123:昼食
非常識な長さの髪を二人がかりでマントの裏に詰め込んで、足早に二階の階段へ向かう。
可能な限り時間を短縮したが、髪を収めるだけでどうしてもそれなりの時間が掛かってしまう。
「もう宜しいのですか。では、ご案内致します」
段差の手前で瞠目し、待機していたらしきティティが慌ただしい足音に薄く眼を開き、息を乱す私達を見て優しく微笑んだ。
先導する為ゆっくりと階段を降りて厚い絨毯の上を滑るよう進んでいたメイドが一階にある渋色の扉前で足を止める。
佇む私達に軽く視線を向け、金色のノブを握り静かに開いて、頭を下げる事で先を示した。
促され、恐る恐る部屋の中に入り込む。縦に長く伸びる室内の天井をレースにも見えるシャンデリアが覆っている。
純白のテーブルクロスで整えられた机の向こうで、腕組みしたユハが不機嫌そうに座っている。
彼と対面状に銀の食器が配置されていた。私達に割り振られているらしい席を点にして直線で結べば、三角形が出来上がる。
静かな食堂の空気に、息苦しさを感じて苦し紛れに壁際に視線を走らせた。
必要最低限の使用人しか集めていないのか、メイドと執事合わせてもこの場で食事を摂る人数分――ティティを含め三人しか居ない。
屋敷中の使用人が勢揃いにはならずに胸をなで下ろす。
艶やかな椅子や染み一つ無いテーブルクロスに触れないように進むと、大げさに避けたせいか逆に足を引っかけそうになって物音が立つ。
ユハが静寂を乱す元凶に目を向け、「ようやく来たのか」と言った顔で溜息を吐き出し。
細い指先で椅子を示して私達を再度眺め、絶句する。
先程まで文句を言いたそうではあるが安堵を交えた表情だったのに、口元が微妙に引きつっている。
「待て、座る前に良いか。隣の……シリルだったな」
「はい。なにかご用ですか?」
問われたシリルがスミレ色の瞳を瞬き、金髪を揺らす。
着替えたせいか、先刻睨み合っていた相手の言葉に気を悪くする事もなく、さっぱりした顔だ。
「なんだその格好は」
「えっ。……あ、やっぱり、似合いませんよね」
喉奥から絞り出されたユハの呻きに、シリルが不安げに自分の腕を見た。
神父のお下がりの為、丈が合わない袖が揺れる。
明るい場所では薄青が混じって見える漆黒の僧服を身に纏い、教会の神父達と違ってきちんと襟を詰めた彼の姿は初々しい。
「いいえ。とても良くお似合いですわ」
「そうですよね。シリルにとてもよく似合ってますよ」
両手を合わせるメイドの言葉に力強く同意する。
力説する私達を面倒そうに横目で見てから、ユハが渋面でシリルの服装を眺め回す。
「似合う似合わないではない。お前達はその姿で屋敷を歩き回るつもりなのか」
「そのつもりですけれど。何か問題があるんですか?」
強い口調で問われて首を傾げてしまった。
はて。見苦しくない格好をしているはずだけど、何処が問題なんだろう。
「得体の知れないお前を呼びつけるだけでもいい顔はされなかったのだぞ。
この上、昼日中から神父や僧侶が屋敷を徘徊するのが問題ないわけがないだろう」
苦々しい声に自分のマントを思わず眺め、隣に佇むシリルを見る。
黒ずくめの小柄な人物と、その後について回る見習いらしき修道僧。
言われて客観的に二人揃ったところを想像する。怪しい。
邪教に入信した信者が、屋敷に入り込んで異教を触れ回っているのではと勘ぐられても文句を言えない位には。
私の存在が無くても、僧服の少年が屋敷を彷徨うだけで面倒な事になるかも知れない。
「…………そう言われれば少し宗教色が強くなりますね」
厄介になっている教会ではその手の話を振られるのも皆無に近かったせいか、宗教にはやや鈍感になっていた。
今更な疑問だが、パスタム教会って何を信仰していたんだろう。
シスター達の容赦のない浄化を思い返せば対象が悪魔でないのは確実だが。
「あの、僕は神父や僧侶ではないんですけど」
「印象の問題だ。二人揃って徘徊すれば我が屋敷の人間はどんな宗教に鞍替えしたのかといらぬ詮索を受けるだろうな」
浮いた胸元の生地を手で押さえて不満げに漏らす少年を、ユハは溜息を隠さず睨み付ける。
「カルト扱いされるのは確かに困りますね」
ユハの呻きももっともで、よく考えずとも悪魔祓いをする私が屋敷に滞在するだけで醜聞に繋がりかねない。
その辺は大丈夫なんだろうかと首を傾けて彼を観察すると、
「屋敷に溜まる澱みの点検に〝そういう者〟を呼ぶ貴族は少なくはない」
こちらの疑問に気が付いたらしいユハが、軽く肩をすくめた。
「ティティ。その従者の体格に合う服があっただろう」
食事を運ぼうか目線で尋ねる執事を右手で制し、ユハはごく自然な調子でいつの間にか彼の後方に佇んでいたメイドに尋ねた。
声を掛けられた彼女は、ぱあっと瞳を輝かせ、頬を微かに染めて小さくはにかむ。
「ええ。どれが良いでしょうか。うふふ、ちゃんと大切に仕舞っておきましたけれど、陽の目に見せる日が来るなんて」
我が子の晴れ着を選ぶ親にも似た浮かれた声音のティティが、うっとりと目を細めて頬に手を当てた。
ご機嫌なメイドの返答に、ユハはしばし瞠目し、
「ティティ。一つ言っておくが、昔の服を出せとは言っていないからな」
疲れたような眼差しをメイドに注ぐ。
「そうなんですか……?」
ユハの苦々しい指摘に、あからさまに落胆し肩を落とす彼女。
ミニチュア版のユハを作り上げるつもりだったらしく、酷く悲しげに眉を下げる。
耳をすませば「お小さい頃のぼっちゃまに背丈も合いますのに」や「残念ですわ」と悔恨の呻きが聞こえてくる。
木の葉が擦れる程度の微かな呟きは呼吸音と変わらない為、耳をそばだてなければ分からない。
「従者にオレの服を着せてどうする。使用人の服を見繕って適当に着替えさせろ」
沈み込むメイドを複雑そうに眺めた後、ユハは食堂の扉の側で待機していた壮年の執事に目を向けた。
「シリル様、こちらに」
「は、はい」
私達の会話でこのままでは不味そうだと感じ取ったらしいシリルが使用人の声に渋々従った。
メイドや執事、そしてティティが居る中では滅多な事は起こらないだろうと判断し素直に着替える事にしたらしい。
そう経たずに戻ってきた彼は、ユハの言った通りの使用人服に身を包んでいた。
雑用を主に行う人間の服なのか、白いシャツに黒い上着を羽織るモノトーンの執事らしい色合いの服装だが、壁際に控えている執事より服飾も少なく身軽そうだ。
「まあ、良くお似合いですわ」
部屋に戻ってきたシリルを目にし、優しい笑みを浮かべるティティ。
「よく似合いますよ。でも、そうしているとまるで執事見習いですね」
ティティの言葉に便乗した訳ではないが、本当によく似合っていたので着慣れない服で居心地悪そうに身を縮めるシリルを思うままに褒めてみる。
「あ、ありがとうございます」
褒めちぎられた彼が素直な賛辞にますます居心地悪そうな顔をして俯いた。
「その服は返さないで良い。とにかく席に着け」
腕を組んだユハは着替えたシリルを表情無く一瞥し、用意されている席を示す。
「ありがとうございます」
ぶっきらぼうな彼の言葉に二人で頭を下げると、僅かに驚き面白く無さそうな顔でユハがそっぽを向いた。
庶民とは違い、貴族の食事は豪勢だ。
昼食でも前菜から始まり、スープ、肉料理、サラダ、デザートと続く。
白髭を蓄えた執事が優雅な動きで色鮮やかな前菜を置き、すっと後方に下がった。
柔らかな執事の動きに感心し、前菜を視界に入れて硬直する。
対面にいるシリルの前にも同じ皿が置かれる。彼が皿に視線を落とし私と同じように動きを止めた。
『…………』
マリネか何かだろう、野菜の上に炙られた魚の薄切りが置かれている。
野菜の彩りは美しく。掛けられたソースは薫り高い。
皿を凝視して停止している私達を見て、ティティが訝しげに首を傾けたのが見えた。
アルノーの所で畑を見た為予測してなかったと言えば嘘になるが、それでも叫ばせて欲しい。
どうして根菜らしい野菜が極彩色の紫なんだ! しかもソースが青空の色とか完全に食欲を破壊しに来ている!
盛りつけは綺麗だ。凄く綺麗だと思う。
これが食べ物でなかったら良かったのにっ!
硬直する彼も私と変わらない色彩感覚の世界から来たのか、皿に鎮座する色鮮やかすぎる前菜に戸惑いの表情となっている。
「どうした? あまり見かけない食材に感動したのか」
凍り付く私達にユハが皮肉混じりの失笑を漏らす。
この屋敷の昼食で出すほどだ。庶民には手の届かない超高級品なのであろう。
貧乏教会で出るはずのない食材だが、正直に言えば極彩色の食事が続く位なら貧乏の方がマシだ。
こんなえげつない色合いの野菜が毎食ごとに出るとか、どんな嫌がらせだ。
よく見たら魚の薄切りもうっすらと緑がかっている。しまった。よく見るんじゃなかった!
得体の知れない色合いにますます食欲が減退して半泣きになる。
「え、ええ。文化的な衝撃と言いますか。そう、カルチャーショックを少々」
「…………」
凝視すればするだけ食指が動かなくなってくるので視線を逸らし、曖昧に答える。
うう。耐えろ私。元の世界は投げ捨ててきたのだから、この位は些細な文化の違いに過ぎない。
「いえ、この程度では怯みません。何事も慣れですから」
青いソースを睨み据え、フォークを構える。さあ、何処からでも掛かってくるがいい前菜よ。
「お前は何を言っているのか、時々分からないな」
「個性、的ですよね」
呆れたようなユハの右隣で、個性的の一言で色彩を無視する事に決めたらしいシリルも私と同じく食器を手にする。
「昼食にそこまで神経を尖らせる意味が分からないが、まあ、いい。
それでは、全ての感謝を豊穣の神に」
臨戦態勢となった私達を見たユハが、腑に落ちない表情のまま祈りの言葉を紡ぎ出し。
『頂きます』
私達の昼食が開始される。