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99:思わぬ利用法

 あらかじめ温められた木製のティーポットにゆっくりお湯が注がれていく。蒸らされるお茶と花の芳醇な香りが辺りに広がりうっとり目を細める。

 予備に備えられてあった木製のカップも何とか人数分見つかってのんびりお茶の時間を楽しむことにした。

 お茶菓子代わりに先程の赤い木の実が置かれていたが、見ない振りをして注がれたお茶を両手で包み込む。

 それだけで暖かくて胸の奥がほんのりする。冷水に触れたのもあって体が少し冷えていて、適温に温められた器が熱く感じた。

 おそるおそるといった様子で横並びになったスーニャ、エイナル、セザルも紅茶を持ち上げ、揺れる琥珀色の液体を真剣な瞳で値踏みしている。私とシリルは見慣れぬ餌を前にした野生動物のような対応を横目で眺め、息を吹きかけて冷ましたお茶を啜る。

 ふう。至福の時間だ。

 吐き出した息が普段より熱い。

 緊張を常に持たなければいけない立場なのは重々承知だが、どうにもお茶を口に含むと無防備になってしまう。

 だっておいしいのだ。それに落ち着くし。

 子供の駄々のような言い訳を胸の内で呟きもう一口。

 うん、幸せ。

 満足げに吐息を吐く私の姿に警戒が薄れたか、そっと三人がカップを口元に寄せ。しばし静かに何度か口に運び。


「美味しい、なにこれ!? シー君天才!」


 頬に左手を当てきらきらした瞳でスーニャがほめちぎる。


「道ばたの花がこんなにうまくなるのか」

「いきなり花を摘み始めたときは不安でしたけど、美味しいですね」


 しみじみ呟くエイナルに、セザルが頷きカップを揺らす。

 三人がためらった理由に得心する。ふつうお茶にお花入れないのか。セルマさん印のオリジナルブレンドは世に浸透していないらしい。こんなに美味しいというのに。


「淡くて甘い香りが鼻を通り抜ける瞬間に消えるのが絶妙ね。さらっとして飲みやすいし、苦いだけのお茶も多いのに。これなら子供も美味しく飲めるわね」


 感情的に誉めたたえたかと思えば一転冷静な評価を下してくる。

 なんだか子供の味覚と言われた気がして静かに落ち込む。やっぱり味覚も子供に近いんだろうか。

 そういえば苦いのも苦手だ。余り考えると深みにはまりそうなのでお茶を含むことで気持ちを和らげる。

 口の中一杯に甘い花の香りが広がった。

 とろけそうな気分で更に二口ほど飲んでから用事を思い出す。お茶の魔力につい忘れそうになっていたがする事があった。

 カップをいったん地面に置き、ゴソゴソとマントを漁って目的のものを掴み、引っかからないようにゆっくり指を引き抜いた。

 片手一杯に持った瓶が、ちん、と硬質な音を立てる。

 響いた音に不思議そうにこちらを見たスミレ色の瞳が一瞬見開かれる。


「そうそう、これを渡しておこうと思いまして」


 何かを言われる前に今気が付いたとばかりに三人へ瓶を素早く差し出す。お茶に気を取られていたので間違ってもいないのだけど。

 気が付かなかったような私の素振りに僅かにシリルの瞳が細められ、眼光が鋭くなる。ひぃぃ。

 全身に掛かる無言の圧力。

 反射的に反り返った背を無理矢理正すが、怖気は収まらない。

 怒られそうだな。「そんな安易に渡すなんて何を考えているんですか」等と説教を確実に喰らいかねない。

 いや、この場合「正体がばれて何事か起きたらどうするつもりなんですか」と正座する間も与えられずに諭すように叱られるのだろうか。

 自分で選んだ事とは言え、叱られる未来が何通りかに分かれて克明に脳裏に描かれ少し後悔する。怒られない未来が思い浮かばないのは何故だろう。


「みず?」


 暗い未来予想図に思いを馳せていた私に構わず、カップを揃いの木のソーサーに載せ、床に置いたスーニャが興味深そうに瓶をつまみ上げ、くるりと回転させ上下左右丹念に見回す。

 持ちきれない他の二本は地面に置かれている。

 中身は彼女がつぶやいたように成分自体は水だ。違いと言えば聖なる(?)加護的なものが付随してるぐらい。


「聖水です。正悪魔を完全に滅することはできませんが、散りばめれば時間稼ぎにはなります」

「せっ!?」


 口元を手のひらでそっと押さえ、告げたらひきつった悲鳴を喉奥で漏らし、背筋をそらされた。

 悪魔から恐怖の片鱗を間近で味あわせられた為か、過剰反応気味だ。魔物と比べると対応策がない分これがまともな反応とも言える。

 硬直した指から何とか取り落とさずにすんだ瓶を支えて彼女が堅い動きでこちらを見る。


「悪魔の名前はだめよ! 言ったら来るのよ!?」

「来ませんから」


 真夜中に蜘蛛やお化けを怖がる少女のようなことを涙目で力説するスーニャに右手を振って優しく声をかける。

 その程度で来る奴らではないし。呼ぼうが呼ぶまいが気が乗らなければ来ない上、用事が無かろうとも障害物すらすり抜けて来るときは来る。迷惑極まり無い。

 名前を呼んで来るんだったら罠を大量に仕掛けておいて待ちかまえる。

 そこまで考えてぼんやり遠くを見る。悪魔の事を考えているせいかゆっくり揺れる梢にも心が余りほぐされない。

 一匹ずつ潰すのも手間だ、それもいいかもしれない。

 混乱しているスーニャの隣でセザルが紅茶の分量をシリルに尋ねていた。覚えて帰るらしい。

 それは良いが泣き出しそうな彼女を放っておくのか。

 お小言は後回しにされたのか、諦められたのかシリルがひとつひとつ丁寧にお茶の入れ方を教えている。

 セルマさんのお茶が広まるのは良い事だ。何の根拠もない持論だが、世の中に美味しいものが溢れれば世界は大なり小なり平和になるであろう。

 他の人はどうかは知らないが、私は間違いなく幸せになる。


「そ、そう? 専門家が言うなら信じるけど」


 うるうるした瞳で辺りを見回し、月の飾りの付いた杖を握りしめたスーニャが言葉を絞り出す。よっぽど怖いらしい。


「でもいいのか。聖水って普通気軽にはもらえないだろ」


 視線をスーニャの手元に注いでカップを揺らし、エイナルが眉を少しだけ跳ね上げる。

 重装備でないとは言え鎧姿の彼がちょこんと座り込んでお茶を啜る様は平和ではあるが何処か間違っている気がしなくもない。

 気軽。

 エイナルの指摘にはっと考え込む。納得ではなく今まで暮らしていた所を思い返して。

 教会では結構軽い感じで聖水は配布されているが、作成に手間が多少なりとも掛かる品物だいくら悪魔祓いを行う教会でも普通は配るのに難色を示すのだろう。

 ならオーブリー神父が主を務めるパスタム教会はかなり珍しい場所なのか。私が来たからではなく元からそういう体質の場所らしく聖水を持って帰る人は多い。渡すんではなく籠に詰められて置かれた瓶を考えれば配布形態は当たり前になっているとも言える。

 考えを散らす為に首をほんの少し左右に揺らし。


「お礼のついでですよ。感謝はしていますから。それに」

「それに?」


 曖昧な返答にピンク帽子が傾いてぶら下がった水晶の飾りが澄んだ音を立てる。


「渡しておいた方がいい気がしたんです。何となく」


 しばしの重い沈黙を挟み、杖を揺らしていたスーニャが威嚇する猫のように髪を逆立てた。


「それどういう意味よ。なんか含んでない!?」


 前のめりに問いつめられ、思わず後退りそうになるが、吸血鬼一族ヴァンピリームの末裔としての威厳を保つ為なんとか踏みとどまる。


「いえ、他意はありません。何となく渡したくなったんです」


 他意は無いと言えば無いし、あると言えばある。善意はあっても悪気はない。

 騒がしい三人を観察していたら、助けられた感謝も後押しして聖水を渡す選択を躊躇いなく鷲掴んでしまった。

 理由があるとすればそれだけだ。


「私達が悪魔と出会う可能性があるということでしょうか」


 シリルと和やかに話していたセザルが即座に真顔になり鋭く見つめてくるが、曖昧に笑って肩をすくめた。


「さあ。皆さんの行動次第じゃないでしょうか」


 とはいったものの薄くではあるが予感がある。

 明日か明後日か、それとも一年、十年後か。彼女達は悪魔に出会うだろう。

 好奇心に頭どころか体から突っ込むスーニャを見ていたらそう遠い日の話では無い気がする。


 当たってほしくない予感だが、厄介事も漏れなくこちらに届けてきそうな気がする。

 事件に問題、大騒ぎ。そんなもの全て力の限りご遠慮願いたいが、来るのならば悪魔の事であってほしい。

 外を黒衣で覆った見た目聖女だとしても出来ることは限られている。現実問題何とかできそうなのは悪魔のみ。

 間違ってもドラゴンなんかは連れてこないでほしい。一秒保たずに即死できる自信がある。

 悪魔なら殲滅目標でもある事だ。何十匹でも相手にしよう。


 何千匹単位は流石に困るけど。


 それに、私と別れたすぐ後に悪魔に襲われたりするのも寝覚めが悪い。安眠のために聖水くらいは持ってもらおう。

 シリルがなにやら言いたそうだが、ここは譲らない。数時間後にお説教の雨が降っても断固として渡す。

 言葉にはしなかったが謝礼は聖水コレ込みなのだ。いったん決めた言葉を取り消す気はない。

 決意と共に置いていたカップを持ち上げ、こくりと飲下する。

 持て余し気味な聖水がスーニャの掌で転がされていた。


「聖水かー。コレが聖水かぁ。うーん、普通の水とどう違うんだろ」


 見た目は力のないただの水に目を凝らし、スーニャが唸る。一般的ではないものだから戸惑っているらしい。

 彼女は割れないように優しく地面に瓶を置き腕組みして再度眺め。


「はっ、てことは魔物も寄せ付けないのかしら!?」


 名案とばかりにこちらを見つめてくる。

 え、魔物。

 虚を突かれ、固まり掛けた思考を何とか動かす。

 魔物か。教会周辺には影も形もなくて平和な日々だったから思いつきもしなかった。

 よく考えれば森での山菜摘みやキノコ狩りの最中襲われたりする可能性もあったのでは無かろうか。

 いや、だとしたらやさぐれている見た目より過保護なオーブリー神父やボドウィンが止めるはずだ。

 ぞっとしない想像が神父とシスターの存在で振り払われ、ホッとする。


「ううん、試したことがありませんから。一般的な聖水はそんな効能が?」


 自分の手では魔物を倒せないのに聖水なら滅せるとかだったら様々な意味でアオは渡す力を間違っている。


「ものによっては魔除けになるって聞くわよ。相手に見つかってないこと前提だけど。試しで使うのは危なすぎるわよね」


 魔除けかあ、出来るのならば便利だが微妙に使いにくい効能に眉を寄せる。使った時もし効果が現れなければ笑えない事態になること請け合いである。


 散布し、安心しているところに悠々と真正面から魔物がご登場。うん、危険だ。


 聖水の隠れた使い道は興味深いが、それはそれとして魔除けに使うのは別の理由で止めておく。


「たとえ効いたとしてもお勧めはしませんよ」

「なんで?」


 覆面の口元を指で押さえ、告げたら不思議そうに大きな瞳が瞬いた。


「魔物はともかく正位辺りにまともに効く聖水を使い潰すのはもったいないかと」


 スーニャ達なら少々の魔物程度は倒せそうだが悪魔は無理だろう。雑魚に聖水をばらまいて後から来た悪魔に狩られでもしたら笑うに笑えない。


「あ。それもそうね。……もしかしてこれムチャ強い聖水な訳!?」


 呑気にぽん、と手を打った後、指先の聖水を再度確認して慌て始める。


「言いませんでした? 使い道によっては中位との接触も避けられるかもしれませんね」


 可能性は低そうですけど、と前置きして告げたら口を開いたスーニャが握りしめた瓶を見直して肺から空気が抜けたようなうめきをあげた。


「そういえば即決で大枚はたけるくらいは稼いでたっけ」

「悪魔に遭うのが前提というのは思うところもありますが、スーニャありがたく頂きましょう」


 聖水(強)と不気味なほどに自信を持った口ぶりの私を交互に視界に収め、困惑の表情を隠さずにセザルがスーニャに視線を送る。

 貰えるものは貰う性格らしい。


「そうね、対策が立てようもない奴らだしこういうのは助かるわ」


 釈然としない顔で溜息を飲み込み、同じく貰えるものは有効利用のスーニャが首を縦に振って納得したようだった。


 何か物言いたげな空気が肌を刺すが、丸く収まった事にして空になったカップをゆっくりと揺らした。

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