110:彼の忠告
視線を探るよう私の覆面を眺め、静かにウィルが言葉を紡ぐ。
「君に一つ忠告をしよう」
「忠告ですか」
低く呟かれた酷く重要そうな響きに眉を少し寄せ、確認代わりに復唱すると、相手が頷いた。馬車内の空気が張りつめた糸のように絞られていく。
「単刀直入に言う。バリエイトの現当主は悪魔の存在を認めていない」
存在を認めない。
認めない?
耳に滑り込んだ言葉の意図するところが分からず眉が寄る。
「……それは、どういう意味です?」
元居た世界ならまだしも、インプすら村人に見えるこの世界で存在を認めない?
ユハが言ったのなら鼻で笑うところだが、目前に座る彼が悪質な冗談を飛ばすとは思えない。
小石を踏んだのか、僅かに車体が浮く。ウィルの表情は変わらず、続く言葉に澱みはない。
「言葉通りの意味だ。留意しておいてくれ――そして出来ることなら」
父上には会わないことだ。停止した車輪のきしみに混じった呟きは雑踏のざわめきのように聞こえた。
「ですから、意味がよく」
要領の得ない話に苛立ちをかみ殺しながら唇を開き。
素早く扉を開けて屋敷に向かう背が視界の端に映って口元が引きつる。
待て。分かりやすい説明を求める。
反射的に罵声と共に相手の服を乱暴に掴もうとして、実行に移す前になんとか指を握りこんで耐えた。
感情のままに掴み掛かるには私の立場が枷となる。
長い年月を生きているはずの吸血鬼一族の末裔がこの程度で激高するわけにはいかない。
微かに沸き上がる苛立ちを、胸奥深くに沈めた他の感情の隙間に押し込める。
ウィルだけではなく、アオやアルノーにも常々言いたいことでもあるが、少しは人の話は聞こうか。
言うだけ言って去られるとこちらとしては大分消化不良で胸焼けがする。
大声で名前だけでも呼ぶかと考えても見たが、あの悪い意味でもマイペースそうな人間がその程度で足を止める気がしない。
「どういう意味なんでしょう」
眉を寄せるシリルに心当たりがないので頭を振ってみせる。
「どういう意味なんでしょうね。説明の一つくらいほしいところですが……無理そうなので行きましょう」
「そうですね」
雨のカーテンにかき消えそうなる青年の背を眺め、ため息混じりに返すとシリルは納得したように苦笑して深々と首を縦に振った。
一階の天井まで届きそうな高さまで延びた焦げ色の扉を数拍見上げる。
限界まで反り返った背筋が突っ張ったような痛みを発する。後転する前に全貌を視界に収める事は諦め、先に玄関にたどり着いていたウィルに視線を向けた。
「誰か呼ばなくていいんですか」
庶民とは無縁である立派な扉はひどく重そうだ。きっと私では爪先ほどの隙間も開かないだろう。
幾ら男性とは言えこれを開くのは骨ではないだろうか。
「荷物を取りに行かせてそれ程経ってはいない。大丈夫だろう」
私の質問を別方面に解釈し、答えて彼が扉に手を掛ける。
いえ、鍵じゃなくて。そういう意味じゃなかったんですけど。
こちらの不安を余所にウィルが腕に少しだけ力を込めて引いていく。
ギ、と鈍い音を立てて重石のような扉が徐々に口を開ける。
おお、見かけによらず力持ちなんですね。それとも成人男性ならこの位普通なのだろうか。
薄く開いた隙間から玄関を何度も往復するような足音がし、開いた扉に驚いたように足を止める鈍い音がした。
「――――誰だッ!」
詰まったような誰何の声と、扉が大きく開くのは同時だった。
明るい屋敷の光が薄闇に覆われた外に差す。
こっそりウィルの影に隠れて室内を観察する。
やや身を引いた状態で扉を開けた人間を見定めるよう、声を上げた人物が双眸に力を込めた。身体の動きに遅れ、束ねた金髪が広がる。
警戒も露わに蒼い瞳を釣り上げる姿は、蛇に巣穴を襲撃されたリスのようだ。
毛を逆立てるような威嚇混じりの視線が、侵入者を確認する内徐々にほぐれていく。
数拍ほどの間を空けて、険のある表情をしまい込み、
「兄上?」
身構えるのを止めたユハは幼子のようにゆるく首を傾けて、不思議そうに瞳を瞬かせる。
「兄上、どうなさったのですか。先ほど出かけたばかりのはずではないのですか」
やや低くなっていた声音を元に戻し、ほんの少し明るく語尾が跳ねさせる。
知っている彼よりも素直で子供のようなアクがない問いかけだ。
懐いた動物のように軽い音を立て近寄って、心配そうにずぶ濡れの兄を見回している。
室内だからか、何時も見る貴族然とした格好ではなく青灰色の上着を羽織った、派手さのないシックな装いだ。
胸元で飾りの革紐を纏める赤い石が控え目に自己主張している。
『ウィリアム様お帰りなさいませ』
玄関の側で控えていたメイドや執事が頭を下げた。ここだけでも五人位は使用人が並んでいる。
「ああ。用事は終わったから戻ってきた」
「用事とは一体何の……」
丈のあるウィルの背からそっと顔をのぞかせると、眉間を僅かに寄せていた少年が息を飲む。
疑問混じりだった瞳を零れそうな程目一杯見開き、驚きも露わに身体を強張らせた。
そこまで驚かれるとは思わなかった。
「…………おま、え」
呆然と佇む彼の白い肌が徐々に赤みを差していく。じわりと蕾がほころぶように喜色が広がり掛けた。
「お久しぶりです」
静かに頭を下げると、彼は吹き出し掛けた感情を噛み殺すように口元を引き締め、腕を組むと思い切り不機嫌そうに顔をしかめた。
「お、お前! 何をしていたっ。ギルドからティルマティの手配をしたと連絡が来てどれだけ経ったと思って!!」
「その件に関しては申し訳ありません。連絡くらい入れればよかったですね。不作法だったと馬車の中で反省していたところです」
捲し立てるように詰め寄られたが、反論はせずに素直に頭を下げる。
言われるまでもなく、不躾な訪問だったと馬車内で何度か反省したのだから詫びる事に抵抗はなかった。
大体、よくよく考えれば責められたって仕方がない程の急な訪問だ。
前置き無く今から訪ねるの一言で逗留を許すユハに感謝はあれど文句はない。予想以上に心が広いと内心褒め称えている位だ。
「う……い、いや。違う。別に謝罪しろとはいってない! ただ、その」
今回は私に非があると謝ったら何故か彼は信じられない物を見るような眼で私を見つめると、顔を歪めて半歩程後ずさった。
詫びの一つでそこまで驚愕を表されると切なくなる。私に対してどんな印象を持っているのだろうか。
僅かに頬を赤くさせ、ユハが口の中で何かモゴモゴ呻いている。
「そう言えば、ユハはここしばらく玄関ばかり見ていたようだ。
見ての通りあまり面白みもない場所だが、なにが弟の琴線に触れるか分からぬものだ」
ふと思い出したようにウィルが玄関を見回して首を軽く傾げる。
面白みはないと言っているが、床を覆う赤い絨毯は厚みがあり軽く踏むだけで沈み込む。
階段の側に置かれた大壺や、壁に掛けられた壁画は品が良い。ウィルの言葉は謙遜だろうが見る人が見れば随分と興味が引く品々だろう。
そこまで考えて悩む。
うん。多分、謙遜のはず。
彼の場合、素で大したことがないと言いそうな辺りが怖い。
ユハは兄の言葉に視線を彷徨わせた後所在なげに俯き、私に目線が定まるとほんのりと赤みを帯びていた頬が瞬時に赤く染まった。
急激に血が上ったせいか、足下が少々怪しい。
「兄上! 違います。違うんです!」
おぼつかない足取りで蹌踉めくように兄へと近づき、頭を振って必死に言い募るユハ。
違うを連呼しているが、焦りのためか何が違うのかの説明になっていない。
「そうか違うのか。残念だ」
慌てふためく弟に視線を向け、ウィルが真顔のまま心底残念だとでも言いたげに目を瞑る。
あっさりとした納得に、意表を突かれたらしいユハから溜息のような呻きが漏れた。
「良い茶葉が手に入った報告が来たのかと思ったが。近頃凝っているだろう」
弟の狼狽を完全に無視したまま、言葉を続ける。
ウィルの言葉にユハはきょとん、と瞳を一つ瞬いて。諸手を挙げるように大きく頷いた。
「あ、ええ。はい、良い茶葉が手に入りましたから是非兄上にも味わって頂きたいと思って玄関で」
自らに言い聞かせるように何度も首を縦に振りながら言葉を紡ぐ。
大分苦しい言い訳だなユハ。肉親を待ち伏せていたわりに『誰だ!』とか言っていたのに。
矛盾点を突きたい気持ちに陥りながらも、混乱に拍車を掛けない為焦る彼の姿を生暖かく眺めるだけに留める。
生ぬるい眼差しに気が付いた彼が、居心地悪そうに体を揺らし、もの言いたげな表情で睨み付けてくる。
「そうか。私は見ての通り客人をもてなすには不向きな格好になっている。案内はユハに任せよう」
弟に告げながら濡れた髪を耳の後ろに流すウィルを見て思い出す。そう言えばずぶ濡れだったっけ。
ちょっと忘れそうになっていた。
「はい。勿論そのつもりです」
兄の前だからか、ユハが真面目な顔を作ってゆっくりと首肯した。
「私は服を替えに部屋に戻るが――
いや、これは後で良いな。
君たちが良いときにでも部屋に来てくれ」
側に控えたメイドから布を受け取り雫の滴る袖口に当てた。
私達に向けての言葉を途中で千切り、視線を投げる。
急ぎではないが、私に何か用事があるらしいと察し静かに頷く。
「ええ」
「あまり居心地がよくはないかもしれないが、くつろいでいってくれ。歓迎しよう」
着替えを終えた後の茶の手配を側のメイドに頼み、すれ違いざまに告げていく。
客人相手には珍しい態度だったのだろう、控えていたメイドや執事が驚いたように体を揺らす。
ユハが何故か小型の獣じみた威嚇の唸りのようなものを喉から漏らしていた。
ウィルの背を見送り、小さく唸るユハに目を向けると眉間に皺を刻んで不機嫌そうな顔で唇を曲げている。
「どうかしました?」
喧嘩腰の視線をそっと脇に押しやり、柔らかく問いかける。
威嚇が受け流された事に不満そうな顔をした後、ユハは軽く目蓋を落とし唇を開く。
「兄上と、親しげだったな」
「意外と兄弟仲が宜しいんですね。盗りませんよ」
「そんな心配はしていない。どんな思考回路をして居るんだお前は」
じとりとした眼差しに軽く小首を傾げ、苦笑混じりに返せば彼の機嫌が更に斜めに落ちた。
違うのか。「お兄ちゃんをとっちゃ駄目」的な微笑ましい焼きもちじゃなかったのか。
なら、不機嫌の理由は私か。ウィルとは嫉妬されるほどの仲でもないのだけど。
それ以前にユハともそこまで親密でないと言いたいところだ。
「ぼっちゃま」
複雑な気分で納得しつつも胸中で文句を言っていると、彼のそばに控えていたメイドが伺うように口を開いた。
穏やかな表情の優しげな女性で紺色の長髪を団子状にまとめ上げている。
彼女の一言に、彼は気が付いたように眉を跳ね上げ、顎に手を当てる。
「ん、ああ。そうだな……馬車に揺られて来たのだったか。立ち話も疲れるだろう。
――ティティ」
命令混じりに一瞥するユハに、メイドは濃紺の瞳を少し細めて薄く微笑み、「はい」と静かに頭を下げた。




