111:客観的関係
客間に通された私達は、真珠のような純白の壁に掛けられた高そうな絵画や品の良い調度に肩身の狭い思いを、
「あら、このお茶美味しい」
今更するはずもなく、出されたお茶に舌鼓を打つ。
これが私だけなら何時も通りではあるが、
「そうですね。ほのかに甘くて蜜のような良い香りがします」
左隣に座るシリルもカップに口をつけ、スミレ色の瞳を細めて頷いていた。
この世界に来た当初は高級な食器に戦々恐々していた私達だったが、悪魔を祓う内に慣れが出たのか前より恐怖心がない。
悪魔祓いを頼みに来る人間は貴族に近い人間か、富豪ばかりだったことも原因の一つ。
そして、ここに来る途中馬車が横倒しになり食器が大量に壊れたのを見てしまったのも恐怖が抜けた要因だ。
もてなされるうち、脅えるだけ疲れると学んだのもある。
腰掛けた革張りのソファも雲のような座り心地でとても安らげる。
出された紅茶はシリルの感想通り甘い花の蜜の匂いがして、瞳を閉じればここが室内だという事すら忘れさせる。
ウィルがユハに掛けていた「楽しみだ」と言う台詞は世辞なしだったのだろうと今は確信できる。
厳選に厳選を重ねたらしい茶葉は、面白く無さそうな仏頂面の少年とは対照的な優しい味わいだった。
緊張するどころか平然とお茶を楽しむ私達へユハが半眼で視線を注いでいる。
「……少し見ない間にふてぶてしさが増したな」
呆れたような深い溜息と共に呻かれ、思わず瞳を輝かせる。ふてぶてしい、なんて素晴らしい響き!
悪魔と対峙するには必要不可欠な要素だ。
「それは嬉しい褒め言葉ですね」
この上ない賛辞ににっこり笑って礼を告げたら、渋面になった彼が眉間に深い皺を刻んだ。
今日何度目の皺だろうか。そのうち癖がついてしまいそうだ。
「はあ。もういい、お前に緊張感など元より求めてはいないのだからな」
心配する私を余所にユハは頭痛を堪えるように額に人差し指を当て、重い息を吐き出した。
「何でお茶を飲むのに緊張感が必要なんです? そんな疲れるひとときなんて嫌ですよ」
カップをソーサーに戻し素朴な疑問を提示すると、「ふふ」と堪えきれなかったらしき溜息のような笑い声がユハの後ろに控えていたメイドから零れた。
「あ、失礼しました。ですけれど、ふふ。面白い方々ですねぼっちゃま」
笑いを必死に噛み殺しながらメイドがユハに声を掛けると彼は面白く無さそうに顔をしかめたまま口を開く。
「ああ…………変わり者ではある。分かっていた事だ。まともな人間でないことは分かっていた事だ」
ティティに渋い顔で肯定を返し、彼自身を慰めるようブツブツと呪文のような呟きを繰り返している。
冷静に聞いてみれば随分失礼な言われようだ。変わり者だのまともではないだの。
「なに自分に言い聞かせるように呟いてるんですか」
全力で否定はしたいが、今までの己を振り返れば否定できないのが悔しい。
訂正させるのは諦めて、軽く唇を尖らせるだけで溜飲を下げる事にした。
ひとしきり笑って満足したのか、控え目な笑いを飲み込んでメイドがゆっくりと腰を折った。
「自己紹介が遅れました、私はティティリナと申します。以後お見知りおき下さいませ」
静かに微笑む彼女の服は飾り気のない黒に近い紺に、白いエプロンを纏った姿。文字通り家政婦さんだ。
俗な想像になってしまうメイドとは全く違い、華やかさはないが清潔感と落ち着きのある女性だった。
年齢は恐らく二十歳は過ぎている。ユハと五、六歳くらい離れていそうだ。
あの落ち着きからすると、十歳違いでも違和感がない、
年の差ではなく彼女の包容力により、横柄さの混じるユハとのやり取りは手の掛かる弟を宥めながら世話をする姉にしか見えない。
「気軽にティティとお呼び下さい。悪魔祓いのマナ様と……ええと」
ゆったりと微笑み、続けようとしたティティの言葉が詰まった。私の隣に視線を向け、困惑気味に濃紺の瞳を揺らめかせている。
私の名前は聞いていたらしいが、シリルの名前は教えて貰っていなかったか。
いや、もしかしたら。
ほんの少し胸をよぎった嫌な予感に答えるように、ユハが眉を寄せ、不思議そうに問いかける。
「そう言えば隣は、誰だ」
純粋な疑問の声に、僅かだがシリルの眉が跳ねたのを私は見逃さなかった。
ユハと出会う前からシリルはずっと私の側に居る。ユハだって彼の名前が呼ばれているところも何度か見ているはずだ。
目撃しているはずなのに、この様子だと記憶から完全消去されている。
隣にいるシリルの表情がゆっくりと消えていくのが視界の端で確認できた。
名前どころか存在自体今気が付いたという風な顔をされて面白いはずもないだろう。
「初めましてご挨拶が遅れました。シリルです、宜しくお願いします」
「宜しくお願い致しますシリル様」
やや硬い声で自己紹介をし、笑みを浮かべる。
彼の口元がちょっとだけ引きつっていたが怖いので見なかったふりをした。うん、私は何も見ていない。
ティティは気が付かないのか流したのか、穏やかに相槌を打った。
「ああ、思い出してきた。
何かというと隣にいるな。教会の関係者か?」
「いえ……彼は」
答えようとして言葉に詰まる。
あれ。なんて言えばいいんだろう。
知り合い、友達。助手、護衛?
友達が一番近い気もするが、何となくしっくりこない。
悪魔払いの手伝いをしてくれるのだから助手かな。守ってくれると告げられたのだから、護衛が適当なのだろうか。
答えに窮し悶々と悩む私を確認するように紫瞳がこちらを軽く一瞥し、傾けた頬に肩が触れる程隙間無く身体を密着させた。
突然の接近に戸惑う私に構わず、やや冷え込んだ眼差しをユハに向け。
「僕は彼女の――忠実なる僕です」
シリルが真顔で爆弾を投下した。
ちょっとシリルーー!?
言うに事欠いて僕って何ですか。
異議を唱える前に、無意識に白磁のカップに伸ばし掛けていた指が跳ね細身の取っ手にぶつかった。
陶器が擦れる鈍い音が響く。
「なっ! お前、奴隷でも買い上げていたのか!?」
衝撃的な台詞に一瞬呆けていたユハだが、椅子ごと壁際へぶつかりそうな勢いで後退り、「いや、お前ならばやりかねない」と私を真顔で見つめた後ぶつぶつと口の中で呟く。
なんだその反応は。そんなよく分からない信頼は要らない。
「何故そうなるんですか。
違います。彼は悪魔祓いの助手です」
正面に座る貴族の少年に泉のような冷たさを内包させた視線を力の限りぶつけながら、カップを持ち上げて口内を湿らせる。
随分と酷い誤解だ。まあ、そんな誤解をされても仕方がない怪しさを醸し出す姿であるけれど。
己の不審さが分かっていても内心やさぐれてしまう。けっ。
「そうなのか? とてもそれだけとは思えないが」
ユハはむっとしたような呻きを漏らし、先程から私にピッタリと寄り添うシリルに疑わしげな視線を注ぐ。
まあ、たしかに助手にしてはくっつきすぎというか、密着が過剰でもある。
そう言えばどうしてこんなにくっついて居るんだろうか。
冷静になって考えると、理由が不明だ。ユハに対して彼なりの威嚇方法なのかも知れない。
人差し指でシリルの肩をつついて離れるように促すと、渋々身体を離してくれた。
それでも空いた空間は拳二つ分位だが。
私達のやり取りに、ユハの背景と化していたティティが口を開く。
「ぼっちゃま……お二人が主従関係でしたら、やはりお部屋の割り振りは考えた方が宜しいのではないでしょうか」
「……む」
彼女の一言にユハが眉を軽く跳ね上げ、私は素直に首を傾げる。
内容から考えるに、私とシリルに充てられる部屋の話だろうか。
「部屋の割り振りですか? 何か問題でも」
「ええ、お二人のお部屋は二階と三階にご用意させて頂いております。
マナ様が二階、シリル様が三階です」
こちらの質問に淀みなく答えるティティの濃紺の瞳を見つめ、内容を吟味する。
私が二階でシリルが三階の部屋か。何故そこまで離れているのだろう。
「階が違うんですか。不便ですね」
疑問を交えユハを伺えば、彼が当然だと言いたげに肩をすくめた。
「異性が同階と言うのは問題だろう」
えっ、性別が原因!?
貴族の屋敷には細かな決まり事があるのかと思って納得しかけていた私は、予想外の答えに衝撃を受けた。
そんな単純な理由であることと、ユハが私の事を女扱いした事に対しての二重の驚きでもある。
「あ、あの。そこまで厳粛に決めなくても良いんですよ。ほら、私もこんな風貌ですし」
女性という事で大げさに隔離され、嬉しいような、嬉しくないような複雑な気分に陥りつつ言葉を紡ぐ。
「何を言う、声からすればお前は一応生物的には女なのだろう」
溜息混じりに睨まれてうっと詰まる。
ええ、一応そうなんだけれど。
何故だろう、女性を強調されると少し悲しくなった。
一応って何だ、と反論位はするべきだが、彼の前だけでなく常日頃から私の行動は女らしさをかなり欠いている為下手に口論すればドツボにはまりそうでもある。
悩む頭に、ふと疑問がよぎる。
女らしさって何だろう。
……こんな疑問が湧く辺り、追及される以前に私は色んな意味で女として駄目なのかも知れない。
「ですがぼっちゃま。主従関係でしたら同じ階の方が宜しいのでは無いでしょうか。
私も出先でお世話になった時、ぼっちゃまからあまりに離れてしまうと不安になってしまいますもの」
「そうか。そう、だな。屋敷にメイドは居るが、用事を言いつける時に慣れた使用人が側にいないのも不便か。
ティティ、二階の離れた場所を整えてやれ。あと、シリルだったか」
密かに落ち込み始めた私の前で、主従が穏やかに言葉を交わしている。
メイドの台詞にユハは不機嫌さを僅かに薄れさせ、納得したように頷くとシリルに声を掛けた。
「はい」
シリルもあれ以上の威嚇をするつもりはなかったのか、呼びかけに反発はせず答えを返す。
「ティティについて荷物を置いて着替えてくるといい。気が付いていないようだが――随分と悲惨な状態だぞ」
そこまで告げるとユハは唇を噤み、足下に視線を落とす。
彼の目線を辿るように足首に目を向ければ黒いマントの裾が太い刷毛で塗られたように、大雑把な軌跡を描いて泥で彩られていた。
知らぬ内何度かぬかるみに裾を踏みつけていたのだろう。悲惨と言えば悲惨な汚れようだ。
「あら本当。傘を差しても泥まではどうにもなりませんでしたね」
このマントが黒いキャンバスであれば前衛的な画家だと唸るところである。
私と比べればあまり汚れていないシリルも、自分の服に目をやり気まずそうな顔になる。
「シリル様、お部屋にご案内致します」
「あ、あの……ですが」
にっこりとティティに告げられて反射的に頷き掛けたシリルだったが、口ごもりながら私の方を横目でちらちら見つめる。
服の状態は気になるが、置いて行かれる私の方が数段気になるといった所か。
「私に気にせず着替えてきて下さい。ティティさんがお待ちですよ」
これから暫く逗留するのだし、来た先から警戒心剥き出しも困るので、左腕で隣の背を優しく押す。
背を押す指の感触にびくりと身体を一瞬強張らせたシリルだったが、仕方なさそうに頷いた。
「は、はい。それでは直ぐに着替えて戻ります」
「シリル様、三階に一度お越し頂いても良いでしょうか。
寝具は二階と同じですが、身体に合っているかどうか確認して頂きたいので」
申し訳なさそうなメイドの一言でスミレ色の瞳に不満が混じる。
「ゆっくりしてきて良いですよ」
その様子を眺めながら、そっと彼女を援護した。
わざわざ三階までついてきて欲しいとは、きっとシリルの嗜好を調べるつもりなのだろう。
客人の好みすら気にするとは、貴族の屋敷に働くメイドも色々と厳しい労働環境に身を置いているに違いない。
ただ単に私を気に入っているらしい主人に気を回している、というだけの話かも知れないが。
「う、分かりました行きましょう。出来る限り急いで戻りますから」
彼女のささやかな要望を押す私の言葉と素早い帰還を天秤に掛け、観念したような苦渋の表情で了承した。
断腸の思いとばかりの苦々しい呻きに、胸の内に不安が去来する。
慣れない屋敷に来たとは言え、シリルは少し、親離れならぬ私離れをしたほうが良いんじゃ無かろうか。
後ろ髪が引かれているらしきシリルは席を立っても何度も振り返りながら私を不安そうに見つめ。直ぐ戻りますから、と念を押しながら扉に向かう。
過保護極まりない彼の背を見つめてユハがポツリと呟く。
「確かに、主従とは何か違うな」
彼の言う通り、ユハとティティの関係と私達は全く違うだろう。
それが悪いとは言わないけれど、たまに不安を覚えるのは事実だ。
シリルが私を大切に扱おうとするたび、心に影が差す。
些細な事が切っ掛けで彼の張りつめた心が何時か容易く切れてしまわないか。そんな不安に駆られてしまう。
深く考えすぎた為の杞憂であれば良い。
音を立てないようにカップを持ち上げ、冷め始めた紅茶を啜る。
「――心配性なんですよ」
扉が閉じる音を聞きながら、どちらがとは言わずに小さく笑って器を傾けた。




