92:箱入り住民
数呼吸。深く息を吐いたり吸ったりするのが見える。
何度も手の形を気にしながら指の組替えを行い、黙祷を捧げるように佇む。
たまに肩を揺らしたりはするが、それ以上の動きはない。
「ね、ねえ。シー君大丈夫なの?」
何気ない仕草なのに息を切らしながら辺りの気配を探っているシリルを流石に不審に――いや、いい加減聞きたくなったかスーニャが声を潜めて疑問を投げ掛けてきた。
「多分大丈夫です」
集中しすぎて目眩とか起こらなければ倒れたりはしない。
「多分て何よ。たぶんて」
投げ気味の答えはご不興を買ったらしい。
そうは言われても、私自身は探知にさほど苦労しないので彼の疲労の百分の一も分からない。
額から頬に流れる汗。ぎり、とシリルが奥歯を噛んだ音が聞こえる。
相当大変らしい。こんな光景を見せつけられると、改めて私は異色だと感じる。
悪魔の気配と特定に数拍も掛からない。指先一つで悪魔が滅す。中位悪魔すら言葉と意志のみで弾け飛ぶ。
シリルならすぐに覚えると思っていたけれど、想像以上に悪魔の探知は大変そうだった。
「ていうか何してんの。明らかに精神集中よね。儀式?」
「黙ってて下さい」
雑音にスミレ色の瞳が細められ、喉奥から低い呻きが漏れる。怖いです。凄く恐ろしいですシリル。
反射的にスーニャに向けられた剣呑な視線が掠めただけでも身が竦む。
不思議そうに尋ねていた少女の頬も引きつっている。
スーニャにしては小さな声だったが、彼の耳には大きく響いたらしい。
「まあ、なにか居たとしか」
集中を乱す訳にもいかず(怖いとも言うけど)仕方なく声の音量を何とか聞こえる程度まで押さえて答える。
「イタ?」
なんとなく説明しづらくて返答が曖昧になってしまった。
この世界では魔物より悪魔が恐怖の対象な上に、まともな事をしていれば普段はお目に掛かれない凶悪なヤツだ。
「付いていたというか」
えー、憑いてたというか。
寧ろ潜んで獲物を待ちかまえている状態というか。
薄く滲む程度の空気から察するに罠の形の悪魔なんだろうけど。
言葉に窮しているとシリルが目的の悪魔を探り当てたのが見えた。
彼が集中を解いて近寄っていく前に服の袖辺りに仕舞っておいたものを探る。
えーと、左手の側、腕……も無い。脇の下の裏ポケット、もない。
違う場所に入れたかな。
い、急がないと。あ、そうだ。動きにくいからマントの裏に仕舞っておいたんだった。
左の何番目に入れたっけ。
外見を覆い隠すと共に、機能性重視に作ってもらっているマントには留め金の付いた隠しポケットが沢山ある。
フリル状のマントの為かさばった事が分かりにくく、様々なものを隠し持つのが可能ではあるが、場所を忘れると大捜索になる。
右と裏は違ったはず、ごく浅い最近の記憶を探る。スーニャ達に見られないようにマントの裏で腕を動かす。
布に覆われた指先に紙が当たる感触。大きさと質量を慎重に確認する。
聖歌の切れ端ならまだ良いが、中位悪魔の手配書を堂々と出すわけにも行かない。
手配書が便利だからって近くに置かなければ良かった。手間取りながら自分に愚痴をこぼす。
何個かめのポケットに指を入れて確かめる。大きさ、形、合格。
よし、これだ。
抜き出した手に白い数枚の紙が揺れながら広がる。
ふ、と息を吐き出す。念のために貰っておいて良かった。
安堵の間もなく顔を上げた視界の隅でシリルが恐る恐る悪魔に近寄っていくのを捉える。
「待って下さい」
呼び止め、子供の足で出来うる限りの速度で走りより、がしっと背中から止めに掛かる。
体格差がある為に、背中から抱きしめ……もとい、腕で拘束しぶら下がる形になってしまった。
「う、うわっ!?」
体重はそれ程無いけれど、驚いたのだろうシリルの声が上擦って身体を仰け反らせる。
良かった、まだ手は箱に触れていない。が、私の身体は彼の動きに引きずられ、前のめりに倒れそうになる。
もういい、シリルが支えてくれると信じてそのままでいよう。体勢を整え直す事を早々に諦める。
甘えすぎだなぁ、ほんとに。頼り切りは良くないのだけど。
「うわー大胆!」
抱きついてぶら下がる私を見て、ピンク帽子を揺らしながらきゃらきゃら笑う少女。
呆然と眺めるセザルとエイナル。
「あ、ああああの」
予測しなかった衝撃と、スーニャの冷やかし声にスミレ色の瞳を揺らし、狼狽える。
取り敢えず指先から放さないようにしていた紙を背伸びして彼の眼前に突きつける。
「な、何でしょう」
縮こまりながら振り返ってシリルが控え目に首を傾ける。
彼を止める為にくっついただけなので引き剥がされても良いのだが、無理矢理剥がす気はないらしい。
ゆっくり腰に回していた腕をゆるめ、地を踏む。
離れた事を確認して、彼が安堵とはまた違う少し曖昧な表情をした。なんだろう。
なにかもの言いたげだけど、細かな感情は読み取れない。悪魔や悪意以外は素早く察知できない自分が悲しい。
「ええっと、これは?」
視線を泳がせ、訳が分からない様子で目の前に差し出された紙を受け取って尋ねてくる。
「封印も宜しくお願いします」
次の反応は分かっていたが、布の下、満面の笑みを作ってみた。
『え』
唐突な申し出に予想通り止まるシリル。
今までの彼の動作と私の台詞を総合し、状況を僅かに察して凍る三人。
のほほんと微笑んでいたのは馬車の中では私だけだった。
シリルに渡したのは念のためにオーブリー神父から貰っておいた封印用の紙。
護身用にここまで覚えて貰うとしよう。
探知は頼んだけれどそれだけで終わるとは一言も言っていない。
嘘は言っていない。卑怯だとは、ほんのちょっとだけ思うけど。