迷いを振り切るように顔を上げる。

 決意を秘めたスミレ色の瞳に射抜かれ、ウィルの肩が微かに跳ねる。


「あの…………こんな事を頼むのも図々しいとは思って居るんですけれど。えと」


 そこまで言った後、彼は瞠目して一呼吸置き。


「ち……っ、ち、厨房を。たまに、で良いのでほんの少しだけ貸して頂く事は出来ないでしょうか」


 緊張に頬を赤く染めて、舌をもつれさせながらも最後まで言い切った。

 予想外のお願いに、固唾をのんで見守っていた私とウィルの眼が点になる。


「…………………ん? 厨房? もしかしてそれだけ、なのか」


 たっぷりと間を開け、眉を寄せて考えたのちウィルはシリルに訝しげな視線を向けた。

 確かに、シリルの躊躇い方は尋常でなく純粋に「それだけなのか?」と尋ねたくもなる程に重い間を開けての懇願だった。


「す、すみません。厚かましいお願いをしてしまって」


 猛禽類を彷彿とさせる鋭い瞳に見据えられたシリルは、疑問の目線を抗議と勘違いしたのか、半泣きになって身を引く。


「いえ、私が言うのも何ですが、かなりささやかなお願いだと思うんですけど。シリル、もしかしてお菓子作りですか?」


 黙していたら自責に部屋から退出しそうな勢いだったので、思いついた疑問を投げてみる。


「え、ええ。あまり間を開けてしまうと作り方を忘れそうなので」


 素直な肯定に、ウィルが瞼を僅かに伏せ、ぎゅっと眉間に力を込めた。


「菓子作りか。もしや、食事が口に合わないのか?」


 声に非難の色はない。招き入れた家の一員として、ゲストを満足させるに至らなかった自分たちを恥じ入ってでもいるような小さな問いかけだ。


「い、いえっ。とても美味しいと思います! そう言う理由じゃなくて、ええっと。最近は日常的に作っていたので、やっていないと落ち着かなくなっていて」


 申し訳なそうに俯かれ、シリルが弾かれたように躰を伸ばし、勢いよく首を左右に振る。


「え、そんなに作っていましたっけ」


 やらなければ落ち着かない位、彼の日常動作ライフワークに組み込まれてしまう程、彼に菓子をねだってしまっていただろうか。

 あまり長くはない教会での日々を思い起こす。

 試作として彼が出したお菓子は教会の面々にも好評だった事もあり、暇を見て作ってくれるようになっていた。

 シリルが作る菓子は、彼が居た村の菓子を再現したもので高価な材料を必要としない素朴なものだった。

 目を見張るほどの味ではなかったが、どこか懐かしさを感じさせる甘味に、食事に対して(特に甘いもの)脆弱極まる私の意志が耐えられるはずもない。

 すぐさま陥落し、新しい菓子が出されるたびにヒナ鳥のようにせがんでしまった。

 そんな私を見たシリルは嫌がる様子も見せず、何度も菓子を焼いてくれ。始めは週に一回位だった割合も、気が付けば二回に増え、最終的には三日に一度には必ず出されるほど間隔を開けず菓子が食卓に上った。

 確かにシリルが作るお菓子は美味しかったが、遠慮が無さ過ぎたと遅まきながら反省する。


 ――結論。言い逃れも馬鹿らしいほど頻繁に菓子をねだっていました。


 三日に一度だけではなく時には連日作ってもらった事もあった。シリルの好意に甘えるにも程がある。


「最近は、最低でも三日に一度は作ってもらっていましたね。ごめんなさい遠慮も何もなくて」


「いえ! 作るのは好きなのでいいんです」


 しゅんと項垂れて自省すると、シリルが焦ったような顔で首を横に振った。


「そうか、よく分からないがそれで落ち着けるというのなら、厨房の方にも話は通そう。材料も好きに使ってくれて良い」


 調理とはあまり縁の無さそうなウィルはシリルの要求に理解出来ないような顔をしていたが、渋る理由も無いと頷いた。


「あ、ありがとうございます」


 了承を取り付けたシリルは、余程ほっとしたのだろう。肺から絞り出すような長い息を吐き出すと、嬉しそうな笑みを浮かべた。

 良く眺めなければ分からないほどではあったが、笑顔には安堵だけではなく朧気な陰りが掛かって見えた。

 目まぐるしく変わり続ける屋敷での変化に目を取られていた私が、曖昧な表情の理由に気が付くのはもう暫く後の事だった。





 必要な約束を取り付け、そのまま退出するか逡巡し。

 結局自分の中に潜んでいる好奇心には抗えず、思考の隅に残留していた疑問をウィルに向ける事にする。


「ウィル、一つ聞きたいんですけれど」

「ん?」

「先々代様ってどんな方ですか?」


 悪意を祓ったあの場では流したが、涙混じりで呟いたメイドの一言が、気になっていた。

 彼女はこう言った。


『私は、ぼっちゃまならばきっときっと……

 先々代様のようにはならないと、信じておりました』


 自分は信じているのだと。あの台詞は屋敷の少なくない使用人がユハと『先々代』を重ねて見ているとも読み取れる。

 私の唐突な問いにウィルは一瞬息を止め、


「誰が――などと無粋な事は聞かないでおこう。先々代か、口伝が多く資料はあまり残っていないが」 


 小さな溜息と共に緊張を吐き出して軽く瞠目する。

 屋敷の使用人から噂程度は漏れると想定してあったのだろう、私の不躾な質問にも諦念の面持ちで言葉を紡ぐ。


「落ち着いた見た目に反して、女性との噂が絶えない方だったようだ……といっても、伝聞で伝わっているのはその事と彼が自分の妻を決して表に出さなかった話だけだ。

 外の人間にも、勿論屋敷の人間にも一切の姿を見せようとさせなかったらしい」

「…………それは」


 ユハの起こした行動を思い出したか、隣に座っていたシリルが険しい顔で呻きを漏らす。


「先々代は自分の伴侶を死ぬまで屋敷の外に出す事はなかった。

 屋敷の人間だけではなく、バリエイトを知る人間なら大抵誰もが知っている話だ」


 バリエイト家が広く知られる理由の一つにはその先々代の遺業によるのも大きそうだ。


「なるほど。先々代は奥方を閉じこめ、外遊していたということで良いんですね」


 やや皮肉が混じった私の言葉に彼は眉すら潜めず静かにかぶりを振る。


「いいや、不思議な話だが女性の影はあったらしいが、先々代が外で子供をもうけた痕跡は一切無かったらしい」

「他の女性と深い関係になっていなかったにせよ、監禁や軟禁の言い訳にはなりませんね」


 棘を含めた反論に、苦笑を漏らした彼がふと、真剣な眼差しを私に寄越した。


「まあな。君はユハに懐かれているようだから言っておくが『バリエイト』の人間とそういう関係を結ぶのは止めたほうが良い」


 起こる可能性としては微粒子レベルの確率ではあるが、そういう関係とは、恐らく恋愛寄りの関係の事だろう。

 一瞬、「その言い方だと貴方まで私と仲良くしたいようにも聞こえますよ?」と茶化そうかとも思ったが、真顔で「その通りだ」と答えられでもしたら引きつった笑みを返す位しか出来ない気がしたので墓穴を掘るような行為は止めておく。

 軽く手を振って彼の懸念を否定しようとしたが、思いの外険しいウィルの眼差しに崩そうとした空気を引っ込め真面目に返す。


「元からそんな気は毛頭ありませんけれど。個人ではなくどうして家の括りで言うんです。先々代とあなた達は違うでしょう?」

「同じだ」


 間を置かず断言されて驚きに瞳を見開く。

 他人が言うならまだしも、当の本人が肯定するとは思わなかった。

 しかも、異常なまでに力強い首肯付きだ。


「ウィルは監禁なんて柄ではないでしょう?」


 監禁の単語にウィルの姿が結びつかず眉を寄せる。


「ああ、しかし似たような事態が起こる可能性は強い。

 バリエイトの男は女性を不幸にすると相場が決まっているからな」


 薄い笑みを浮かべてウィルは小さな自嘲を漏らした。

 不穏な台詞に疑問を浮かべても、感情を揺らさない私にウィルは少し安心したように張っていた肩を落とし「ここまで言ったのならどこまで言おうとあまり変わらないか」とひとりごちて話を続けた。


「我が家に嫁いだ人間は、例外なく短命だ。

 どんなに当主が伴侶を愛そうとも、どれ程高名な医師を側に置こうとも、それは変わらない」


 何処か遠くを見つめるような眼で静かに続けるウィルの言葉は、日照りに晒され続けた地面のようにひび割れ乾いて聞こえる。


「情を向ければ向けるほど、相手に不幸が降り注ぐ。

 だから理不尽とも言える血の流入を行われても、抵抗をする当主は出なかった。

 しかし、皮肉な事に伴侶となった者達は冷遇を受けてもひたむきに当主に愛を傾けた。

 きっと、愛情を向けなくても、伴侶から向けられてしまえばその法則は発動するんだろうな。

 母上も、例外から漏れず不幸の輪から抜けだす事は出来なかった」


 話しきったウィルは今まで手を付けていなかったカップを持ち上げ、器の中で揺れる琥珀色の液体に視線を落とした。

 彼の話を総合するなら、バリエイトに嫁ぐ=不幸な死だ。血の宝石ブラッディジュエルの時とは一段違った意味で人に聞かせる話ではない。

 ただの偶然だと言い捨てる事も出来るが、熱の篭もらない語り口が、妙な現実感を後押しする。


「それ程長く続く不幸なんて……呪いにでも掛かっているんですか?」

「そうだ。これは我が家に掛けられた幾つかの呪いの一つだ」


 半信半疑の私の問いに、彼はあっさりと頷き返す。

 虚を突かれて喉から捻れた呻きが漏れ掛け、素早く呼気と共に飲み込んだ。


「……嫁入りしたら不幸になるのなら、婿入りは無理でも、女児を外に出せばいいでしょう」


 ウィルの話を本当の事だと仮定し、話を続ける。血筋を絶やさない事を前提で考えるなら外に血を流せばいい。

 安直な考えは、彼が発した一言で霧散する。


「バリエイト家が始まって以来、何百年になるかは分からないが――その間、女児に関しての記述は残っていない」

「…………女が生まれない?」


 そんな馬鹿な。幾ら男児が生まれやすい家系があったとしても、男が『生まれやすい』だけであって女が『生まれない』訳ではない。女児の一人や二人位は必ず生まれるはずだ。

 無意識のうちに浮かした腰を落とし、問いつめそうになる唇を押しとどめて続く言葉を待つ。 

 疑念を感じ取ったウィルが、更に言葉を重ねてくる。


「ああ。外に男子を送り込み血を混ぜたとしてもこの家で生まれる人間ほどの能力は出ない。

 出たとしても一代限りで力は受け継がれていない」

『…………』


 滑らかに告げられた真実に、私とシリルは揃って沈黙する。

 確かに呪いだ。

 それも一人ではなく代々受け継がれる非常に悪質な呪いだと思う。

 ギルドから消えた不運の呪いより直接的な被害が出る分、こちらの方はやっかいだ。


「こうして改めて話すと成る程。我が家には敬遠されるに足りうる充分な理由があるな」


 瞼を僅かに落としたウィルの唇から疲れたような溜息が吐き出された。

 瞠目して思考を纏めていく。やはり、彼の滑らかすぎる説明に違和感が胸を覆う。

 話自体に嘘はないだろうが、彼の話している事は貴族がもっとも忌み嫌う醜聞そのものだ。

 思慮深いであろう彼が口にする話題としては軽率にすぎる。

 疑念を晴らせないまま、顔をウィルの方に向け。

 ふと彼の手元に視線が吸い寄せられた。ウィルの表情は平静そのものだったが、両手で支えている白いカップが小刻みに震えていた。

 彼は躊躇いと迷いの残る目で器を支えた指に力を込める。

 その動きは感情を押し殺しているようでもあり。自責の念に追いつめられているようにも見えた。

 薄い感情の乱れに、正面にいる人物が、「人間」である事を再確認して浮かべていた疑問が氷解していく。


 どんな立場に立っていても、幾ら理性的だとしても、彼は人だ。


 当然の事を改めて思い出した。

 私が指摘するまでもなく、ウィルは恐らく何度も悩んだはずだ。そんな彼が話をする方向に舵を切ったのは、ひとえに私の悪魔祓いの障害を取り去りたい一心だろう。

 カフスに仕込まれた細工に、彼は驚きを示さなかった。悪魔に狙われる心当たりがあったのなら、なんとしてでも私の協力は取り付けたいはず。

 思いを更に後押ししたのは、先程私の頭をパンクさせたこの家にのし掛かる重圧。

 彼は自分の立場や責任を重々承知している。それでも話さずにいられなかったのは、悪魔に対する警戒と彼自身の限界からだ。

 きっとウィルはもう抱える限界量一杯まで重責おもしを背負ってしまっている。

 家の闇から目を逸らし、胸奥に蓋を被せても、隠しきれない真実は少しずつ繋ぎ目から染み出していく。

 限界を悟った心は理性をねじ曲げ、悪魔祓いの障害の除去という形で話をする方向に持ち込んだ。

 微かに血の気の引いた指先を見れば、ウィル自身、自分の話している内容が危うい綱渡りであることを理解している。

 彼の話した事柄は家の醜聞そのままだ。使用人の耳に入ろうものなら、蜂の巣をつついたどころではない大騒ぎになる。

 これ程まで穏やかならない話でも、氷山の一角だろう事に背筋が冷えるが、彼の考えた通り悪魔を祓うならこの家にまつわる闇は知っておくほうが良い。

 バリエイト家の内情は思考の片隅に積んでおき、純粋な疑問を口に出す。


血の宝石ブラッディジュエルの事といい、こんな話をするのも失礼ですが、なぜそこまで家にこだわるんですか。

 掛けられた呪いの理由が昔にあったとしても、今のあなた達には関係のない事でしょう」


 生まれた時から家名を背負うと決められているのが当たり前だとしても、貴族ではない私には、それ程の重石を背負ってまで家名を引き継ぐ意味が分からない。

 貴族の責務だ、と判で押したような返答が返るかとの予想は、俯きくぐもった彼の声で裏切られた。


「…………贖罪だ」


 深い溜息に似た言葉だった。

 問いを漏らす隙間も見えず、臓腑を重くする冷たい沈黙が足下から這い上がる。


「バリエイトの血は私達の命だけでは償えない罪を負っている。

 例え先人の犯した過ちだとしても、知ってしまえば逃げる事は出来ない」


 彼は長い間持ち上げていたカップへ漸く唇を寄せて湿らせ。受け皿に載せた。

 陶磁器の擦れ合う硬質な音が静かな室内に響く。


「だから、今度はこう言い換えよう。こんな穢れた私達の血に君を巻き込むわけにはいかないんだ」


 表情をぴくりとも動かさず、抑揚のない平坦な声でウィルが告げる。

 昼前、馬車の中でこの台詞を言われたとしたら。きっと私は半分も信じていなかっただろう。

 鼻で笑って一蹴したかもしれない。けど今は、重々しい言葉が酷く真実味を帯びて聞こえる。


「例え――神が手を差し伸べたとしても」


 静かな眼差しとは裏腹に、縋るような色を持ったウィルの声が広がり。


 私達は彼の零した言葉の欠片を探し出すよう、自然と宙に視線を巡らせていた。

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