104:甘い約束
「最終的に考えると、やった事より謝礼が膨大な気もするわね。
あ、だからといって勿論返さないわよ」
後ろで手際よく塗り替えられた馬車を見て、顎を手の甲に載せて呟いたスーニャだが、無意識の言葉だったらしく私やシリルの視線に気が付き、慌てたように付け足した。
「そんな事言いませんよ」
元々謝礼を撤回する気もないので、帽子の鍔を両手で握っての台詞に頷いてみせる。
子供の抗議のような姿に和んだのか、シリルが相好を崩していたが気が付いたように馬車に目をやり、ペコリと頭を下げた。
「あの、お世話になりました」
私も倣って頭を下げる。昨夜から一日にも満たない付き合いだったが長く共にいたような感覚があり、別れる事に一抹の寂しさを覚える。
フェルナンドさんの「幾ら冒険者といえども、私が側にいる間御者の一人も付けずに送り出す事まかり成りません」との熱意溢れる説得を右に左にかわし、なんとか御者二人の見送りで済ませたスーニャは、微かに潤んだ瞳をこちらに向けた後、表情を隠すように帽子の鍔を下げる。
「はあ、シー君ともここでお別れなのね。悲しいわ。
そうだ。ねえねえ、一緒に旅しない! 二人とも」
寂しそうに俯いていたが、不意に顔を上げ、大きな瞳を輝かせた。
ピンク帽子が大きく跳ね、先程のしんみりした気配があっさりと霧散する。
『それはお断りします』
異口同音。シリルと共に力強く断る。
スーニャは眺めるのが楽しいのであって火種そのものの彼女と行動を共にする等、無謀どころか命を捨てる行為だと思う。
迷うことなく即決したシリルも同じような考えらしい。想像でもしたのか、少し青ざめた顔で首を左右に振っている。
「うん、それが賢明だな。はっきり言わないとセザルみたいになるし」
腕を組み、深々と頷くエイナル。何度も首を縦に振るセザル。
特に後者は拳を握って噛み締めるように頷いている。
「出会った時スーニャの口車に乗せられていなければ。と今でも後悔してます」
人の生は選択肢の積み重ね。
積み重ね続けた選択の結果が絶妙に折り重なり、絶望を救う時もあるだろう。たった一つの決断がその後の人生に影響を与える場合もある。
私の場合はアオとの元の世界での会話。セザルの時は、スーニャとの出会いと言ったように。
悔恨の表情を浮かべ、下唇を噛むセザル。その時の事を思い出したのか、握った拳が微かに震えている。
見た限り、見事に選び間違って不本意な結果になったようだ。
そのペナルティがスーニャの一行に加わる事だとすれば、下手な刑罰より重い気がする。
私なら、うっかりアオの口車に乗ってしまった位の重さだ。やめよう。考えただけで寒気がした。
「なによ、旅は大勢の方が楽しいじゃないの」
私とシリルに断られただけではなく、仲間からも危険物扱いされ腰に両手を当て頬を膨らませる魔法使い。
「スーニャの場合楽しい前に命の危険が付きまといますからね」
何度命の危機を覚えたのか分からないが、彼岸を見るような眼差しで空を一瞥し、セザルが溜息をつく。
スーニャの勧誘に楽しそう、とか軽い発言をしなくてよかった。
まかり間違って同行していたら地獄を見ていただろう。
ある種和やかな三人のやり取りを眺めながらマントの下にしまっていた箱を取り出し、少し考える。
悪魔の潜んでいた小箱。飾り気のない箱をそのまま返すのも味気ない。
感謝に悪戯心が一滴。誰にも見つからないように銀貨を数枚布にくるんで中に入れる事にした。
馬車でお腹は膨れない。
気が付かれないように仕込みを済ませた達成感を噛み締め、水平にした両手に箱を載せて言い合いというより反省会の様相を呈してきた場に声を掛ける。
「ああ、そうです。預かっていましたけれどこれをお返ししますね」
愚痴をこぼしていたエイナルに抗議しようと仁王立ちになっていたスーニャの眼前に小箱を突き出すと、猫のような素早さで少女が跳ね上がり距離を取る。
「うえ。ヤダ、それアレが入ってたじゃないの」
セザルとエイナルを盾にし、牙を剥く魔法使い。
ふしゃーと背を丸めて箱を睨む辺り、悪魔の『あ』の字すら出したくないご様子だ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと処置しましたから跡形もありません。
これは代表格であるスーニャに渡した方が」
跡形もないと言うより、四散して霞になる前に消えた悪魔を思い出しながら、再度箱を突き出す。
更に後退る少女。噛み締めた歯の隙間から呼気を吐き出し、睨む姿は威嚇する獣そのものだが、踏ん張っているらしい脚が子鹿のように小刻みに震えている。
「やだやだやだ! セザルに渡して。怖いもの」
ぶるぶる首を横に振って涙目で拒否するスーニャ。
余程怖いらしく無意識に爪を立てているのか、盾にされたセザルが『痛、いたたた』と身を捩っている。
当然鎧を身に着けたエイナルは無傷だ。
鍛えても逆立ちしても着用できないだろう鎧の防御性能に羨ましさを感じつつ、スーニャの前に押し出された形になった青年の手に箱を近づける。
「仕方ありませんね。ではセザル、どうぞ」
迷惑そうだが、何処か仕方なさそうな顔で爪から逃れていた彼の目が、一転冷ややかなものになる。
「二人とも、私の意思確認無しで話を進めるのは止めて貰いたいんですけれど」
せめてもの抵抗か、背を軽く反らしたまま憮然とした表情で見つめられ顎に手を当て考えた。
確かに本人の意志を無視するのは良くない。それが悪魔嫌いならば尚更だ。
「これは失礼。ではセザルの同意も得ましたから渡しておきますね」
と、一旦は納得したが再度渡しにかかる。
答えは簡単。スーニャやシリルのように脅えているなら最初から渡そうとは思わない。
大丈夫そうだと初めから睨んでいるからの受け渡しだ。
「いえ、一言も発した覚えが……まあ、居ないのなら構いませんけれど」
疲れたような言葉と共に受け取る彼に、精神的な疲労は垣間見えても、警戒心は余り無い。
専門家に任せるのが一番だと割りきっているからの警戒の無さ。そして、信頼があればこその安堵。
半日程度の付き合いだったが、多少なりとも信用して貰えたらしい事に少しだけ嬉しくなる。
口には出して貰えないが、少なくとも正悪魔位は倒せると思われているらしい。
基本群れたインプがせいぜいの地域としては、かなりの高評価だ。
自分の荷物の上に受け取った小箱を乗せる彼の姿を確認し、次に止まっている馬車に視線を向ける。
初めに乗っていたのと同じ型の車体。印は消されたが全体的な色は元のまま。青みがかった闇色だ。
元の馬車から移された馬は、新しい鞍が気に入ったのか、機嫌良く頭を上下に振っている。
「では確かに渡しました。名残は尽きないのは確かですが、誰も来ないとは言えこのまま道を塞ぐのも心苦しいですし。ここでお別れです。
お世話になりました。また会いましょう」
ここでずっと話していたい気持ちはあるが、他の旅人も通る山道だ。塞いだままだと衝突する可能性もあるし、混乱を引き起こす。
「そりゃ構わないけど。またってどうやってよ」
解散の合図に頷きながらも、スーニャが首を横に倒し、帽子を傾ける。
「私はパスタム教会にお世話になっていますから、尋ねにでも来て下さい。
ついでにでも構いませんから、教会の宣伝もお願いします」
「ちゃっかりしてるわね」
半眼で眺める魔法使いに肩をすくめてみせる。
金銭は悪魔を祓う事で手に入るが、客や巡礼者ばかりはどうしようもない。
「中々人が来ませんから、こんな時に宣伝しませんと」
発案者のマーユからは忘れられていそうだが、私は広報係だ。
誰も覚えて無くても構わない。聖女とかの前に広報係、なのできっちり宣伝させて貰う。
教会は綺麗になったけれど、閑古鳥が鳴いたままなんて寂しすぎる。
「正反対の外見なのに、教会住まいなのか」
「見た目と住み家は比例しませんよ。
軽い聖水位なら譲れます。と言いたいところですけれど、しばらくは改装中で入れませんね」
分かりやすい驚愕に軽い答えを返し、招こうとした教会は大幅な工事中だと気が付いた。
今現在あちこちを転々としているのもそれが原因だ。
「あたし達も色々やる事あるし、んー、じゃあ、しばらく時間を空けてから行ってみるわね」
金欠の為か、元から請け負った依頼でもあるのかスーニャが頷いて杖を指先で弄ぶ。
細かな場所は言ってはいないが、それなりに遠い場所だと分かるのか、唇を尖らせる姿はちょっと面倒そうにも見える。
これは、来るかどうか微妙な反応だ。
「再会を楽しみにしています」
まあ、強制はするまい。ちょっと残念だがそう告げた私の後に、シリルが続く。
「僕も楽しみにお茶菓子をご用意して待っていますね」
にっこりと微笑んだ彼の言葉にスーニャの身体が一瞬硬直する。二拍ほど間を開け、弄んでいた杖を握りしめた。
「お茶菓子が出るなら絶対に行くわ。聖水と馬車ありがとね。ちゃーんと宣伝してくるから楽しみにしてなさい」
瞳を輝かせ、杖で天を指し示すスーニャ。
お茶菓子の一言は、そのうちの色が濃かった返答を直ぐにでもの勢いに変貌させた。
甘いもの、恐るべし。
「悪い方面で噂が流れないように祈っておきますね」
溢れんばかりの気合いは空回りするだけならともかく、負の方向に向かわないかが心配だ。
「ちゃんと良い噂流すわよ。失礼な」
自覚のない魔法使いがムッとしたような顔で腰に手を当て眼を細める。
「私達も見張ってますので安心して下さい」
こちらの心配を見透かしたらしいセザルがこっそり口を動かした。
仲間ではなく、保護者同然となっている青年の一言で僅かに安堵し胸をなで下ろした。
彼が見張るなら、早々妙な事にはならないだろう。
「じゃ、セザル馬車お願い」
お菓子の約束を取り付けた事で機嫌良さそうに鼻歌を歌い、お願いより命令に近い口調で馬を示す。
「御者が周りにいるのに結局私がやるんですね」
整列し、こちらを見据える御者を眺め彼が恨めしそうに呟く。
セザルの言う通り、御者は居る。それこそ道を縁取る位は。
青年の抗議にスーニャが眉を跳ね上げ、腕を組む。
「どちらにしろ一時的なのよ。雇うお金もないから観念するの!」
静かに佇む御者を睨む彼女の眼は剣呑だ。
セザルの言い分も一理あるが、ここはスーニャの言葉に賛成するべきだろう。
確かに質の良さそうな御者はいるが、無償なのは一時的。そしてなおかつ旅に同行するわけでもない。
連れ歩くなら別途料が必要だろう。
現実的な判断ではあるが、身に纏った服とは違い、悲しいまでに夢がない。
「はあ。それではお二方共、お元気で」
文句を零したかっただけなのか、話題を引き延ばすことなくあっさりと引き下がり、セザルが頭を下げた。
「お茶菓子沢山用意して待ってるのよ!」
ゆっくりと動き出す馬車。
短いタラップに足をかけ、片手を上げるスーニャ。
「またな」
素早く乗り込んで言葉少なに目礼するエイナル。
どちらが決めたわけではないが、さよならは誰も言わなかった。
手を振るスーニャに応える為に佇んでいたが、ゆっくりと進んでいるように見えた馬車は、いつの間にか点になり。景色に滲んで溶けてしまった。
誰も居ない場所を眺めていても仕方がないので自分たちの馬車に目を向けると、何時号令を掛けたのか、残りの車体が散っていくところだった。
そう経たず、乗る予定の馬車一台だけがその場に残った。
賑やかだったスーニャ達が居なくなっただけでも寂しさを覚えるのに、更に人が減ると場の空気が凍えていく錯覚を覚える。
「それではお屋敷に参りましょうか。山は越えましたが、まだ少々掛かりますので」
暗い考えを首を軽く横に振る事で追い出すと、残ったフェルナンドさんが恭しく頭を下げ、扉を開いた。
「道のりが随分険しいですね」
彼の説明に思っていた事をポツリと漏らす。
ユハの家には失礼かも知れないが。地図は見たが山越えしてもなおまだ遠いとは、教会や悪魔祓いギルドに匹敵するド田舎ではないのか。
「そうでもありませんよ」
柔和そのものの表情で告げる彼は慣れたもので、素早く車内から取り出した深紅の絨毯を短めのタラップに向かってするすると敷くところだった。
何の澱みもなく敷く辺り、これが一般的なのか。凄いな貴族。
曇り空で森すらも鮮やかさが奪われるというのに、それでも高品質の絨毯は精彩を失わずにいる。
村人のシリルが立ち竦んでいるが、私も一市民なので土足のまま高そうな絨毯を踏むのが躊躇われる。
怖じ気づく私達に構わず、手を広げエスコートしようとするフェルナンドさん。
「い、行きましょう」
余裕のある姿に対抗心を燃やしたらしく、指を彷徨わせながらもぎこちなく手を伸ばしてくるシリル。
「そう、ですね」
差し出されたシリルの手を掴み、タラップへと続く柔らかい絨毯を踏みしめた。
踏む面積を少しでも減らそうと努力したがシリルを巻き込んでよろめくだけで徒労に終わり、最終的にゆっくりと歩を進める。
視界の端でシリルに敗北したフェルナンドさんが寂しそうな顔をするのが見え、心が痛む。
ごめんなさいフェルナンドさん。貴方は悪くないんです。
聖女姿な私が問題なんです。
せめてもう少し年上であればと自分の腕を眺め、憂鬱な息が漏れる。
フリル状のマントで誤魔化されてはいるが、掴めば分かるほどに細く、小さな手だった。




