125:燐光
「どうかしたのか」
「扱いが難しい物なので吃驚しただけでしょう」
「お前達の職業もしがらみが多そうだな」
挙動不審になっているシリルからそっと目を逸らして空とぼける私の耳に、感心したような声が滑り込む。
サラダに添えられた見慣れた果実にフォークを刺して口に運んだ。
「まあ――」
堅い実を咀嚼し「それ程でもありません」と答えようとして口元を押さえる。
覚えのある甘く芳醇な香りが鼻孔をくすぐり、すぐに舌の奥をぼんやりと痺れさせるえぐみが押し寄せた。
上質な素材が続いて無防備になった口内へ波のような渋さが広がっていく。
「苦ッ!?」
味覚を蹂躙する苦みの衝撃にフォークを取り落とし掛けた。
「ん……っ。これ、は」
私の反応に、慌ててサラダを口にしたシリルも顔をしかめる。
まずい。
この青臭さ、マズイなんてものじゃ収まらない。
味だけではなく、食感も最悪で舌先で難なく潰れるはずの実がガリゴリと枝をかみ砕くような音を立てる。
「だから言っておいただろう。人の忠告は聞くものだぞ」
呆れたような声音のユハがサラダに混入された果実をフォークで持ち上げた。
「これ、本当にパナナムですか?」
「マナ様、これは間違いなくパナナムです。他のパナナムなんてあるのですか?」
見た目や香りに違いはないのに、あまりに酷い味だ。思わず尋ねると、ティティが眉を寄せて考えるように自分の頬に人差し指を当てた。
『…………』
メイドに訝しげに問われ、二人して絶句する。
パナナムと言われても、私が知っているものとは味に天と地ほども違いがある。
暫しの黙考を挟んでメイドが口を開く。
「パナナムの初摘みは栄養価が高く、薬としても珍重されています」
「初摘み?」
茶葉だと春摘みや夏摘み等かあるのは知っているが、一年のうちに何度も実を付ける果実なのだろうか。
「その年、人の背丈ほどとなった樹から収穫出来る実の事です」
「来年は取らないんですか?」
私の質問にティティが静かに頷く。
「一度収穫された樹は引き抜いて植え直し、他の年は別の若い樹の初摘みに向かいます」
「……植え直すんですか」
実を収穫するたびに樹を廃棄するのか。なんて贅沢な。
パナナムは高級品と聞いていたけど、そう言う意味で高級だったのか。
「お口直しにお茶をお淹れしましょうか」
口元を押さえくぐもった声を出す私に、心配そうな目線を注ぎメイドが尋ねてくる。
「頂きます」
強いアクのせいでちくちくと違和感の残る喉に唾液を押し込んで頷く。
「そのサラダに入っているものはティティが言った通り、パナナムの実で間違いない。
お前達の所では違うようだが、貴族は腐りかけたものを嫌う。
出される食材はその年に作られ、収穫された品ばかりだ」
無表情で野菜を咀嚼したユハが、憂鬱そうに残ったサラダにフォークを差し込んだ。
人数分の白磁のカップを静かに並べたティティがゆっくりと紅茶を注いでいく。
湯気と共に広がる甘いお茶の芳香が鼻奥に残る青臭さを僅かに薄れさせた。
「なるほど、有り体に言うと熟してないんですね」
ギルドの地下では何故不味いと断言したのか分からなかったが、この実を食べた後だとよく分かる。
これは不味い。どう言い繕おうが擁護出来ないほどにえぐみのある味がする。
ユハの前にカップが置かれ、続いて目前に湯気の立つ器が載せられる。
「そう言う事だ。お前達の分だけ豊穣の女神が指を滑らせていてくれれば良かったのだが」
苦笑するユハ。彼を覆う黄色がかった燐光が微かに色を増す。
謎の現象に目を見張り、喉の違和感を取る為カップを傾け。
「…………げほ、ごほっ!」
思いっきり噎せ込んだ。
うええ。このお茶も、ものすっごく渋い。口一杯砂利を頬張ったみたいな違和感がある。
今しがた飲んだ紅茶から苦みを上乗せにされ、えぐみが倍になった錯覚に瞳が潤む。
「ど、どうなさいました」
涙混じりの視界の中、ぼやけたティティが慌てて駆け寄ってくる。隣の執事が気遣わしげに私を見ていた。
対面のシリルはテーブルを迂回して駆け寄るかどうか迷っているようだった。
ユハはいきなり咳を漏らし始めた私に驚いたように瞳を見開いたものの、何かを察したのか手元のカップを持ち上げて顔を寄せた。
軽く器を揺らして香りを吟味し、濃紺の瞳を見つめる。
「ん……これは。ティティ、頼んだ茶葉と違うようだが」
「えっ、あら。た、大変! も、も、も、申し訳御座いません。缶の表示を見間違えましたっ」
主人の指摘に一瞬メイドは硬直し。自分の手に持ったポットの中を確認して青ざめる。
彼女には珍しい失態なのか、半ばパニックとなったティティは涙目で両手を合わせて宙を見上げた。
「ど、どうしましょう。この茶葉は先程の淹れ方だと酷い苦みが出ますから……マナ様は苦いものが得意では無さそうなご様子ですのに、私はなんて事を!
光の主神ヒールレイニ様、不信心なメイドの願いですがマナ様の苦痛を取り除いて下さいませ!!」
喉奥に絡みつく違和感に、そこで神頼み!? と突っ込む余裕もない。
真摯な眼差しで祈る彼女の身体を取り巻く光が新緑の色を強める。
当然、口の中のえぐみが祈りで消える事はなく私は悶えたままである。
「…………神に祈ってないで水を渡せティティ」
「はっ。そうです! 水をお飲み下さいっ」
半眼のユハの呟きに姿勢を戻したティティは緊急事態でテーブルマナーも吹き飛んだのか、だんっと勢い良く陶器の水差しをテーブルに置き、慌ただしく木製のコップに水を注いで口元に寄せてくる。
「ごほっ、はい……」
ねじ込む勢いの器を有り難く受け取り、口を付ける。
乾燥した唇が潤い、ささくれた喉を冷水が滑っていく。ふう、生き返った。
「本当に申し訳ありません」
「いえ、気にしないで下さい。些細な間違いは良くある事です」
中身を飲み干し、力なく肩を落とすメイドに励ましの言葉を贈る。
紅茶のラベルを間違えるくらい可愛いものだ。
私なんて調理を試みるだけで何故か周囲が地獄の様相と化す。
「そのままだと口の中が不快だろう。
甘めの果実を用意させたから、それを食べれば舌がマシになるはずだ」
しみじみと思い返していると噎せて呼吸困難になりかけた私に同情したのか、ユハが優しく声を掛けてきた。
「それはとても助かります。ところで、ティティさんはヒールレイニを信仰しているんですか?」
あまりお目に掛かれない優しげな微笑みに、少しの不気味さを感じながら気になっていた事を尋ねる。
「では、すぐにご用意致します。そうですね……教会の方々ほどではありませんが信仰はしております」
会釈をしたティティが悩みながらも口を開き。ユハには聞こえないような小声で「あまり五月蠅く仰いませんから」と付け足し悪戯っぽい笑みを浮かべる。
彼女の会話の合間、ふわりと新緑色の光が再度瞬いた。
「成る程。食堂にいる方々で魔法を使える方がいらっしゃったりは?」
「いいえ、私は全く。魔術と関わりもありませんから」
メイドが首を横に振り、完食は不可能と判断されたサラダを下げていく。
「ではユハは?」
「それをオレに聞くのか。無論、使えはしない」
直球で尋ねたら、疲れたように瞼を薄く落としたユハが嫌そうに顔を歪めた。
「そこの執事は日用の術位は出来たはずだが……戦いでも申し込むのか?」
不審混じりの物騒な台詞に、私の隣に待機した執事は表情を動かさないまま肩を跳ねさせる。
「いいえ、ちょっとした参考です」
なるほど。
顎に指先を当て、光の動きをつぶさに観察する。
ユハのウンザリした表情から考えると、彼には魔術の素養があまり無いのだろう。
と、なるとこの燐光は魔術に関連するものではない。
何度か確認してみたところ、光はある特定の単語に反応を示した。
『主神ヒールレイニ』『豊穣の女神』の二つだ。もしかしてこれは――
黙したまま思考に意識を傾ける私の前に、拳大ほどの黒光りする球のようなものが置かれた。
「ルールイエの果実です。ご賞味下さい」
ティティににこりと微笑まれたが、見た限り歯が立ちそうに無い。
「……心配するな。見た目ほど固くない」
ユハがそっとナイフを当てると、溶けかけたバターに沈み込むように簡単に実が割れる。
同じように刃を立てると、皮の内側にある薄いピンク色の実が手応え無くナイフで切り裂かれていく。
実を開くと同時に広がった甘酸っぱい芳香に頬が緩んだ。
「良い匂いですね」
割り開いた柔らかな果実の中心に詰まっていた小さな黒粒が果汁と共に滑り落ちる。
種かと思ったが、フォークでつつくと弾力があるので実なんだろう。
「ルールイエの実は美容などに効果がありますので中々手に入りませんが、今回は運良く仕入れられてよう御座いました」
「珍しいものなんですね」
「この実はご婦人方に人気があるからな。貴族うちで消費してしまうせいで市場にはあまり出回らないな」
相槌を打つユハが、零れた粒をスプーンに載せて口に運ぶ。
あれも食べられるのか。
「ぼっちゃまがぜひマナ様にとご用意したものです」
食べ方に迷う私をにこやかに見つめてティティが微笑む。
「豊穣の女神の雫とも呼ばれる稀少品だ。食べられる時に沢山食べると良い」
瞳を細めるユハの言葉にオレンジ色の光が周囲から瞬く。
間違いない。やはりこの光は、神に反応している。
魔法の属性かとも考えたが、話の中身や光るタイミングを考えれば彼らが信仰する神か、神に対しての信頼によって輝く。
新たに見えるようになった色は信仰だ。
光る理由は分かったが、目の前の人物の信仰対象を当ててどうしろと。
信仰対象によって色も変わっているみたいだし、これは少しずつ情報を集めて色を調べていくしかない。
「どうした。食べないのか」
手を止めたまま思考に没頭していたら、不安げに眉を寄せられ慌ててすくい取った実を口に放り込む。
「いえ、食べますよ。うん、甘酸っぱくて美味しいですね」
プチプチと弾けた水気のある粒から酸味が溢れ、外側の果汁の甘みと混じり合う。
この食感は癖になりそうだ。酸味のある桃みたいで美味しい。
「そうか。沢山食べろ」
はむはむと口に入れていると、柔らかく声がかけられた。
「………んん?」
懐かない野良猫に掛けるかのような、妙な甘さの混じる言葉に嫌な予感を覚え視線を向ける。
スプーンを置き、私を眺めるユハの眼差しがなんだか嫌な暖かみを帯びていた。
小さい子供を遠くから見守る保護者に近い、生温かな目だ。
「大丈夫だ。ルールイエの栄養価は高いからすぐに効果が出るだろう」
優しい眼差しのユハが私から少しだけ視線を足元にずらした。
その僅かな動作で嫌な予感が確信に変わる。錆び付いたゼンマイに似た角張った動きで居心地悪そうに床に目を落としていたメイドを向く。
「…………ティティさん。美容効果ってもしかして」
「ええ。はい、美肌だけでなく……豊胸の効果があると、人気があります」
豊胸の一言で空いた左手が胸に降りた。
悪意を払った時どさくさで胸を押さえられはしたが、意識が朦朧として記憶に残らなかったのかと思えば、しっかり覚えてたのか!
何のとっかかりも抵抗もなく下がる指先を感じ、セクハラだ、ぱわーはらすめんとだと叫ぶ気力も起きない。
そうだよ、無いよ。悪いか。
果実の効果を考えるに、胸や諸々が小さいと言外に告げているんだな。余計なお世話だぁぁぁ。
私だって、私だって好きでこんな平らな躰な訳ではないんだッ!!
前はもう少し位は。うう、今はこの姿が私と言う事実は変わらないのだけど。
「放っておいて下さい。どうせ何をやっても変わらないんですから」
「まあ、そんな悲観せずとも。きっとまだ成長期ですからすぐに体格も変わりますわ」
やさぐれた私の声に眉を寄せ、まあまあとティティが宥めてくる。
激しい嫉妬を覚えるほどに執着心があるわけではないが、持つ者から励まされてもあまり面白くない。
「折角なので沢山頂きます」
「ああ。好きなだけ食べろ」
何を言われても虚しいのでヤケ食いで発散してやる。
お行儀悪く頬を膨らませ果物を頬張ると、使用人も含め優しげな眼差しで頷かれる。
話が話だけに口が挟めなかったらしいシリルは、頬を薄く染めて目を逸らしていた。
はぐはぐと果実を飲み込んで凹凸のない自身の体を思い起こす。
ティティの言った通り外見年齢を考えれば確かに私は成長期の最中だ。数十年単位掛けての成長を成長期と呼べるのならな!
もう一度、掌で胸を押さえたが感触が腕とそれほど変わらない。気にしないようにしているけれど、ここまで無いのも問題な気がする。
うう。このままでは、ナーシャにすら追い抜かれてしまう。
やっぱり、無乳は嫌だ。




