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97:天使の微笑み

「んーっ。良い朝ね」


 がたがたと音を立てる車体から顔を出し、ピンクの帽子を被った少女が大きく伸びをする。


「ええ。揺れてなければ」

「はい、揺れてなければ」


 思わず素直な感想が口から零れる。意識せずの言葉は隣にいるシリルの台詞と重なった。


「そこの二人、暗いわねぇ」


 ご機嫌なスーニャと対照的に私達は隅で固まっている。

 口元を押さえているのは変声の為だが、今回はそればかりではない。

 酔いそう。正規の道でないのがたたりガッタガッタと車輪が跳ねる。そのたびに身体と共に胃が浮く。

 馬車なんて、馬車なんて嫌いだ。うう、悪魔を見た時より泣きそう。


「うー、響く」


 朝からボロボロになった(理由は言うまい)エイナルが奥歯を噛んで左腕を押さえている。

 ボロ雑巾みたいに見えるのは身体を痛めているだけではなく、スーニャの優しさの一部によるものだが。


「うえ。しかも絡まってくる、セザルもちっと静かに移動できないのかよ」


 両腕にまとわりつくヘビのような布を見て彼が顔をしかめる。


「これでもかなり遅くしてます。これ以上減速すると後退しますよ」


 御者代わりに馬を操るセザルから深い溜息。

 確かに傾斜になっているから、止まればずり下がってしまう。

 現在目一杯遅いって事はその分到着が遅れる訳で。体調の事は考えず飛ばして貰った方が地獄が短くて済むかも知れない。

 しかし、あんまり揺れると吐きそうだし。難しいところだ。つらつらとそんな事を考えてエイナルを見る。


「……動きにくくないですか」


 聞くまでもないが一応尋ねる。


「それ以前の問題だ」


 犬歯を剥き出しての返答。まあ、誰だって両腕が布で絡まり半拘束状態になれば唸りもする。

 しかも馬車内でゴロゴロ転がってあちこちぶつけているから機嫌も斜めに落ちようと言うものだ。


「なによー。折角巻いてあげた包帯気に入らないの。エイちー」

「誰が気に入るか!」


 夜中に見れば中途半端なミイラ男と見間違えるであろうエイナルが呻く。


「せめて巻き直してあげたほうが良いんじゃないですか」

「ええー。めんどくさーい。細かい作業って苦手なのよね」


 肩に手を置いて首をこきこきと鳴らし、スーニャが欠伸を漏らした。私も大概不器用だがスーニャの不器用さもなかなか侮れない。

 問答無用で手当てすると告げたから上手いのかと思いきや、寝起きにしても荒っぽい手つきでぐるぐる巻きにされたエイナルは捕虜のような姿になってしまった。


「私で良ければ巻き直しますよ。上手くはありませんが」


 ちょっと可哀想だし、気分が紛れるかも知れない。


「う、その優しさが不気味だ、が。背に腹は替えられないか」


 なんだか失礼な事を言っている。更に締め直してやろうか。

 はみ出ている布を持つと殺気を感じ取ったか彼の身体がビクリと揺れる。


「いや、頼む。出来れば優しく!」

「まあ、良いですけど」


 私の髪よりは面倒が少ないだろう包帯を解いていく。結構分厚く巻かれていて、まるで重傷人の様だ。


「僕も。いえ、僕がやりますから」


 慌てたように近寄ってくるシリルに首を振り、


「え、っと。酔い覚ましにやりたいので。じゃあ、シリルは反対側お願いします」


 『一人でも平気』では引かないだろうと思い直して反対を示す。


「はい」


 細い指先でしゅるりと簡単に包帯を解いていく。むむ、器用だなぁ。


「結構絡まってしまっていますね」


 と言いつつも、手元の布をあっさり元の形に戻してしまう。


「うう、助かった」


 拘束から解放されたエイナルがげんなりと呻いた。強く捻られた左腕が青くなっている。

 腫れ上がったりもしていないので骨折では無さそうだ。

 凄い音がしていたけど折れてないなんて、頑丈な。

 剣士だから鍛え方が違うんだろうけど、エイナルが打たれ強いだけと言う線が捨てきれない。


「治療用の薬はありましたっけ」


 怪我を覗き込んで紫の瞳を見る。私を安心させる為か、シリルが柔らかく相好を崩す。


「ええ、大丈夫です。傷薬程度なら馬車に常備してありますし……傷口を見せて下さい」

「おう」


 何時の間に場所を把握していたのか、近くの棚から青い小瓶を取り出し傷を見比べる。

その壁、隠し戸棚だったんだ。知らなかった。というか良く見つけられたなシリル。


「この位なら何とかなりますね。まあ、素人見解ですけど」


 小さく安堵の息を吐き出して丁寧に薬を塗りつけ、包帯を巻き付ける。

 かなり手際が良い。こちらには手伝わせないように素早く済ませていく。

 余り近寄って私の正体がばれても困るし、気を使ってくれているのかも知れない。

 怪我の手当てをする手首を眺め、エイナルが瞳を瞬く。


「お前男の癖に細いな。セザルより細っこいんじゃないか」 


 数拍ほどの沈黙と包帯が擦れる音。

 そして。


「……っでででで!?」


 無言のままシリルが力一杯包帯を締め上げた。表情が変わらないのが逆に怖い。

 あーあ。

 今のは痛い、絶対痛い。傷口にモロに当たっていた。


「済みません。手元が滑りました」


 しらっと平静そのものの顔で余った布を切り、縛り直す。

 シリル、時たまだけど容赦がない。今のは相手が悪いけど。

 放っておけば女扱いされそうだったし。


「おっ、お前」

「はい、完成です。傷は見た目よりは酷く無さそうですね」


 恨み言が相手の唇から漏れる前に床へ垂れ下がった包帯を丸めて整え、傷薬と一緒に棚に戻して笑顔を見せる。

 傷を手当てして貰った後に見ればまさに天使と言ったところだ。先程のやり取りがなければだが。


「あぁ、どうも……」


 毒気を多少抜かれ、エイナルが渋面になる。


「いえ、でも確かに酔い覚ましにはなりましたね。大分落ち着いたようですし。

 お茶でもお淹れしましょうか」


 こちらを見つめて微笑むシリルの顔色も良い。

 お茶。確かにティーセットはあるはずだけど、そんなのの場所分かるんだ。

 夜、カップを取りに行った時見つけたんだろうか。

 ん? 割れ物の類は全滅じゃなかったっけ。いやけど、陶器に入った薬は無事だし。


「きゃー。欲しい欲しいっ。シー君のお茶飲むっ」


 心の中で唸っていると大きく手を振りスーニャが声を張り上げる。


「え、ええ。そうですね。大分進みましたし」


 考えを止め、頷く。ティータイムは大好きなので断る理由もない。


「あ、けど。余り上手くないですけれど」


 自覚がないのか謙遜しているのか恥ずかしそうにシリルが俯く。

 シスターセルマに習い茶葉ごとの適温、注ぎ方、私の好きなブレンドの配合まで覚えておいてその台詞とはある意味恐ろしい。


「シリルのお茶、好きですから問題ありません」

「え、っと。ここの茶葉はどんなのかちょっと見てみますね」


 迷わず告げると困惑したような表情でますます赤くなって誤魔化すように棚を探り始めた。

 自分の器用さにやはり自覚がないようだ。羨ましい。 


「水でしたらこの先に泉がありますからそれを使いましょう。休憩に良いですよ」


 泉。

 ふと昨夜の会話が脳裏に浮かぶ。馬に水を飲ませると泉に発った御者。

 彼が向かったのはセザルが言った場所の事だろうか。

 あれだけの事が起こった後だ。そのまま泉に留まるわけもないから考えるだけ無駄なんだろうけど。

 横から崩れた瓦礫を踏みつけるような音がして首を向ける。

 「こっちは、違った」とシリルが棚を開いたり閉じたりしている。

 扉の隙間からパラパラと砂塵のような陶磁器の欠片が零れる。やはり大半のカップは車体が横倒しになった衝撃で目も当てられない惨状になったらしい。


 シリル、どうやって注ぐんですか。


 そっと疑念の視線を向けたら、にっこりと笑顔が返ってきた。いや、答えになってません。

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