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96:晴れやかな夜明け

 闇の中葉擦れの優しい囁きが聞こえる。薄い光が頬を撫でる。

 

 なんだか、あたたかい。

 

 身体がゆっくりと左右に揺れ、気持ちが良い。ずっとこのままで居たいほどに。

 少しだけ強く肩に力が加わって顔を微かにしかめる。

 もうちょっと、と抵抗する意識が揺らされるたびに引きずり出されていく。


「あの、起きて下さい」

「ん……。んん?」


 焦ったような上擦り気味の声で重たい目蓋を持ち上げた。


「あれ、私。寝て、ました」


 霞む目を擦ろうとのろのろ顔に寄せた手はフリル状の黒いマントに覆われている。

 寝間着、じゃない。

 そこで一気に意識が覚醒する。そうだ、今は外で、野営の最中だった。

 馬車に五人入らなくもないけれど、恐らくすし詰めになるであろう事と、体格がばれる可能性も考慮して外でたき火を囲んで交代に見張りを立て休んでいた。

 スーニャは『ヤダヤダ、馬車の中で寝るの~っ』とぷんすか怒っていたけど。

 いつ意識が途切れたか分からないが、かなり深く眠っていたようだ。


「ええ。起こして済みません」


 意外に近くで潜めた言葉が聞こえ、飛び上がりそうになる。何となくだが左肩が温かい。

 左肩というか左側が。恐る恐るそちらを見ると、困ったような顔をうっすらと朱に染めてシリルが俯き気味に座り込んでいる。

 うっかりシリルに寄りかかったまま眠りこけたらしい。

 焦っていたのはこのためか。


「い、いえ。こちらこそ御免なさい」


 悲鳴を上げて一気に飛び退くのもそれはそれで失礼なので慎重に身体を外していく。

 謝るこちらをみて赤くなったままシリルが頭を勢いよく横に振る。

 目蓋にちくりと光が差す。長い夜は過ぎて朝日が顔を覗かせていた。

 暗幕は取り払われ、新しい日の始まりだ。


 


 座り込んだまま辺りを見回す。冷たい朝の空気が肌に凍みる。

 スーニャは毛布にくるまったまま気持ちよさそうに眠っており、セザルも馬車に寄りかかってこくりこくりと船を漕いでいる。

 エイナルに至っては大の字になって眠って――いやちょっと待て。

 目だけを動かしもう一度確認。シリルは私の隣、スーニャ、セザル、エイナルご就寝。


 見張りはどうした。


 幾ら火を焚いていたとしても不用心すぎる。

 シリルは起きて居るみたいだけど私が寄りかかっていたら上手く動けないだろうし。

 目前にあるたき火に何気なく視線を移し、愕然となる。

 煌々と燃えていた赤い光が今はない。

 燻った煙も見えず、随分前に灯火が消えてしまっていた事を語る。 

 火の番も居ないって不味くないか。シリルが横で小さく息をついて起きあがり、


「ごめんなさい。僕も少し眠ってしまっていて」


 申し訳なさそうに言葉を紡いで手近にあった薪を取り、手際よく着火の準備をしていく。

 用心深いシリルがうたた寝をしたという事は眠る直前までは見張りが居たって事なんだろう。

 スーニャはもう色々諦めがつくけれど、せめてエイナルは起きていろ。 


「すぐに火をつけますから。もう少し我慢して下さい」


 言うと、一旦手を止めて肩に毛布を掛けてくれた。


「ありがとうございます。マントもあるから平気ですよ」


 ちょっと寒いのは認めるけど、彼の方が気になる。

 身につけているのはアオに着せられた新緑色の法衣。似合いはするが、大きめの袖口から風が入り込んで寒そうだ。

 生地も上質だがその分厚みが無く寒波に弱そうでもある。

 教会で着ていた僧服の方が防寒性もありそうだ。というより似合っていたので私的にはちょっと寂しい。

 予備の服がないシリルはオーブリー神父のお古を着せられていたが、これがまあ現職の二人より似合う事似合う事。

 「でも、僕は神父でもありませんし」と何時まで経っても慣れていなかったものの、背後からそれじゃぁとばかりにマーユとセルマからシスターの服を突きつけられた時は全速力で逃げていた。

 ちなみに私は面白そうだったので静観した。後で思い切り視線で責められたけど。

 二人から追い回された事に懲りたのか、最近は大人しく僧服を身につけている。が、外出時は絶対に着替えてしまう。

 理由はやっぱり“服で誤解されるから”。不良神父が二人居る時点で今更な気もする。

 周囲にも高評価なので強引に進めてみたが、にっこりと『貴女の隣にいたら浮きますから』なんて告げられては私もうめくしかない。

 確かに吸血鬼一族ヴァンピリームの横に僧服は浮くかも。だが僧侶でも浮くと思う。

 こう考えるとシリルだけ服がないのがおかしい気がしてきた。そう言えば何でないんだっけ。

 むむ、やっぱり今度マーユ巻き込んでシリルの服を作ろう。そうしよう。良し決めた!


「シリルは寒くないですか」


 尋ねると彼は小さく首を横に振り、口を開く。返答に一瞬間を置いたのは私の思考の不穏さを本能的に感じ取った為だろうか。


「村は結構冷えましたから、この程度でしたら問題はありません。

 けど、朝露に濡れると風邪を引きますから、すぐに火を起こさないと」


 言われて左手で右腕を握る。湿ったマントに冷気が掛かり、確かに芯から冷える気がする。

 服を脱ぐわけにも行かないから余計そう感じるのかも知れない。


「身体を温めたら少し何か口に入れて、ここから発ちましょう」


 空を見上げ、車体を見る。馬は機嫌良さそうに尻尾を揺らし好調のようだ。

 近くに狼の屍があると言う事実の一点だけでもここから離れたい。死体に多少免疫が付いていても、気持ちの良いものではない。


「御者の方、無事だと良いですね。あっ、と」


 心配そうに森を見、言う手元でぼっ、と勢いよく炎が上がる。

 火種を急いでいつの間にか組んでおいたらしい薪に入れ、息を吹き込む。

 そう経たずパチパチと聞き慣れてきた炎が弾ける音。


「なんだか慣れちゃいましたね、火を付けるの」


 木を舐め、飲み込む紅の舌を見つめながら感心する。


「そうだと良いんですけど」


 褒めたつもりなのに苦笑混じりに肩をすくめられてしまった。

 シリルは自分を過小評価しすぎる。もう少し自信を持っても良いと思うのだけど。

 慎ましやかなのは美徳でもあるが、萎縮して何も出来ないのも問題だ。


「ふあぁぁ。おはよー。

 んー、お腹減った~朝ご飯食べたい」


 控え目さを注意するまいかしないか悩んでいたら、がばぁっとスーニャが勢いよく起きあがりざまに叫ぶ。同時に彼女のお腹の虫が鳴く。

 人間元気が一番だ。手近においてあった食料を探って馬車に視線を移す。

 塩辛い干し肉しかここにはない。

 ええと、確か。昨日御者に聞かされた非常食を思い出す。

 携帯食料程度ならあるんだったかな。

 あんまり美味しくはないらしいけど栄養は取れると聞いた。

 基本的に貴族が乗る馬車みたいだから不味いと言ってもそれなりに味が調えられているはずだ。


「馬車の中に携帯食料がありますけど。それで宜しければ」


 空腹に顔をしかめるスーニャに声を掛ける。

 まあ、宜しくなかろうがそれしかないんだけれど。


「んー。お腹が膨れるなら何でも良いわよぉ。セザルーいつから覆面するようになったの~?」


 ショボショボした目に涙をうっすら浮かべ、彼女が問いかけてくる。

 まだ寝ぼけているらしい。

 そのうち、セザル、女になったの? とか聞いてこないだろうか。


「みずー」


 眠気覚ましに近くにおいてあったカップを取り、口に当て。静かになる。

 うんともすんとも言わない。しばらく眺めていると、安らかな規則正しい呼吸が。

 おい、その状態で寝てんのか。


「寝てる」


 寝ぼけるにしても器用な。口元にカップ当てたままだし。


「凄いですね」


 感心しきりのシリル。凄いけど、見習ってはいけない凄さだと思う。確実に人間の一部を捨てている。


「はっ。んもう、エイちー起きなさいよっ。また見張りサボってるでしょ」 


 二度寝から復活したスーニャは飛び跳ねるように立ち上がり、エイナルの傷がある方の腕に蹴りを入れる。

 予期せぬ激痛に悶絶するエイナル。

 寝ぼけて意識がぶれていそうだが、的確に傷を狙うとはわざとなのだろうか。

 それとも無意識。

 再度の渾身の蹴りで断末魔じみた絶叫が森に響いた。

 朝から騒がしい事である。

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