128:やってやろう
「血の宝石……。貴方に言われた時は深く考えていませんでしたけれど、混ざったのは王族貴族だけではないんですね」
たまたま素養が出たと感慨もなく告げた彼の言を考えるなら、そういった力を持つ人間が血筋に現れる事自体バリエイト家では珍しくもないのだろう。
嬉しそうでない様子も合わせて鑑みれば、彼が引き継いだ素養も現れ易いであろう血筋から見てしまえば中の下辺りの力しか持たない可能性が高い。
教会関係者が時折零す雑談では魔術を扱える人間は珍しいと言った口ぶりだったが、幾つもの血が混じり合ったバリエイト家では別らしい。
「ああ。馬車の中で言ったように様々な事情で断絶してしまった家の人間も多く入り込んでいる。
小火で失った戸籍も多く、どれ程の血が入り込んでいるのか確かなところは分からないが、バリエイト家に嫁いだ中には、当然術者も含まれる。
〈炎〉 残念ながら今代は強い素養を引き継げはしなかったが」
指を合わせて出た炎は、あっと言う間に空気に溶ける。
「幾度か続く断絶した血筋を受け入れる『たまたま』も、三代以上続けば偶然ではなく必然だ。
初めのうちは本当にただ嫁がれたのだろうが、その後は途切れさせたくない血筋を家に回されていたんだろう」
淡々とした口調で紡がれる台詞に表情は変えないように注意はしていたが、どうしても眉が寄ってしまう。
「他人の家の事情に口を出すのもどうかと思いますけど、それは幾ら何でもあんまりではないですか? 人の家系は血の倉庫じゃないんですよ」
幾ら血統が貴重だからとは言え種別分けの箱じゃあるまいし、断絶寸前の血をバリエイト家に無差別に投入するなんて何処の外道が思いつくんだろうか。
「そうだな。まあ、幾らか理不尽ではある」
「ええ。誰がそんな非道な命令――」
そこまで言って、漸く気が付く。バリエイト家は有数貴族の一つだ。
力があるはずだろう貴族に命令出来る人間が居るとすれば、それ以上の権力者。
つまり、王族だ。
「あまり楽しい話ではなかっただろう。この話は今日はここまでにしよう」
言葉を噛んだ私に苦笑を向けウィルが席を立つ。
彼の側で浮かんでいた紙がくるりと前転し、机上に静かに積み重なった。
何気なさを装って軽く語られたウィルの話は、バリエイト家に潜む深淵の一部だ。
屋敷を徘徊するなら、禁忌を避ける為にも聞いていて損ではない。
彼の話は人間関係での摩擦を極力減らす入れ知恵だったと、受け取ればいいだけだ。
納得しようと頭の中で無数の言葉を並べても、疑念が次々と浮かんでは消える。
本当に、ただ、それだけだろうか。
心の隅が猜疑心混じりの問いを投げる。
私達が行動しやすくなるように。それだけの為に、自分の家が『血の宝石』と呼ばれるのだと平然と告げられるのか。
これまでに聞いた話と、ウィルの話を繋ぎ合わせて考えられる今なら、ユハが廊下で青ざめ、悲鳴に近い叫びを上げた意味が分かる気がした。
ユハはバリエイト家の名を良く口にしていた。家名にそれなりの誇りを持っているのだろう。それ故に『血の宝石』の呼び名に酷い拒絶を表したのだ。
血の宝石はバリエイト家が今は途絶えた優秀な血筋の受け皿だと言うと同時――雑多な血筋だと言外に囁かれるに他ならない。
血筋を尊ぶだろう貴族からすれば、面と向かって雑草や雑種だと言われるに等しいはずだ。
「どうして私にそんな話をするんですか?
今日初めてあった人間に言う話ではないでしょう。家の内情に踏み入りすぎています」
静かに歩み寄るウィルを見上げて問いかける。
「そうだな……なんとなくだが。私が言わなくとも、君は何時かこの話を知るような気がしたんだ」
彼は思案げに俯き、答えながら正面のソファに音もなく身を沈めた。
「なんとなくですよね? 確実ではないですよね?」
どう考えたところで彼が私に告げた事実は気軽に話せる類のものではない。
気がする、かも知れない。で、ごく一部だとしてもほとんど初対面の人間に家の闇を語るなんて、軽々しいどころの騒ぎではないだろう。
「私の感は良くあたるからな。経験則から言って下手に隠し立てをするよりも話した方が楽でもある」
「そんな気軽に内情を明け透けに話されても困るんですけど」
視線を持ち上げ、首をすくめるウィルに後半はほぼ本音に近い呻きを吐き出した。
酷く拗れていそうなバリエイトの内情を思い、内心頭を抱えた。
王族や貴族にだけは関わらないように気をつけていたのに、私は初っぱなから関わる人間を間違えた気がしてならない。
やり直したい気持ちはあるが、時間を巻き戻せたとしても、ギルドにいたのがユハだから何度やろうと意味のない事だ。
「困惑しているところ済まないが、此処に呼びだした理由は君達に頼みがあるからだ」
痛む頭を押さえないように指を握り込んでいると、ウィルが姿勢を正し鋭い視線を向けてくる。
彼の真剣な眼差しに、む、と一つ唸って不毛な渦に足を踏み入れ掛けた思考を脳裏の片隅に追いやった。
「ええまあ、予想は出来ていますが。私達、ユハから報酬を貰いに来たんですけれどね」
玄関で呼び止められた時から何となく呼ばれた理由は察していた。
ユハの事を合わせて考えれば悪魔に関する事でほぼ間違いないだろう。
思わずウィルに恨みがましい視線を注いで軽い悪態をついてしまった私を責めないでもらいたい。
教会建て直しの件もあったが、気楽な休養もかねて来たというのに到着してから悪魔・悪意・家のしがらみと怒濤の攻撃に晒され息つく暇もない。恨み言の一つや二つ出ようものだ。
「勿論私からも報酬は支払うつもりだ。君に頼みたい事が事だけに説明しづらくはあるんだが」
「ここまで来てしまって居るんですから、遠慮無く言って下さい」
気軽に重い家の話をした唇で殊勝に言われても違和感がある。
さっさと話して早く片付けさせて欲しい。
「屋敷の異変――いや。監視を排除してくれないか」
「監視、ですか?」
屋敷に潜り込んだ悪魔祓いではなく、監視の排除?
予想と違った展開に眉をひそめる。
「ああ、何処からとは言いにくいんだが見られている」
言いにくそうに唇を動かしてはいたが、確信の篭もった口調で頷いた。
「見られている……気がするんですか?」
明瞭な言葉に違和感を感じたか、今まで黙していたシリルが不思議そうに首を傾ける。
「違う。見られている」
間を置かない強い否定。
「その根拠は?」
視線を揺らがせることなく言い切ったウィルの自信に、見えていないと分かっても続きを促す目配せをしてしまう。
「変な事を言うようだが、絵を運び入れた時、空気が少し揺れた気がしたんだ」
「…………空気が揺れた?」
疑問符を飛ばしたら、ウィルが困ったように視線を彷徨わせる。
何かが見ていた事は確信出来ても、空気が揺れたとは断言しにくいんだろう。
私も空気が分かり易く波打つところは見た事がない。だが、それが悪魔の気配なら別だ。
大気にとけ込んだ悪魔の気配が、聖なる光を受けて蒸発し空気を震わせる事はある。
彼が感じたのは悪魔が浄化された気配だろう。あの絵の光を受けてただで済む悪魔は居ない。
だとすると、別の疑問が湧き出してくる。
だったら、ウィルは何を不安に思っている。室内の悪魔は消えたはずだ。
屋敷の中も今のところ、悪魔の気配は無い。
探った手順は普段通りで問題のないものだったが、何か重要な事を忘れている気がして目を細める。
「ここに来るまでの間、気配はちゃんと探って」
違和感はなかったと言いかけて言葉を止める。
先程から感じていた思考のささくれが酷くなり、胸の奥がざらつく。
待てよ私。
確かに、ここに来るまでフラフラながらも可能な限り気配を探りながら進んできた。
けれど、そんな探索方が場合によっては無意味だと今日徹底的に教え込まれたばかりじゃなかったか。
ほとんど気配のしなかったウィルの持っていたカフスと、ユハの胸飾りを思い返す。
もし、バリエイト家に放たれた悪魔が細工の加わった監視専用だとしたら、普通の感知ではきっと引っかからない。
ただ、視ただけでは駄目だ。聞くだけでも取りこぼす。
かといって何も考えず力を放出すれば私の身が保たない。
違和感を感じ取ったウィルは空気が揺れたと言った。
揺れる。ぶれる。
無理難題に私の頭の中もぐらぐら波立つ。
通常の手段で視る事の叶わない悪魔祓い。
この屋敷に来てからと言うもの、微かな気配しか漏れないカフスから始まって、まともな手段では視界に収める事すら出来ない悪意。
普通の神官では手に負えないどころか気が付く事も難しい例外が連発されている。
新天地に来たのが原因だとしても、幾ら何でも難題が多すぎないだろうか。『視えないものを祓え』これを無茶と言わず何を無茶と言うんだ。
無茶振りにも程がある。酷いイジメだ。
私はきっと泣いても良い。
アオといい、ユハといい、ウィルといい。どいつもこいつも人の苦労を知らないでさらっと言ってくれる。
視界を変えても視えないものを見ろって何だ。最近全自動悪魔探知機になってきていると言っても、漏れてこない気配を探れって私を万能だと勘違いして居るんじゃないのか。
過剰な要求に追いつめられはじめた私の思考は、徐々にやさぐれ荒んでいく。
常日頃から『心に静を』を合言葉にしていても私の脳の容量にだって限度というものがある。
教会で読んだ本、今の立場、不可思議な現象、バリエイト家。
際限なく折り重なり、積み上がった情報に受け身でありつづけた思考が重みに耐えかね軋みを上げる。
頭の奥がギリギリと悲鳴を上げ、網膜が一瞬黒く塗りつぶされ。プツ、と何かが千切れる音が鼓膜に響いた気がした。
教会で正悪魔と対峙したときのことを思い出す。あの時も、感じ取れと無茶を言われた。状況としては今と似ている。
熱を持った嫌な痛みがこめかみを走る。
鈍痛に薄い苛立ちが更にかき回され、思考が攻撃的なものへと変わりはじめる。
薄赤色の水の嫌がらせといい、アオが渡してきた紙と同じく監視悪魔は私に対する挑戦だな。そうに違いない。
良いじゃないか、そちらがそのつもりなら受けて立ってやろうじゃないか。
「分かりました……やってやろうじゃないですか」
喧嘩腰になった意識のまま呟きを落とす。
言葉端に滲む不穏な空気を察したシリルの頬が僅かに引きつった。
「それは助かる、が。なんだか声が低くないか」
空気を読む事に長けては居ても、私の押し込めた感情までは察する事が出来なかったらしいウィルが嬉しげに頷き、不思議そうに瞳を瞬く。
今まで表面に滑らせ平らに保っていた力をゆっくり広げていく。
休憩を挟んだ事で体内の力は使用しても倒れない程度に溜まっている。
「問題ありません」
微かな音を立て火花を散らす力糸を横目で眺め、無感情に答えた。




