↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
林出と有村――ルチャドーラと蟻人間――  作者: すぱんくtheはにー
PR
9/11

鉄錆の味がする。

雑木林の中、匂いを追って有村は走る。恐らく見張りの交代が通るルートはいつも同じなのだろう、懐かしく憎い元家族のフェロモンが獣道にしっかりと残されている。追い出されてから随分と経つなかで少し匂いは変わったが、根幹にある部分は変わらず間違いなく自分を殺そうとした姉妹のものだった。

匂いを追っていくと林を抜け寂しい郊外へと出る。中途半端に発展しただけのこの街は、少し外れるだけでこういった場所に出た。不動産の案内だったら「閑静な」「緑豊かな」とでも表現するのだろう。その一角が金属製の簡易なフェンスで囲まれている、そこに貼り付けられた案内板には大型商業施設の建築予定地と書かれていた。隙間から覗くと地盤の改良は済み、建物の基礎から建築予定の建造物をつくるための鉄柱が山と積まれているのが見える。見上げると巨大なクレーンが空に伸びており、工事の大規模さを代弁しているようだ。匂いはこの工事現場の中に続いている。

フェンス沿いにぐるりと一周して様子を探る。こういった場所はそもそも周辺からの人目が少なく、いくらか土が掘り返されていても気に留めない上、人の出入りが激しく、しかも工事用ヘルメットなどで顔を隠しやすい。工事期間が相当かかりそうな様子からも、巣を作るにはかなり好条件だ。もしかすると何匹かは作業員として雇われているかもしれない。人間と喋るのが多少苦手でも、蟻として持っている体力と土木工事に対する適正、命じられた作業を遂行する能力などは重宝される場面は多い。

掘り返した土砂の山に1匹、見張りの蟻がいる。その山に隠すように巣への入り口があるようだった。

(見張りが1匹ということは警戒が薄いな)

基本的に2、3匹でまとまっての行動をさせているが、大丈夫そうなときは勝手に一人休んだり、仕事を半分づつ交代でサボったりするのが慣習になっていた。自分もそうだったことを思い出しながら、さっきの死体から引き摺り出した内臓を絞り、体に匂いをつける。有村自身と浴びた血の匂いはするだろうが、おおむね彼女らが仲間を識別するために出すフェロモンはまとえたはずだ。手練には怪しまれるだろうが外の見張りに出されるような若い蟻では、そこまで気が回るものはいないだろう。

フェンスの隙間から体を滑り込ませ、巣穴に近づくが見張りは接近にすら気付いていない。さすがに油断しすぎだと説教したくなるのは、記憶に深く刻まれた家族の匂いのせいだろうか。頭を振ってその考えを追い払い、顎と顎と擦り合わせて蟻の言葉を発する。

《おい! お前ひとりか!?》

唐突に話しかけられ飛び上がらんばかりに驚きながら、ずいぶんと体格が小さい見張りの蟻は姿勢を正した。

《いえ、あの、その、もうひとりは手洗いです!》

《随分長い便所だな》

見張りは首を捻る。この蟻ではそういった皮肉や揶揄を理解できないらしい。言われたことの意味を考えてるその顔を見てみると記憶にない妹だった。恐らく有村が巣から逃走したあとで成虫になったのだろう。発育の遅いアンよりは大きいが、リンよりも華奢な体は若いというよりも幼いと表現したほうが正しいだろう。

妹たちの顔が頭に浮かび自分のしようとしている事に疑問を持ちそうになるが、ここまで来ては後戻りもできなかった。

《あれ? 姉さんはどこの……》

見覚えの無い顔を確認しようと、前脚で複眼を拭いながらこちらに顔を近づける。有村は顎を開き、有無を言わせず見張りの顔面を挟みこんだ。

《びっ》

一撃で頭部を破壊され、小さな悲鳴にもならない声を漏らす。ほとんど原形を止めぬほど破壊した頭を顎で挟み、そのまま見張りの体を持ち上げる。絶命に伴う痙攣を探知されないようにするためだ。一通り脚をバタつかせ静かになった死体を山の陰になっている地面にそっと置いて、今度は巣穴の入り口を数回叩いて合図を送る。

《水飲む》

これでさぼっている仲間だけがやってくるはずだ。数秒後巣穴の奥から誰かが登ってくる音がする。

《もってきてやったぞ、代わるまで我慢でき》

口移しで水を渡すつもりで顔を出した妹の首を顎で挟み持ち上げる。

《え? ぐぺ》

何が起きたのかすら理解しないまま、首を切断され絶命する。さっきよりも大きく巣穴を叩く。

《食べ物、手伝え!》

少したって交代制で働いてる妹の何匹かがやってくる振動を感じる。

《食べ物ってお前、呼ぶほどなのか……へ?》

面倒くさそうに顔を出した一匹が首を切られた家族の姿を見て困惑する。何があったか調べるべきか、後続に教えるか、そう迷おうとしているところを先に振り下ろされた金属製の義脚によって頭を割られ即死する。

《おい!なに詰まってんだよ、早く行け!》

動かない、いやもう動けない先頭に向かってすぐ後ろの蟻が叫ぶ。有村は頭を叩き割られた死骸をひょいと持ち上げ横に投げ捨てる。

《何があっあっあっ》

次の一匹も正面から顔を顎で挟み、首を回して頭を捻じ切る。その後ろにいた少しだけ体格の良い蟻と一瞬だけ目が合う。

《どうした? 誰だ?》

違和感に駆られ、蟻の体を押し出して巣穴から顔を出す。この時間帯の作業班を指示しているのか、年長の蟻が有村の姿を見つけた。

《お前は……》

《久々だな死ね》

見覚えのある妹の顔を顎で挟み、義脚を横なぎに払って首から切り落とす。巣穴から死骸を引っ張り出しながら、流石に中に呼びかけて誘き出すのは限界だろうと思い、切り落とした頭から流れる体液で義脚を汚し目立たないようにする。そのまま滑るように巣の中へ侵入した。

(どこまで行けるか……優先順位を決めなくては……姉を殺したヤツ、私の脚を切ったヤツ、母……姉さんの言う通り、人と生きていけない蟻の家族に先はない。 それなら母は最後でいい)

どうせ滅びる定めの彼女らをなぜ殺さなくてはならないのか、同じく絶える命の自分が復讐をしてなんになるのか。当然のようにそんな疑問が有村の脳裏に浮かぶ、しかしそれは今までも繰り返し自問自答してきたこと。

(「うるせーな、んなもんやってから考えりゃあいーんだよ」)

人間はどう考えるのかと林出に尋ねたときの答えが頭によみがえる。そのときは林出がバカだからそう言うのだろうと思ったが、今こうして反芻してみるとそれなりに有益な考え方なのかもしれない。ここまで来てしまったのなら後戻りはできない、余計な悩みは顎を脚を鈍らせる。それは「やってみてから考える」ことすら不可能にしてしまう最も愚かな選択だ。とりあえず目の前の「やること」を終わらせてからだ、それから考えればいいし、正直なところ「やること」の途中で殺されるだろう。

(それなら悩む必要もない)

小さく笑い声を上げてしまい、慌てて顎を閉じる。それが自虐か自嘲か安堵か納得か、どういった意味が自分の笑いに含まれていたのか解らなかった。まぁいい、それも「やってみてから考える」ことにしよう。

巣の構造から言えば、そろそろ他の姉妹たちが詰めてる場所に近いだろう。脚の振動で察知されないように注意して歩く。義脚を除いた4本を地面につけ、残った1本だけを動かしてゆっくりと着地。そしてまた別の脚を1本だけ動かす……遅々として進まない歩行だが、振動を起こさずに動くにはこの方法がベストだった。大きく右にカーブしている道と、なだらかに下へと向かう道に二股で別れている場所に出た。下に行くほうが年長者たちの住居スペースがあり、更に下には母の部屋があるだろう。下で暴れているところを後ろから襲われるのは避けたいが、先に上から処理しているのを感づかれたら元も子もない……有村は軽く頭を振る、生き延びることを考えるから難しくなる。目的さえ果たせばいいのだから「後ろから襲われたら」なんてどうでもいいことだ。

下へ向かってゆっくりと歩を進める。しばらく行くとまた分かれ道に当たる、今度はどちらも同じ高さで左右に広がっていた。右から僅かにだが蟻たちの寝ている振動を感じ、覗き込むと通路で眠っている姉の一匹がいた。

(あれは……そう確かアイリーンだ)

ある程度まで成長すると通り名のようなものをつけるのが通例だった。主な目的は人間に擬態してるとき、名前で呼ぶ・呼ばれることで騙しやすくなることと、個体の識別や役割の伝達を容易にするためのものだった。有村よりも少し年長のアイリーンは本来ならもっと深層で寝ている年齢のはずだが、記憶にある限りあまり優秀な働き手ではない。そのために部屋にも入れず、ここまで追いやられているのだろう。

(そもそもアイリーンってなんだよ、余計怪しいだろ。 そんなことすら理解できないから……)

有村は舌打ちをしそうになって、顎を抑える。そのまま寝てるアイリーンに忍び寄り、その背に乗って頭部をゆっくりと顎で挟む。

(せーの)

顎を捻ってアイリーンの首をへし折る。暴れようとする脚を押さえつけ、反射による痙攣が止むまで固定したまま、首を切断してしまわないように顎の力を調節する。ここで血の臭いを出せば、少なくとも巣の誰かが大量に出血したことが知られてしまう。

静かに顎を離し、脚を縮こませ小さくなった死体が転がる。

(何匹いるのだろうか……)

自分が追い出された頃とさほど変わらない広さの巣を構築しているようだ、ということはさほど家族の数は増減していないのだろう。有村は義脚を外して前脚に持ち替えながら薄く笑う。復讐という意味では望んでいた状況だ。

触角を揺らし風の流れを確かめる。空気は入り口から奥の部屋に向かってゆっくりと動いている、これなら血の臭いが別の場所に漏れることは無いだろう。先ほどと同じ静かな遅々とした歩みで寝室へ向かい、中を覗きこむ。暗闇の中、横になって寝息を立てている蟻たちの姿をじっと見つめる。

(浅田……黒尾……アユ……トウア……)

中にいるのは有村とほぼ同時期に生まれた姉妹たちだった。

(……安藤はいない)

姉を殺したギノワは年長だからもう少し下層にいるとしても、生まれの近い安藤が見当たらないのは釈然としない、が居ないものは居ない。諦めて後ろ向きにそろそろと移動し、その場を離れる。アイリーンの死骸を越えて二股に別れた道のもう一方へ進むと、そこは飼育部屋だった。まだ卵や幼虫の蟻たちが並んだ個室に入れられ育てられているなかを、一匹の蟻が両手に孵ったばかりの子を抱えて口移しで食事を与えている。

下に続く道が見えるが、それには飼育部屋を突っ切って進むしかなさそうだ。飼育部屋には2、3匹が仕事に当たっているのが常態であり、一匹だけしか居ないのはチャンスだった。

《よしよし……ごはんあげるからね……大人しくしててね……》

疲労困憊の様子で今晩の子守役がむずがる幼虫をあやしている、その声には聞き覚えがあった。

(きい子……!)

有村と同じ日にほんの少しだけ早く生まれた姉、それがきい子。共に殺された姉から教育を受け、人間の中で生きることの必要性を誰よりも理解していたのは彼女である。本来なら有村よりも姉から教えを受けて、巣の家族を人との共生に向かわせることを願っていた。しかし顎に生まれつきの変型があり、どうして人間の言葉を発するとき軋んだような異音が出てしまう。そのことで姉から

(見捨てら……れ……た?)

あのころ姉の教えを理解できない、着いていけない姉妹たちが姉の元から次々を去っていった。その中の一匹としてきい子がいたように思っていたが、誰よりも姉の言うことを理解していた彼女が離れていく理由など無かったことに今更になって有村は気がついた。だとすれば、顎の問題で人間と共に生きていくの難しいきい子が離れていったのは、姉に見捨てられた……有村は激しく頭を振った。

(姉さんがそんなことをするはずが無い……きい子が向いてないと感じて自分から離れたんだ……)

正直なところその結論に自信はなかった。その頃の有村は、姉の教えについていくのがやっとで他の離れていく姉妹にまで考えが及んでいなかった。それどころか敬愛する姉を独占できることに酔っていたのかもしれない、見る見る減っていく姉妹たちをの背中をむしろ押すようなことさえ無意識にしていたかもしれない。

《誰か、いるの?》

気配に気付いたきい子が有村の潜む通路に声をかける。そこには安堵のような響きがあり、その音につられるように有村は姿を晒す。どちらにしろ不意はもう打てないし、「きい子なら」という気持ちもそこにはあった。

《ひさしぶり》

その姿を見て抱えている幼虫を落としそうになりながら、顎を数回開閉させる。

《アンリ、ちゃん……!?》

アンリ。この家族と暮らしていた昔の名前で呼ばれて甘いような苦いような気持ちが胸に広がる。巣から追放されたあの日から姉の名前であった「有村」を名乗ることにしたのは、決して忘れないため。そして自分の名前を妹たちに分け与え……一番大きい妹にはきい子の名前を拝借していた。人の言葉で喋ると「ぎーぎー」鳴る顎、文字を教えて貰うとき「ぎ」の濁点がずれて「きい」になった彼女の名前。それはもっとも解り合えるはずだった家族のことを、忘れることができなかったため。

改めて見るときい子の体は酷く弱っている。有村と比べて細く頼りない脚に、痩せて縮み皺がよった腹、顎は細かく震えて十分に力が入らないようだった。

《何があったんだ》

《ずーっとひとりでお世話してるから……》

本来は複数であたる幼虫の世話、それは口移しで食事を与える関係で交代しなくては世話係が栄養を取ることが出来ないからだ。自分の胃に入れた食物を消化する前に与えることを余儀なくされる以上、数日も続けて働けば衰弱死する危険だってある。

《ずっと、だと?》

《この子たちのね、お腹空きそうな時間をなるべく揃えるの。 そういうこと出来るようになっちゃった》

力の無い笑顔でそう答える姿に、驚きを隠せなかった。生まれる時間も、消化速度も、胃の容量もまったく違う複数の成長段階にいる幼虫たちの消化ペースを揃えるなんて、尋常な把握能力・管理能力ではない。きい子の持つ蟻の常識を大きく超えた知性に、有村は改めて感服すると同時に、この命の危険すらある仕事を押し付けられている状況に愕然とする。

《私の……せいか……》

きい子はゆっくりと首を横に振る。

《有村姉さんに気に入られてた他の子は、みんな……死んじゃった》

殺された、とは言わないきい子の穏やかさにとても目を合わせることができない。私はこの巣の姉妹をどれだけ殺して、これからどれだけ殺すのか? 復讐すると決めて来た筈なのに、きい子の声を聞くとそんな疑問が浮かんでしまう。

《アンリちゃん、いつか来ると思ってた》

有村の後ろめたさを最初から知っていたかのように、そう優しく語りかける。

《有村姉さんのこと、大好きだったからね……私と違って》

《違って?》

《指導を放棄されて、追い出されちゃったから……悔しかったなぁ、あの時は》

《ちょ、ちょっと待て、追い出されたとはなんだ》

きい子は寂しそうな、そして眩しいものを見るような目で有村に視線を向ける。

《アンリちゃんは気付かないよね、有村姉さんがそうしていたこと》

《馬鹿な……あれはみなが離れていったと》

《そう思ってた、ううん、思わされていた。 有村姉さんはついてこれない子をどんどん見捨てて、他の姉さんたちに投げた。 だから味方が家族の中にいなくなっちゃったじゃない》

きい子の語る姉と、記憶にある姉の姿はかけ離れたものだった。思わず前脚で頭を抱えてよろめく。

《そんな嘘だ……それにそれだけで殺される必要は》

きい子は悲しそうに首を横に振る。

《それだけじゃないの、知っているでしょ?》

あんなものは何かの見間違いだと心の奥にしまっていた記憶。きい子と共に巣の周辺を見張る役目だったあの日、草むらの影から見えたのは姉さんが甘えるように顔を寄せ何かを囁いているその姿。その姉さんの体を撫でながら、蟻の顎に唇を這わせていた人間の男……。

《覚えてる、みたいね》

黙りこくった有村を見て、寝かしつけた幼虫を飼育室へそっと横たえながらきい子は軽く肩をすくめてみせる。その動きは人間の言葉が苦手なぶん、こういった人の世に溶け込むための仕草は抜群に上手かったことを思い出せた。

《あれは人間を知るためのことで》

《そうかもしれない、でもそうじゃないかもしれない。 有村姉さんは人間に近すぎた、そして巣はもっと人間と共存すべきだと言った、そして……そして味方はいなかった。 そんな姉さんが、疑われてしまったらどうなるかしら?》

有村は言葉に詰まる。

《姉さんの言ってたことはたぶん正しい。 私たちが生き延びるためには、もっと人間に近くならないといけない。 だけど姉さんは人間に近すぎて、家族から離れてしまったの、それに……》

言おうかどうか一瞬悩んだあと、きい子は清々したとでも形容できるような声で続けた。

《生き延びることって、必要かしら? 姉も妹も母も、みんな死んでおしまい……それのどこがいけないの? だってどうしたって私は人間に近づけないんだもの、この顎が私を人間から遠ざける。 有村姉さんも私を遠ざけた》

《きい子、お前》

《このままならいつか巣ごと全滅、人間に近づいても私はついていけなくて死ぬ。 だったらみんな死んでおしまいにしたって、私には変わらないじゃない? 私ができないからって見捨てる姉さんの思い通りにさせない》

それは違う、と有村は言いたかったが口が動かなかった。違うと言い切れるほどの確信が持てなかったし、それ以上に復讐のためやってきた自分にはきい子を止める理由が見つけられなかった。このままきい子に協力すればいい、理屈で言うならそれで十分だろう。でもそうするのもまた、違う、と思える。

《私はそれでも姉さんのことが好きだ》

《知ってる、私も有村姉さんのこと好きだったの》

すやすやと眠っていた幼虫の一匹が目を覚まし、空腹を訴えて泣きだす。それを慣れた手つきで抱き、口移しで餌を流し込んでいく。

《ギノワ姉さんは死んだわ。 安藤はこの下よ、その奥が母さんの部屋。 随分手狭になったでしょ? それが私たちの生きる限界》

探してる相手を言い当てられたじろぐ、きい子はどこまで解っていたのだろうか?

(そもそも姉さんが人間と密会をしていたことを、私ときい子しか見ていないとすれば……)

姉さんの様子では、人間との逢瀬は一度や二度ではなさそうだった。だから誰から話が漏れたとしても不思議ではない。それでもきい子が、姉さんを殺したいと思ってやったとしてもありうることだった。その上で巣の存続をコントロールできる飼育係に収まることが目的だったとしたら……。

きい子ならそこまで考えてたとしてもおかしくはない、その証拠に。

《次の母は、いないのか》

《さすがアンリちゃんね。 そう特別な餌はこの子たちに与えてないの、だって私が食べてるもの》

自分のしていることが気付いてもらえたことに対して、照れたような嬉しいような笑い声を漏らす。次の母親候補には他の幼虫とは違う栄養価の高い餌が与えられ、特別な飼育がされる。しかし見回したところ、母親候補らしい他よりも身体が大きく育った幼虫は見当たらなかった。巣の存続に危機感を持っているなら母親候補を育てていて当然、それをきい子は意図的に避けていた。

《好きにしろ》

有村は戸惑っていた。姉を殺したギノワがすでに死んでいることへの大した感慨もなく、その結果を導いたかもしれないきい子に対して怒りを覚えなかったからである。本来なら復讐する対象になってもおかしくないきい子を有村は殺す気がなかった、それは特に親しい姉妹だったからとか、復讐の予定になかったからとか、そういう理由でもない。何かもっと根本的なもの、この復讐の根幹を成しているもののような気がした。

《だめ、あなたはここで私を殺していくの》

《何を言っている》

わかってるくせに、ときい子は顔をしかめる。

《あなた死にに来たんでしょ? そうね、この後であなたは安藤を見つけて襲いかかり大暴れの末、安藤を殺すの。 そしてその騒ぎを聞きつけた巣のみんなによってたかって嬲り殺される……母さんには会えずにね。 そしてあなたを見逃した私は処刑される。 あいつらに殺されるぐらいなら、アンリちゃんに殺されたいのよ。 私を理解できる愛しい妹に》

きい子の言うことを有村は否定できなかった。きっと逆の立場だったなら有村はきい子に殺されたいと願っただろう。なにも解らずただ殺されるよりは、自分を解っている相手に殺されたい、それは当然のことだと思えた。

《それは出来ない》

だからといって容易く実行できるかといえば、それは別の話だ。この巣に唯一いる理解者を殺すことなど簡単にできるものではない。

《あなたは家族に復讐したい、私はアンリちゃんに殺されたい。 なにも迷うことはないわ。 それに……そうね、いまから私が《侵入者だ!》って叫ぼうかしら? そうしたらあなたは安藤にすら辿り着けなくなる》

《きい子、何を言ってるんだ》

《なにかおかしいことを言ってる? いいえ、たとえそうだとしてもアンリちゃんにはもう、選択肢はないのよ》

顎を開きお腹に手を当て、いますぐにでも叫びだそうな面持ちで有村に微笑みかけた。

《やめろ》

《できればその義脚で殺してちょうだいね。 折角なら人間のもので殺されたいわ》

《無理だ》

少しだけ首をかしげ、きい子は《そう》と小さく呟きうなずいた。

《じゃあ叫ぶわね》

《きい子やめてくれ、私は》

きい子は大きく息を吸い込み、顎を震わせ声を出そうとする。その目に一瞬の閃光が映った、まるで流れ星のようだと思い何か願うことを探した。閃光の過ぎ去ったあとに立っている泣き出しそうな有村を見て、彼女が感じている悲しみができるだけ早く消え去るようにと願う。

《はっ……ふっ……》

そのことを伝えたかったが、口からは僅かな息を吐き出すのが精一杯だった。呼吸のほとんどが、乾いた音をてて喉に開いた隙間から漏れていく。有村の前脚に握られた義脚が、一分の狂いもなく首関節の隙間を切り裂いていた。糸が切れた人形のようにきい子が床に崩れ落ち、駆け寄った有村が抱きとめた。

《生き……て……ね》

喉から抜ける空気の音にかき消されそうな声を絞り出し、きい子は有村の頬を撫でてから首の隙間を爪先でくすぐった。その弱々しい動きは外骨格に擦れ乾いた音を立てるのが限界で、すぐに力なく下に降ろされる。蟻の目にも涙腺があれば、と有村はうつむいて顔を振った。

すでに弱りきっていたきい子の体からは体液もあまり流れず、風に乗った匂いで気付かれることもないだろう。恐らくそこまで考えていたのだろうな、と満足げな死に顔を見ながらそう思った。不穏な沈黙に寝ていた幼虫たちは身じろぎをするが、起きだすものはなくきい子の管理がいかに完璧だったかわかる。だがそれは激務であり、彼女が死を願った一因だったのかもしれない。

(いや、それではダメだ。 私はきい子を殺した)

何か別の理由を求めた自分を不快に感じる。理解し合えた姉妹を自ら手にかけたのだ、その事実から目を逸らしてはならないと有村はきい子のあたまを一撫でし、静かに床へ横たえた。巣の奥へ向かいながら考える。

本当に自分は復讐を望んでいるのか? きい子の命が消えた、いや消したことで胸に迫ってくるこの寂寥は何なのだ。元家族を全滅させたいと望み、それが無理だから相手を選んで復讐を遂げようと決めた。それならば飼育係の要を殺害できたのは、願ってもない僥倖ではないのか。親しい姉だったからなんだというのだ、理解され認めてくれた家族だから……。

「わからない」

思わず人間の言葉で声に出してしまう。何かに気付きかけた自分を無理矢理それ以上の思考をしないよう急停止させる、それは恐らく迷いになり脚を惑わせることになるのは解りきっていた。きい子まで手にかけたのだ、いまさら引き返せるわけもないのだから余計なことは考えないほうがいい。そう結論付け、足音を殺しながら下っている通路を進む。

すぐに大きな空洞の前に出る。姉妹の寝息が聞こえる中を覗きこむと、そこには数十匹の蟻が転がっていた。自分が追い出されたあとに比べれば確かに減っているが、それでも一人でどうにかするのは絶望的な数だった。

(林出が来なくて良かった)

どうしようもない戦力差を前に、有村は思わずそう考えていた。

(あいつは関係ない)

なぜ林出のことなんて考えたのか、きい子に当てられでもしたか? と自嘲し、改めて室内を注意深く覗き込む。一部屋にはなっているが微妙に付けられた段差で、一応の区切りがあるようだ。部屋の奥に行くにつれ段階的に高くなっており、それにつれて寝ている蟻の年齢も上がっているようだった。その最上段には更に奥へと向かう通路が見える、あれが恐らく母の部屋へ続いているのだろう。

その通路の入り口に、安藤が陣取っているのが見えた。

(なぜだ……?)

母の部屋へと続く通路は巣にとって最も厚い防衛が必要となる、必然的にそこには姉妹の中でも飛び抜けて優秀なものが当てられる。他に年長者がいるはずの状況で安藤がその位置にいることは不可解だった。

(関係ない)

気を取り直して自分の目的に集中する。巣の中でどんなことが起こったかはどうでもいいことだ、と思い込む。むしろ仇がすぐ見つかって良かったではないか。眠っている姉妹の間を抜けて安藤ににじり寄る、頭部を捻じ切るため顎を大きく開き挟もうとする。

違和感を感じ有村は一瞬動きを止める。母の部屋へと続く通路から蟻とは違った匂い……嗅ぎ覚えがある人間の匂いがした。誰かはわからないが、そんなバカなことがあるはず無いと考え直し改めて安藤を噛み殺そうとする。

《来たなっ!》

唐突に安藤が体を起こし、有村の顎を前脚で掴み押さえつける。安藤の横にあった水差しのようなものが引っくり返り、床を濡らす。

《ぐっ、貴様……!》

《アイリーンは殺したか! アンリ!》

転がった水差しのようなものは、安藤が水時計のように使ってるものだった。一定時間そのままにしておくと顔が水に浸され強制的に起こされる仕掛けになっている。それを見張り役が交代するたびにリセットするよう命じておくことで、巣のトラブルを察知できるようにしていた。そういった安藤の用心深さと、それを可能にする知性が巣での地位を高いものにしている。

真ん中の脚で有村の胸を蹴り、下へと突き落とす。そこで眠っていた姉は突然の衝撃に驚いて飛び起き、何が起こったのか周囲を見回す。

《敵だ!!》

安藤の叫びが眠っていた姉妹を叩き起こし、頭の回らないものにもすべきことが解るよう、簡素な警句にとどめる。混乱しながらも有村にぶつかって起こされた姉が、その脚で体を押さえつける。体を捻ってその拘束から抜け出し、義脚での一撃を加えるが狙いの定まらない攻撃は胸の表面に削った跡をつけただけで、大したダメージにはならない。反撃に驚いた姉は致命傷を与えようと顎を開いて急所への攻撃を狙う。距離を取ろうと後ろに下がった有村の脚一本を、目を覚ました別の姉が抱えるように捉える。部屋の中で目を覚ました姉妹が有村へ殺到しようとしていた。

《殺すな、捕まえろ!》

一匹の蟻に木を編んで作った縄を持ってくるよう指示しながら、全ての脚を捉えられてもがく有村に安藤がゆっくりと近づく。

《安藤ッ!》

噛み付こうと開いた顎を前に突き出すが、力づくで引き戻される。

《いつか来ると思っていたよアンリ》

薄ら笑いを浮かべて有村の顔を覗き込む。

《臆病者らしいな》

《賢い、と言って欲しいね。 お前や有村よりもな》

姉の名前を口に出されたことで激昂した有村は、義脚を叩きつけようともがくが、脚の根本からがっちりと抱え込まれて無為に宙をひっかくことしかできない。安藤は脚を振り上げると義脚の接合部分に叩きつけた。甲高い音を立てて外れた金属製を脚が床に落とされる。

《噛み千切ったはずの脚が生えたとでも驚いたが、クック、ヒトの作った偽物か》

落とされた義脚を前脚で拾い上げしげしげと眺め、触角を触れさせる。

《返せっ》

《おやおや、きい子の血の匂いがするなぁ。 そうかいアレも殺したのか》

《くっ……》

《すぐにお前も殺してやるよ、おい! 縛り上げろ!》

持ってこさせた縄を手が空いてる蟻に投げ渡し、有村の体を何重にも巻き上げて拘束する。脚を振ってそのまま外へ運び出すよう指示を出し、この騒動でもまだ眠りこけているものを蹴り起こしながら数匹の護衛を残し外へ向かう。

有村は無造作に床を引きづられながら、自分の復讐が失敗に終わったことを考える。思ったよりも落胆は無かった、それはきい子と話していて気付いてしまったからかもしれない。

(復讐なんてしたくなかったんだ……)

なのに何故これほどまでに、復讐するということが自分を駆り立てたのかは解らなかった。復讐という看板に覆い隠された真意を、自分でも測り損ねている。だがそれに悩むこともすぐに無くなるのだ、と思うとそれほど嫌な気分ではなかった。

しかし後悔はある。

残して死ぬことになる妹たち。自分を慕って巣から抜けて着いて来てくれた、愛しい妹たちの成長を見届けられないことが苦しい。

(ギン、リン、アン)

妹たちの名を声に出しそうになって、強く顎を噛み締めた。こいつらに妹たちがまだ生きて、自分の教えを伝えていることを知られてはならない。妹たちはそういった色々なもの、そう「しがらみ」とかいうものから自由に生きるべきだ。それが巣から、家族から離れることの意味だと、有村は考えた。そして復讐という行為に引きづられていた自分は、その「しがらみ」からまったく離れられていなかったと思い知らされた。

仰向けに引っ張られて巣の天井が見えていた視界が急に開け、残暑のむっとした空気を感じる。巣の外に出てまだどこかに運ばれるようだ。

《吊るせ》

安藤の指示で、有村を縛っている縄を咥えた大柄な蟻が工事現場に置いてきぼりの、大のクレーンにするすると登っていく。徐々に広がっていく視界に、姉もこんな景色を見たのかと考えた。

《裏切りは死だ。 土の中では殺さない!》

扇動する安藤の声に姉妹の雄叫びが重なる。巣の中から遠いところ、つまり高い場所に裏切り者を吊り上げ処刑するのはいつから始まったかもわからない、この巣の決まりだった。

「宗教、か」

姉と同じ殺され方をされるのなら、とその教えに従って人間の言葉を口に出す。巣から逃げ出し人間の社会である程度は生きてきた有村に、この裏切り者を高く吊るす意味がようやく理解できた。これは人間たちが行う宗教と同じようなものなのだろう。元々はあったかもしれない合理性が変質し、だからこそ集団が持つ規範として有効になっているのだ。

クレーンの最上部に括りつけられ、そこに何かが飛んできた。有村の体の横を通ってクレーンに当たって金属音をたて落ちていく鈍い輝きの物体、それは奪われた有村の義脚だった。

落ちた義脚を他の蟻が拾い上げて、また放り投げる。どうやら義脚で縄を切り、落下死させることを処刑方法に選んだようだ。しかしそれから数度の投擲は縄を切断するどころか、有村の体にかすりもしなかった。しかしそれは処刑として見れば利点なのかもしれない、延々と先延ばしにされる死の瞬間とそれをただ待つしかない裏切り者はひどく残酷な仕打ちを受けることになる。

外れてクレーンに当たる義脚の音を聞きながら、こんな恐ろしい目に妹たちが合わないことを願う。

「林出、いる、大丈夫」

きっと自分がいなくなっても妹たちの面倒は林出が見てくれるだろう、そう考えると安心できた。この期に及んで林出のことを思い出すと何故だか心が安らぐ。姉妹といても得られないもの……それは敬愛していた姉さんや、理解し合えた姉妹や、大切な妹たちだったとしても、知ることの出来なかった「安堵」が林出との間にはあった。それは姉の期待を裏切らないように、きい子に負けないように、妹たちの尊敬を損ねないように、と常に気を張っていた有村が唯一その糸を緩めることができた相手だからなのかもしれない。

「林出、……」

林出の言うことを聞いておけば良かった。それは後悔というよりも、この結果をきっと林出が悲しむことを思っての謝罪に近かった。林出は自分を助けようとしてくれていたのだ。それは出会ってからずっとそうであったように。

《私に貸せ!》

埒が明かない投擲に、安藤が苛立ち義脚を奪うと真っ直ぐ有村に向かって投げた。その軌道が確実に自分の縄を切断することが解り、有村は終わりを覚悟する。クレーンが軋む音が妙に体へ響いた。

この宗教めいた処刑の場面において、有村は自分の中にそれと近い祈りがあることに気がつく。普段なら決して口にしないであろうその祈り、それを思わず言葉にする。

「林出、助けて」

「お前、いまそれ言うかね」

飛んできた義脚を受け止めた派手なマスクの女が、クレーンの最上部で真夜中の風に吹かれていた。

つづく(04/17 20:00アップ予定)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。