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109:イレイユ

 イレイユ。

 

 違和感に眉を跳ね上げる。何処かで聞いた気がする。

 何時聞いたんだったか。

 姿が変わる前の記憶ではなく、新しい記憶が微かに揺れる。

 こちらの世界に来てから聞いた単語のはずだ。

 なんだろう。教会での日々の中聞き流した話に紛れていた気がする。

 眼前にインプを前に拳を突き上げたマーユの姿が揺らいで消える。


 マーユが関係ある?

 継いで正悪魔に術を放つオーブリー神父の姿が網膜の奥に蘇る。

 何。オーブリー神父までも関係ある?

 絵本を広げたナーシャが輝く瞳で私を見つめていた姿が思い出せる。

 ナーシャも関連があるのか。どの辺に。


 何とも統一感のないメンバーに小首を傾げ――

 

 そう言えば蜘蛛型魔物に襲われた時もこんな風に考えを巡らせていたなぁとふっと思う。

 三人の姿が重なり思い出された辺りで違和感に気が付いた。


 ん?


 何か、見逃し掛けている。確か、あの時は思い出す情報にとっかかりのような物を見つけ出して統合したんだったか。


 それで……統合?


 待てよ。もしかして。

 今思い出した光景をもう少し詳しく視ようと集中する。

 思い返せる記憶から情報が溢れていく。

 武器を掲げて楽しそうなマーユ。胸から術を引き抜きぶつける神父。おとぎ話やうわさ話を聞かせながら瞳を輝かせる少女。


 この三つの要素の統合で浮き出てくる物は。


 一瞬掠めた疑問を飲み込み、確信は得られないものの、おぼろげながらも浮かんだ可能性を舌先に載せる。


「槍……?」

「え?」


 ポツリと落とされた言葉に、スミレ色の瞳を瞬いてシリルが虚を突かれたような呻きを漏らした。

 声に出したが私だってあまり自信はない。記憶の隅で固まっていた思い出を解したら、槍が出ただけなのだし。


 お気に入りの槍を持ち、楽しそうに笑うマーユや。胸から赤い槍状の力を取り出し敵を屠る神父。

 絵本を年の離れた姉妹にするような暖かな目線で槍の戦神の英雄譚を語ってくれたナーシャ。


 何度も聞いたと思ったら、語り草の英雄や勇者が神から捧げられた槍の名が〈イレイユ〉

 またの名を〈神の槍〉である。

 情報源はマーユとナーシャで、ナーシャはおとぎ話をうれしそうに教えてくれ、槍好きのマーユは「そんな槍、一度で良いから握りたいっ」と頬を染めて瞳を潤ませていた。

 ナーシャはともかく、年頃の少女としてそれで良いのかマーユにちょっと問いただしたい。

 恋する女の子になりたいと常日頃から騒いでいる割に色気が無さすぎる。


 私の呟きに意外そうに瞳を瞬き、ウィルが興味深げに体を浮かせ、前傾気味にこちらを見つめてくる。


「よく知っているな。あまり有名な武器ではないんだが。もしかして英雄や神の話が好きなのだろうか」


 ほとんど揺れることのなかった静かな蒼に僅かな好奇心の色が差す。


「お世話になっている教会の子が英雄譚が大好きなんです。それはともかく、伝説の武器ですか。

 随分と希少な武器をお持ちなんですね」


 思わぬ食いつきに内心やや尻込みしながらも、やっかいな誤解が生じる前に首を左右に振ることで否定する。伝承に造詣が深いと思われるのも面倒だ。ほんの少し残念そうな眼差しをした後、ウィルが渋々といった様子で腰をかけた。

 投げかけられた疑問にほんの少し黙考するように顎に手を当て、


「いいや。本物かどうかは怪しい。恐らく精巧な複製品レプリカの武器だろうな。それでも普通の品よりは質が良い」


 ゆっくり頭を振って答えを紡ぐ。

 バリエイト家に存在する伝説の武器の模造品。それ自体でも随分凄い事だが、総合し導かれる状況に背筋にいやな汗が一筋流れた。

 へぇ、伝説の武器なんて凄いですね。と空とぼけて脳天気に返したいが、私の問いに答える形で紡がれた彼の淡々とした言葉をかみ砕けばどうやっても平和な結論に行き着かない。


「そうですか」


 声が引きつらないように必死で平坦さを維持する。

 確か吸血鬼一族の末裔って陽光とか、後々調べた限りだと強い聖なる品物に対して耐性があまり良くなかった、ような。

 記憶違いでなければ。

 何故この人は、客人を迎えに行くだけなのに「その種族特攻武器」を御者に取りに行かせたのか。

 様々な意味合いで聞きたくないが聞かねばならない。

 乾きそうな口内の唾液を飲み下し唇を開く。

 微かに感じる緊張で飲み込んだ唾が棘にまみれているような嫌な違和感がある。


「…………それで、その槍」

「その槍で何をするつもりだったんですか」


 尋ねようとした言葉は瞳を少し伏せて、身体を傾けたシリルに塞がれる。ウィルの視線が強引に切断され、視界の殆どが若草色の服で埋まった。


 覆面越しに顔を勢いよくぶつけ呼吸が一瞬詰まる。湿った雨の匂いと泉の側のような新緑の香りが混じり合い体を包んだ。

 強引な触れあいにときめきが生まれる、事はやはり無く。強打した鼻からじんじん伝わる痛みにくぐもった声を漏らした。

 盾になろうと構えるシリルの脇から顔を引きはがし、加減無く衝突した鼻先をちょっとだけ涙目でさする。


「そうだな。邪な者なら稽古の相手にでもなって貰おうと思った。とでも言えれば良いのだろうが」


 呻きながら顔を押さえる私にぎょっとするシリルとは対照的に、悪びれもせず青年は肩をすくめて自分の屋敷に意識を向けるように視線をずらす。

 開き直りとも言えそうな態度だったが、少し引っかかる言い方に不信を強める前に疑問を覚えた。


 出会った時から思ってはいたが、台詞の端々が妙に乾燥していて、倦怠感にあふれているような。

 生まれついての持ち味かと思ったが、何度か言葉を交わすごとに違和感が大きくなった。


「何か、お疲れですね」


 だから、問いつめるでもなく素直に疑問を吐露すれば、ため息を隠すことなく吐き出してウィルは遙か彼方を見つめるように瞳を細め、固く閉じられた窓に顔を向けた。


「私の身を案じる人間にはろくな人間は居ないという現実を噛み締めている」


 苦みの混じった台詞に彼の疲れの理由になんとなく想像がついた。


「成る程。私の素性のことで何か言われましたか。警戒しろ、か。それとも隙は見せるな、とか」


 考えれば当然の事だ。他に年上の兄が居なければウィルは有数貴族の次期当主なのだから、不審人物に対しての警戒心程度は植え付けられていてもおかしくはない。

 例えば、悪の権化だとか、悪魔の長とか。人の生き血を啜る化け物だとか。

 私の素性がまともに分からない時点で武器を持てと言われた事も納得いく。


 更に言うなら武器を突きつけられてもあまり文句が言えない怪しさだとの自覚はあるのだ。

 謎に包まれている一族に警戒を覚えるのは人として正しい反応だ。

 次期当主としても警戒する素振り位はしておかないと屋敷の人間に対して示しも付かないであろう。

 下手に甘い面を見せれば屋敷の内外問わずにつけ込まれる可能性すらある。


「……大体は。君は私の考えを読むのが上手いな」


 成る程そういう事ならば仕方がない側面もあるか。疲れたような声に深く納得する。

 助言を受けたにしては敵対心の欠片も見えない柔らかい口調ではあるけど。

 ゆっくり回り始めた思考を加速させる。


「職業柄ですよ。職業病とも言えるでしょうけど。

 あとは、そうですね。これまでの流れから行くとカフスにも関わりがある人で。もう一つ付け加えるならば」


 有り難い助言のはずだろうに、授けられたウィルの顔は不満を隠そうともしていない。

 それどころか耳元にたかるハエを振り払っているかのような仏頂面だ。


「もう一つ?」


 疑問符を浮かべてはいるが、彼の口振りを考えれば予測の必要もない程だ。


「貴方はその人を一欠片も信用していないと言う事だけは分かります」

「それは凄い」


 声が平坦になっている自覚が薄いのか、彼が驚きを混じらせ口元を歪める。


「君は考えではなく感情を読むのが上手いんだろうな」

「それは褒め言葉として受け取っておきます」


 感情の揺れを読むのが他人と比べて割と得意であるのは否定しないが、今回の場合あまりにもあからさまだ。

 ウィルは余程その相手を信用も信頼もしていないのだろう。

 表情はあまり動いていないが、これだけ感情が表面に出ていれば、多分オーブリー神父でも分かると思う。

 とは思ったが言う必要もないので心の中に仕舞って素直に喜ぶ事にした。


「もうすぐ屋敷か。たどり着く前に一つだけ」


 忠告をしよう。


 僅かに瞠目した後、ウィルはゆっくりと言葉を落とした。 



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