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林出と有村――ルチャドーラと蟻人間――  作者: すぱんくtheはにー
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むね肉なのに柔らかいのは漬けダレに重曹を混ぜているから。

残っている蜘蛛肉と、レンジにかけた冷凍ブロッコリーをマヨネーズとコショウであえ、食パンで挟む。蜘蛛肉は水気が抜けて少しパサつくが、そのぶん匂いが抜け、マヨネーズで油分を補ったことで昨日よりもうまい気がする。

(これじゃあホントにカニカマと変わんねーな)

豆乳で流し込みながらそんなことを考える。

「うよよあ」

少しよたつきながら有村が起きてくる。

「おはよ、蜘蛛まだあるぜ」

冷蔵庫をアゴで指しながら、寝起きで朦朧としている姿を見て、虫ってのは朝が弱いもんなのか? などと考える。

冷蔵庫を開け、皿の上の蜘蛛肉を手づかみで口に運びくわえたまま、きょろきょろ周囲を見回すと小ビンを手に取り蓋をあける。そこから数個の氷砂糖を手のひらに出すと、顎で噛み砕き蜘蛛肉と一緒に飲み込む。

「なんちゅーメシだ」

「糖、蛋白、良い」

前にブロッコリーを無理矢理食わせようとしたら暴れるわ拗ねるわで大変だったしな……と、齧ってる蜘蛛肉ブロッコリーパンの断面を見ながら思い出す。蟻が野菜を食えないのか、ただの好き嫌いかはわからないが、本人が元気ならそれでいいのだろう。

食べ終わった皿やなんかを適当に流しにつっこみ、高校の制服に着替える。ついでに膝の痣を隠すためにサポーターを巻いて誤魔化した。同じように制服を着た有村が、林出の前に立つ。

「チェック」

そういって一回転してみせる。どこからどう見ても人間どころか美少女の姿に擬態し、ふわりと回転によってスカートが舞う様子など、確かにかわいい。腹が立つ。

「今日も変わらずブス!」

「ふふ、ん。 デカブツ、悔しい、か?」

アゴに手を当て、小首をかしげてそう言われ、林出は無言で眼鏡の部分を掴み、引っ張って触角の形に戻してやる。

「やめろ!」

触角に触っている手を払って、眼鏡に形成しなおす。その間に林出は迷ったすえ普通のスニーカーを履き玄関を出る。と丁度ひとりの中年男性と鉢合わせになった。

「うおっ、と。おかえり」

「ただいま、今から学校か?」

夜通しの勤務からの疲れと眠気で目をしばたせながら、取り出していたカギをポケットにしまう。

「親父、今日は早いじゃん」

「うむ、たまたまな」

そこに有村も家からでてくる。

「おはよう、ござい、ます」

「ああ、おはよう有村さん」

「んじゃいってきます」

父親の背中を軽く叩き、廊下を小走りする。

「いってき、ます」

軽く頭を下げ林出の後ろを追う。

「いってらっしゃい、気をつけて」

父親は二人の背中を見送ると、あくびをしながら家に入っていった。

学校までは電車で2駅程度であり、よっぽど天候が悪いとき以外は片道30分程度をかけて徒歩で通学している。電車の待ち時間を考えれば所要時間もあまり差はなく、混んだ電車に押し込められるよりはるかに快適だった。それ以上に万が一、痴漢に有村が遭遇してしまい虫の体を触られる可能性を考えると、そういったトラブルが起きる環境は避けたい。

「とはいえこんだけ暑いとなぁ」

2学期が始まったばかりの9月頭、まだまだ残暑は厳しくのんびり歩いているだけでも汗が吹き出してくる。もう少し早い時間に家を出て空いてる電車に乗る手もあったのだが、昨日は寝るのが遅かったこともあり、睡眠を優先させた結果だった。

「バイク、乗り、たい」

「わかる」

校則で原付・自動二輪での通学は禁止されている。自転車を使わないのは、バイクを持っているのに自転車も購入するのが悔しい、という一点のみだ。

学校の最寄り駅へいく道と合流するあたりで、同じ制服の生徒たちが一気に増える。その中でも頭一つ大きい林出の姿はよく目立つのだろう。わりと離れたところからもクラスメートから手を振られ、片手を挙げて応える。そしてそんな林出を目印にして、有村の近くに寄ってくる男子生徒も少なくない。

「お、おはよう。 有村さん」

「おはよう、ござい、ます」

横から挨拶してきた男子生徒の方を向くこともなく、一応言葉だけは返す。

(毎朝待ち構えて、ご苦労なこって)

林出は心の中でぼやく。名前を覚える気もない相手だが、自分を目印にしているのに有村にしか挨拶しないと言うのが癇に障る。なにかあったときにはブン殴ろうと顔だけは覚えてやろうか、と思ったが何とも特徴のない顔立ちにそれも諦める。

「あ、あの、有村さん、今日のお昼なんですけど」

「昼、無理、です」

必死で話そうとする男子生徒の方を見もしないからか、光のない有村の目が(それは擬態による模様なので当然なのだが)、なおさら無感情に見える。大して益のないやりとりを聞く気も起きず、林出は顔を正面に向けると、自分とは逆に他の生徒たちよりも頭一つ小さい姿を見つけた。少し早足になりその背後に近づくと、腕を肩に回し首を腋に抱えるように捕まえた。

「うひぁぱ!?」

小さい女生徒は唐突に背後から捕らえられ、素っ頓狂な声をあげる。

「舞菜~おはよう~」

「ひっ……咲子さん、やめてくださいよ……」

身長の低さも相まって、過剰に驚き小刻みに震える姿は怯える小動物か何かを連想させる。

「ふっへっへ、舞菜はかわいいなぁ~」

首を離さないようがっちり抱えたまま、ねっとりとした口調で必要以上に耳元へ口を寄せ、いまにも耳たぶに口に含みそうだ。

「ほんとやめてください……」

そこに男子生徒を振り払った有村が追いつく。

三船みふね、おはよう」

「みぎゃ……おはようございます……」

人一倍怯えがちな三船舞菜は背後から声をかけられて、再び声をあげてしまう。

「お前ビビリすぎだ……で、放課後に部室、これるな?」

「大丈夫です……咲子さん、今日制服チェックですよ」

時々抜き打ちで行われる校門での生活指導を、なぜか事前に知っている舞菜は、明らかに校則とは外れた林出のスニーカーとスカートの短さを見てそう教える。

「げっマジか……有村、裏行くぞ」

「三船、また」

校門へ向かう道から外れ、二人は路地裏を通り学校の裏手へと回る。同じように制服チェックの噂を聞いた他の生徒もちらほら見受けられた。

「もうちょっと奥いくか」

学校裏の金網でできたフェンスはそういった生徒たちの手によって、一部が通れるように切断してあった。普段ならばそこから入れば済む話なのだが、2学期最初の制服検査は夏休み明けともいうことで普段より厳しい。当然それを回避しようとする生徒も増える。

もちろん教師たちだって、この勝手に作られた「通用門」のことは知っているだろう。今日だけはそこも見張られている可能性を捨てきれない。

金網をくぐり抜けて入っていく生徒たちを横目に、さらに奥へと向かう。金網のフェンスがコンクリートのものに変わり、さらに人気の少ない体育館裏あたりまでくる。林出はわずかに助走をつけるとコンクリの壁を蹴って、3m近くある塀の上に手をかけ軽々と登る。有村はきょろきょろと周囲を見渡し誰もいないのを確認すると、手の先だけ擬態を解きあらわれた爪でざらざらとした壁面を危なげなく登り始めた。

(げっ)

塀の上から飛び降りようと下を見た林出は、そこに教師と生徒がいることに気付いて息を潜める。まさかそこに誰かいるとは思わないのだろう。まったく上を見ようともせず、なにか話をしているようだ。

(日本史の貝塚かいづかと、生徒のほうは……3年だな、どっかで見たことあるような……)

手で有村に静かにするよう伝えながら様子を伺う。貝塚は枯れたおっさんの見た目に似合わない、妙に体をくねらせる動きをしている。背中しか見えないのでわからないが、授業中と変わらぬその動きから何かを喋っているのは間違いないだろう。それを腕組みしながら聞いている女生徒は、豊満とかぽっちゃりといった表現ではとても追いつかない堂々とした恰幅だ。肉に埋もれてしまってか、いやに細い目がどことない底意地悪さを醸し出している。

(ああ、ありゃあ生徒会長の尾藤びとうだ。始業式かなんかで壇上にいたな)

しばらく何事かを話していた二人は、こちらに気付かぬまま校舎の方へと去っていった。

「行った、か」

「いやぁ肝が冷えた……大丈夫だな、よっ」

本当に誰も居なくなったか確かめ壁から飛び降り、有村もそれに続く。貝谷と尾藤がいなくなるのを待っていたせいで、時間としてはかなりギリギリになっている。足早に校舎へと向かうが、その途中で数人の生徒がじっとこちらを見ているのに気がつく。全員が切り揃えられたおかっぱ頭に丸眼鏡といった、特徴的な格好をしている。

とはいえ何かの流行りか、その格好をしている生徒が最近ちょくちょく校舎内で見かけることもあり、「やたらとデカい」林出と「作ったような美少女」の有村は無駄に視線を集めることも多く、急いでいる今はそれほど気に留める余裕も無かった。二人が教室に入るとほぼ同時にチャイムが鳴る。昨晩の疲労と寝不足で授業もろくすっぽ聞かないまま午前が過ぎてゆく。

通学につかっているバックパックから、家から持ってきた魚肉ソーセージとタッパーを取り出す。その中には冷凍ブロッコリーが凍ったまま放り込んであり、自然解凍で食べれるようになっているはずだった。それだけでは足りないので売店にいこうと、有村を誘うつもりで立ち上がったところで、一足先に教室から出て行こうとする姿が見えた。

「有村」

「学食、行く」

「お?」

現金を稼ぐ手段に乏しい蟻にとって、昼食はたいてい弁当を作ってくるか、今朝のように余裕がなければ林出が奢ってやることがほとんどだった。一度「蟻にたかられる」とからかったところ、蝉やバッタを捕まえてバリバリ食べ始めたのでそれ以来なにも言わずに食わせてやることにしていた。

「朝の、男、出す、させる」

無表情なまま不器用なピースサインを出すと、下手くそなスキップをしながら廊下に消えてく。細身で見た目だけは楚々とした有村だがスイーツ以外の食べ物で釣るほうが良い、という事実は知れ渡っている。しかし幾度の惨敗例が繰り返されてなおその手段を取るのは、有体に言って愚かだ。

(アイツにとって、食べ物以上に興味があるものはないからな……)

顔すら思い出せない朝の生徒の無駄な努力を不憫に思いながら、自分の昼食のために購買へ向かった。それなりに込み合ってる中、林出が近づくと生徒たちが身を寄せ合うようにしてスペースを空け、スムーズにメンチカツパンとあんぱんに紙パックの豆乳を買い教室に戻る……前に気になって学食の前を通って覗き込む。そこには向かいに座って話しかけてる男子生徒を完全に無視して、山盛りのから揚げを一心不乱に口に運ぶ有村の姿があった。この学食の看板メニューである「1キロからあげ定食」は、体育会系部活男子御用達ではあるが、それを男子生徒と向かい合って有村が食ってるのはどうしても視線を集める。

とはいえ、学食に連れてくると必ずそれしか頼まない、というか林出が「券売機のボタンは一つしか押さない」と徹底して教えた結果「一番肉が食える」メニューに固定されている。そのため確かに目は引くが、それはそれとして見慣れた光景になっていた。最近ではどこで拾ってきたのか、券を出すときに10円玉を5枚ポケットから取り出して「おお、もり」と言えばライスの量が増えることを学習したらしい。今朝の「糖、蛋白、良い」という言葉を思い出しながら、軽く頭を抱える。その間にから揚げとごはんをきれいに平らげ、まだ諦めずに何やら話しかけている男子生徒には目もくれずに席から立つと、出入り口で「お前もうちょっと居てやれよ」という顔をしている林出の横にきて手に持っている豆乳を奪う。

ストローを挿してちゅうちゅうと飲みだす有村の手から紙パックを奪い返すと、軽く振って残量を確かめる。すぐに取り返したはずなのに半分近くがすでに無くなっている。

「お前なぁ」

「戻る」

そう言うと足早に教室に向かって歩き出した。なんとなく普段よりも足取りが荒い気がする。

(メシ食ったばっかなのに機嫌が悪いのは珍しい)

少し首を捻るが、それよりもマズイことがあると気付いて有村を追う。机に出しっぱなしの魚肉ソーセージまで食われてはたまったものではない。

可哀相な男子生徒が一人いたぐらいで、午後の授業は何事も無く過ぎた。適当に荷物をまとめ、部室へと向かう。校舎2階端にある教室と呼ぶには小さいその部屋は、過去に文芸部が発行した作品が乱雑に詰め込まれた倉庫を半ば無理矢理占拠し、表面が剥がれかけの長テーブルと錆びの浮いたパイプ椅子を持ち込んだ急ごしらえの部室だった。

いつのものかもわからない黄ばんだ紙が押し込まれているスチール棚には、「第二文芸部」と印刷された部分にマジックで線が引かれ、その下に「オカルト研究部」とオカルトらしさの欠片もない太い字で書かれたコピー用紙がマグネットで留めてある。他には

部長 林出 咲子 (ハヤシデ サキコ)

とだけ記載されている。

錆びた椅子に背中をあずけ軋んだ音を立てながらスマホを見ている林出と、触覚を伸ばして両手で擦り汚れを落としている有村だけが部室にいた。

「遅い、な」

伸ばした触角の形を整え眼鏡フレームに見えるよう成形しながら、ぽつりと言う。まるでそうやって痺れを切らすのを待っていたように部室のドアが弱々しくノックされる。

「どーぞー」

ドアが少しだけ開かれ、滑り込むように入ってきたかと思うと素早くドアを閉め三船はホッとしたような息を吐く。

「何やってんだよ……」

「オカ研に出入りしてるところを見られたくないですから……」

そいつはどういう意味だ?と思わず片眉が上がるが、それを問い詰めたところで怯えやすい三船が萎縮してしまうだけだろうと諦める。こいつは自由にさせとくのが一番良い。

「まぁいいや、でまだ居るってのはどいつだ」

「これを見て欲しいんですけど」

カバンの中からモバイルバッテリーに繋いだタブレットを取り出して画像を表示する。繁華街から少し外れたラブホの多い一角を撮影したものが表示されている。それを指で操作し、一部分を拡大させるとそこに映っている男女を指差した。セーラー服のような上に、黒と白の縞模様のふんわりと大きいスカートを履いた女の格好には見覚えがあった。昨晩の蜘蛛が擬態した姿だ、あのスカートがさらに大きく膨らんで腹部へと変わる様を思い出して顔をしかめる。

男のほうはスーツを着たいいおっさんだ、細身で枯れた印象を与える手足が「へぇ、こんなヤツでも援交すんのかね」とちょっとした驚きを覚え……この枯れた後ろ姿、どっかで見たような……。

「貝塚じゃん」

今朝たまたま塀の上から見かけた日本史教師の名前が口から漏れる。

「そうなんです。貝塚の援交の噂を聞いて追ってたんですよ」

「舞菜はビビリのくせに、よくやるよな……」

「いやだって」

この尾行しているときのことでも思い出したのか、体を震わせながら言葉を続ける。

「弱み握れば怖くなくなるじゃないですか」

「その考え方が一番怖ぇーよ」

「三船、それ、正しい」

次の獲物への期待でタブレットを一緒になって覗き込んでいた有村が同意する。確かに生き残ることを最優先にする昆虫と、過剰なまで危険に怯える三船が似たような結論を出すのは道理かもしれない。

三船がタブレットをタップすると、動画の再生が始まった。どうもスマホで録画しながら追っているらしい、しばらく進むと細い裏道に入った二人を見失わないよう駆け足になる。画面が揺れまくってて、拡大した映像を見てるこっちが酔ってしまいそうだ。曲がり角で立ち止まりその先が映される。そこには何か早口で喋りながら詰め寄る女と、それに対し落ち着くようジェスチャーをする慌てた貝塚がいた。しばらく言い争っていた女がかぶりを振り、大きく息を吸ったかと思うと擬態を解き蜘蛛の本性をあらわにした。大顎を開いて襲い掛かろうとしたところに、大きな悲鳴が聞こえる。大声すぎてマイクが完全に音割れしていた。

その叫びに反応した蜘蛛がまっすぐこちらを見たかと思うと、スマホの持ち主は全力疾走で人通りの多いところに向かって行く。

「それでこのあと私に電話してきた、と」

「そうです」

「で? この蜘蛛はやったハズだぞ」

三船が動画を少し戻す。

「貝塚の方、見ててください」

擬態を解く女のほうにピントが合っていて少しぼやけてはいるが、身を守ろうと構える貝塚も画面の端にしっかりと映っている。コマ送りで再生していくとその腕がくっついて一体になり、まるで盾のように体を覆おうとしていた。画面中央では巨大な蜘蛛の姿があるためどうしてもそっちに集中してしまい、言われなければ気付かなかっただろう。

「よう見つけたな、こんなもん」

「何度も見返して気付いたんです」

その繋がった腕は扇のような形になる。それと同時に貝塚の体から霧のような白いもやが立ち昇っているのが見えた。それは煙よりもはっきりとした質感で、まるで水の中に牛乳を注いだようなスモッグが広がっている。扇状に広がった腕で影になりはっきりとは見えないが、そのスモッグを噴出しているのは貝塚の口からのようだ。その口がある顔全体がぐにゃり、と形が崩れたように見える。

動画はそこで大きく揺さぶられ、なにも映さなくなる。

「……おいこれって」

「そうじゃないかなと思って」

虫たちの擬態は、「そこにあるものを人間に似せる」ように行われている。それが解かれる瞬間には、なんというか「雪だるまが溶けていく途中はどこまで雪だるまか?」と聞かれているような感覚がある。人間の姿から虫になる過程では、人の形に引っ張られてどうみても人間ではない姿でも何となく「人間に見えるところ」を見てしまって、それが擬態を解いていることになかなか気付かなかったりする。逆に虫の姿から人間に擬態する過程をじっと見ていると、「虫っぽいところ」が残っているとなかなか人間の姿には見えなかったりする。どちらも瞬きを強くしたり、いったん視線を外してから改めて見ると、びっくりするほど姿形が変異してること気付くことが多い。

だが貝塚の変わりようにはそういった部分が無かった。人間の形の被りモノを脱ぎ去ったような、外側の衣で本質を覆い隠しているような、そんな印象がある。昔からの言い方で隠していた本質が露呈することを「化けの皮を剥いだ」と表現するが、まさにその言葉そのものだ。

「林出、みつけ、た、か?」

「わからん。だが……」

探してる相手とは別だろうし、関係があるのかもわからない。それでもこの小さな糸口になるかもしれない可能性を、逃すわけにはいかなかった。

「舞菜、貝塚の居場所わかるか?」

「何かあったら助けてくれるって約束してもらえるなら」

卑屈な顔で林出の顔を下から覗き込む。

「だから貝塚をどうにかすりゃあいいんだろ?」

「それとは別ですよ」

「なんでだよ」

額に皺を寄せて睨みつける。その目線に体を震わせながら三船は言い放つ。

「じゃあ私は貝塚に殺されます」

「はぁ!? どうしてそうなんだよ!」

「私は死ぬし、咲子さんは情報を失う。 それを避けるため咲子さんは貝塚から私を”守りたい”。 それなら咲子さんのお願いを聞いてあげるのは私のほうじゃないですか」

「てめぇ……」

「聞くだけ聞いてやっぱ無しとか言うんなら、貝塚に言います。 林出咲子に正体がバレたって言います」

「そんときゃお前も殺されるだろ!」

「安全が保証されるんなら死んでもいい!」

「……ぶふっ」

本末転倒な三船の宣言に、林出は思わず吹き出してしまう。

「あっはっはっは、それじゃあ仕方ねぇ!」

「痛い、痛いです」

バンバン背中を叩いて笑う林出に文句をつける。林出としては別に何かと引き換えでなくても、危ないやつがいれば助けに行くだろう。それはそれとして三船のこの姿勢が好きだった。卑屈で卑怯ながら、それゆえに弱さを盾にせず生き残る保証を掴もうとする必死さを。その結果として立ち上がった矛盾、それを声高に宣言する熱を。そういった三船の「捨て身で助かりにいく」姿は、林出にとって好感を抱かせた。

「とりあえずどうするか決めようぜ」

姿を見られた蜘蛛が迷い無く追ってきたのだから、貝塚も恐らく三船を亡き者にしようと考えているだろう。正体を人目に晒したくない以上、昼間の学校で襲われることは考えにくい。人気のない帰り道、生徒がほとんど帰って人目が少なくなった校舎、あるいは教師という立場を利用して住所を調べ三船の家に押しかけてくるか、考えられるのはそのくらいだろう。

昨晩の時点で仕掛けてこなかったのは、蜘蛛ほどスムーズに殺害する自信がなかったのか、慎重なのか。

「違うな……」

ひとりごちる。慎重だとしたら今日学校に出勤するはずがない。蜘蛛がやられたことで撮影者である三船の他に、蜘蛛を撃退した協力者がいることに勘付き、それが誰かを知る必要のある貝塚はどう動く。当然、自分の正体を見たであろう三船に加え、そのことが伝わっているであろうあと二人も消すべきだと考える。

昨晩襲わなかったのは慎重だからではない、三人を一網打尽にするため。そしてその機会は思ったより早くやってきたに違いない。そうつまり今。部活の生徒たちも三々五々帰り始めた、この時間帯から先はいつ現れてもおかしくない。

「誰か近づいてたりしねぇか?」

僅かな震動でも察知できる蟻の感覚器官が敵の接近を探知できるかもしれない。林出の問いかけにそれを察した有村は椅子から降りて四つん這いになると、眼鏡の形にしていた触覚をほどいて床に押し当てた。そのまましばらくじっとしていたかと思うと、唐突に顔を前後左右に振り何かを探し始めた。

「有村?」

妙な様子に声をかけるが返事はない。

「なぜ、だ?」

そんなことを言いながら、変わらず頭をふり、その場でぐるぐると回ったりしている。触角をピンと伸ばし、顎を開いたせいで擬態している人間の顔が崩れそうになっている。それどころか腹部を押さえている真ん中の脚を伸ばそうとして、制服を引き裂こうとしてる。三船は有村の正体を知っているとはいえ、どこに目があるかわからない学校内で蟻の姿に戻すわけにはいかない。

とにかく何か混乱している有村を落ちつかせないと、と林出は床に這いつくばり有村の複眼に自分の顔を近づける。

「おい!有村、どうし……んっ」

林出の姿が見えていないのか、額をぶつけそうになった有村の眼を手で抑える。その動きで巻き上がった床近くの空気に違和感を感じた。なんとなく重いというか粘性があるというか、空気とは別の気体が床上を流れている。鼻をひくつかせると、磯臭いような生臭いような不快な臭いが鼻をつく。それに気付いたことで床上を注視すると、うっすらと白いガスのようなものがどこからか流れ込んでいるのがようやく判明する。空気よりも重いそれは床に充満しており、そこに四つん這いになった有村が一足先に影響を受けたのだろう。

「さっきの……舞菜……」

これが動画で貝塚が噴出していた乳白色のスモッグであることは間違いないだろう、しかしそれが分かったところでしゃがんだ林出はそれを吸い込み過ぎていた。三船に「逃げろ」というか「助けろ」というか「窓開けろ」というか逡巡しているうちに、声が出せないようになってしまう。視界が暗転し、その奥にぼんやりと女の子が座っているのが見えた。

その子は冷たいコンクリの床に座り込み泣いている。花柄のワンピースを着て、なぜか妙にカラフルな顔全体を隠すことができるマスクを手に持っている。だがそれよりも、その子の頭を巨大な唇が後頭部から額にかけてぱっくりと咥え込んでいた。その唇の持ち主は見えない、ただただ大きな口だけが女の子を咥えている。唇はもごもごと動き、咥えた頭を舐りつくしているようだった。

「助けて……怖い……助けて、助けて……」

恐らくすでに散々叫んで声を張り上げる気力も使い果たしてしまったのだろう、か細い声で助けを求めている。林出はしゃがみこんだまま、床に爪を立てて女の子に近づこうとする。助けを求める女の子を放っておけるはずがない。立ち上がって駆け寄りたいが、腰から先が痺れたように言うことを聞かない。それでも何とか近づこうと更に力を込めて、床に爪を立てる。

少しだけ前進した気がして指先に渾身の力をかける、すると薄いプラスチック板が割れるような音がした。自分の手を見ると床に突き立てた爪が全て割れ、指先から鮮血が溢れている。

「助けて……無くなっちゃう……」

大して近寄れてはいないのに、女の子の声が頭を揺らすほど大きく聞こえるようになった。「助けはこない、助けることはできない」頭が揺れると、脳の芯からそんな声が聞こえてくる。「助けられない、助からない」。

「うっるせぇぇえええぼぁぶぅ!!」

喉を張り裂きながら吠える。声と一緒に血が口から吹き出した。

「助けてやる!待ってろ!」

どれだけ叫んでも届かないと確信しながら、それでも女の子に向かって叫ぶ。

「助けて……お母さん……」

林出は知っていた。これを知っていた。泣いてる少女を知っていた。なにが無くなるか知っていた。そして、母は来ないことを知っていた。

これは記憶、もっとも辛い記憶。一番古い記憶。そして始まった日の記憶。そして目覚めた日の記憶。

「舐めんなコラぁぁあああ!」

この記憶を見せさせているヤツに憤怒した。怒りに任せて足に力を込め無理矢理に立ち上がる、爪先よりも食いしばった歯の間から溢れる血が灰色の床を染める。この辛く苦しい思い出を再現されたことに怒ったのではない。この記憶を見せれば、その苦痛を思い出せば心が折れるだろうと、この幻覚の前に屈服するだろうと、その思惑に激怒した。恐怖と悲愴と絶望で人を支配しようする、その考えだけは何があろうと打ち砕かねばならぬと怒りの炎が猛り狂った。

床を蹴り、1歩、2歩、3歩目で跳躍し少女に噛み付いている唇へ掴みかかり、そのまま前方回転しながら少女を飛び越し強引に唇を引き剥がす。

そこで眼が覚めた。

部室の中央で長机を投げとばし仁王立ちで立つ自分に林出は気づき、この幻覚を見せた相手を確かめるため部室のドアへ猛然とダッシュし、ドアが砕けそうな勢いで開き廊下を血走った目で睨みつける。その横をすり抜けて有村が飛び出した。

「殺、す」

人間の擬態を保ったまま廊下を駆ける。有村もまた幻覚から抜け出し、その元凶に強烈な殺意を覚えたようだ。その脇腹には自身の金属製の義脚が突き刺さっている、恐らく幻を遠ざけるために必要だったのだろう。刺さった義脚もそのままに廊下を疾走していく、姿は見えないが部室の前から逃げ出した相手を追う。ここから遠ざかろとする行動が振動となって、有村に敵の位置を伝えている。

階段を上に昇っていく有村の後ろを林出は必死で追いかける。擬態して不自由な姿勢とはいえ、蟻が本気を出した速度に着いていくのは全力で走らないと難しい。

三階を通り過ぎ屋上へと向かう。普段は施錠され屋上には入れないようになっているのだが、階段を昇りきった先の広い踊り場から屋上への扉は開け放たれていた。そこには細い体に安っぽいスーツをまとった貝塚が、慌てたように周囲を見回していた。

「場所、有利、殺す」

貝塚の出す白いガスが幻覚を見せたとすれば、それを充満させることが難しい屋上は彼にとって最悪の選択だ。

「ま、待ってくれ!僕は争う気は」

「なぜ、姉さん、知って、る!?」

「姉さん? 僕は幻を見せるただけで、君のお姉さんのことは何も……」

「不意打ちしといて争う気は無い、じゃねーよ!」

追いついた林出は階段を昇ってきた勢いのまま、襲いかかる。顔面を狙って跳び膝蹴りを放つが、それは貝塚が顔の前で交差した腕に阻まれてしまう。その手応えは人間の肉体よりも昨晩の蜘蛛に似ていたが、確実にそれよりも硬かった。

「話を聞いてくれ!」

交差した腕が繋がり、扇状に膨らんでいく。

「話、ない」

蟻の大顎を開いて大きくなっていく腕に噛み付くが、膨らんでいく速度と強度に負けて弾かれてしまう。

広がっていく腕の表面がくすんだ白と茶褐色の縞模様になり、貝塚の上半身をすっぽりと包むほどに大きくなる。それは腕のあった前面だけでなく、どこから現れたのか背面にも同じような扇状の殻が飛び出し、挟みこむように貝塚をその中に隠す。両足は骨が無いかのようにぐにゃり、と曲がり吸い込まれるように殻の中へしまわれる。殻と殻の隙間からは、クリーム色をした柔らかい大きな舌のようなものがはみ出している。その後ろから筒状の器官が2本姿を覗かせた。

さっきまで人間だった貝塚の姿は、みるみるうちに巨大なハマグリへと姿を変えた。それは地上から数十センチ浮遊しており、その姿が変わる過程も含めて物理法則とは違った、何か別の力が働いているようだった。

「貝のバケモンか」

化けの皮が剥がれた貝塚の姿を、吐き捨てるように言いながら林出の口元には少しだけ笑みが浮かんでいた。動画で見た印象どおり、貝塚の変化は虫たちの擬態とは別物だった。それはこの生き物が人間とも虫とも違う、林出の探しているモノの仲間だということ確信したためである。

「有村」

指でチョキを作り開いたり閉じたりして見せると、小さく頷くのが見えた。それを確認してから貝塚の右手に回り込むように走り出す。それよりもほんの一瞬早く、有村は貝塚の左手側に向かって走る。

「抜くぞっ」

二人が交差するタイミングで有村の脇腹に刺さったままの義脚を掴み、引っこ抜く。それほど深くは刺さっていなかったようで、刃状になった先端に僅かばかりの体液を残してするりと抜けた。義脚を手にしたまま、貝塚へ左右から囲むように駆け寄る。筒状の器官から幻覚を見せる白いもやを吐き出すが、屋上では風に簡単に散らされてしまい彼女たちの足を止める役には立たない。貝殻の隙間からクリーム色の体を伸ばして地面を蹴り、距離を取ろうとするが身体能力においては明らかに有村どころか林出にも劣っている。

(くっそ!)

にも関わらず林出は焦っていた。あの毒ガスを有効活用しようと思うなら、屋上に逃げ込むなんて考えられない。つまり貝塚には屋上に来ることに何らかの利点があるということだ。それはガスが有効な閉鎖空間では起こりえないこと、つまり外部からの助っ人だ。そいつと連絡を取る、あるいは察知し合流する前に片をつける必要がある。だがただ殺せばいいというわけでもない、このバケモノには聞かなければならないことがあるのだ。

安全靴で来るべきだった、と反省しながら追い詰める動きを助走にして跳び上がり、両足を揃えて真っ直ぐ伸ばし足の裏で蹴り飛ばす。蹴りの反動を利用し、空中でバランスを取って片膝をつくだけで着地しそのまま立ち上がり貝塚へとダッシュする。

蹴り飛ばされた貝塚は反対側にいた有村に捕まる。慌てて貝殻同士を密着させ閉じようとするが、その隙間には既に前脚の爪が捻じ込まれてる。殻と殻に挟まれ爪に外骨格にひびが入る。

「開、け」

僅かに開いてる隙間の前で大顎を開き、その奥の口吻から「あのガスのお返しだ」といわんばかりに液体を噴出する。吐き出された蟻酸は貝殻に飛び散り白煙を上げ、隙間から本体に浴びせられた分が軟体の体を焼く。その痛みに怯んだのか、体を縮こませたことで殻を挟む力が弱まった。それを見逃さず捻じ込んだ前脚の爪に力を込め、強引に殻を開いていく。てこの原理か、今度は爪がかかっている殻のふちが開く力に耐え切れず割れはじめる。

「こんの!」

その開いた隙間に、林出は手にした義脚を滑り込ませる。刃状の先端を突き入れ手前に力一杯引くと、柔らかな肉を裂く手応えがあり、隙間から激痛に痙攣する本体が見えた。唐突に刃の動きが止まる。何か硬く太い木の幹のようなものに引っかかり、刃が食い込んだまま進まなくなった。

(ここが貝柱か!)

ここを切断してしまえば、貝殻を閉じることすらできなくなるだろう。貝柱に刺さったままの義脚から手を離し、貝殻に両手を当てそこを支点にジャンプする。落ちる勢いを体重を利用して、義脚に両膝を叩きつける。細く強靭な筋繊維が切れる音がして、義脚は数センチ深く食い込む。

「もういっちょぉ!」

再び体重の乗ったジャンピングニーをぶち込み、確実に貝柱を切断していく。一撃ごとに開いていく隙間に有村は再び蟻酸を吐き出す。

「許して……」

「止めて欲しければ、質問に答えるか!?」

容赦なく膝を叩きつけながら、許しを請う貝塚に問いかける。

「答えます!なんでも答えますから!」

「まずは屋上から降り、がっ!」

突然、真横から激しい衝撃を受けて林出は吹き飛ばされ地面に転がった。

「まったく、情けない」

女の声に顔を上げると、いままで林出が立っていた場所に低い羽音を立ててホバリングしているものがいた。黄色い外骨格に黒い縞模様、胸に密集した柔らかそうな金の毛と、黒く輝く大きな二つの複眼。それは人間よりも大きい蜂……その中でもミツバチに似た姿をしているものであった。ぷっくりと膨れた腹をふりながら空中に浮かび、貝塚であったハマグリの妖怪を馬鹿にしたようすで見ている。

触覚を震わせ、有村は殻にかけていた爪を外しその場から飛びのいた。体当たりを仕掛けた蜂に続いて、それより一回りか二回りほど小さな数匹の蜂が下から飛び上がって姿をあらわす。蜂たちは貝塚の体を掴みあげると羽根を震わせ持ち上げる。

「助かった……」

「ツナギ様のところへ運べ」

最初に現れた大きな蜂がそう命じると、貝塚を抱えた蜂たちはどこかに飛び去ろうとする。

「待てコラ」

蜂の一匹が貝塚の体から顎で器用に引き抜いた義脚を拾いながら、連れ去ろうとする蜂たちに向かい合う。

「林出、相手、多い」

「君らはそのうちだ。特にそこの蟻、絶対に潰す」

今にも殴りかかろうとする林出の襟首を掴んで、有村が抑える。

「離せっ!」

「無理、勝つ、ない」

その二人を尻目に、蜂たちは沈みかける太陽のほうへ向かって飛んでいく。ようやく手を離した有村に蹴りを入れてから、屋上のフェンスに駆け寄り去って行く貝塚たちに目を凝らす。しかし学校の西にある山の中に姿を消し、それ以上目視で追うことができなかった。振り返って有村を睨みつける。

「てめぇ……」

走りよって複眼と複眼の間に頭突きをする。

「逃がしちまっただろうが!」

「ダメ、私も、死ぬ、ヤダ」

「じゃあお前だけ逃げりゃあいいだろうが!」

有村は左右に首を振る。

「それ、できない。わかる、な?」

「うるせぇ!チャンスだったんだ、それをっ!クソっ!」

顔を伏せ吐き捨てるように叫び、鼻を啜る林出の肩に手を乗せる。

「林出」

「……んだよ」

目元をこぶしで拭って顔を上げると、有村が顎を開き、蟻酸を数滴だけ地面に落として見せた。

「この臭い、追う、できる」

「なっ!?」

地面と反応して酸味ある臭いを発する蟻酸の染みを見て、みるみる林出の顔が赤面していく。

「最初っから言えよバカ!」

「言ったら、バレる、だろ。林出、バカ」

「蟻のくせに」

「人間、ショボい」

「うるせぇ殺すぞ、いいから脚だせよ蟻んこ」

制服の上着を捲り上げさせ、手に持っていた義脚を有村の真ん中の脚に取り付ける。

「妹、たちに、探す、させる。今日は、帰る」

「頼む」

顔を人間に擬態させた有村が、角度とバランスを利用し微笑んだ表情を作る。

「頼まれ、た」

そう言うと一足先に屋上から出て階段を下る。その後ろを着いていく林出が有村の背中に指を伸ばす。

「そういえば制服の代え、あんのかよ」

指を義脚が刺さっていた制服の穴に突っ込み、その奥の体の傷にまで指先を埋める。

「痛っ! ヤメロ! 林出、バカ、か? バカの人、か?」

「んだよ、傷の深さみただけだろぉ」

「やり方!」

「へーへーすまんすまん」

指先についた体液を有村の制服の裾で拭きながら、適当に謝る。

「ごはん、肉、しろ。 場所、教える、ない!」

「わーったよ、悪かった悪かった」

「ふ、ん」

既に暗くなりかけて生徒がほとんど帰った校舎を抜け出し、帰路の途中でスーパーに寄る。カゴを持って野菜売り場を物色していると、嬉しそうな足取りで有村がみちみちに肉がつまったパックを持ってきた。

「これ!」

カゴの中に放り込まれたパックの表示を見ると「とりもも2枚お買い得品(ブラジル産)」と書かれており、二人で食べきるにはちょっと頑張らなければならないグラム数と考えていた予算を大幅に下回るお値打ち価格が記載されていた。

「完璧じゃん……あれ? でも昼も鳥肉じゃなかった?」

「安い、多い、肉、良い、肉」

「いやまぁお前が良いんならいいけどよ」

夏が終わる名残を感じながら、カゴの中にトマトとナスを入れ、ついでに切れそうな牛乳と冷凍のブロッコリーも買う。家に帰るとすでに出勤したのか父親の姿は無い。適当に制服を脱ぎ散らかしてTシャツ一枚に着替えると、台所に立ち発泡スチロールのトレーからとりもも肉を取り出した。

鍋にたっぷりと湯を沸かしつつ、肉の厚い部分を包丁で切れ目を入れ開き、余分な脂肪を切り落としていていく。ひっくり返して皮目を適当に何ヶ所か突き刺して切れ目を入れ、まんべんなく塩をかけて刷り込む。大き目のフライパンにサラダ油、中火で温める。全体にコショウをふって、油が温まったのを確かめてから、皮を下にして投入する。小気味いい音を立てて鶏肉に触れた油が気泡を作りながら跳ねる。火を中火と弱火の間くらいに落として、湧いたお湯をシンクの中で包丁とまな板にかけて簡単に滅菌する。

皮目がすこーし色付いたら、日本酒を気持ち多めに振りかけてフタをする。皮をじっくりと焼き上げパリパリに、肉は蒸し焼き風にして柔らかくジューシーに。ただ焼きっぱなしで放っておくだけの、単純で失敗しにくい調理でありながら、これが一番旨い鶏肉の食べ方だと林出は信じていた。

蒸し焼きで肉に火が通るまで10分弱くらい。その間に長ナスを輪切りにして、トマトも櫛状に切りこれはそのまま皿の上へ。フライパンのフタをあけキッチンペーパーで出てきた脂を適度に吸い取りつつ、鶏肉との隙間にナスを並べる。当然入りきらないので重なったり肉に乗っかったりするが気にしない。火を今度は強火と中火の間くらいに上げて、皮に焦げ目と歯ごたえを足していく。

焼きあがったらまな板の上へ。ナスを広げて全部に火が通るようにしながら、出てきた鳥の脂を吸わせてやる。包丁で鶏肉を、上から下へ押し切るようにしながら一口大に切り分ける。先に切らないほうがいいのかもしれないが、この焼き立ての皮を割りながら包丁を入れていく手応えの快感は料理する人間の特権だ。皿に一枚分ずつ分けて、自分の皿にだけワサビをチューブからひねり出しておく。脂を吸って火が通り柔らかくなったナスも盛り付け、テーブルに運びながら有村を呼ぶ。

「メシー」

有村は傷口の確認を切り上げいそいそと食卓につくと、鶏肉の焼け具合を確かめるように爪先でつつく。

「ごはんは?」

「いる、ます」

自分の皿に乗っているナスを幾つか林出の皿に移動させながら答える。米をよそった茶碗をそれぞれの前に置いて、林出も食卓につく。

「いただきます」

「いただき、ます」

手を合わせてから箸を取り、明らかに分量が増えたナスを有村の皿に戻してから自分の口に運ぶ。

「んー、うまい。 お前もナスを食え」

顎で鶏肉を食いちぎっていたのを中断して、いやいやナスを口に運ぶ。最初は不服そうな様子だったが、一口二口と食べたあと怪訝そうに首を捻りながら更にナスを口に運ぶ。

「どうだ」

「わから、ない。食え、る?」

「食えるってなんだよ、おい」

と言いながらナスを食べる有村を見て、思わず笑みを浮かべてしまう。鶏の脂を吸わせたのは味覚に合ったようだ。林出は安心しながらしょうゆを軽くかけてワサビをちょんと乗せ鶏肉を口に運ぶ。

「……うんめぇ~、私は天才じゃなかろうか」

白メシを追いかけるように口へ運びながら自画自賛する。

「林出、天才」

「切っただけのトマト食いながら言ってんじゃねーよ」

トマトを啜るように食べながら有村がした適当な同意に、テーブルの下で脚を軽く蹴りながら笑って返す。

食事も終わり風呂にも入ってから、なにをするでもなくスマホをいじりながらだらだらしていると、有村が一足先に自室へと入っていった。昨日は遅かったし少し早いが寝るか、と部屋に入るとそこにはいつもの押入れの中ではなく、林出のベッドに潜り込んでいる有村がいた。

「なにやってんの?」

ここに入れといわんばかりに半分空けてあるベッドに腰掛け、タオルケットをめくって顔を出してやる。有村はその顔の横へ脚を曲げ義脚を掲げるようにした。

「今日、たぶん、寂しい、なる。一緒、寝る」

「あーそうかもな……うっし久々に一緒に寝るか」

「同衾」

「違う!」

「?」

「いや合ってんだけど合ってないっていうか、広義では正解だけど狭義では間違いっていうか……」

言いよどむ林出を見て、有村は細かく顎を打ち鳴らす。

「狭義、する、か?」

「てめぇ解って言ってんな、あーもう、嫌だ嫌だ。おやすみ蟻んこ」

そう言い放つと有村に背中を向けてベッドに横になる。

「電気」

「おめーが消せ」

顎を鳴らして笑いながら、寝転んだまま義脚を外して電灯の方へ伸ばし紐を絡めて3度引っ張る。部屋はまっくらになり、カーテンの隙間から入ってくる街灯の灯りが有村の複眼に小さく反射している。

「おやすみ」

そう背中に声をかけ、頭からタオルケットを被って有村は眠りに着いた。

つづく(04/09 20:00アップ予定)

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