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122:包み隠さず

「…………これ、は」


 呆然と呻くシリルに軽く肩をすくめてみせた。背中に掛かる銀髪が擦れ、乾いた音を立てる。


「ほら、さっきも言いましたよね。私、強いんですよ。悪魔であればまず負けない自信があります」


 胸を張って自信を示すと、彼が何かを言い募ろうと口を開き。言葉が見つからなかったのか、口を何度か開閉させるだけに留まった。

 恐怖と動揺を完全に消す事の出来ない彼の目尻に薄く溜まる涙を拭おうと、曲げた指先を持ち上げ、逡巡する。

 接触自体はしていないが、悪魔に近づけた手で彼に触れるのを躊躇っていると、指先を両手の平で包まれた。

 ゆっくりと首を横に振って、躊躇無く指先に手を添えられる。

 少しの間を置き、曲げた指先でなぞるように目元を拭うと、シリルがくすぐったそうに首をすくめた。


「私に出来る事はこの位です。

 せめて特化型ならこの程度出来ないと普段の役立たなさをカバー出来ませんからね」


 指を離し、断言するとシリルが頬を僅かに上気させ、困ったように眉根を寄せる。


「で、も」


 私を護りたいと言ってくれる彼としては単騎決戦する私を黙って見ているだけなのが心苦しいのだろうが、逆に私から言えば普段の自分は家事全般に置いて全く貢献していない、どころか足手まといの自覚がある。

 せめて得意分野で活躍しないと面目が立たない。それに、悪魔の根絶が元々の目標なのだから、良心の呵責を覚えられても困る。

 ここに来るまでだけでも情けないところばかり見せてしまっている気もするし、この程度の格好つけ位許して欲しい。

  胸中でそう思いながら、俯きそうなシリルに薄く笑いかけた。


「悪魔は私の専売特許ですよ。

 シリルが他から守ってくれるように、私は――いいえ。私の出来うる限りを持ってあなた達を悪魔から守ってみせます。

 神が何を言おうとも、国がどう願おうと。他人がどう思おうとも。私が私マナ・メムンとしてやれるとこまで守りますよ」


 スミレ色の瞳に視線を合わせて、肩口から零れ落ちた銀髪を後ろに流す。

 自分の唇から吐き出した恥ずかしい台詞に内心身悶えそうになりながらも、なんとか表情を取り繕う。


「オーブリー神父やシスターマーユまでですか」


 羞恥心と戦う私に気が付いていないらしきシリルが、意外そうな顔で尋ねるように見つめてきた。

 確かにあの教会の面々の戦闘力を思えば、正悪魔の一、二匹程度は何とでもなりそうな気がしてくる。

 特にオーブリー神父やシスターマーユ辺りの逞しさを考えるに、中堅どころの魔物程度なら軽く屠ってくれるんじゃないかという期待すら湧いてしまう。それは否定しない。

 だけど私はあの教会に住み着いて、シリルも含めた皆を見て学んだ。


 人は誰しも、越えられない壁があるという事を。


「当然です。あそこのメンバーは確かに並を越えていますが、中位と戦って無事ではいられません」


 違う。こんな言い方ではだめだ。


 不思議そうに首を傾ける少年に告げた言葉を反芻して、頭を振る。曖昧な言葉ですまそうとする辺り、私も内心では彼と似たような希望を抱えて居るんだろう。

 一呼吸置き、再度言葉を紡ぐ。


「いえ、濁すのは止めましょう。率直に言えば、半数は死にます」


 彼らは恐らく強い。それは普通の人としてだ。

 聖水が多少効く正位悪魔はともかく、中位と戦えば良くて大怪我。下手をすれば死人が出る。

 こんな絶望的な内容でさえ奇跡に続く奇跡の攻防戦が成り立った前提の計算だ。


「死……?」


 一瞬、何を言われているのか分からないような顔をしていたシリルが、意味を理解するに従い表情を青ざめさせていく。

 教会に足を踏み入れた初日、正悪魔に苦戦しつつも痛手を負わせた聖職者達の姿が彼の脳裏に焼き付いてしまっているんだろう。

 それが、彼らに死は遠いのではないかと思わせる安心感に繋がっているのだと、理解は出来る。

 アクがあるメンバーばかりで殺しても死にそうにないと感じることは多々ある。私だって頻繁にそう思う。

 けど、それは幻想だ。

 教会のメンバーは確かに強い。そして同時に人の枠組みから外れる事はない強さなのだ。

 だからこそ、私は中位悪魔とは一人で戦う事を選んでいる。

 魔物に襲われる僅かなリスクを負ってでも危険を避ける理由は単純明快で考えるまでもないことだった。


「こちらに来る際並の人生は捨てましたけど、寝食を共にし匿ってくれる人達を『仲間とも』と認識する程度の心はあります」


 幾ら摩耗され、元から薄い情が更に薄くなったと言っても、一月以上共に暮らせば愛着や情も湧く。

 少々の怪我を負う危険性を飲める位は教会のメンバーを気に入っている。ただそれだけの話だ。シリルは違うんですかと目で問えば、無言で彼が首を横に振る。


「中位、悪魔」


 心の整理が付かないのか、シリルが複雑そうな顔で考え込んでいる。

 教会の皆は大切だと思うくらいの情は育った。

 同時に、いつも隣にいる彼もその対象に含まれると暗に言ったつもりだが余りに自然に含めた為かやはり気がつかれていない。

 シリルの姿を眺めながら黙考する。

 同じくらい大切、と考えた辺りで心に薄いモヤがかかり、チリチリと疼きを覚えた。

 心から軽い反発を感じる辺り、同程度は語弊があるんだろう。言葉にしにくいけれど、ちょっと違う大切な気がする。

 これは口に出して言うべき事か、言わない方がいい事か。

 感情の磨耗が原因なのか、胸を去来するのは酷く曖昧な感情の群だ。何時ものように心の奥に仕舞い込むのが一番手軽で後腐れもないのだろう。

 ユハの泣き出しそうな顔を思い出し、感情を胸奥に沈めようとして躊躇った。

 私は感情を押さえ込むことに慣れている。だけど、シリルは?

 何時ものことだと感情を飲み、口を噤む事で腕を掴んで来た時のような不安を与える可能性がある。

 シリルが自分の心を押さえ込む事が出来たとしても、それは彼に酷い負担をかけてしまうだろう。

 不安が幾重にも降り積もれば下手をすれば心が擦り切れ潰れて、私みたいに感情が表に出にくくなる可能性だってある。

 鏡や水面を覗き込んだ時、映るのは人形のような少女だ。

 彼から喜怒哀楽を取り上げたくない。私は、シリルには人で居て欲しいと思う。

 それが酷く身勝手な我が侭だろうとも。

 数拍ほどの逡巡の後、思い切って口を開いた。


「……これは、言うか少し迷ったんですけれど。

 シリルは私に誠実です、私もちょっとくらいは誠実でありたいと願います。だから、今の気持ちを包み隠さずに言いましょう」


 珍しく歯切れの悪い私が気になったのか、シリルが瞳をこちらに向けた。

 自分がこれからどれだけ恥ずかしい事を言うか考えるだけで、心臓がいつもより早い鼓動を刻む。

 一度照れてしまえば貝のように黙り込んでしまう未来が容易く想像できるため、表情を必死に飲み込んで精神力を大幅にこそぎ落とされながらも目線を合わせ続ける。


「悪魔に対抗する為とは言え、普通の人と違って私の心は揺れません。

 アオの細工もあったとしても、普通の感性ではないのでシリルには良いお返事が出来てませんが、私はちゃんと貴方の好意は分かっているつもりですよ」


 言っていて気が付いたが、これは世に言う告白のお返事という物ですね!

 彼の守護者マーシェへの返答は当日したが、好意への返答は避けていた。

 だが、このままで良いわけもない。特殊だがユハの前例がある。

 不安や不満を溜めに溜めて爆発される位なら今の心内を洗いざらい吐き出した方がお互いの為だ。 

 全力で表情を固定しているが、頬に血が集まるのはもう、生理現象だ。

 生理現象だと言うことにしてほしい。


「え、あ……え!?」


 一瞬ぽかんと口を開いたシリルが戸惑いの声を漏らし、継いで驚愕の表情となる。

 予想はしていても、それほどの衝撃を受けられると胸が痛む。このぶんだと私の返答はないものとあきらめていたんだろう。


「ええ、その反応からして私はまた「そんな馬鹿な!」と言いたい鈍感さを遺憾なく発揮して居るみたいですね。何時やったのか分かりませんが」

「そう、です……ね? あの、力の使いすぎで頭を何処か打ってませんよね」


 驚きのあまりか素直に頷き、頬を染めることなく真剣に心配すらされる。


「私はずっと立ったままですし、シリルも見てたじゃないですか。そんな確認を入れられるほど私は普段酷いんですね」


 無意識での自分の行動が原因だと理解はしていたが、衝撃で戸惑いすら出来なくなっているシリルが気の毒になってきた。

 あれだけ熱意ある決意表明ちかいをくれたのだ、意識してない部分はともかく今くらいはせめて誠実な返答をしよう。

 気持ちを改めるため、すうはあと呼吸を整え胸元に右手を当てる。


「感覚的に摩耗してろくな感情も浮かばない私は、シリルの期待に添うようなまともなお返事は出来ません」


 スミレ色の瞳から視線は逸らさず言葉を続ける。


「私はもしかしたらそういう感情が何十年経っても浮かばないのかも知れませんし、答えない事でシリルを傷つけ続けることにもなるんでしょう。

 だから。現時点での感情だけでも教えておきたいんです。その、ちゃんと大切に思ってます……だけじゃ駄目ですか?」


 言う間も自身の感情を見つめたが感情の輪郭をなぞる事も出来ず、朧気で曖昧な言葉しか浮かばない。


「まあ……どんな風に大切なのかは、私もよく分かりませんけれど」


 尻すぼみになりそうな言葉を絞り出し正直に述べてみたが、自信のなさも相まって我ながら説得力が欠けた台詞となった。

 呻きながら言葉を歪に繋ぎ合わせる私を見、シリルがふわりと相好を崩した。


「僕はきっと、幸せ者ですね」


 瞠目し、噛み締めるように呟く。


「教会の方々と一緒でも、そう思って頂けて嬉しいです」


 僅かに浮かんだ寂しげな表情を仕舞って気を取り直すように微笑まれ、ほとんど条件反射に近い速度で首を左右に振った。


「違いますよ」

「え?」


 素早い否定にシリルがぱちりと瞳を瞬く。


「よく、分からないんですけど。教会のメンバーとはまた別でシリルは大切です」


 そこまで告げて自分の心中をもう一度探る。

 教会メンバーと少し違うのは確かだが、明確な違いが分からない。


「やっぱり細かいところはよく分からないですけどね」


 顎に手を添え悩む私を不思議そうに眺めていたシリルの頬が徐々に赤く染まっていき、


「…………このままでも幸福だと思うと同時。時折酷く納得がいかない複雑な気分に襲われます」


 頭痛を堪えるようにこめかみに指先を当てて半眼になる。


「ごめんなさい曖昧で」

「いいえ、聞けて良かった」


 申し訳なさから身を縮めると、彼が息を零して苦笑した。

 会話をそこで一時中断させようとして思い直す。


「ああ、でも、シリル。矛盾しているようですけれどこれも言っておきますね。

 私は、たとえ皆の命が秤に載せられたとしても、私の意志を捨てる気はありません」


 彼も教会の人々も大切だ。これに間違いはない。

 そして同時に、彼らがどんなに大切だとしても、私は私を捨てられない。

 矛盾していても、それだけは譲れない事だ。

 悪魔を絶やす道筋だと言われても、神や国の操り人形になる位なら私はきっと全てを投げ捨てる。

 この世界に来た時と同じように。


「……はい!」


 冷たい台詞を向けられたシリルが嬉しそうに頷いた。明るい答えに逆にこちらが戸惑い見つめ返してしまう。


「そんな貴女がみんな好きなんです」


 困惑する私の気配を察してか、彼は軽く目蓋を伏せ聞き分けのない子供に言い含めるよう優しく笑みを浮かべた。

 陽光みたいな柔らかな言葉に先程より顔面に血液が昇るのを感じながら、顔を両手で隠さないように拳を握って耐える。

 なんだろう。背筋がざわざわする。

 これは羞恥か。きっと羞恥に違いない。

 熱烈な誓いだけではなく、「好き」と真正面から言われたら、幾ら鈍感な私でも照れる事が分かった。

 あまり嬉しくない新発見だ。早足になった心臓が呼吸を狭めて息苦しい。


「顔が少し赤い、ですね。熱でも出ましたか?」


 ストレートに好意を告げた本人はいきなり頬を赤く染めた私を見て首を傾げ、的外れにも体調を気遣ってくる。


「何でもありません」


 咄嗟に引きつった笑みで取り繕いながらも、机に爪を立てたくなる。

 何処に向けて良いのか判断に困る、本人に全く気が付かれない切なくもやるせないこの気持ち。

 恐らく私が受けるものは、彼に与えるものの万分の一にも達していないだろう。

 吹き出しそうになる羞恥を押さえ込み、感情の高ぶりを整え平静に戻す。

 彼との話に興じてはいたが、まだ私の仕事が残っている。

 早鐘を打つ心臓が落ち着くのを待って、左手に握った瓶の蓋を取り外し右掌の上に持ち上げる。

 そしてそのまま、静止される前に瓶の口を傾けた。

 僅かにとろみのある液体が広げた掌に落ちていく。


「あ、待っ!?」


 直ぐ側で悲鳴が聞こえた。

 この水を素手で受ける危険性は未知数だが――あの悪魔を見る限り恐らく。

 薄い赤に染まった水が皮膚に触れる直前で、じ、と鈍い音と共に白煙が立ち上る。

 熱された石に少量の水を落とされたように泡立ち、蒸発していく。


「やっぱり、私を害するほどではありませんね。シリルは念のため触れないほうが良いですけれど」


 力を瓶に注ぎ込むと、気が抜けた音と共に残りの水が消えていく。

 唖然とするシリルを横目に蓋を閉め、瓶を開いた胸飾りの中に戻した。


「本当は残して実験位はした方が良かったんでしょうけど、危なすぎますからね」


 ぱちん、と留め金を締めて机の中央に置き直す。

 全ての作業が一段落したのを見計らったとしか思えない絶妙のタイミングで、扉から潜めたノックが響く。


『マナ様、シリル様。もうすぐ昼食ですが……宜しいでしょうか』


 昼食を告げる穏やかなメイドの声に、もうそんなに経ってしまったのかと窓を見る。

 相変わらず外は薄暗く、雨風が唸りを上げていて時間の判別は難しい。

 瓶の中身を探る間に空の機嫌が少し収まったのか轟音は聞こえない。


「ええ。着替えが終わっていないので少し掛かりますが」


 どれだけ見たところで景色から時の経過を探るのは徒労に終わりそうなので、諦めて答えを紡ぐ。


『承知致しました。お気になさらずゆっくりいらしてください』


 頭を下げたのか、言葉の合間に布が擦れる音が混じる。


「ありがとうございます」


 微かに微笑む気配を残し、静かな足音が遠ざかっていく。

 昼食が冷める前に着替えて向かいたいところだが、大きな問題が立ちはだかっていた。


「と言うわけですシリル」

「は、はい?」


 机に広げた白布を適当に四角く折りたたんで置き。彼をしっかと見据えると、シリルが困惑したように瞳を揺らす。


「着替える為には荷物が要りますよね」

「はい。そう、ですね?」


 人差し指を立て真面目な顔で告げる私に、困惑の表情を継続してぎこちなく頷く。

 うん、やはりこれでは伝わらないか。こんな時は率直なのが一番だ。


「お任せして申し訳ありませんが……荷物、取ってきてくれませんか。この格好ですし、場所も分かりませんから」

「え。荷物を取っ…………ああっ!? す、済みませんっ、すっかり忘れてました。すぐにとって来ます!」


 私の放った直球そのものの台詞にシリルは疑問の混じった顔で一瞬硬直し。彼の全身からサーッと血の気が引いていくのが見えた。


「シリルが着替えてきてからで良いですよ」


 大慌てで扉に駆け寄ろうとする彼に軽く片手を振り、雨で濡れ濃くなった若草色の服を示す。

 メイドを振り切り引き返してきた彼は、当然ながら着替えを済ませていない。


「う。済みません着替えてからすぐに戻ります!」

「はい。それで、ですね。ついでに着替えも手伝って欲しいんですけれど。ホラ、私はこんな風ですから」


 自分の腕にのった銀髪を摘み上げ、軽く苦笑する。

 彼には大変手間を掛けるが、手伝って貰えないと昼食を摂る前に夕方になる可能性が非常に高い。


「…………はい。喜んで」


 困り顔で地に続く銀髪を持ち上げる私を見た彼は破顔し、口元を綻ばせた。

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