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107:閉じた箱

 要は自分の姿に変わったことはないか、との問いかけだ。覚えのある問いに既視感デジャヴを感じ、つい先日オーブリー神父とナーシャが交わしていた会話が脳裏を駆け抜ける。

 花を模した新しい髪飾りをつけて「えへへ。どうかなどうかな」と照れながらも胸を張る少女の言葉に。「何か変わったのか? いつもの平たいナーシャだぞ」と気配りとは無縁な神父の、女心を爪先ほども配慮しない台詞を思い返す。

 あの後、機嫌を一気に急降下させた少女の細腕から、顎をねらった拳打が吸い込まれるように叩き込まれた。

 悶絶して転げ回る神父の情けなくも悲しい姿もついでに思い出したため、遠い目をして回想を終わらせる。自業自得な面はあった物のあれは痛そうだった。


 言い回しを変えて考えれば回想に近い問いかけにもなるが、先ほど知り合ったばかりの上に気安い問いを浮かべているような眼差しでもない。

 こちらを見つめる瞳は、背後から獲物を狙う獣によく似ていて甘さとは無縁だ。

 仲のいい男女の間で交わされる服飾や髪型の違い、と言うわけでもないだろうなと思考を巡らせつつも、相手の目線が言外に言わなくてもわかるだろうと言った空気を発している。

 もしくは本職なら分かっているはずだ、か。

 察しの悪い方でもないため彼の言いたいことは分からなくもないのだけれど。


 ないのだけれど、ううむ。


 暗幕で見えないのは分かっているのを良い事に遠慮無く眉を寄せ、唇を軽く噛む。

 苛立ちのせいか舌の奥に苦いものを感じる。

 ユハの兄に悪意があまりなさそうなのは歓迎すべき事柄でもあるが、彼の言葉に対しての答えは正直なところ面倒くさいの一言につきた。

 誓って言うが、馬鹿にする気も茶化すつもりもない。ただひたすらに面倒だった。

 前にもギルドで内心グチったことでもあるが、私は慈善事業するつもりはない。彼は逗留予定先の家人であり、ユハの兄ではあるが贔屓する理由にもならない。


 傲慢に聞こえるかも知れないけれど、ユハに取り憑いていた悪魔の悪質さと祓い難さを加味すれば宿泊分程度は報酬に含まれても物足りない。

 彼が望むからと言って何の見返りもなく無償でしてあげる義理は欠片もないのだ。

 ほんの少し目線に不機嫌さを載せ相手に注ぐ。

 敏感に空気の変化を読み取ったらしき彼の瞳が諦めの色を薄く登らせる。


「やはり、不躾すぎただろうか」


 こちらを貫く眼差しは相手を見極める真摯なものだ。

 それ以上に注がれる視線の中には隠し切れぬ懇願が混じっていた。

 気がつかれないようやれやれと肩をすくめる。


 居丈高に命令されたのであれば反発していただろうが、伺いの色が強い。

 そのことに頭痛を覚えて軽く眉を寄せた。

 分かっていてやっているのだとしたら大分性質が悪い。縋るような眼を突っぱねるほど私は彼に嫌悪や悪印象を感じていないのだから。

 前の世界であれば切って捨てていた頼みだが、今は無碍にする気も起きない。

 私もこの世界に来て甘くなったものだと感慨深くなる。

 聞こえないように小さく溜息を零し。


「問題がないような事でも?」


 相手の言葉を促し了承の意志を示す。

 ほっとしたように彼が張りつめた空気をゆるめる。

 尋ねられなくても気になった場所はある。場所が場所なので手は出していなかったけれど。


「手間を取らせるが」

「……千切っても良いですか」

「構わない」


 二重の意味をうちに含めて問いかけると、躊躇いなく彼は頷いた。

 濡れた両の袖口に手を伸ばし鈍く光るカフスをもぎ取ろうと力を込めて腕を引く。が、がっちりと縫いつけられたボタンは子供の力ではとうていとれない堅さだった。

 悪戦苦闘していると、脇に立ったシリルが澄ました顔をしてカフスの隙間に爪を滑り込ませ、すっと爪先を横に引く。

 鈍い音を立てて糸がほぐれ、いともあっさりとカフスは千切れ落ちて、私の掌に滑り込む。

 そのやりとりをじっと碧色の瞳が見つめていた。


 気まずさを押し隠すため、不自然な咳を漏らしながら胸を張り出来る限り威厳を損なわないようにゆっくりと問いかける。


「このカフス。誰から貰ったんでしょう」


 雨に濡れた表面をなぞる。乳白色の滑らかさが指に心地よい。


「命を狙うもの、ではないのだろう」


 眉を微かに動かし、探るような問いかけに迷わず頷く。

 言葉遊びをしても良いが、今現在彼と敵対して対した利益を得るわけもない。なぜか彼は黒ずくめの人間をわずかながらも信用している様子でもある事だし。

 こちらの返答に頷き、彼は続きを促すように口をつぐみ沈黙を創る。

 私の問いに対する回答はなし、か。とはいっても元々答えは期待していない。

 悪魔が絡んでいる時点でろくな相手ではないのだ。ここで軽々しく話すような人間もそれはそれで問題がある。

 手にしたカフスを光を透かすように掲げ、吟味する。

 念入りに眺めるうち徐々に自分の眉が絞られるのが自覚できた。

 中身にだいたい見当はついていたが、よくよく調べれば悪趣味な代物だった。

 命には関わらないが、個人的に嫌いな嗜好だ。


 気配に敏感な神官ですら恐らくこのカフスの異常に気がつくことはないだろう。これを送った相手は性根が捻れている。

 唸っていても仕方がないので少し痛むこめかみに左指を当て、唇を開く事にした。


「カフスの中に低級のインプの破片が入っていたようです。

 悪魔ではなく、人の手が加わった物ですね。

 恐らくですが、場所を特定する捕捉と、盗聴。心当たりがありますよね」


 そこまで告げてげんなりと息をもらす。このカフスが贈り物だとすれば、随分悪意のある品である。

 インプ本体ではなく、破片であるので気配は微弱。

 さらに言うならこのカフスの素材がくせ者だ。何処か神聖な場所で掘られたのか、薄い聖なる空気がある。内に隙間があり、破片の詰められた壁には五芒星が描かれているんだろう。


 聖と闇の均衡を崩さず、うまく閉じた箱だと思った。

 彼の空気がすこし妙だったのはこのせいだ。

 通り過ぎた瞬間に肌に感じた鮮烈な印象はカフスから漏れでたいびつな空気だったと今確信する。

 悪魔の気配に敏感を通り越して過敏な自分すら違和感としか感じなかったのだ。普通の人間であれば全く気がつかないに違いない。

 現に敏感なはずのシリルですら話を聞いて硬直している。

 そこまで考えて首を傾げかけた。確かに酷く巧妙だ。

 しかし、普通の人間がこれほどまで気配を感じさせない罠に気がつくことが出来るのだろうか。

 鋭い猛禽類を思わせる青年の瞳を見つめ、考えを巡らせる。


 可能性はいくつかある。思いつくのは大まかに二つ。

 目の前の青年は自分を越えるほどの探知能力がある。

 悪魔を探る力が高い、か。浮かべた可能性は、自分でも滑稽だと思う程に馬鹿らしい可能性だった。

 仮だとしても聖女と比べられる自分よりも目の前の青年の能力が高い? そんな人間が居るのだとしたらよく分からない二つ名を進呈して山奥に引っ込み隠居させてもらう。

 可能性は低い。

 頭に浮かんだ選択肢は直ぐに振り払われた。

 ならばもう一つの方だ。

 彼は自分へ異様な何かが送り込まれることに感づいていたのだ。それは機械や魔法ではなく、悪魔に関する品だという確信があったのではないか。

 そうでなければ頼みはしまい。

 何しろ、私は悪魔以外には無能以下なのだから。 

 値踏みするようなこちらの視線に動揺の素振りすら見せず、青年は口を開く。 


「それは、残念ながら」


 心当たりがあるらしい。


「やはりか、助かった。私情に付き合わせて申し訳ない」


 カフスの外された袖を持ち上げてじっと観察し、驚くでも慌てるでもなく、冷静な眼差しで私の手のひらに収まる取り外されたカフスを眺める。

 やはり? と言う事はこの人、自分に何かしら仕掛けられていたのは承知していたのか。

 確認、もしくは確定的な証拠を掴む為に私に異変を探らせたのだろうか。ついでに私の能力を試すために。

 だとすると。彼は敵に回したくない部類にはいる。それもかなり上位の部分で。

 少しだけ指に意識を向け、力を込める。


 燃え滓が燻るような小さな音を立て、内側の破片の気配が薄れていく。

 ゆっくり消えていった破片の音に、胸の内で軽く舌打ちする。


 なるほど。これまた随分厄介な代物だ。


 インプ程度であれば普段なら指を差し出すだけで、受け取る前に蒸発している。

 意識を込めれば正悪魔ですら腕が根元から吹き飛ぶほどなのに、カフスの中の下級なインプの破片はゆっくりと溶け消えるだけだ。

 恐らく聖なる力が壁になって力を外側に逃がすか、同化して箱の中を侵さないように力を表面で滑らせているのだろう。

 箱であり壁でもあるのか。


 スーニャ達の所で箱入り悪魔は見たが、同じ箱入りでもこの手法は別次元の存在だ。

 この中に正悪魔とか潜まれると非常に厄介、どころか誰の身体に潜んでいるかと疑心暗鬼になって外に出られなくなるので作る事を直ちに止めて貰いたい。

 欠点があるとすれば悪魔を入れたであろう隙間から微かに気配が零れ、そこからこちらの力を何割か流し込む事が出来る位か。

 …………仮にも姫巫女の力の半分ほどを逸らす辺り欠点と言うには鉄壁か。真面目な話これは私でなければ発見はおろか消滅すら難しかっただろう。

 誰だ。こんな物騒な代物作った大馬鹿者は。


「今のでカフスからの情報は断たれましたが、相手も気付いたはずです」


 握りつぶしたい衝動を堪えながら、摘んでいたカフスを顔の動きで相手に示す。

 酷く巧妙で陰湿な閉じた箱ではあるが、こんな物を贈られるとは、どんな恨みを買っているのだろうか。

 いや、貴族であれば恨みじゃなくて監視されているだけの可能性もあるか。


「それはもう身に着けても害はないのだろう」

「ええ」


 思考に軽く浸っていると、声を掛けられたので頷いてみせると同時に感心する。

 信頼されて嬉しくはあるが、消したとは言え先程まで内側に悪魔の欠片が入ってた代物を再度着用しようとは、なかなかの勇気だ。


「なら、身に着けていけば文句もないだろう。

 このタイミングで無くしたというのも逆に怪しまれる」


 後でつけてもらうことにしようと、呟いて。彼が手の平を差し出してきた。

 先程からの言動を考えれば唐突に腕を引かれる可能性は限りなく低そうだったが、反射的に警戒しながら相手の指先を見つめる。

 ここでシリルと交代すると角が立つか。怪しいし。

 僅かに逡巡した後、そっと掌にカフスを乗せる。

 こわごわとした動きに少しだけ彼がまなじりを下げ、受け取る。それが笑っていたのだと気がついたのはしばらくしてからだった。


「興味本位でおたずねしますが。なぜこんなところで雨に打たれていたんでしょう。あ、言いたくないようなことでしたら答えなくてもかまいません」

「それは難しい問題だ」


 私の疑問に彼がすこし眉間に皺を寄せた。

 やはり不躾だったかと、先ほどの言葉を撤回しようとする前に彼が言葉を紡ぐ。


「何しろ馬車が戻ってこないというのは生まれて初めての経験だ。何事か起きたのだろうか」

「は」


 予想も出来なかった答えに、間の抜けた声を漏らしてしまう。

 呻く私に構わず、ウィリアムは酷く真面目な難しい顔をしたまま首を傾けた。


「忘れたものを取りに戻らせただけなんだが。いっこうに戻ってくる気配がないな」


 そ、そうなのか。忘れ物取りに戻らせて帰ってこなかっただけか。

 予想外の答えに納得と釈然としない気持ちが混じり合う。

 気が抜けたような、深刻な理由でなくて良かったような。なんだろう、微妙な気分だ。


「私たちも屋敷に向かう途中ですし、宜しければ一緒に向かいませんか」


 難しい顔に似合わない間の抜けた理由でずぶ濡れになっていた青年に、尋ねる。

 このまま佇んでいても状況は変わらないだろうし、彼にとって悪い提案ではないはずだ。 


「ああ。それは願ってもないことだが」


 鋭い瞳が濡れた門の向こうに佇む屋敷を見つめている。

 そして、何かを確認するように目線がこちらを向く。

 問うような視線に同じように目を向けて一瞬めまいを感じる。

 門の向こう側に佇む屋敷は馬車の窓から覗いていた時よりも離れて見えた。

 雨で立ち上る霞の中で蜃気楼のように揺れている。目測でも歩いていける距離とはとても思えない。

 

 え。あそこが屋敷?


 門の内側には薄灰色の石畳が広がり、庭園の一部なのか、所々油絵の具で彩色されたように赤や黄の鮮やかな色彩が滲んで見える。

 

 扉すらまともに見えないなんて、遠すぎやしないだろうか。

 うん、絶対遠すぎる。もし晴れていたとしても健康な成人男子だって全力疾走で半刻以上は掛かりそうだ。 


「もしかしてここから歩いて行くんでしょうか」


 げんなりとした気持ちを隠さずにウィリアムに問いかけると、


「普段は送迎用の馬車が来るはずなんだが」


 微かに瞠目し、疲れたように首を横に振った。

 なるほど、馬車で門から屋敷に移動しているのか。庶民の私としてはそろそろ感嘆の息が倦怠感に変わりつつある。

 おのれ貴族の屋敷。なんと面倒な屋敷の造りをしているのだ。

 自らの権威や財力を示す為だというのは理解するが、貴族の考える事について行けそうにない。


「こないんですね」


 馬車が迎えに来ないだけでこの有様。災害時にはどうなることだか。

 恐らく非常時には陸の孤島となるであろう屋敷を恨めしさを込め睨み付ける。


「僕は歩いていくのでも構わないのですが。無理、ですよね」


 先程から眉を寄せて悩んでいたらしいシリルが顔を向ける。

 ああ、なるほど私の事を考えていてあの顔か。

 申し訳なさを感じながらも間を置かずこくりと頷いた。変な見栄を張っても意味はない。


「ええ。強行しても途中で力つきる自信があります」


 遙か彼方に見える屋敷は一刻程度では到底たどり着けそうもない。

 地面のぬかるみを見るに足場も悪く雨風で体力を奪われるだろう。

 子供以下の体力持久力な私は確実に途中で脱落する。

 歩いては行けない。細身の木々が身を寄せ合っているが、雨宿りする場所も無さそうだ。

 この状況下選べる選択肢は限られる。雨脚が酷くなれば私達もずぶ濡れになる以上ここに長居するのも得策ではない。

 となれば。

 思考を整理して身体に貼り付いた服を摘む青年に目を向けた。


「緊急措置で元の馬車に乗っていきましょう。ここで立ち往生するわけにも行きませんし。それで構いませんか」

「ああ」 


 歩いてきた道を振り返れば地面は水たまりを取り越し、浅い湖のような様相となっている。

 傘の隙間から見上げた空から、飽きることなく大粒の雨が延々と降り注いでいた。


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