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113:ゆがみ


「何をしみじみ頷いて居る」


 今までの体験を思い返しながら深く頷いていたらジトッとした眼差しが注がれた。

 失敬な。些細な可能性は大事なんですよ?

 その時点での最悪な未来を脳天気に除外し続けていたら私は前の世界で生き残れていなかったのだし。

 マイナス予測が少々過剰である自覚はあるがやめるつもりも毛頭ない。


「余程の事がなければ落ちませんよ。さ、行きましょう」


 小さく笑うと、彼が不機嫌そうな顔で腕を伸ばし、手の平を上に向けて突き出した。

 突然の行動に、理解が追いつかないで居るとこんな事も分からないのかと言いたげな声を漏らす。


「特別に手を引いてやっても良いぞ」


 あら、意外と優しい。と、感心し掛け引っかかりを感じた。

 ん、いや……待てよ。私のかなり狭いと思われる歩幅でも彼との間が開いていない。それどころかここまで扉に触った記憶すら無い。

 思い返せば、屋敷に来てからこれまでユハは静かにエスコートを続けていた。

 あまりにもさり気ない自然な行動に今まで疑問の念すら湧いていなかった事にようやく気が付く。


「既に充分特別扱いされていますのでお気になさらず。先程から扉も開いて貰っていますし」

「扉を開くのが特別? この程度普通だろう」


 紳士的な対応へ階段を上りながら礼を述べたら「何を言っているんだ」と眉を跳ね上げながら、まじまじと見返された。

 この反応からすると彼にとっては日常的な気配りらしい。

 貴族というよりも執事を目指していそうなジェントルマンっぷりだ。

 きっとギルドでの件を知らず彼の癇癪を見ていなかったならば素敵、と軽く感動できたに違いない。

 夜会や社交界でこの対応を初対面の人間にするのなら、とんだ詐欺である。

 本人の知らぬ内期待と失望を築き上げていそうだ。


「ギルドの方では気が付きませんでしたが、意外に女性優先なんですね」


 悪魔祓いの時を思い返して唸る。あそこでは怒鳴られていたのと文句を言われた記憶しかない。

 あと罵倒混じりにパナナムを欲しがってたなぁ。


「家の家訓だ。女性は大切に扱え、と言われている」


 当然とばかりに吐き捨て、一瞬視線を揺らし虚空を見つめたまましばし止まる。


「どうしました」


 いきなり凍り付いたユハに首を傾け尋ねれば、酷く苦々しい顔で私に目線を合わせ。


「兄上にはギルドでの振る舞いは内密にしてくれ」


 額に冷や汗を浮かべて重たそうな唇を開く。さっきも思い返したけど、ギルドでは紳士の欠片もなかったものなぁ。

 ユハに女性至上教育を施したのはウィルだったのか。

 側に兄がいないのにこの脅えよう、魂の奥底に染みつく程に情け容赦のない指導で仕込まれたのだろう。


「構いませんけれど、無駄だと思いますよ。きっと」


 了承しつつも地獄耳でもありそうなウィルの顔を思い出し、既に気が付いているか見当を付けていそうだと考える。


「それでもだ」


 視線を逸らすユハの顔は既に多大な諦めの色を含んでいた。


「……わかりました。それにしても、随分奥なんですね」


 無駄だと思っても足掻きたいらしい彼の意を汲み、それ以上何も言わない事にする。

 階段を上りきったユハは呟きながらも腰をやや落とし、手の平を無造作に出す。

 掴まれと言わんばかりの行動に極力目を向けないように努力して通り過ぎ、自力で上りきる。

 ユハに階段を上って直ぐに見える廊下の奥に案内される。


「その方が静かで落ち着くだろう。お前の場合ひと気が少ない方が都合が良くはないのか」

「まあ、そうですけど、階段からも随分離れますね。災害時には袋小路ですね」


 窓が少なくグネグネと曲がりくねっている廊下を進む。咄嗟の時に方向を間違えれば行き止まりに当たりそうだ。

 先程のあからさまな無視と不穏な言葉にムッと唇を曲げてユハが無言で足を速め。


「そうそう火災が起こってたまるか。この扉の先がお前の部屋だ」


 距離が開く前に自制を働かせたのか、私を引き離す前に速度を落とし。

 廊下の突き当たり近くにある扉の前に立って、彼が溜息を漏らした。


「そうなんですか。じゃあ中を拝見」


 鍵を回すユハに相槌を打って、足を向けようと顔を上げると等間隔に置かれた飾り壺の一つに目が吸い寄せられる。

 他の壺や皿は白や青なのに、ユハが開こうとした扉の側に鎮座した壺は闇に近い紅だった。

 外から瞬く雷光に照らされ、滴る血のような濃い赤に見える。


 ふと。馬車で見た――どこか自嘲を含んだ碧い双眸が目蓋の奥に浮かび上がる。


 視線と共に雁字搦めにされたように、足が動かない。ただの飾りの壺なのに記憶が音を立てて捲られる。

 今にも溶け落ちてしまいそうな焼き焦くような強い色彩。

 雨音が酷く遠く聞こえ、赤が、また、瞬く。

 頭の中をかき回すように馬車の中で聞いた言葉が渦を巻く。

 脳裏に霞掛かり薄く浮かぶ単語の切れ端を無意識にかき集めて。


血の宝石ブラッディジュエル


 なぞるような呟きが、私の唇から落ちた。

 耳を懲らさないと聞き逃してしまいそうな囁きに、弾かれたようにユハがこちらを見つめた。

 雷鳴が空気を攪拌し、稲光が辺りを白く染める。

 照らし出されたユハの顔は生気が抜けたかのように青白い。


「…………ろ」


 扉を開き掛けた状態のままきつく眉を寄せ、私を凝視し口内で言葉を噛みしめる。

 震え、掠れた声が微かに耳朶を打つ。

 尋常ではない彼の様子にようやく硬直が解けた。


「ユハ。何か」 

「やめろ!」


 尋ねようとした言葉が悲鳴のような台詞で掻き消された。

 見慣れた癇癪と違う気迫の混じった鋭い声に反射的に肩が跳ね、思わず漏れそうになった悲鳴を飲みこむ。


「やめろそれ以上言うな!」


 後退りそうになった私へ詰め寄るようにユハが言葉を続ける。

 虚を突かれる形になり、衝撃で硬直した喉からは切れ切れの呻きしか出ない。

 佇み答えぬ私を見、何処か傷を負ったような碧い瞳がゆらいだ。


「お前の……お前の口からだけはその言葉は聞きたくない!!」


 首を振り、腹の底から吐き捨てるように叫ぶと、目線を僅かに逸らして唇を噛む。

 握りしめた拳が震えていた。


「…………ごめんなさい、私、よく知らずに」


 空気を震わせる怒声に背筋に冷えたものを感じながら、なんとか声を絞り出す。

 向けられる怒り混じりの視線は、無意識に私が零した単語の不味さを浮き彫りにしている。

 ふと落とした言葉は、彼の傷口を抉りだしてしまった。

 怒りの理由はよく分からない。けど、きっと良い意味が含まれたものではなかったのだろう。


「黙れ」


 剣呑な目でユハは謝罪切って捨てると、強引に私の肩を押しこちらが蹌踉めくのも構わず部屋の前に追い立てた。


「もう黙れ。それ以上言うな。良いから、早く部屋に入れ!」

「ひゃっ」


 抗議の声を上げる間もなく、どんと背を押され悲鳴を漏らしながら扉の中に転がり込む。

 予想より強い衝撃に頭が揺さぶられ、意識が僅かに乱れた。

 細身な金のアーチをくぐり抜け、絨毯の敷かれた床に膝をつく。

 なんとか受け身を取り、片腕で顔面を強打する事態から逃れた。

 不安定な姿勢から掌に力を込め、


「い、た。ユハいきなり押さないで下さい! 見かけ通り私は反射神経が良くないんですか、ら」


 半身を捻って自分を突き飛ばした原因を睨み見上げようと振り向く耳に。

 かちり、と冷たい金属音と。何かが回されるような音が響いた。

 背筋に冷たいものが這い上がり、全身が粟立つ。

 

 今のは何の音だ。


 ざわめく肌とは対照的に、凍ったように動かぬ心が静かに問いかける。


 まるで鍵が回されたような音だった。


 鍵が、掛けられた。ような。


 空回りしそうな思考が、状況を把握しようと低い唸りを上げる。  

 感情の蓋に腰を掛けた意識が、再度静かな問いを投げた。


 私は、さっき。何を見た?


 衝撃で思考にノイズが入り迷走し掛けるが、冷静な意識と心の声に水際で留まる。

 焦るな。状況の把握をしろ。 

 とにかく起きようと竦み掛けた腕に無理矢理力を入れ、身体を跳ね上げ視線を走らせる。

 視界の端で静かな瞳と一瞬かち合い、音もなく歩み寄ったユハに優しく肩を押された。

 重心がずれた身体はそれだけで容易く後方に倒れ込む。

 厚い絨毯に背を打ち付け息が詰まる。

 冷や汗が背筋を滑るのを感じながら、ユハを睨み付けた。


 記憶から部屋の内部が浮かび上がっていく。刹那見えた光景に情報が勢いよく補足され、組み上がる。

 扉の内側に佇むのは針金を思わせる細い金の柱で、それが幾つも並んでいて。

 振り向いて見えたのは、金色の牢屋。

 内扉のような格子の一部は四角く、開閉できるように作られてはいたが、まるで部屋の中に鳥籠を詰めたようだと思う。

 こちらを掴む為に伸ばされた手をかわそうと顔を持ち上げて、威嚇と罵倒を何通りか思い浮かべ――

 倒れ込んだ拍子に大きく広がったマントに思考が凍る。

 フリル状の布地の隙間から銀髪が微かに光った。

 肩を掴もうとする腕を無視し、可能な限り左腕で捲れ上がる布地を下に払う。


「う……っ、ぐ」


 布地を戻そうと身体を捻った拍子に軸がずれたユハの掌が容赦なく私の胸を押しつぶし喉から濁った呻きが漏れた。

 強く押し付けられた背中と、狭まった肺で呼吸が難しい。

 みし、と鈍い音が耳奥で反響する。


「捕まえた」


 床に縫い止められ呻く私の首筋に、少年ユハはいつもより低い声を落とした。

 

 

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