100:気まぐれと感謝と後悔と
スーニャは物言いたげに私を見た後、動きそうになる唇を引き締め、手慣れた様子でピンク色のマントの裏側に仕込んでいたらしい手の平サイズの布袋を引きずり出す。
手に持った一瓶を荷物の隙間に慎重に差し込んで残りを仲間に渡し、中身が飛び出さないように指で押さえ素早く袋を閉じスーニャは安堵したような息を漏らす。
意外と公平な分配方法に感心する。丁度三瓶あるから喧嘩する必要もないのだけど。
荷物を元の場所に戻し、スーニャはほんの少しだけ残念そうなため息をついてマントの皺を伸ばした。
「こういう言い方はあれなんだけど、悪魔用の対策法もうれしいけど魔法関係ならもっと喜べたのに。
スーにゃん感激! とか言ってもいいくらい」
握りしめた拳を口元に当て耐えるようにくっ、と悔しげな声を漏らす。
小躍りするピンク帽子の魔法使い。見たいような見たくないような。
「魔法、ですか。残念ですが本職の方にお教えできるような知識は持ち合わせておりませんので」
期待して貰ったところ悪いが、元一般人が魔法を教えられるはずもないので首をゆっくり振って断っておく。吸血鬼一族の末裔的に嗜み程度魔法を一つか二つ覚えている方が自然なんだろうか。
特殊な生まれの境遇を装っているが、追及されないか内心ビクビクものだ。
「構築とか魔法陣なんかを教えろって言う気はないわよ。ただねー、こう。あたしだけの魔法がちょっとほしいなーって思うの」
月形の飾りをぷらぷらと左右に揺らし、ずれてきた帽子を直しながら口を開くスーニャに首を傾げてしまう。自分だけ――オリジナルの魔法って事なんだろうけど。
「自分の? 星の魔法は自分の魔法じゃないんですか」
闇夜に弾ける炎を思い出して尋ねる。
星の魔法というか無理矢理星の形にした炎だが、あんなものが公式だと言われたら神だけじゃなくしばらくの間魔法使いに絶望できる。
微かな不安を交えた問いにスーニャはぱたぱた右手を振って苦笑する。
「あれはちょっとしたアレンジよ。自分の魔法って言うのはね既存の精や神の力を借りて一から創るの。
あたしの力じゃ星を降らせるとか大規模なのは創れないんだけど」
狼を炎の雨で薪代わりにした魔法が大規模でないと言うつもりらしい。魔法使いの強力な魔法ってどんなのだろう。基準が違いすぎて想像すら出来ない。
セザルは渡された聖水を一瞥した後、じっとりとしたまなざしをスーニャに送る。
「スーニャは基本を守れば良いんですけれどね。それすら出来ずに自ら構築する魔法なんてまだ早いと思います」
「そんなまともそうな事言って、あたしの向上心を潰すつもりね。お説教魔神には負けないわよ!」
きつい指摘にへこたれることなくぎゅっと杖を握りなおし、何処か斜めに逸れた気合いを見せる。
明後日の決意を固めた魔法使いにお小言を告げようとして途中で諦めたのか、セザルは溜息をつくと飲み終えたカップとソーサーを纏め、片づけ始めた。まるで母娘のようなやり取りだ。
「毎回思うけどさ、普通に唱えろよ」
「そんな可愛く無いの嫌よ。そんなの唱える位なら潔く魔物の牙に掛かる方を選ぶわ!」
波形のマントを翻し、半眼のエイナルの呟きに迷うことなくきっぱりと答えた。
いっそ見事な徹底ぶりに胸の内で拍手を送る。すごいなスーニャ、何か本末転倒な感じだけど自分の信念を曲げない姿にはある種の尊敬すら感じてしまう。
「独自に構築するとしても私はあまり詳しいことは知りませんので、精霊や神なんてとてもとても」
神の方は心当たりはあるが、素直に力を貸すとも思えないので候補からはずす。というか自ら関わり合いになるような行動はとりたくない。
「そんな小難しく考えなくてもいいのよ。つまり漠然としていてもある程度の規模や威力を思い浮かべられる、ええと。絵みたいなものがあればいいんだから」
頑張って説明してくれたが、少々分かりづらいので自分なりに考えを変換する。
魔法のプランなり計画。イメージがあればいいと言うことだろうか。
有り体に言うと魔法は欲しくても完成系が見つからず、纏まらないイメージ図を描いた紙を延々握りつぶしている状態なんだろう。
つまるところ、アイディアがほしいと言うことらしい。
恩人の悩みは解消したいので考えてみる。魔法のアイディアか。
スーニャの好きそうなかわいく綺麗で、斬新な代物。
隕石は却下らしいからもう少し小規模な……自然現象とか?
「自然の雨や風は再現できるんですか?」
「大嵐はさすがに無理よ」
肩をすくめて答えてくれるが大が付かなければ可能そうな時点で充分凄いと思う。それに、大嵐なんて呼び出されたら私が真っ先に天高く飛ばされそうなので案に入れてはいない。
「辺りを冷やすとか、出来ます?」
「そのくらいなら何とか出来るわね。何か思いついたの」
出来るのか。思いついたは思いついたものの、成功する確率はあまり高くない。
「うまくいくかどうかは分からないですけれど。取りあえず一定範囲を出来る限り冷やしてもらえませんか」
「了解。ちょっと離れた場所でやるわよ」
頷き、立ち上がったスーニャがマントをなびかせ、人気のない森側に足を進めて数メートルほど離れた場所で立ち止まる。
被害がでないか後方を確認した後、空気をなぞるように指先を滑らせると、スーニャの前方の地面だけ浸食されたように芝生が凍り付いていく。風を受けた柔らかな葉はしなることなく根本から折れ、光と冷気を散らす。
地面以外に変化はない。周囲の空間ではなく地面だけが冷えているように見える。
「思い切り冷やしてください。息が瞬時に凍るくらい」
「えぇ!? そう言われても無詠唱じゃコレが限界なのよね。ちょっと待ってて。ええっと」
私の注文に困ったように眉を下げ、顎に手を当て悩む。
唸る姿に難しい事を頼んだかと申し訳ない気分になる。
「あんまりやんないんだけどうまくいくかしら」
スーニャはしばし口内でぶつぶつ呟いた後マントの中の荷物を取り出し、数度迷うように指を動かして小振りな袋を引きずり出す。
乾いた品物が入っているのかパラパラと軽い音がたつ。
中から卵のように丸い黄ばんだ葉っぱを取り出した。乾燥させてあるのか少し色あせている。
迷うことなくそれを片手で一気に砕くと芝生を覆うように辺りにちりばめ始めた。葉の破片は紙吹雪のように風に乗り、ひらひらと落ちていく。
ゆっくりと地にたどり着いたかけらがぽつりと薄い光を瞬かせ、とけ込むように消えていった。
まるで砕いた葉が土に吸収されたような光景。スーニャが魔法使いであることを再認識しつつ、不思議な光景に魅入られる。
残っていた破片を指先をこすりあわせて払い落とし、今度は白い紙を取り出すと人差し指で挟み込み、静かに言葉を紡ぎ始めた。
ざわ、と空気が生き物のようにうごめき蜂蜜色の髪を揺らす。風にあおられ白い紙が大きく踊った。
魔法はよく分からないが、思い思いの方角に流れ始めた風をみればこの場が異常なこと位分かる。
乱れた空気にぴりぴりと肌が痛むのを感じる。
波打つ下生えの草、波紋を描く水面、枝から振り落とされて舞い上がる新緑。
肌を震わせる風の音も相まって、まるで開演ただ中のオーケストラ会場の中央に落とされたかのような迫力がある。
強い風に瞳を細め、空へ捧げるようゆっくりとスーニャが指先の紙を正面に向けた。
「母たる地よりなお遠き、凍えるミニシャの大地を抱く指、願いに答えその片鱗を我らが前に」
凛と背を伸ばし、今までとは別人のような口調で朗々と詠唱を唱え、挟んでいた紙をはなす。
異様な行動とともに謎の現象を続発させるスーニャに、両手をあわせてこれぞ異世界だ、魔法だ!と感激する。
マッチ代わりの魔法とは別次元だ。空気から違う。
興奮も冷めやらぬうち、ひらりと舞った紙が吸い込まれるように天へ向かう途中、白い炎をあげて燃え上がる。と同時。
スーニャが標的を定めるように炎へ指先を向けた。
「凍える息吹」
その一言が発されると共に瞼の奥で刹那光が瞬く。まぶしさに顔をしかめる間もなく。
キ、と異質な音がしてスーニャの前方の世界が一変した。
ひらひらと光のような粒子が空気の中で浮かび、瞬いている。色の薄い蛍が明滅するような光の乱舞。
周りに妖精が舞っていても違和感がない幻想的な光景にただただ見惚れる。
「って、コレなに。綺麗」
一瞬前の真面目さが嘘のようにかき消え、いつものノリでスーニャが小首を傾げて自分の作り上げた空間を見つめた。
「ダイヤモンドダストと言うそうです。極寒の地で見られる自然現象らしいです。威力もおそらくあるはずですし。見た目もスーニャの嗜好に合うと思いますが」
成功するかはほぼ博打だったが思いの外うまくいったらしく、限定された空間内で光が踊っている。
範囲はおよそ数メートル四方。大股で十歩も行かない距離。見えない正方形の空間だけが別世界の冷気をたたえている。
「うん、いいわね。慣れるまで幾つか触媒を使う必要がありそうだし、改良が必要だけど限定的な空間なら出来そうだわ」
詠唱や構成にどう作用しているのか不明だが、先ほどの葉や紙は触媒だったらしい。本人には言えないが、やはりスーニャは魔法使いなのだと数度目の感心をする。
彼女はひとしきり真面目な口調で説明し、作業工程を確認するように指を折った後。
「というか、すんごい素敵! マナ最高っ。スーにゃん感激!!」
離れた場所から猛然と抱きつかんばかりの勢いで駆け寄って来ようと彼女が両腕を広げる直前、腕を押し出すことで制止する。
「お役に立てたようでなによりです」
先手を打たれて不満そうな顔をするスーニャに、出来る限り和やかな空気を示してみるが、舌打ちしそうな目が「後もう少しで触れたものを」と告げている。
危ないところだった。
諦めてくれたらしく、踏みとどまったままこちらに走り寄る気配はない。
「すごいものですね。どこでこんな光景が見られるんでしょう」
セザルがひらひら舞う光にほう、と息を吐いて意識的ではなさそうなボンヤリとした問いかけを漏らした。
「いえ、私も人づてに聞いただけですから」
詮索されたくない部分なのでびくりと反応しそうになったがなんとかこらえ、吸血鬼一族の末裔の素振りでやんわり答える。
「見た目無害そうだな。
威力はどんなもんなんだ。どれどれ、と」
昨夜の狼を思わせる鋭い灰色の瞳で術の範囲内を興味深そうに見つめていたエイナルが、思いついたように近くの樹から枝をもぎ取り、スーニャの眼前――中心部へ放り投げる。
変貌した空気の境目に触れる刹那、枝が落ちる速度を増す。
落下音が響いた。
ぼと、なんて陳腐な音ではない。
まるでガラスが金属にたたきつけられたような甲高い音を立て、生木である一枝が辺りに砕け散る。
ついでに私の思考も凍る。
超低温を指定はしたが息どころか掠めた指すら凍結しそうだ。
提案した私が思うのもおかしいが、これ、ものすごく危険な術なのでは。封印した方がいいんじゃ。
「きゃー、威力も最高だなんて、うっとりしちゃうわ。
そう、そうよっ。これぞあたしが求めていた魔法よ」
想像よりも恐ろしく仕上がった魔法に呆然となる私と違い、はしゃいだ声を上げてスーニャが上気した頬に手を当てる。
もしかしてこれは、やっちまったというやつなんだろうか。無邪気に喜ぶスーニャの破天荒さと暴れっぷりを思い返す。
うん、やっちまったよ私。
後悔先に立たずである。
注*細氷の発生には他にも条件が必要です。