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116:反転

 仰向けに倒れたまま脱力する。

 頭の奥が鈍く痛み、身体の節々から悲鳴が上がる。

 慣れない力の行使で全身が重い。

 力が馴染んでいたら身を起こす余裕位あっただろうが、現在指すら重く感じる。


「……どうした。やけに大人しいな」


 片膝をついたまま、ユハが小首を傾げる。


「ちょっと、疲れました。頭と心の方はスッキリしたでしょうから離れて下さい」


 見えない顔色をうかがうように覗き込まれ、反射的に床に身体を押し付ける。

 悪意が取れたのだから、意味もなく寄らないで欲しい。


「そうだな。清々しい気分ではあるが、礼の前に」

「何ですか」


 出来るだけユハから離れようと、柔らかな絨毯に身を擦りつけながら徐々に上へ移動する。

 何だろう。掛けられた声に嫌な予感が消えない。


「やはり顔くらいは見せてくれないか」


 胸奥に燻る闇が消滅したせいか、ユハは爽やかな輝かんばかりの笑顔を見せてくる。

 初見のご婦人が見たら頬を染めそうな満面の笑みだが、内容は不穏だ。


「全力でお断りします。馬鹿な事言っていないで離れて下さい」


 鈍く痛む腕に力を込め、少し迷って更に扉から離れる。

 く、扉の側にいるから、ユハから距離をとる=扉から引く。といった不吉な公式が出来上がる。


「この状態でも暴れ出さないという事は……成る程。動けない、と言う訳だな」


 腕を振り回す事はせず、下がり続ける私を見てユハが顎を覆うように指を当て、確信を得たように瞳の奥を光らせた。

 要らないところで鋭くなるんじゃない。

 ざわざわと背筋をさざ波のような寒気が覆う。

 いかん、嫌な汗が止まらない。ここは彼の良心ならぬ魂に揺さぶりをかけるべきだ。

 そう決めると、息を吸い込んで責めるように相手を睨み付けながら言葉の一つ一つを強調してみる。


「ギルドでも言いましたがそういう乱暴なのは大嫌いです。最悪です、最低です。

 助けたのに仇で返すとか見損なう前に男として、いえ紳士としてどうなんですか?」


 冷たく滔々と紳士としての心構えを問う。


「…………う。それは痛いところだが」


 私の指摘に言葉を詰まらせたユハの身体が、鳴り響いたノックの音に震えた。

 激しく叩かれた扉が揺さぶられ、軋んだ悲鳴を漏らす。


「どう、しました。何かありましたか!?」


 聞き慣れた声が耳奥を打つ。全力疾走してきたのだろう、荒い息を漏らしながらも切れ切れに扉の向こうから尋ねてくる。

 問いの合間にも扉が荒々しく叩かれ続ける。


「シリル! ええと……いえ何も!」


 現状を説明、しようと思考を巡らせ。改めて自分の状態を確認し考える前にとっさに誤魔化す。

 この光景を見られたら血の雨が降るどころではない気がした。


「なら開けて下さい。嫌な予感がして、兎に角お願いです姿を見せて下さい!」


 確かに彼の嫌な予感通り割合不味い展開となっているが、体の重さが邪魔をして扉も満足に開けられない。

 開けてくれはしないかと、ユハに視線を投げれば軋む扉に目もくれず、問題ないと肩をすくめる。


「その扉は多少乱暴にした程度では開かない。咎への罰は受けよう……が。

 ここまで来てしまったのだ、せめて顔を見たい。無理矢理はぎ取るつもりもないがな」


 根比べと行こうか、とユハが口元を釣り上げる。

 シリルの焦りように問いつめられる事は避けられないと考えたユハは、開き直ったらしい。

 そこで居直って結果を得ようとするな! 意外とタダでは転ばないユハに愕然となる。

 扉を叩く音が激しくなった。

 反応のない室内の様子に異常を感じたのか、切羽詰まったような音が響く。


「開けて下さい! 早く、早く開けろ!」


 あああ、シリルの言葉がどんどん荒くなっていく。

 全身に広がる悪寒を押さえながら、根比べの態勢に入ったユハに語りかける。


「ユハ。このままだと貴方の命が危険にさらされると思いますよ」


 割と真面目に。


「何故だ。悪魔は既に消えたのだろう」


 私の指摘にぱちりと瞳を瞬いて小動物のように首を傾げる。

 壁際に追い立てられた草食動物の気分に陥り掛けていたが、逆に捕食されそうな彼の姿に気力と緊張が削がれていく。

 気が抜ける態勢ではないが、警戒するだけ疲れるような気もしてきた。


「シリルは過保護なんですから、あまり刺激はしない方が」

「そこで何をしてっ!?」


 言う間にも激高した声が聞こえた。

 声を掛ける間もなく岩石で殴りつけたような衝撃が扉を貫き、何かが落ちるような鈍い音が続く。

 吹き込むような空気の振動に眉を寄せる私に、ユハが「やはり無駄だろう」といった視線を寄越し。

 表にいる少年が加減無く体当たりをしたのだと思い至った。

 扉の状態やシリルの怒りの先よりも、体当たりした身体が気になってくる。

 大丈夫だろうか。割と洒落にならない音がした。

 ボドウィンにしごかれ始めているとは言え、シリルは先日まで村にいた普通の村人で一般人だ。

 肩がひしゃげてやしないかと不安になりながら入り口を見つめると。かたん、と渋色のドアが僅かに動いた。

 起きあがる為に手を付かれたらしい木製の扉が大きな音を立て不規則に身を揺さぶらせる。


「くそっ!!」


 苛立ちと共に扉が一際大きく叩かれ、沈黙が辺りを満たす。

 諦めたと思ったらしく、ほっとしたようにユハが肩を揺らした。

 あまり交流がないから仕方はないだろうが、彼はシリルを随分甘く見ているらしい。

 アオに迷い無く振り下ろされた光を思い起こす。

 この程度で断念するような人間は神に向かって刃を向けない。


「そうだな。あの怒りようではただでは済まないだろうが」


 静寂さを取り戻した部屋で、自嘲するように苦笑したユハの呟きに被さるように――かちり、と金属が噛み合う音がした。

 停滞した室内に空気が流れ、静かに扉が開かれるのを感じる。

 怠い腕に力を込め、出来る限り身体を持ち上げた。

 思考が追いつかないのか呆然と呆けるユハの向こうで、俯いたシリルの手から細い金属がこぼれ落ち。

 落としたものには目もくれず、ふらりと蹌踉めくように一歩足を踏み入れる。

 抵抗無く開かれた扉に、背筋の毛が逆立つ。

  

 ……ボードーウィーンン!!

 

 地に転がる細長い糸状の金属を見て、純朴な少年に要らない事を仕込んだであろう人物へ向かい胸中で怨嗟の叫びを上げた。


 何時の間に。何時の間に鍵開けなんて教えていたんだ!


 キ、と薄く開いた扉が口を広げ。瞬く雷光がシリルの肌を一層白く染め上げていく。

 俯き気味に小さく呟き、喉元を押さえた少年の姿に肺が狭まるような息苦しさを覚えた。

 顔には影が掛かって、表情は読み取れない。

 底から立ち上るような冷気が辺りに溢れ、喉から外した指の隙間から鈍い銀光が漏れる。 

 まずい、と思う前に鈍く痛む身体を動かし、思い切りユハに向かって体当たりした。


「う、わっ」


 間の抜けた悲鳴を上げて彼が転がる。軽い風切り音が先程まで首筋があった位置をよぎった。

 舌打ち代わりに眉を跳ね上げ、凍り付くような空気を纏った少年が小振りなナイフを構え直す。

 刃を滑らせる動きが見えなかった。この間見た時よりも遙かにはやい。


「シリル。落ち着けとは言いません。腕を止めて冷静に考えましょう」

「どうしてですか。貴女に不利益があるのであれば――」


 身体を前傾させ、静かに言葉を落とす彼の握った刃物が不吉な輝きを零す。

 これが最善、とでも言いたげに細められたスミレ色の瞳は薄闇のせいか、いつもより濃く見える。

 普段とは全く違う切っ先のような鋭い眼差しに、冷や汗が流れる。

 天を裂く轟音が部屋を震わせる。青白い光を受け、佇む姿は何処か儚い影にも見えた。

 穏やかさを消し、私への害意を躊躇いなく切り捨てようとするシリルを宥める。

 私の利を追及してくれた姿勢は嬉しく思う。

 だが、私が置かれている状況の異常さも相まって、彼は平静さを欠いているようにも見えた。

 諭すように静かに言葉を紡ぐ。


「考えて下さい。それは私にとって不利益をもたらしませんか。

 シリルが来なかった場合悪くなって監禁でした。

 でも、ここで彼の命を絶った先に、私に幸せがあると思いますか」


 敢えて私達ではなく「私」を強調して問いかける。

 安穏の方が適切だが、わざと幸せかと尋ねてみる。

 紫の双眸が揺れ、悔しそうに彼が唇を噛んだ。

 彼が怒りはおかしくなんて無い。

 ユハのした、しかけたことは普通ではないし、彼の感情の流れだってまっとうだ。


 だが、私は問う。

 悪魔祓いをこなす吸血鬼一族ヴァンピリームの末裔のマナではなく、ただの『マナ・メムン』として。


 内の言葉を正しく読み取り、彼がきつく眉を寄せる。

 このままであれば、もし誰も部屋に入らなければ、監禁か軟禁の未来だろう。

 通常ならば避けるべき事ではある。通常であれば回避しないといけない最悪の未来予想図。

 しかし、それがどうした。私にとっては恐れるほどのものではない。

 どんなに嫌だと言ったとしても、どれだけ違うと訴えようとも。

 私と私の力は『聖女』そのものなのだ。

 よく分からない姫巫女の名を背負っている時点で、城に囚われる事は決まっている。

 今の私は、その期限をじりじりと引き延ばしているに過ぎない。

 城で飼われるか、が貴族ユハに飼われるかに替わるだけ。見知っているだけ城より良いとも思う。

「違いますよね、貴族を敵に回してただでは済まない。監禁の方がまだマシです」

 自身の内情を意識の外に置くとしても、ここで貴族の喉を掻き切ればシリルはただでは済まないし、私は恐らく捕らえられてきっと姿が露見する。


「…………っ。でもっ」


 考え、同じ答えにたどり着いたらしいシリルの声が掠れ、上擦る。

 定まっていた刃の先が迷うように揺れた。


「大丈夫。シリルは間に合いましたよ。だから、それを仕舞いましょう」

「ですが」


 潤んだ瞳に笑いかけ、優しく言葉を続ける。

 大丈夫。貴方はちゃんと私を守ってくれた。だから、自分を責めなくても良い。

 掲げていた刃が微かに震え、ゆっくりと下がっていく。


「平気です。こんな過激な行動をとりましたがユハは基本的に奥手です。

 悪意とかに押されない限りなんだかんだ言って私に近寄りすらしない良い子ですから。

 まあ、さっき少し自棄起こし掛けては居ましたが」

「ちょっと待て、どういう意味だ」


 シリルに向かっての擁護に、心外だとばかりに床に転がっていたユハが顔を歪めた。

 不満そうに睨んで来るが、あながち間違っているとは思わない。


「分かりました。貴女が仰るなら今回は引きましょう」


 細く長い溜息を吐き出し、シリルが肩の強張りを解いて懐から取り出した木製の鞘に刃を収める。

 掠れるような音と共に銀光が消えた。

 無言のままナイフをしまい込んでも、ユハに向ける剣呑な眼差しが次はないと告げている。


「来てくれて、ありがとうシリル」

「いいえ。貴女が無事ならそれで、良いんです」


 礼を向ければ、何時ものような柔らかい日なたの笑みが返ってきて、私はほんの少しだけ安堵した。



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