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120:大丈夫

「えっ、ええ!? さ、触るんですかっ」


 悲鳴に似た呻きに、連行するのだから触るどころか握らないといけないと訂正すれば少年が顔を青ざめさせた。

 無意識に握った彼の拳が微かに揺れている。


「大丈夫ですよ。インプ程度でしたら念じず封印札越しに掴んでやれば引きずって来れます」


 気楽に励ましてから、少し考える。

 元々彼がこの世界に来た理由が理由でもある。聖水一振りで蒸発する程儚い下級悪魔は驚異にもならないが、封印札越しだとは言え掴むのはまた別の抵抗感があるのだろう。

 脅えと嫌悪を混じえ瞳を揺らす姿を見て、勇気を与えるべく身近な神父の武勇伝を語る事にした。


「オーブリー神父なんて首に聖水吸わせた縄を掛けて何匹も纏めて引きずり回してましたよ」


 大量のインプを捕らえるべく、縄投げの要領で引っかけながら捕獲する神父の姿は牛追いを彷彿とさせた。

 鮮やかな手並みにマーユからも感心の声が漏れたが、その後うっかり正悪魔の首にまで縄を掛けてしまい逆に引き回された情けない姿は記憶に新しい。


「あの人と一緒にしないで下さい!」


 シリルの中でオーブリー神父は普通でない分類となっているのか、必死な眼差しで怒られる。


「じゃあマーユは靴で蹴り飛ばしてました」


 それならば、と教会関係者の一人を思い浮かべる。

 確かあの日は暗い夜道でナーシャと一緒に手を繋いで教会に帰る途中、インプの集会を目撃した。

 ジャグリングを披露する曲芸師が珍しく教会の側まで来ていて、眺めてきた帰りだった。勿論私は物陰で茂みと同化し観察した。

 色とりどりの玉が踊るように交錯する光景に興奮し、はしゃぐナーシャに「あの程度あたしにも出来るわよ!」と唇を尖らせ対抗心を燃やしていたマーユは、丁度良いとばかりに靴に聖水を纏わせてボールよろしくインプ達を次々に勢いよく蹴り上げた。

 曲芸師より上の証拠が見せられず、鬱憤が溜まっていたらしいシスターの加減がない蹴り上げに、インプ達は瞬く間に夜空へと吸い込まれていった。あれはあれでナーシャを喜ばせたが、きっと今もインプ達は星の側で漂っているに違いない。


「シスターマーユとも比べないで下さいっ!」


 泣き出しそうなシリルに懇願される。マーユも駄目なのか。

 ならあとはシスターセルマか。うん、丁度良い最近の記憶がある。

 穏やかな微笑みを浮かべ、銀色の針を握り締めるシスターを思い起こす。

 優しげなおもてはそのままに、指先に摘んだ針がみしりと嫌な悲鳴を上げる音が耳奥に蘇る。


「ええと。セルマさんは笑顔で聖水付けた裁縫針をちくっというか、ざくざくとやってましたね」


 顎に左指を当て思い返す。

 ああでも、頭頂部から顎骨を刺し砕くような勢いの突き込みはざくざくとなんて可愛らしいものではないか。


「…………シスターセルマが?」


 聞き間違いか、と言いたげな唖然とした表情で少年が尋ねてくる。

 詳しく聞きたそうな呟きに深く頷いてみせ、その時の光景を語るため唇を開いた。


「ええ。あの時は確か――裁縫途中にインプが入り込んできて、針山の針から全部糸を引き抜くだけじゃ飽きたらず様々な色に変えたそうで。

 もう、それはもの凄く怒っていました。気が付かないで縫った修道服が赤いツギハギになっていましたし」


 笑顔のまま悪戯悪魔の指を猛然と縫いつけ一つに纏めるシスターの表情ははとても慈愛に満ちており。

 恐ろしいまでに穏やかなままの微笑みは、部屋に満ちる妙な圧力プレッシャーの重みに拍車を掛けていた。

 凄惨な光景や緊張感は幾度も見、味わったが、優しい眼差しの奥に驚異を覚えたのはあれが初めてだ。


「なので、シリルも出来ますよ」


 あんな穏やかなシスターだって怒りが原因とはいえ、インプに触れるのだ。悪魔の封印をやり遂げたシリルに出来ないはずがない。


「励ましなんでしょうけど、その話はあまり聞きたくなかったです」


 そんな思いを込めて声を掛けたが、シリルはどこか疲れたように瞳を伏せる。

 弱者のように見える人間の底力を話せば恐怖が薄れるかと思ったが、吐き出される重々しい溜息を見る限り励ましの方向性を間違ったようだ。


「出来ればシスター達のそんな逸話、聞きたくなかった」


 夢やぶれた瞳で小さく呟く。どうも青少年の慎ましやかな夢を知らぬ事とはいえ打ち砕いてしまったらしい。

 やっぱりマーユはともかく、シスターセルマの話は不味かったか。


「と、とにかく。インプくらいシリルならどうってことありません。私が保証しますよ。だから持ってきて下さい」


 暗くなった空気を振り払い、気を取り直すよう力を押さえながらも声を張って、自分の胸を軽く拳で叩いてみせる。

 そして真摯さを示すべく、両手を組んで不安げなスミレ色の瞳を見据えた。

 見つめ合う事に少しの照れくささを覚えるが、此処で視線を逸らす愚は冒さない。

 こういうのはひたむきさが大事だ。


「…………それは、ずるいです」


 暫く黙したまま視線を合わせていたが、諦めたような溜息を吐き出し少年が批難混じりの声を漏らす。

 頬を少し赤らめた彼の拗ねた表情も割とずるいが、シリルは「ひどい」「ずるい」と恨み言を零しながら封印札を取り半泣きでインプへ向かった。

 紡がれる抗議の言葉に自分の姿を脳裏に思い描き、私は心の中で両手を合わせて謝罪する。


 祈るように懇願の眼差しを注いでくる金眼銀髪の美少女。


 ごめんシリル。よく考えればだいぶ反則だった。


 

 目を向けないようにしていたので詳細は分からないが、涙目の少年は何処か悲愴な眼差しで扉へと向かい、「ええいっ」と自棄気味に叫んでインプの身体を掴んだようだった。

 微かに聞こえた足音に、そっと視線を向けると、矢の先端を思わせる尻尾を封印札の上から掴んで憮然と引きずってくるシリルが見えた。 

 宙に浮かんだままの下級悪魔はまるで空気が抜け掛けた黒い風船にも見える。


「これで、良いんですか? インプの姿が水に浮かぶ葉のようで変な感覚ですけど」


 自身だけで何の抵抗もなく捕まえられた事が信じられないのか、やや納得のいかなそうな声のシリルが尋ねてくる。


「ええ。そんなに大変じゃなかったでしょう?」


 首を傾げ渋面で頷く彼に微笑む。


「シリルは元々悪魔に耐性があるようですから、他の人よりも楽なはずですよ。

 教会で正悪魔と会った時や馬車の中で受けた圧力に比べればかさぶたを触る位の違和感しかなかったんじゃないですか」


 この世界に来た時からインプに対しては嫌悪感程度しかないようだったから、ほとんど何も感じなかった可能性が高い。


「そう言われれば、気持ちは悪くはありますけど。変な圧迫感も無かったような」


 指摘すれば自分の喉をなぞるように左指を当て動かし、不思議そうな顔をする。


「まあ、インプですから。机の中央で手を離して下さい」


 恐怖で存在感が増す事はあろうが、下級悪魔でも最下層の悪魔インプの圧力なんてあったとして塵程度だ。


「は、はい」


 恐怖心がまだぬぐえないらしいシリルは、私の指示に慌てて頷き恐る恐る尻尾から指先を外した。

 解放されたインプは水に浮いた玉のように、空中で軽く前転して机の中央に滑り込む。

 中途半端に尻尾の中央に巻き付いている封印札の効果が発揮されているのか、時折痙攣するように身体を震わせるが逃げ出す気配もなく、硬直したように停止している。

 枯れ枝にも見える膝を立て、重たそうに小柄の身体とは不釣り合いな頭を乗せている姿は胎児のようだ。

 札の効果で意識が朦朧としているのか、黄色く粘つく大きな瞳が虚ろに彷徨っていた。

 瀕死の魚のような様相は哀れみすら感じさせる。

 半死半生と言った状態のインプの姿を一瞥し、左手に握っていた小瓶を右手に持ち替え静かに前に出た。


「シリルは後ろに」


 不安そうな顔をしている少年に、左腕を軽く払い指示を出す。


「で……ですけど」


 これからやる事を察して、躊躇うように瞳を揺らし、シリルが唇を噛む。


「大丈夫。教会のみんなから聞いているでしょう。私は割と強いんですよ」


 そう告げて大股気味に足を前に踏み出すと、身体が後ろに仰け反った。

 瓶を零さないよう急いで体勢を立て直して原因に首を向けると、蒼白な顔をしたシリルが懇願するように私の左腕を握り締めている。

 言葉の代わりに差し出された指先は骨を軋ませるほどの力で腕に食い込んでいた。

 急速に圧迫された二の腕が悲鳴を漏らす。

 心配しなくても悪魔祓いで何度も見ているはず、と彼をたしなめ掛けて思い出す。

 シリルの前で中位悪魔を祓った事は一度もない。

 悪魔に対して恐怖感が強く残る彼に代わり、護衛としてオーブリー神父やボドヴィッドを連れて行きはしたが、それも悪魔が居る手前まで。

 予期せぬ事故が起こらないように基本的に中位悪魔は一対一で戦っていた。

 初めて正悪魔を祓ったあの時も、動揺していたからまともに見ていたかも分からない。

 だとしたら少し悪い事をした。私の力を見ていないのなら不安にもなるか。

 加減無く掴まれ痛む腕には目を向けず、過去の恐怖から制止を促す少年の瞳を見据え。


「私は悪魔なら負けません。絶対に」


 出来る限り不敵に見えるように、にやりと唇を釣り上げた。


「は、い」


 笑みを浮かべた私を見てシリルの力が緩み、指を解き。蹌踉めきくよう後退っていく。

 彼が後方に下がったのを確認し、ゆっくり足を前に進めた。今度は何の抵抗も無く前方に向かう。

 右手に握っていた瓶を見つめ、中身が抜けた胸飾りの上部に座り込むように停滞するインプの頭上に持ち上げた。

 今から私は一つ危険を冒し。

  

 賭をする。


 身体を巡る力を押さえ、緊張と共に空気を吸い込み。

 瓶の口を傾けて、薄く赤みがかった液体を零していく。

 分からない程度の粘性があるのか、普通の水より僅かに時間を掛け、水滴が落ちた。 

 一滴。薄い色の雫が悪魔の頭部に降りかかり、通常ならば突き抜けるはずの水は、黒い肌に触れたとたん染みるように掻き消えていく。

 水がインプの頭に吸い込まれるのを確認し、素早く蓋を閉じた。


「インプに、実体……?」


 うわごとのような少年の疑問が響き、胸の奥を重くさせる沈黙が辺りを満たす。インプは身体を折り曲げ、微動だにしない。

 変わらない。

 動きもしない悪魔に安堵を吐き出そうとして、瞳の奥に感じた違和感に反射的に視線を巡らせる。


 悪魔はずっと変わらない。……変わらない。変化が、無い……違う!


 背筋に薄い寒気が登る。

 身を丸めた悪魔は先程と全く同じ位置で寸分の狂いもなく、停止していた。

 ふわふわと頼りなく揺れていた身体は、氷像のように固まっている。

 痙攣していた腕も凝固したように動かない。

 疑問で顔を曇らせる前に、虚ろに開かれていた黄色い瞳が大きく見開かれ。


『ギ、ギギギ。キィィィアアハハハハハハハハ!!』


 左右の眼球を忙しなく別方向に動かし、左右非対称な歪んだ笑みを浮かべインプは甲高い悲鳴のような笑いを上げた。

 正気を失った哄笑に、背後に庇ったシリルの身体がびくりと恐怖に震える。

 喉奥でくぐもった笑いを漏らし、インプは封印で満足に動かせないはずの腕で自分の尾を持ち上げ。指先が崩れるのも構わずに封印札を握り締めた。

 札がバチリと火花を散らし、風が渦を巻く音が辺りから聞こえてくる。

 ばらけた銀髪が前方から吹き付けた風に煽られ、踊るように広がっていく。

 インプを覆うように悪意が立ち上り、粘つく害意が部屋の中を吹き荒れた。


 下級悪魔から発される淀みが周囲をかき乱す光景を見上げ。私は黙したまま金の双眸を細めた。 

 

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