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114:私と話そう


 首元に彼の纏められた金髪が掛かり、布の隙間から肌を刺す。

 組み敷かれたままずり上がって身を引こうとしては見たが、足の隙間に膝を立てられてぴくりとも動かない。


「うぅ……ぐ」


 胸元に緩慢に掛かる重みに肺から呼気が押し出された。

 苦痛が意識を荒く削り取って、視界が薄い白に染まる。

 息が出来ないのは肺が潰れかけているからか、痛みによる為なのかも判断が付かなくなってきた。

 乱れそうになる意識を強引に留め。混乱を彼方に投げ捨てて、改めて状況の確認に入る。

 ユハに押し倒されている。それだけでなく服の一部に体重を掛けられていた。

 彼が幾ら小柄だとしても、この体格差だ。逃げ出す事は叶わないだろう。

 腕力も体力もない私には押しのける力もない。

 胸を鷲掴む指よりも、ぎしぎしと圧迫され悲鳴を上げる胸骨に思考が向く。

 

 これは不味い。


 いや、予想していた事だ。


 意識の声がせめぎ合う。

 訳が分からないと戸惑うべき状況だが心の片隅は何処か冷静だった。

 可能性は何時も考える。分岐し殆ど途切れそうな掠れた未来だとしても視野には入れていた。

 だから、このユハの行動も。私の予想の一つには入っていたのだ。

 それでも、黒い小石に躓くような限りなく低い可能性だ。ほぼあり得ないと保留していた答えだ。



 だけど今日。私は見通しの良い白道で、黒い石に躓いた。   



 油断があったと言われれば否定はしない。

 だが、彼がここまでの過激な行動をとるほどの積極的な理由は無いはずだ。

 監禁されそうになっても、ユハがここに至る道筋が見つからない。

 記憶を探っても、彼の背を押したものが見あたらない。

 また、胸に掛かる力が増えた。

「ユ、ハ。潰れそうなので退いて下さい」

 喉を絞められたような息苦しさに懇願混じりに語りかける。漏れ出た声は、自分で思うより少女じみた哀願となった。

 無言のままユハが胸元から指を外し、左肩に指をかける。

 広がった肺にようやく空気が滑り込む。解放された胸を押さえ、文句の代わりに大きく噎せ込みながら空気を吸い込む。

 ユハの空いた右腕が耳元で彷徨うように揺れる。

 探るような指の動きに留め金を探しているのだと気が付き。右腕で力一杯彼の腕を弾き、顔を背けた。

 跳ね返された腕を眺め、彼が苦しげに顔を歪めた。


「っ……。お前も、拒むのか。血の宝石と。お前も嘲笑うのか。

 お前も他の者のように愚かな風聞に惑わされて――距離を置くのか?」

「ユハ」


 崖に追い立てられ、追いつめられた獣のような悲痛な色の篭もった声に、静かに言葉を紡ぐ。

 ゆっくりと、彼の心に届くように。

 名を呼ばれ、彼は分かり易く狼狽した。

 眉をきつく寄せ、まとわりつく何かを振り払うように何度も頭を振る。


「捕らえれば逃げる事は出来ない。こうすれば去る事はない。こうすれば」


 自分自身を説得するように言葉が連なる。

 震え、掠れる台詞はユハの内心の迷いを強く表しているようだった。


「…………ユハ」


 呼びかけに、ちらちらと彼の瞳が揺れ動く。


「ち、がう。こんな…………こと。違う、いや、違わない。

 間違っていない。時間を掛ければ知って貰えて……う」


 定まらない言葉を紡ぎながら胸を押さえ、苦悶の呻きを漏らす。

 積み重なった違和感に、金の瞳を細める。

 感情の暴走が原因かとも思ったが、ユハの言動が歪だ。

 迷いが大きすぎる。

 ここまでのお膳立てを自分で揃えてもなお、自己の弁護と強い否定。先に進む事への拒絶を繰り返している。

 内の闇に抵抗するような言葉が続く。

 腕を震わせる彼は、反発する感情に翻弄されているようにも見えた。


 もしかして。

 まさか。


 前方から一瞬広がった苦みのある空気に、私は静かに問いかけた。


「……ユハ。何かまた触ったりしましたか」


 ギルドで漏らした懸念がもう現実の物になってしまったのか。

 悪魔を祓ってからそう経っていないのに、また憑かれてしまったんだろうか。


「触ってなど、いない。あれから屋敷にしか……居な……」


 切れ切れの言葉を漏らしながら奥歯を噛む。

 気配を探るが、確かに彼の言う通り悪魔の気配は無い。

 ただ、冷静に味わえば空気に違和感がある。苦みに混じった煤けた匂い。

 胸奥で舌打ちをし、やや平和ボケしていた自分を呪う。

 不快さはこの屋敷で何度か感じていたが、雨の香りと湿度に誤魔化されていた。

 空気の理由は。悪魔ではない――この気配は何だ。

 これは恐らく普通の現象ではない。彼の様子がまともではない事だけは分かる。

 本能がしきりに探れと囁いている。 


「ユハ。ゆっくり教えて下さい。貴方はいまどんな状態ですか」


 私はその声に抗わず、疑問をぶつけた。


「分から、ない。頭の中で声がする」


 頭を押さえ、彼が呻きながらも答えを紡ぐ。

 頬から汗が一筋流れ落ちた。


「……悪魔ではない。自分の声が、聞こえる」


 碧瞳を苦しげに細め、彼が自分の胸に爪を立てた。

 痛みで気持ちを紛らわせる為か、シャツ越しの肌に加減無く食い込ませていく。


「それは一体……」


 問いかけると、ユハは躊躇うように息を飲み、


「頭の中がかき回されるみたい……に……まざる。

 思ってはいた。

 お前を籠に閉じこめて屋敷の中で囲ってしまいたいと。

 確かに思ってはいた」


 自分の心からこそぎ落とすように言葉を吐き捨てる。

 痛みを堪えるように瞳をすがめ、更に続ける。


「だが――それは違うとも奥から声がするんだ! オレはどれを優先すればいい。もう分からない!

 胸の奥から心が溢れてくるんだ!」


 断罪前の囚人のように叫喚する少年を見つめる。今にも崩れ落ち、泣き出してしまいそうな顔だと思った。


 こころ。


 原因の全容はまだ分からない。

 だけど、差し出された糸口に私は金の双眸を細める。

 もしかして、もしかする。

 悪魔を核に闇が溢れ人を害す事は多い。だが、悪魔が全ての源泉とは限らない。

 本質は、忘れやすく、誰もが目を逸らしがちなものなのだ。


 そう。人の心という――分かりやすい原因は。


 誰もが見ないふりをする。

 

 耐えるように瞳を固く閉じたユハの頬に、そっと指を伸ばす。

 表皮に触れず空気をなぞると彼が脅えるように身を跳ねさせた。

 それを視界に収め、私は軽く瞳を伏せる。

 この世界に来る前と、来てから肌に感じていた空気が波立つのを感じる。

 それは私の身近に良くあった。

 ここに漂うのは、人の心から決して離れる事は出来ず、永久に寄り添うものだ。

 世界に来たばかりの私には、薄くしか感じられなかった朧気な気配。

 す、と息を吸い意識を集中する。


 私なら必ず視える。この世界に落ちたばかりの私に無理でも、今ならきっと出来る。


 彼の本心に耳をすませ自らの気持ちを安定させる。

 静かに、ゆっくりと。

 探る意識が害意のない空気となり水となるよう。私は願う。

 震え悲鳴を上げる彼の心を読む為に。


 慢心は胸奥に閉じこめよう。私はまだ、先へ進める。


 未知の能力へ指を掛ける困惑に、後退りしようとした心の背を強引に蹴り、瞳を開く。


 激しい音を立てながら彼の胸元から白い火花が散るのが見えた。

 闇が螺旋状に宙に立ち上る。

 胸から湧き出た黒霧がユハにまとわりつき、押さえた指の隙間から水中に焼けた鉄棒を突き立てたような音が響いている。

 今まで聞こえなかった音が実体化し、鼓膜に刺さる。

 抵抗するような激しい光は悲鳴のような音を立てながら徐々にとぎれがちになっていき、今にも消えそうに儚い。


 これ、は。


 押し倒された現状よりも目前の光景は衝撃的だ。

 苦痛を耐える表情に心で迷いながらもさっと再度彼の身体を見回す。

 やはり、ない。

 眼前の光景は明らかに異常ではあるが、悪魔の気配は感じられない。

 彼から発され漂うのはただひたすらに大きい、純粋な悪意だ。

 おおよそ人の身で制御する事など叶わない、心から溢れた膨大な闇が彼から吹き出し続けている。

 濃厚な悪意は肌にまとわりつくだけで寒気を覚える。


 こんなのは、あり得ない。


 私は小さく口の中で眼前の光景を否定した。

 人の身でこんな膨大な悪意を生み出せるはずがない。並の人間がこの悪意に耐えられるはずはない。

 それこそ悪魔にならない限り心が闇に押しつぶされる。これ程の糧があれば下級悪魔が中位悪魔寸前まで進化できる。

 痛みが蓄積しているのか、ユハの息が荒く、先程より顔色が悪い。

 胸奥から吹き出す闇は渦を巻き、彼にまとわりつく。

 彼が特別ではなく、影響はちゃんとある。ユハが無事なのは恐らく、あの光のおかげだ。

 胸の光は震えるように明滅を続けている。先程より小さくなっている気がした。

 人差し指を薄い光を漏らす彼の胸元に差し出し、闇に弾かれる。

 棘を刺すような微かな痛みに眉を寄せ、気が付く。

 確かに悪意が視えるようになった。だけど、視えるだけだ。

 視角に捉えられたのは相手の闇だけ。弾かれた指先は何時ものまま。


 それでは駄目だ。


 強く干渉するには気配の、力の動き、流れを感じられなくてはいけない。

 相手だけではなく、私の力も。

 出来るのか、と一瞬思考が迷う。それを振り払うように強く願う。

 初めて悪魔に力を振るった時、私は願った。

 誰にでもない自分自身の力に希望を掛けた。

 無慈悲で最悪な神になんて縋らずに、私の意志オモイで捻り潰す為に。

 

 私は出来る。


 臆すな、私には力がある。悪意を打ち消す事の出来る風となれる。


 引くな。このままだと光が消える。恐らくあの輝きが無くなればユハの意識が飲まれる。


 指先に力を集める想像をする。いつもの祓う力ではなく、私に循環する力の流れを意識する。

 不安がないかと聞かれれば嘘になる。揺るぎない自信なんて素敵なものは元から無い。

 だけど。

 根源が何処かとか、力が巡っているかどうかなんて雑事は関係ない。

 本当に力を感じるかどうかなんて細かな事は後で思えばいい。

 何も考えず自分の力を感じて。そして信じよう。

 他の誰でもない私なら出来るんだと。

 

 条理も根源も何処かに失せろ。私なら視える。


 背から硝子に細かなヒビが入るような音が脳裏に響く。

 薄い燐光が指を覆うのが揺らいで見える。

 足りない。

 色が薄い。

 まだ、もっと。

 亀裂が走る鈍い音が身体のあちらこちらから聞こえる。

 音の事は考えず弾かれながら指を闇にねじ込んでいく。

 ぱちん、と青みがかった光が弾けた。 


 もっと!


 強い希望に答えるように、腕から伸びた一条の光が稲光のように放射線状に弾ける。

 亀裂が広がる鋭い音がした。

 黒いマントの端が少し持ち上がり、一瞬見えた銀髪から光が溢れる。


 躰を覆う見えない硝子の殻が粉々に砕け散り。

 ――世界が、ひとつ変わる。


 渦巻く黒い悪意が燐光を纏う白光と打ち合い、甲高い音を鳴らす。

 視界に色彩が加わった。ゆっくり押し込んだ手が彼の胸元に潜り込み始める。

 白と黒が擦れ合い、煙を上げる。

 痛みの代わりに光が散る。


「なに、しているんだ」


 宙に指を少しずつ押し入れる私を見て、苦痛に眉を寄せながらユハが口を開く。


「そうですね。ここは一つ胸襟を開いて語り合いませんか」


 疑問の声に私は暗幕の下、唇を釣り上げた。





 さあユハ。私と話そう。


 心から。





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