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94:小さな盾

 握っている札を確認し、今度はゆっくりと悪魔を警戒させないように緊張を殺しながらシリルは箱に近寄っていく。

 それで良い。やはりさっきのは無意識下での行動だったか。

 相手が魔物なら気配を殺す、なんて事が必要なんだろうけれど元市民の私やシリルには無理な相談。

 シリルは剣術をやり始め、飲み込みが良いと言っても半年も経っていないので気配を消せる訳もない。

 警戒を悟らせないように獲物の振りをして近寄るのが確実だ。

 しばし箱の前で止まり、覚悟を決めたか紙の擦れる音が立たないよう、静かに一枚蓋の上に乗せる。


「アレなの?」


 不思議そうにスーニャが首を傾げる。

 掌に載せられるほどの大きさで飾り気のない木製の箱。

 傍目には小物を入れるだけの品に見える。

 見た目も高級品とはかけ離れていた。が、確実に悪魔の気配が漏れている。

 口元に手を当て、沈黙のポーズをとると彼女が慌てて口を噤む。

 空気の変動はない。悪魔はもう自分が見つかっているとは露とも思っていないから大丈夫だろうけど、念には念をだ。

 一方、シリルはと言うとそろりと横目で伺ってくる。言いたい事は何となくだが伝わる。

 この方法で本当に良いんですか? と言ったところだろう。私だってオーブリー神父に聞いたのだから気持ちは分かる。

 でも、何度聞いても方法はそれだったのだから仕方ない。

 札を付けて、念を込める。不安しか募らないほどに簡単な工程。

 指で指し示す動きをして、躊躇うなと合図を出す。

 薄く唇を噛み、少し泣きそうな顔でシリルが札を押さえた。

 それだけだった。ほんの単調な動作。

 だが、異変は顕著だった。刹那箱がカタリと動きを見せた。


「う」


 見かけとは違い激しい抵抗だったのか、触れた掌が勢いよく跳ね上がり掛け、シリルが懸命に細い指先で押さえ込む。

 念を込めているのだろう、眉間に皺が寄っている。


「う……く」


 全体重を掛ける勢いで押し込んでいるのに札が爪先ほどの隙間を空けた場所で留まっていた。


「な、なにこれ!?」


 札が空中停止するという異常現象を直視し、眼球が零れ落ちそうなほどに目を見開き、驚くスーニャ。

 騒音には目もくれず。いや、そんな余裕もなく封印は続いていく。


「ううう、く。封じ、ないと」


 インプより少し上の下級悪魔だと侮っていたが、シリルには厳しい敵か。

 現に彼の腕は震え、額から脂汗が滲んでいる。

 実戦は早急すぎたか。

 明日は馬車で移動だ。余りシリルの体力を消耗させるわけにも行かない。ここは私が触れた方が手っ取り早いか、と考える耳に。


「ぜったい、負けない」


 微かなのに心に刺さる呟きが聞こえた。

 もう一度考える。ここで割り込むのも、力が足りないと止めるのも簡単。

 だけどそれは、シリルの心に傷を残さないだろうか。私は女だから気にしないが、男のプライドってモンを傷つけやしないだろうか。

 危険な事を咎める時に紡がれた煙草ボドクをくわえながらのボドウィンの台詞が蘇る。


『男はな、嬢ちゃんには分からねぇ面倒なモンみんな背負しょってるんだよ』


 無精髭を撫でつけながらの苦笑いと愉悦の混じった笑みが網膜に焼き付いている。

 ――男のプライド。威信。名誉。

 必要とあればナイフの教えを請うほどの大切なそれを軽く無視して良いとも思えない。

 ここは彼を立てよう。このままも心配だから、ほんの少し。ほんの少しだけ、私は背を押す。

 

 姫巫女。聖女。神の寵愛を受けし乙女。

 

 大嫌いな単語達。恐らくこれからも好きである事はないだろう。

 でも、アオの言う通り私はきっとそんな類の者で。

 悪魔に対しての鉄壁の盾……要塞となる。

 この姿と能力をひけらかすような真似はしたくないが、ちょっと位は良いだろう。

 他ならぬシリルの為なら。強引な手法を選んだ私も悪いのだし。

 無造作に一歩踏み出すだけで辺りが揺らめく。

 足を伸ばし、進んだ。一動作で箱に潜む悪魔が怯み、抵抗が緩慢になった。

 見事な嫌われぶりに姫とか巫女の名が頭や背中に重くのし掛かる。

 聖女の肩書きなんて蹴り飛ばす。巫女なんて願い下げ。

 寵愛も貰ってない、アレは狂愛だ。歪んだ気持ちだ。悪魔神の愛なんていらん!


 でも現実は私を姫巫女だと告げている。


 悪魔の衰弱で、一瞬咎めるような視線がシリルから突き刺さったが、素知らぬふりでまた近寄る。

 二歩、三歩。静かな歩みはヤツにとって死神の鎌が振り下ろされる前触れ。

 伺うように体を揺らせば、発された悪意が散らされて塵になる。

 まるで消えかけの炎みたいだ。指を向ければ瀕死になるに違いない。それどころか消えるかも。

 けれど今回はここで勘弁しよう。


「あのっ」


 スミレ色の双眸が必死に何かを訴えている事でもあるし。


「どうぞ、封印を続けて下さい」


 そんなに怖い顔をしないで欲しい。水を差したのは悪かったけれど、ここで背を押すのは止めるのだから。

 引きつった頬をなだめながら出来る限り柔らかく言葉を紡ぐ。


「え、あ。はい」


 とどめを刺さない私が意外だったか、ぽかん、と間の抜けた顔をしていたが、慌てて大人しくなった蓋を押さえる。

 重傷を負った生き物は危険だと言うが、触れれば死亡寸前の悪魔に抵抗らしい抵抗が出来るはずもなくあっけなくお縄となる。

 破裂音はない。私が触れた時のような音が起こらなかった。代わりに何かを貫くような鈍い音がした。

 杭で砂の詰まった袋を打ち付けるような。それも思い切り金槌で。


「あ……出来た、みたいです」


 オーブリー神父が即座に私が行った行為が封印でなかったと言い切った理由を思い知る。

 確かに音が全然違う。重く鈍い、自分の身に降りかかって欲しくない嫌な残響がする。

 耳に残る音と同じようにヤツはあの薄い紙一枚に打ち付けられたんだろう。

 もっと離れてても良かったかな。私も案外心配性だ。


「出来たん、ですよね。封印、出来たんですよね」


 自分でやっておいて現実味がないのか、封印した箱をまじまじと見つめる。


「出来てますよ」


 糊も使っていないのにピタリと離れなくなっている紙を見つめる。

 やや悪魔の残り香がするものの、充満しかけていた気配は空気の入れ換えをする事もなく消えそうだ。

 害はないし、この程度の気配があれば悪魔祓いが見れば悪魔の程度も分かるだろう。

 実戦と試験が終わった事を実感して、ほうとシリルが安堵の息を吐き私を真っ直ぐ見つめてくる。


「これでお手伝いしても良いんですよね。お役に立てますよね」


 気迫のこもった問いに反射的に身を引きそうになる。

 悪魔以外でなら、と言いたいのに言いにくい空気だ。


「ええ、と」


 この場合なんて言えばいいか、そこまでは考えていなかった。

 まさか答えを期待されるとは想定してなかったし。私もまだまだ見通しが甘い。


「駄目ですか。付いて行くには、やっぱり足りませんよね」


 答えに詰まったのを見て萎んでいく言葉。項垂れる動きに合わせて彼の髪がさらりと揺れる。

 足りるとか足りないじゃなくて、悪魔は私だけで充分な気もする。

 これ以上奴らへの槍や剣は必要ないと思う。

 なぶり、刺し、焼き。と今でさえ剣山が可愛く思える攻撃なのに。


「あ、悪魔以外で頑張って貰えたらな、と」


 今も後も喉元の刃は魔物と人間。悪魔殲滅の主な驚異は魔物なのでそっちに力を注いでくれると嬉しい。

 勝てとは言わない。負けないで時間稼ぎしてくれるだけで良い。

 二人だけで討伐なんてする事もないのだし。

 人間は、今は考えないでおく。何時か人を殺めろと頼む事も、自分が手に掛ける日も来るかも知れない。

 まだ時間はある。あれこれ悩んでも仕方のない事だ。人間に害を及ぼされる危険より、あのアホ神が手を回してくる可能性の方が高い。

 気にしてはいけない事だがスッと余計な事が脳裏を通り過ぎる。

 しばらく経ったら、私の身近にいて息を抜ける、気の休める存在は片手で収まるほどだろうか。それとももっと居るんだろうか。


 馬鹿馬鹿しい。私の考えるしばらく後は、きっと数十年か百年後だろうに。

 けれど、掠めるだけの思考は何時も少しだけ私の心を曇らせた。ちょっと憂鬱だ。

 どうにも明るい未来というか将来像が浮かばない。お子様姿の未来しか見つからない。アオの阿呆。


「そ、それも、頑張ります。悪魔も」


 心で神への憤りを含ませつつ考えている私を伺うよう、控え目に唇を開く。ちらちらとコチラを見ながらの可愛いしぐさで誤魔化されそうになる。

 シリル、悪魔は頑張らなくて良いから。

 無駄に色々背負おうとする彼を見て頭を抱えそうになった。

 私はフォローが凄く上手いというわけじゃない。彼の落ち込んだ気分が緩和しそうな台詞は一つしか思いつかない。


「合格じゃないですか。多分」


 私が聖女なら守護者マーシェの試験は合格だ。

 まあ取り敢えずは。これで許して貰えないだろうか。


「はい!」


 仮の聖女の守護者でも、彼には喜ばしい事だったらしい。

 

 

 一息ついたところでもう一度シリルに視線を寄せる。

 ずっと一緒に居れば慣れるのか、覆面越しでも気が付いたらしく問うよう首を傾ける。

 話しかける手間が省ける。

 思わず布の下にこにこしながら箱を示す。


「あ、そうだ。箱を持ってちょっと馬車の裏に行きましょう」

「は、はい?」


 意図が分からず目をぱちくりさせるシリル。


「ドコ行くの~?」


 封印が終わって安心したらしく、スーニャの呑気な声が響く。

 平和である。うん、平和は大事だ。誰にも見えない口元が微かに釣り上がる。


「ちょっと野暮用です。ですよねシリル」


 うっすらと細めた瞳が見えたはずがないのに、シリルの姿勢が正される。


「は、はい!」


 なぜに脅えますか。私はただ最初の野望の過程を踏んでいくだけ。



 勿論目的は忘れてない。悪魔殲滅は我が人生。

 一匹たりとも逃すものか。

 箱の中はさぞ狭かろう。もうすぐ空気を冥土の土産に持たせてやる。

 喉に入る暇があると良いけれど。

 悪魔や死神より慈悲のない事を考えて箱に閉じこめられた元狩人を見た。

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