95:手出し無用
闇深く梢のざわめきが聞こえる森の中。馬車の後ろ――つまりスーニャ達の目の届かない場所まで来て胸をなで下ろす。
「居ませんね」
「大丈夫です」
念のため覆面を被ったまま小声で尋ねると、こくりと静かに返された。
幸か不幸か金の眼のおかげで闇を恐れる事も、不自由さも感じない。が、気配となると話は別。
シリルが気配を悟れるなんて訳はないが、二人で見張れば多少なりとも隙は減る。
うん、よし。大丈夫だ。
悪魔祓い自体、時間が掛かる事はそうそう無い。
この間ユハ達に憑いていたのが特殊だっただけだ。
正悪魔に近いならいざ知らず、下級悪魔なら指先一つで消し飛ぶ。
そこで思考を止める。簡単に消えるけど良いのか。
コレ封印するのにシリルは凄く苦労したのだし。
傷つけないように手加減してジワジワ削ったほうが良いんだろうか。
やられるほうはかなり苦しむだろうが悪魔の痛覚はどうでも良い、問題はシリルの精神的な傷が出来るか否かだ。
うう、だけど無意識で奴らを弾き散らす私に手加減なんて高等手段が可能なのか。
「はい」
煮えそうになる頭を掻きむしりそうになったところで穏やかな笑みを付けて渡され、反射的に受け取る。
「え、はい?」
返答とほぼ同時に浅い破裂音が手元で起こった。
酷く軽い音。水溜まりに砂利を一粒投げ込んだかのような寂しさがある。
視線を落とすと合図を受けたかのようにひらりと役目を果たした紙切れが地に落ちた。
恐る恐る視線をずらす。簡素な木の箱が掌に収まっていた。
「これで終わりですね」
ふわりと微笑むシリル。凍る身体。
や、やってしまった!
うっかり受け取ったあげくあっさり消してしまった。私の間抜けーーー。
時間を掛けて消し潰せば良かった。だけど気が付いたら消えていたし。うう。
せめて、せめて渡される前に気が付くべきだった。
無意識下で悪魔殲滅するこの体質が少し憎い。ジワジワいたぶってからとどめを刺すつもりだったのに!
苦悩する私とは対照的にシリルは酷くご機嫌だ。
「皆さん待ってますよ。行きましょう」
「え。ええ」
大幅な衝撃を与えたかと思っていたが、杞憂だったらしい。
何でだろ。考え込みながら地面に落ちた札を苦戦しながら取り上げる。
辺りに水溜まりもないから滲みはなく、泥も付いていない。これなら大丈夫か。
紙面に書かれた文字が欠けていない事も確認。軽く振ってから元の場所にしまう。
オーブリー神父曰く。破いたり汚したりしなきゃ使えるぞ。との事。
慈悲深い神さんに感謝だ、と酒を喉に流し込みながら教えてくれた。
神への信仰は皆無に近いが、あなたが神父だと考えると本当にしみじみ懐の深い神だと思いますオーブリー神父。
悪魔を祓う力もくれるし。
ただし幾ら心が広い神様でも文字が欠けた札は悪魔を封じるには効きが薄いらしい。
一応封印札を貰っては来たが、奴らを弾き散らす私に封印は向いていない。
シリルへ自衛手段を身につけさせる為の品なのだ。多めに受け取ってきた札を探り心で息を吐く。
時期を逃した。
さて、何時渡そうか。
小物移動の後は傾いた私達の馬車を元の位置に戻す作業。
一応運び出した品々は外にあるけれど、順番、逆じゃないのか?
特に雨が降る様子もないし、誰一人異議を唱えないから良いんだろうけど。
再び外でたき火を眺めながらぼーっとする。新しい馬車に移動するまでの軽い休憩だ。
「にしても焦った~。まっさかウチに悪魔が居るなんて」
「災難でしたね」
焦ったを通り越して錯乱していたスーニャはふくれっ面で杖を弄っている。
ちり、と耳慣れはじめた帽子の飾りがぶつかり合う音。
「災難も災難よ。なんでウチの馬車にあんなの入ってたんだろ。
悪魔って無差別で入る訳じゃないんでしょ」
「そう、ですね。特別な事情や何かしらの縁がない限り行動の出来やすい、貴族辺りが狙われます。
後は怨念、負の感情が入り乱れた場所とかですね。
罠の形態なら、人が手に取りやすい都心に潜むと思います」
スーニャの問いに想像を巡らせる。無差別に何処にでも潜む悪魔。
悪魔の生態を多少なりとも知ってるが故に想像は簡単に現実味を持って答えを紡ぐ。
罠の形態で他人から他人へ移されるとして。
血の海。スプラッタ。ゴーストタウン。
ろくな事にならない。人類存亡の危機だ。貴族や王族どころの話ではない。
こういっては何だが、罠を模す悪魔が少ない方で良かったと思う。
あんなのがゴロゴロ居たらゆっくりお茶も飲めやしない。
茶葉の缶を開けば悪魔が、本を開いたら悪魔が。実はベッドも悪魔が。
んなことになったら目障りこの上ない。多分切れて手当たり次第にあちこち吹き飛ばしている。
「だよねぇ。二人が居なかったらどうなってた事か、うう」
呑気に結論を導いている耳に上擦り気味のスーニャの声が滑り込む。
「とはいえおかしいのは確かですね。あの状態の悪魔は自力で移動はしないはず。
誰かが運んでこない限り荷には紛れないのですが」
悪魔とお付き合いが長くても、小箱や本が自力移動する等という奇妙な光景を見る事はない。
それはそれで気になるからちょっと見てみたいけれど。
奴らは下級でもそれなりの知能を持っている。幾ら魔法がある世界でも小物入れが歩き回る事はないと分かっているらしい。
罠の形態と言えば聞こえは良いけれど、開く前にばれれば袋の鼠でもあるし。さっきみたいに上からばしっと封印札を貼れば終わりだ。
「ってことは、犯人は仲間内にいるのね!」
「犯人。まあ、そうですね」
運び入れた人物が犯人と言えば犯人だろうけど。大体は知らずに持ってくるので被害者とも言う。
スーニャの怒りを見る限り話したところで聞いてくれなさそうだ。
「ドコの間抜けよ。ついでに言うけどあたしはもっとカワイイのしか買わないから!」
「そうですね」
拳を震わせなくても分かっている。スーニャなら簡素な木の箱では満足しないだろう。
何があってもド派手なピンクで、前衛的なのか斬新なのか分からない色んな意味で凄い飾りが付いていないと手に取りもしないだろう。
悪魔がそんな目立つシロモノに潜む事は無さそうだから、安全と言えば安全だけど。
僅かに夜露で湿った落ち葉を踏み、たったったとシリルが駆け寄ってくる。
「車体が起きましたよ」
荒い息を吐き出しながら健気に言葉を絞り出す。指先で地面を示すと素直に腰を下ろす。
スーニャに開いて貰って先に注いでおいた水をシリルに渡した。
「どうぞ。お疲れ様です」
「え、あ。いえ……い、頂きます」
目の前の飲みものに僅かに逡巡したが、労働で喉が渇いていたのか恐々と木のカップを両手で受け止めた。
「美味しいです」
一口含み、にっこり笑う。癒されるなぁ。
「いいわねー。エイちーなんて答えもせずに飲むのよ。感謝の気持ちが足りないわよね」
「ひ、人それぞれだとは思います、けれど」
感謝しないのは良くないとは思います。聞こえるか聞こえないかの声で続きを漏らす。
思うに、シリルはともかくエイナルが微笑んでお礼すると不気味じゃなかろうか。
本人には言えない事を考えてみる。
「っあー疲れた。意外に重いなアレ」
「へとへとです」
シリルの後に続くように二人が歩み寄ってくる。噂をすれば何とやら。
大きく伸びをして、セザルが水を飲み始める。やはりあの細腕ではキツイ仕事だったか。
「荷物はこれだけだな。あれ、荷物足り無くないか」
指で示しながら自分の品を確認しているらしいエイナルが首を傾げて不満げになる。
「足りてるわよ。全部確認したし。エイちーの勘違いでしょ」
「足りないモンは足りない。管理不行き届きだろ」
エイナルとスーニャの言葉が正面からぶつかり合い、火花を散らす。
足りない、の一言で反射的にシリルと視線が噛み合った。
今のところ馬車から明らかに消失したのは「不気味だから」との理由で持たされた箱一つ。
まさか。まさか、ねぇ。
数拍先の未来が血に染まりそうな嫌な予感。
「だったら何が足りてないのかはっきり言ってもらいましょうか」
責任を突きつけられた少女は腰に手を当て、剣呑な眼差しで唸る。
「こないだ露店で買った木で出来た小物入れ。小さいヤツな」
エイナルの素直な一言で場に沈黙が一滴。
あちゃー。心でこめかみに指を押し当てる。
嫌な予想大当たり。というか、先程のドタバタは真面目に記憶から消し去っているらしい。
「あ、あ、あ、アンタかーーーー!」
気を取り戻したスーニャが、みしりと音がしそうな程に桃色の杖を握りしめ、喉奥で唸る。
「なんの話だ」
「すっとぼけるな筋肉脳みそっ」
脳天気な返答に少女の怒りの鉄槌が繰り出される。剣士にしてはあっさりと頭上からの振り下ろしで地に沈む。
地面に型が少し付いた。怒りも加わり威力倍増だ。
「何でなぐ」
「何でもクソも悪魔持ち込んだ本人がさっきの騒動見てないとか更に腹立つ!」
次は身体を薙ぐと見せかけ、顎から頭上に向かって振り上げる。エイナルの舌が心配だ。
動きにくそうな服で鮮やかな杖捌きを見せるピンク色の魔法使い。翻弄され続ける剣士。
強いなスーニャ。実は魔法じゃなく武力が一番じゃないのか。そう尋ねたくなるキレの良さだ。
「え」
エイナルが呆然と口を押さえ硬直した所で容赦のない蹴りが入った。
倒れ込みざま身体に馬乗りになり、体重で押さえつけて腕を逆に反り返らせはじめる。
「い、いででででで」
「まあ、スーニャ。落ち着いて」
ぱたぱたと片手を動かし過激な制裁を制止する。
「止めないで。この馬鹿に身体で教え込むんだから」
地面に杖を突き刺し、獰猛な獣を彷彿とさせる声が返る。
セザルは眺めているだけで止めない。魂が少し飛んでいるようだ。
「止めませんよ。折るならせめて、利き手以外の場所を。あと、戦える位は手加減しないと後で大変ですよ」
「と、止めろーーー」
あれだけ私の事を嫌っていたのに助けを期待したらしい。人間とは現金なものである。
「なるほど。お仕置き後も使い潰さないとね。冴えてるマナ!」
「いえいえ」
シリルはおろおろと私達を見ていたが原因が原因なので強く言えないようだった。
どっちが悪魔だ、と叫んでいた悲鳴が絶叫に代わり。
余り聞いた事のない鈍い音が辺りに響いた。
後でもう一名加わった気もするけれど、私とシリルはのんびりとお水を飲んでたき火の炎を眺めていた。
パーティのもめ事はパーティに任せるのが一番。あ、骨イったかな。
カラカラと軽い音を立てる小箱をマントから取り出して指でなぞった。入っているのは安物の飾り位で、中の品に価値は余り無い。
持ち主に返せるのはもうちょっと後になりそうだ。