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89:あなた色

 たき火の前は熱い。更にマントの通気性が良く夜とは言え食べ物を摂取した後は体温が上がる。

 うう。強敵に指を当てカリカリと引っ掻く。

 慣れれば簡単らしいのだけど、指を出さないように作ってある服では難易度が高い。

 異世界慣れして来た私の悩みは習慣や道具の違いだ。

 元の世界でも砂漠地帯では昔からあった水を入れる革袋のような代物。簡易水筒をべしべしと叩く。

 私とシリルが乗ってきた馬車から取り出した水を飲もうと四苦八苦しているがびくともしない。

 ウォーターベッドのようにプルプルと震える袋が恨めしい。

 私と違う世界から飛ばされたシリルは、文明が比較的近かったのかそつなく道具を使いこなす。

 にっこり微笑んであっさり袋の口を開いた。流石に何度も袋を叩いていれば気が付くか。

 参考にしようにも手早すぎて見えなかった。


「あ、ありがとうございます」

「いえ」


 お礼を告げても当然だという顔。毎回手間を掛けさせるたびに思うが、彼の心は光で出来て居るのだろうか。

 聖女の姿で言うのも何だが、シリルの方が明らかに聖人君子だ。


「わ、度を超えた世間知らずねぇ。それ使えないなんて今までどうしてたのよ」

「近場しか歩きませんでしたから。遠出は初めてですし、慣れているならここまで馬車にも酔いませんよ」


 スーニャの呆れ声に覆面の下、頬を膨らませて反論する。

 まあ、水袋一つ開けないのは情けないを通り越して絶望すら感じるが。

 水袋は空気が抜かれて折りたたまれたバスケットボール位の大きさと形だが、中に水が満ちていると重いらしくシリルが口を握りしめ、中から出るのを止めている。

 が、結構つらそうだ。腕が少し震えている。


「あ、シリルも喉が渇いたんじゃないですか。私は後で良いですからお先にどうぞ。

 細かい事だけではなく力仕事も毎回任せていますし」


 薪を投げ入れて場所の調整を進んでやっている為に、いつの間にか私よりたき火に近い。

 絶対に喉が渇いているはず。なのに、自分の手元の袋を見てしばし止まった後、シリルが大きくかぶりを振った。


「え、あ、えっと。いえ! い、いいです」


 飲みたそうな顔をしていたけど、今ちょっと考えていたように感じる。

 そして何故か赤い。たき火の側というのを差し引いても酷く上気している。側にいる上、夜目が利く私の目は誤魔化せない。


「そんな、喉、乾いてませんから」


 乾いた笑いを貼り付けて告げてくるが、視線が水袋を行ったり来たり。

 凄く遠慮している。それだけじゃなくあの微妙な間と顔色の急激な変化が気になる。

 シリルはしきりに飲み口を気にしているようだった。

 あ。なるほど。

 神に神経を鈍らせられても分かる。このままでは回し飲みするしかない。

 場所が砂漠ならそんな事を気にもしていられないだろうが、生憎ここは森の中。

 時折挟んだ休憩中、水を出された事もあるししばらく飲まなくとも、命には関わらない。

 絶対的な理由付けでもない限り、多感な少年にはキツイ事だ。


 ――間接キスとか。


 私は余り気にしていなかったけれど、シリルに無理強いするわけにも行かない。

 確か馬車の中にカップが幾つかあったはずだ。


「そうですね、カップで飲みましょうか。馬車にありますよ」

「え、あ。じゃあ取ってきます」


 火照った頬を隠すように俯き、水袋の口を目にも留まらぬ速さで締めて、シリルが急いで横倒しになった馬車に向かう。

 掛かった時間は三呼吸にも満たない。

 ……そこまで慌てなくても良いだろうに。


「たかだか回し飲みであそこまで赤くなれるのか」


 エイナルが腕を組むと、金属音が夜気を震わせる。鉄板のような鎧を熱に当てて中の身体は大丈夫なんだろうか。

 本人は平然としているから平気なのかも知れないけど、気になる。

 鎧自体に仕掛けがあるのだろうか。

 釣られるように馬車を見つめていたスーニャが頬を挟み、かちかちと水晶の飾りをぶつけさせながら顔を横に振る。


「わかーい。可愛いー。マナでああならあたしならどうなるんだろ!?」


 とても酷い言い草だが仕方がない。現在私は年齢不詳、声不明、姿は黒ずくめ。性別が女くらいしか判明していない人間(かどうかすら怪しい)にすら恥じらう彼の姿を見れば、同じ事をしたとして堂々と顔を出しているスーニャの方が強い反応を貰える可能性が高い。


「やっぱり飲まないんじゃないですか」


 擦れてないシリルは私と違って感情豊かだ。思春期突入中なのか、些細な事で動揺する事も多い。

 横に倒れている馬車では探し出すのに時間が掛かるだろう。首が痛くなる前に正面へ顔を戻す。


「わざわざ食器がないと飲めないなら冒険者には不向きだな」


 それを待っていたように、半眼でエイナルが溜息を零す。


「そうねー、どこの貴族よって感じだもの」


 反論することなくピンク帽子の魔法使いも大きく頷いた。


「ふ、二人とも」


 慌ててなだめようとするセザルに口を押さえた左手はそのままに、右手を振って問題ない事を示す。

 陰口に聞こえるが、言っている事は正論だ。回し飲みもままならないなら冒険者は出来ないだろう。

 旅の荷物に毎回カップを持ち歩くわけにも行かないのだし。


「でしょうね、私は特に抵抗はありませんが」


 ふ、と息を吐いて目を横に逸らす。見えないと知っていても逸らしてしまう悲しき習性。


「シー君とマナは感覚に違いがあるのね〜」


 ほほう、と納得の声を上げるスーニャには悪いが、私の場合は事情が違う。

 神経が図太めなのは認めるが、回し飲みは前なら少し躊躇った。

 今は大丈夫。アオにキスされるより万倍良い。間接なだけで直ではないから許す。

 もうファーストも終わったから。次しようとしたらアオを串刺しにしてやる。そして炙ろう。

 心で固く誓ってエイナルに分かるよう顔を向け、微笑んで優しく相槌を打ってみる。


「毒を盛るような人相手では回し飲みはしたくないですけどね」

「そこでその話来るか!」


 過敏に反応して頂けた。


「……冗談ですよ」


 数泊ほど間を置いてから返答する。

 こんな話はただのジョークだ。真に受けないで欲しい。


「そ、そうか」


 安堵の表情で頷く彼にもう一言。


「やるなら普通は自分に被害が及ばないモノでやりますよね。携帯用の水なんて選択が間違っていますし」


 私が暗殺をすると決めたのならまずばれないように心がける。他人を幾つも通して絶対に身元が割れないようにする。

 自らの手でという場合も回し飲みの寸前に毒を塗るハイリスクな事はしない。

 渡すときに緊張で落とすかも知れないし、不意打ちでもう一回飲めばどうだと水を口に含まされる可能性がある。

 やるなら人混みのある街中だ。と、ちょっと真剣に考えてみる。


「そっちか。気にしてないと言いつつ気にしてるんだろその受け答え」

「いえ、気にはしてませんよ」


 根にも持つ気はないが、話の材料に使う。主にからかう為に。


「ああ、エイちー弄りは楽しいもんねー」


 やった事があるのか常習犯か、スーニャがにっと唇を釣り上げた。同志が居る。


「会ってそんなに経ってないのに遊ばれてる!?」


 大の男が困惑と怒りで顔色を何度も変化させる姿は面白い。


「第一印象は大事ですよエイナル」


 薄く微笑んでエイナルの過去の言動を戒めるセザルを見ていると、虐めるのは元からの性格ですとは言いにくい。

 悪い癖だと分かっていても止められない。

 マントを脱いでも脱がなくても中身は一緒だから性癖が変わるわけが無い。

 この姿だとより陰湿で悪質だろうけど。

 微かな音が聞こえ、馬車の方を向く。小走りで駆け寄ってくるシリルが近寄るにつれ速度を落とし、十数歩辺りでくるりと180度ほど転進し、そのまま近寄ってきた。

 …………何やっているんだろうか。同じ事を思ったのか正面に座っている三人が口元を僅かに引きつらせる。スーニャの顔は笑っているのか怒っているのかすら分からない微妙な顔だ。


「お帰りなさい。少し遅かったですけれど、奥にありました?

 なんで後ろを向いてるんですか」


 しかも猫背なので余計怪しい。今のシリルなら私と同じクラスの怪しい人だ。


「あの、その」


 器用にもそのままゆらゆら近寄ってきて、たき火まであとちょっとの場所でしゃがみ込む。


「どうしました」


 シリルは真面目なので冗談でもこんな事は出来ない。明らかに何かあったらしい。

 ゆっくり静かに尋ねる。エイナルに掛けたときと近いようで、遠い柔らかい声を送る。


「割れて、ました」


 時間は掛かったが、俯き気味のくぐもった言葉が返ってきた。


『…………』


 全員で沈黙を創る。

 ええと。あー、それは、当然か。

 車体が倒れたのなら地震なんて目ではない位に揺れただろうし。陶器類は全滅だ。

 確かカップは高そうな薄い代物ばかりだったし、生き残っている見込みは薄い。


「外に落ちたらしい木製のカップもあったので持ってきたんですけど」


 恐々とシリルがこちらを見た。微かに首を傾け、大丈夫だと伝えてみる。


「はい。汚れは払えばいいでしょう。それでも気になるなら水で洗うという手もありますし」

「焦げてますが、良いでしょうか」


 更に言いにくそうな言葉と共に彼が身体をこちらに向ける。

 腹部で留めるように持っているカップは豹か虎を思い起こさせる黒い斑点や斜めの線が走っている。

 炭になっていないから直撃はしなかったらしいけど、結構な余波を受けたらしい。

 一度しか目にしなかったけれど、元のカップかと疑いたくなる変貌ぶりだ。


「……お、おしゃれえっ! 前衛的なデザインだわ。スーにゃン天才!」


 手を打ち合わせ、とびきりの笑顔を振りまく原因。自分を褒め称える内容とは裏腹に声が震えている。

 アートなら確かに独創的というか前衛的というか。無地の木のカップをよくぞここまで面妖に出来るものだと感心する。


「まあ、良いです。水が漏れないならそれで。私達は静かに飲みましょう」

「あ、はい」


 スーニャの横に笑ったセザルがいた。ホラー映画だと思って見ておこう。

 関わるまいと、エイナルが離れていくのを横目にカップを受け取った。

 柄はあんまり見ないようにしよう。

 馬車を避けての攻撃だったと思っていたが、中の毛布や水が無事だったのは偶然だったらしい。


 車体、燃されなくて良かった。

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