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130:リスク

 とにかく監視悪魔は確保した。ウィルへ報告しようと片手に悪魔を封じた紙を持ち、素早く転進して扉を開き。


「う、わわっ」


 私達のやり取りが気になってか、その場から動かなかったらしいウィルと正面衝突しそうになって後方に蹌踉めく。

 慌てて後ろへ回ったシリルの掌が背に当てられる寸前、手首に軽い力が掛かり私は踵をついた不自然な態勢で停止した。


「と、すまない。大丈夫か」


 咄嗟に私の右手を掴んだウィルが謝りながら引き起こしてくれる。


「いえ、ノックをしなかった私の不注意です」


 手首に感じる体温に身体が僅かに強張るが、握られた腕を不自然にならない速度で外して首を横に振る。

 不審を覚えられなかったかと視線で探るが、彼の方は私達の身の安全に意識を傾けていたらしく怪我がない事を確認すると小さな息を漏らした。



「……その黒い紙は? 変わった紋様が描かれているな」


 自然な動作で扉を開き、私達を室内に招き入れたウィルが興味深そうに封印札を見つめた。

 扉を静かに閉じる姿まで洗練された身のこなしではあるが、日常動作に紛れていて注視しないと気が付かない。


「まだ全てを見ては居ませんが、扉付近に潜んでいた監視悪魔らしき一匹です」


 促されるまま先程と同じソファに収まって漆黒に染まった札を目前の小さめのテーブルの上に載せる。

 私達が座った事を確認し、正面に身を沈めたウィルが感心を混じらせ納得したような顔で頷いた。


「ああ、『掛かった』とはこの事か。仕事がはやいな」


 先程封じた悪魔の醜悪な姿が瞼をちらつき、賛辞の言葉は耳を掠めて通り過ぎる。

 落ち着かない気持ちを誤魔化すように、冷め切ったカップを持ち上げて飲むでもなく掌で弄ぶ。

 網膜に瞬く映像が弱まるのを待ってから話を切り出した。


「大方の予想通り普通の手段では捕捉が出来ないように細工が加わっています。

 正直なところ、神官でさえない人間が良く見つけられたと言いたいところですね」

「そうか。どんな細工が掛かっているんだ」


 溜息混じりの私の台詞にウィルが瞠目し、考え込むように首を傾ける。

 彼の質問に暫しの沈黙を挟んで、脳裏に僅かによぎるだろう可能性を掬い取るため意識を集中する。

 元の世界ならともかく、この世界での悪魔に対する経験は低い。

 理路整然とした回答は諦めて適当な理由を見つけて流そうと、考える私を嘲笑うように記憶の引き出しの幾つかが強引に開け放たれた。

 様々な悪魔の顔が浮かび上がり、その対策法や呼び出す方法まで記憶の奥底から掘り出されていく。無数に飛び交う情報の中から今回の件に関係のありそうな事柄が思考の片隅に少しずつ降り積もっていった。

 監視悪魔の醜悪な容貌に記憶の何処かがおかしな風に刺激されたんだろうかと、いささか不安になりながらも誘導されてでもいるように断片的になった情報を迷い無く繋ぎ合わせていく。

 組み上がった文は砂漠に落ちた水のように、抵抗無く頭の中に染み渡り。それと共にウィルの問いに対する回答らしいものが頭の中で無造作に弾き出された。


「悪魔の隠蔽は幾つか種類があります」


 迷いながらも口を開く。この答えは恐らくもっとも真実に近い回答だと心の何処かが囁く。


「自分の力を使って存在をねじ曲げ、不可視寸前まで消えるもの。周囲と同化し限りなく透明に近いと錯覚させるもの」


 話しながら頭の中で新しく組み上がった悪魔の仮説を見えない指先でなぞっていく。


「成る程、今回の場合不可視寸前まで身を消した悪魔だったのか」

「いえ。今回の悪魔はどちらかというと後者です。可能な限り辺りととけ込み同化して――道ばたの石と同価値になる。そんな細工が加えられていました」


 静かに首を横に振って声を否定する。彼が記憶を探るみたいに視線を天井に滑らせ、訝しげに眉をひそめる。


「周囲と同化する悪魔だと、箱か何かに潜む悪魔位しか知らないが。監視の為なら普通に透過した方が良くないのか」


 彼の指摘には一理あるので頷いてみせる。

 確かにその通り、余計な回り道をせずとも素直に透明になった方が簡単にも思える。

 だけど、私の知っている限り、完全な透明化にまで至った悪魔はいない。

 中位悪魔とも何度かやり合ったが、ぼんやりと存在をぼかす悪魔は居ても、完全なる透明化を使う奴は見た事もなかった。

 素早い動きで瞬間移動を思わせる個体はいたが、手強い中位の悪魔達の中でもその反則技を使われた事はない。

 この事実を踏まえれば、ある仮定が浮かび上がる。


「これは説明が難しいんですけど、そうですね。力で存在をねじ曲げて姿を消すのは……おそらくはかなりの力業なんです。

 余程の力がない限りそんな不自然な事をすれば何処かでゆがみが発生して、存在自体が歪に浮かび上がります。

 それ程の力を有する場合、力の気配を隠さないとなりません。それにはかなりの技量を必要とするでしょう」


 告げながら、自分の中で様々な疑問が解け雫となって落ちていくのを感じる。

 魔物はどうだか知らないが、透明な中位悪魔が見あたらない時点で悪魔にとって完全なる透明化というのがいかに難易度が高いかという事を示している。

 もしかしたらではあるが、曖昧にぼやけていた中位悪魔の数々は高位神官でも易々と目視出来ないほどの難敵であり、並の手段では術を当てる事も困難な存在だったのかもしれない。

 私の鋭敏すぎる悪魔探知能力を思えば、非常にあり得る可能性だ。

 とにかく、力で自分の身を隠そうとしている悪魔はどこか朧気で歪な気配を発していた。

 カフスの時も力任せで隠れられていたのなら、近寄る前に気が付いていただろう。

 ……気配を押さえる技量の前に、前提から無理があるか。部屋の側に浮かんでいた悪魔の姿を思い出し、小さく肩をすくめた。


「――もっとも、この札に封じられた悪魔の力は、インプより少し力が強い程度でしたので元々選択肢自体存在しないんです」


 中位悪魔でも気配を曖昧にさせる程度で精一杯なのに、下手をすれば箱の悪魔にも負けそうな監視悪魔が完璧な透明化を行える訳がない。


「残りの存在を周囲に同化させる方法は、分かり易く言えば日常の無関心の流用です。限りなく気配を殺し、出来るだけ空気と同じになり存在すら気が付かれない日常となる事です。

 そこにいるのが自然である、床であったり、壁であったり。絵であったり。それらと同じ存在感を持って限りなく透明に近い存在となります」

「そんなものをどうやって炙りだしたんだ」


 彼の質問に小首を傾げて考える。さっきまでなら答えに窮しただろうが悪魔を捕捉し、順序立てて思考を整えた今なら思い当たる方法があった。

 だが、理屈に気が付いたとしても、咄嗟に説明しろと言われると難しく、小さく唸る。


「ううーん。そうですね、日常にとけ込み停滞しているが故に、道ばたの石どうかというものは変化に弱いんです。嵐では転がって、竜巻だと巻き込まれ、日照りではひび割れ崩れます」


 私が悪魔にやったのは、文字通りの『炙り出し』だ。眼に特化された悪魔は、周囲に同化する事だけを武器にして日々をやり過ごしていたらしく、力糸で急激に変化させられた力の濃度に耐えきれず姿を現した。

 魚に例えれば、真水に適応していたのにいきなり海水が流入するようなものだ。悪魔が完全に契約者の傀儡となっていたのなら成功はしなかったが、無気力に見えても辛うじて生存本能は維持されていたらしい。


「分かるような、分からないような。難しい話だな」


 抽象的で要領を得ない私の話に、案の定ウィルから興味がない哲学の講義に迷い込んでしまった生徒のような顔をされる。


「分かっても真似は出来ませんから気にしないほうが良いですよ」


 理解しやすくなるように魚で例えても良かったけれど、力糸の説明を始めからするのが面倒なので言わないでおく。


「そうだな。しかし、悪魔に細工など普通の人間が出来るものなのか。君達の反応を見る限り、細工なんて生やさしい代物ではなかったんだろう?」


 ウィルの言葉に廊下に漂っていた悪魔を思い起こす。縦に割けた顔面から覗く不気味な白目が脳裏をよぎる。


「私は、細工そのものより。どうしてこの手段を選んでしまったのかの方が気になりますが……そうですね、あれはもう細工を通り越して改造の域まで及んでいます。下級悪魔の亜種は幾つか見た事はありますが、そのどれもが宿主や契約者に害を及ぼす方向に進化したものです」

「君が見た物は違うのか?」


 問いかけてくる顔に、薄く開いた巨大な瞳が重なって思い出されかぶりを振って不吉な幻視を吹き飛ばす。

 不快さを胸の奥に押し込め、彼の質問に同意を示す。


「ええ。あれは〝見る〟事だけを特化させた悪魔です。札に抵抗も出来ず、姿を見れば攻撃性もほぼ皆無。悪魔としては異質とも言える姿でしょう」


 かぎ爪もなければ口もないので牙もない。丸まっていてよく見えなかったが、尻尾も無かった気がする。

 悪魔は幾つか見たが、あれ程まで攻撃手段の無さそうな悪魔は初めて見た。


「なるほど。見る為だけに特化させても、悪魔自体に利はないから不自然だな。それほどの改造を普通の人間が可能なのか?」


 悪魔に細工を仕込み改造出来る人間。そんな凶悪な人物があちらこちらに居て貰っても困るが、可能性としては否定できないのが憂鬱だ。


「出来るか出来ないかで問われれば、出来ます。悪魔というのは精神体のようなものですから、ウィルが思う以上に簡単に内部すら変形させる事が出来るんです。

 幾つもの誓約を埋め込み、陣や術式に通せば監視向きの悪魔に身を変化させる事も可能でしょう。

 術式さえ作り上げる事が出来れば精通していない人間でもそう苦労せずにその悪魔を呼び出せます」

「それは驚異だな。しかし、それ程楽に作り上げられるのなら、他でも常用化されているはずではないのか」


 静かな私の言葉にウィルが軽く目を見張る。確かに、監視としてこれ程有能な影も居ないだろう。

 呼び出す人間は何の才も必要とせず、術式も紙に書いて伝える事も出来る。

 監視となった瞳の有用性を思えば、当然の疑問の声ではあるが、実用化に至らないのはそれなりの理由もある。

 悪魔に細工を施す術式が抱える欠点に思いを巡らせ、ゆっくりと息を吐き出しながら瞠目する。


「…………いいえ、それはやろうと思っても出来ない事です。確かに好きなように悪魔をいじれるでしょうが、下級悪魔とはいえそれ程の誓約を結んだとすれば、代償は高く付きます」


 幾ら便利な道具になろうとも、契約相手は悪魔だ。

 これ程まで原型からかけ離れた姿を要求したなら、それなりの対価を請求される。

 悪魔に渡す生贄は、教会に初めて訪れた日インプを集める為壁に掛けられた生贄の袋に入っていた様な草食動物の血肉が一般的だ。

 一時的な召還ならそれで事足りるだろうが、牙を抜かれたに等しい監視悪魔の姿を見た限りその程度であんな要求が叶うはずがない。

 高度な儀式をする際、円滑に進むように悪魔の嗜虐心と嗜好を満たす生贄を捧げる。

 その時選ばれる生き物は例外なく『人間』だ。


「ああ、それは確かに真似は出来ないな」


 剣呑な色の混じった私の言葉に、代償の意味に気が付いたか、ウィルが僅かに眉を寄せた。

 悪魔に細工を加える為だけに人を消耗品として扱う人間はそれ程多くいないだろう。

 常用するには無駄な犠牲が大きすぎる。それまで不安げな表情で私達の話を黙って聞いていたシリルが、膝頭に両手を添えたまま爪を立てた。


「あの、もしかして封印してしまった事で……誰か死んで、しまったりするんでしょうか」


 ぎこちない問いかけに、俯いたシリルの指を見る。余程強い力を込めているのか、彼の指先は血の気が引いている。

 一瞬、シリルの金髪に手を伸ばそうかと考え、止めた。

 私が望むのは悪魔の根絶だ。この場だけ甘く取り繕っても、何時かぼろが出る。


「シリル、考えるなとは言いませんけれど、それは想像するだけ不毛です。

 たとえ低級でも悪魔というのは狡猾です。私達が封じないままにしていたとしても、ほころびを探って何時かは契約者の身を滅ぼすでしょう」


 今までだって何度も悪魔を祓ってきた。その中で人間と契約していない悪魔が居たかどうかは分からない。

 町中でたまたま祓った悪魔が隣を通り過ぎようとした誰かの命で現れていた可能性だってあるだろう。

 祓った事が原因で契約者が不利益を被ったとしても、直接関係のない私達からしてみれば、人ごとだ。

 私はこの世界に降り立つ前から悪魔を滅すると決めている。契約した人間の安否なんて考えるだけ無駄だ。

 でも、シリルは私とは違う。私の為に命を賭けると言った言葉に偽りはないだろう。

 けれど、根が純粋な彼は武器を振るって相手の命を刈り取る事に自分の中である程度納得が出来ても、間接的に命を奪う行為には躊躇いが出るはずだ。


「刻まれた生贄が封印しない事で生き返るとも思えませんしね」


 割り切って貰いたいと告げようとして。悲しげに細められたスミレ色の瞳に代わりの言葉が滑り出た。


「あ――そう、ですね」


 私が付け足した最後の言葉に、少しだけ彼の顔が明るくなる。

 嘘は言ってはいないが、曖昧に濁した自分の言葉に僅かに苦みを覚える唾液を飲み込む。

 刻まれた生贄は確かに封印を見送っても戻らないが、人を分解するのはそれなりの手間が掛かる。それ故、悪魔の儀式では五体満足の死体か――生きたままの人間を使う事が多い。

 更に言うなら、下級悪魔との契約であれば代償を請求されるのは悪魔自身が消えた時だ。


「それで、その札はどうするんだ」


 口を噤んで考えを巡らせていると、ウィルが瞳に好奇心の色を載せ、机上の封印札を覗き込んだ。

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