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(9)ヤオヨロズ

「ナナモさんはコジキ(古事記)を知っていますか?」

 アヤベはゆっくりと話し始めた。

「コジキ?」

 ナナモはコジキという書物について、母から教えられたような気がする。はっきりとは思いだせなかったので、日本の神話について書かれたものですか?と、尋ねると、アヤベはゆっくりと頷いた。

「遥か彼方の昔、混沌とした世界は天と地に別れ、その後次々とカミが現れ、まるで水に浮かべるとすぐに溶けてしまう綿菓子のようなこの国を固めて行ったと、そこには書かれています」

 母もキャンディフロスと言っていたような気がしたが、ナナモは忘れていた。

「カミは、絶対的な存在なのに、そこに書かれているカミガミは、食事もすれば、好きになって結婚し、子供をもうけ、そして、亡くなっていく様まで書かれています。それに、激しく嫉妬したり、怒ったり、喧嘩をしたりもするのです」

 そう言えば、カミ様であるはずなのには僕たちに似ているんだと、思ったような気がする。だからか、母の話も、なにかおとぎ話というよりも、特撮ヒーローの様で、眠気どころかワクワク感で一杯だった。

「日本にはヤオヨロズ(八百万)のカミガミがおられるんでしょう」

 カミガミは、確かにヒーローだけではなかったような気がする。

「そうですね。でもなぜ日本にはヤオヨロズのカミガミがおられるかを考えたことがありますか?」

「さあ」と、いうような顔をナナモはついしてしまったが、アヤベはそのことを窘めるということはなく、代わりにナナモさん周りを見てください、どうですかこの国の美しさはと、問いかけてきた。

 ナナモが目を向けると、それまで真っ白な壁で囲まれていた空間が急になくなり、パノラマ映画のように周囲の景色が三百六十度で映し出された。もはや陽が落ちている時間なのに、まるで暗闇が透き通ったかのように、より身近にその景色をはっきりとした色彩とともに浮き上がらせている。

「周囲の海から国が固められ、次第に陸地が出来上がると、海からの水蒸気で雨が降り、地底からの噴火で山が出来、そして、草木が生え、川が流れ、食べ物を求めて昆虫や動物が住みはじめ、そして、最後にヒトが誕生するのです。それは、ある意味、科学的な現象であるのですが、神話ではほぼ同時に産みだされていくのです」

 ナナモはアヤベの言葉を自然と耳に入れながら、もう一度周囲を見渡してみる。

 この列車は日本人の主食である米を育てている青田を横切り、遥かかかなたから流れ続ける河川の上に掛けられた鉄橋をいくつも渡って行く。進行方向の左側に海岸線が続き、その大海は雨雲を常に押し上げている。右側には逆さ扇の富士山が見え、なぜか夏なのに頂上はかすかに白く雪化粧が施されている。この車両からは、まるで映画館に居るかのようにただ景色が映り変わっていくだけだが、一歩外に出ればそんなことはない。太陽が輝けば暑いし、月は夜陰とともに潮の満ち引きを操る。雷鳴とともに豪雨が視界を遮ると、河川は氾濫し、街並みを一変させる。

「ナナモさんも感じておられると思います。自然はままならないということを。そして、その自然の中で生きること自体も同じようにままならないものだということを」

 それでも、春夏秋冬というはっきりとした季節が、ゆっくりと移り変わっていく中で、日本という細長い島国では、多くの草花や昆虫だけではなく、ヒトを含め、様々な生き物が暮らしていると、ナナモは改めて思う。

「ままならないものはすべてカミの子孫なのです。だからヤオヨロズのカミガミが存在することになったのです」

 そうアヤベはナナモに告げた。

「でも、僕は自分がカミ様の子孫だって思ったことは一度もないよ」

「どうしてそう思われたのですか?」

 ナナモはしばし考えた。

「だって、カミ様は願いをかなえてくれるんでしょう。そういう力は、僕にはないから」

 もしあれば、僕は僕自身の願いをかなえて、あの苦難からぬけだすことが出来たのにと、ナナモは思ったからだ。

「そうですね。でもそれはヒトがいつしか自分たちで田畑を耕し、自然から住処を守り、社会という集団生活をすることによって、ままならぬ世界を治めていったからなのですよ。だから、本来ならカミの継承者であるはずのヒトからは、いつしかカミの能力がなくなってしまって、それとともにヒトはヒト社会を作ってカミから離れてタミになってしまったのです」

「だったら、僕はカミの継承者ではないんだ」

 ナナモはがっかりしたが、その一方でホッとする自分もいる。

「ナナモさん、私はあなたに言いましたよね。ヒトもまままらないものだと。だからカミの子孫なのだと」

「でも、アヤベさんは、もはや、ヒトからカミの能力がなくなってしまったと、さっき言われたんじゃなかったですか?」

「もちろんそう言いました。ヒトはカミの子孫ではあってもカミではありません。だからカミの能力を継承しなければカミに近づくことが出来ません。それにカミの能力を継承することは大変なことなのです」

「でも。その能力は絶対なのでしょう?僕だったらがんばるけどな」

 ナナモはそう言いながらも、東京での夏期講習で音をあげたのは、一度や二度ではなかった。

「カミと言っても万物を操る絶対唯一のカミではないのですから、カミによってその能力は違うのです」

「だからヤオヨロズなんだ」

「そうとも言えますね」

 アヤベは話を続けた。

「先ほども言いましたが、ヒトは社会を作り、その結果、安定した生活を手にすることが出来ました。その結果、カミに頼らなくても、ヒト自身がままならないものを、少しずつ減らしていくことが出来るようになったのです。だから、あえてカミの能力を継承させなかったり、もはやカミの能力を継承しなくてもよいのだと思うヒトが出てきたりしたのです」

「それなのに神社には参拝者が後をたたないけど」

「ままならないものが一つ消えても、また新しいままならないものが生まれるのです」

「だったら、新しいものもカミの子孫となり得るんじゃないんですか?」

「ままならないものと考えるのはヒトではなくてカミなのです。だからこの国の創世期にはカミの子孫で溢れていたのに、今ではほとんどいなくなってしまいました」

「でも全くいないということではないんだ」

「まあ、そうですね。でもカミの能力を継承するためにはカミの子孫である必要があります」

「でも僕の先祖は、代々医者をしていたと、おじさんは言っていたけど」

「苦痛を取り除いてあげるのもカミの能力の一部なのです」

ナナモは、オホナモチという言葉を思い出し、ついアヤベの方を見た。

「もう少し、コジキの話をさせてください」

 アヤベはナナモに気付いてくれる。

「コジキでは、世界は天上、地上、地下の三つの国に分かれていることになっています。カミはすべての国を往来することが出来ますが、ヒトは地上と地下にしか行くことが出来ません。地下の国は死者の国ですから、ヒトは一度そこに行くと決して地上の国には帰れないことになっています」

「じゃあここは?」と、ナナモは言った。

「カミはどういうわけか天上と地上、地上と地下に中間の国を作り、選ばれた者だけが、行き来することが出来るようにしたのです」

「だから現実とつながっていたんだ」

「その通りです。けれどその中間の国に居座わり、地上をコントロールしようとしたツワモノが現れた。とても居心地が良かったのでしょう、ツワノモはなかなか出て行かなかった。カミはそれでは困ると焦ったのかもしれません。カミはオホナモチを中間の国に使わしたのです」

「どうしてカミ自らが行かなかったのですか?」

「そのツワモノもカミだったからです」

「でもそこにはカミも行けるのでしょう」

「もちろんです。けれどカミはそこには本来住めないのです」

「ツワモノは住んでいたのに」

「だからツワモノなのです」

「オホナモチは、だったらもっと強かったの?」

「そうではありません。オホナモチはいじめられっ子でしたから。けれどとても我慢強かったし、幾度かの試練にも耐えたし、なんと言ってもとても優しくて人望もあったので皆に助けてもらえたのです」

「オホナモチもカミ様なの」

「オホナモチとは今で言うと皇太子のような意味です。むろん、まだ、すべてのヒトはカミの子孫でしたから、オホナモチもそうだったに違いありません。カミは地上の国を繁栄させ安定させるために、カミではなくてオオナモチという王となるべく継承者を選んだのです」

 アヤベはそのまま話し続けた。

「ツワモノは結局、オホナモチの愛と誠意に負けて、自らの娘と結婚させることで地上の国を治めるように言い残すと、いつしか中間の世界からいなくなってしまったのです。そして、オホナモチはそのあとオホクニとして地上の国の王となりました。その具体的な過程はほんの少ししかわかりませんが、決して平たんな道ではなかったと思います」

「でもカミの力で地上の世界を治めて行ったんでしょう」

「オホクニは地上の王となる代わりに、そういう能力が少しずつ使えなくなっていったのかもしれません。だから、オホクニは中間の世界までは行けたのかもしれませんが、カミのように天上や地下の国には自由に行けなくなっていったのではないかと思います」

「ヒトに近くなったってことですか?」

「ヒトが住む世界に近くなったと言った方がいいでしょう。それに王として地上を治めるにはままならないことが少ない方がいい時もあるのです。もはや地上の世界はカミの力を持たない生き物で溢れている。だからオホクニも同じようにふるまわなければと思ったのかもしれません」

「でも確かオホクニはその後・・・」

 ナナモは靄がかかった記憶の中をさまよっていた。

「そうです。コジキはそれから皇家の誕生の話と移っていきます」

「でもその前に国譲りの話がなかったですか?」

 ナナモはどうしてオホクニが国譲りを行ったのかよくわかっていなかった。

「オホクニは、この国に農業を広め、医業を行い、そして、鉄器を使って産業を興しました。きっとそれなりに平和な国づくりが行われていたのでしょう。だから本当にあのような国譲りが行われたのかどうかはわかりません。けれど神話の世界をだれも否定することは出来ないし、否定したとしてもなにも我々が影響されることはないのです」

「どうして?」

「皇家もカミの子孫だからです」

「みんな一緒だということ?」

 ナナモはついそう言ってしまった。

「一緒だとは言えません。たとえ皆がカミの子孫だとしても、継承者は度重なる試練を越えなければならないのですから」

 アヤベは少しだけ音量を上げたようにナナモには聞こえた。

「オホクニがその力を失いつつも、一生懸命国づくりを行った地上の世界には、まだままならないものがたくさんあったのです。だからヤオヨロズのカミガミは、天上の世界から頻繁に降りてくる。それに、このころになると地下の世界に住むオンリョウたちがヨミの力を使い始めたのです」

「オンリョウたち?」

「そうです。天上の世界にカミが、地上の世界にはヒトを代表とする生き物達が、そして地下の世界には死者がいるのです。先ほども言いましたが、カミも死ぬのです。カミは天上から地下まで行けます。地下のカミも天上や地上の世界を訪れたいと思うこともあったでしょう。けれど天上のカミは、ある時、地下と地上の間に大きな岩を置いて、地下にいるカミを封じ込めてしまったのです。最初はそれでも仕方がないと思ったのかもしれません。地下に行くと醜い姿に変わり、穢れると信じられていたからです。だから、あえて会えなくなった方がよいと考えたのかもしれません。けれど地下の世界に無理やり行かされたカミの中には、そう思わなかったカミもいる。そういうカミガミは、カミとしては地上の世界には行けませんが、オンリョウという姿に変えて地上に来られるようにしたのです。おそらく岩を砕いたのではなくて、中間の世界に住むヨウカイを使って、迂回路を作ったのでしょう」

「ヨウカイ?」

「そうです。カミともヒトとも違う。精とでもいうべきものです」

「オンリョウと同じじゃあないのですか?」

「それらはモノノケ(物の怪)という大きな概念に属していて、肉体的なものではなく、精神的なものを意味するという点から言えば似通っているかもしれません。つまり、目や耳や鼻やそういうものでははっきりとは捉えられないけれど存在するものです。ヨウカイは、案外茶目っ気があって、出会ったとしても実際の危害は加えられないことが多いのですが、オンリョウというのは、その時だけではなく、何世代にも渡って、恨みつらみで災いをもたらし続けていくし、地下の世界に引きずり込もうとするのです」

「カミ様だったのに?」と、ナナモはついそう言っていた。

「そうですね」としか、アヤベは答えなかった。だから、

「でもヨウカイって目に見えるんじゃあなかったんですか?」と、ナナモは聞いてみた。

「目に見えているのではなく、存在していると思っていることが、存在として心に映っているのです。ヒトがヒトを見る時も同じかもしれないですね」

 しかし、アヤベはその具体的なたとえについては語ってはくれなかった。だからか、モノノケには、(うら)むという概念だけではなく、(うやま)うという概念もあるのですと、言われてもナナモはさらに分からなくなった。

「それと国譲りとどういう関係があるのですか?」

「ヤオヨロズのカミガミはこの状況を打破するために新しい地上の統治者が必要だと考えたのです。つまり、常にカミとつながりのある統治者が必要だと考えたのです。そしてそのことをオホクニに伝えた」

「オホクニはそのことを受け入れたのですね」

「そうです。だから、国譲りがおこなわれた。それに譲るということは、けっしておかしなことではないと思うのです。だから今まで譲るという言葉は、我々に大切に受け継がれることになったのですから」

 アヤベは初めて微笑んだように思えた。

「僕の記憶が正しかったら、オホクニという王家は、皇家に地上の世界を譲った後に、出雲の地に立派な宮殿である大社(おおやしろ)を建ててもらったって聞いたのだけど」

「そうですよ。もはや、天上の世界に行けなくなったオホクニが、天上に通じる宮殿を建ててもらったのです」

「じゃあ、オホクニはそこから天上の世界へ帰ったの?」

「さあ、どうでしょう、コジキにはオホクニがどこに行ったかは記されていません」

「でも、その大社には年に一度ヤオヨロズのカミガミが集まるって」

「カミは中間の世界では住めないって言いましたよね。オンリョウたちは地下と地上の中間の世界には来られますが、地上と天上の中間の世界には来られないのです。だから、いつしかカミガミも大社が居心地よくなったのかもしれません」

「でも、なぜカミは中間の世界に来るようになったのですか?」

「オンリョウたちから守るために、いろいろと皆で話し合わなければならないからです」

「地上には皇家がいるんじゃあなかったの?」

「そうですよ、でも、皇家はあるカミとだけつながっているのです。だから、皇家だけで決めてはならないと思われたのかもしれません」

「それも大切に受け継がれてきたことですか?」

 アヤベはまた微笑んだが、何も答えなかった。

「じゃあ、どうして王の継承者として僕に声を掛けたの?」

「オホクニは宮殿にこもっていたのですが、オホクニの子孫たちの中にはそのことを受け入れられないものもいたのです。つまり譲るということは受け入れられても、従うということを受け入れるということは理解できなかったのです。王家は皇家に譲り、これからは月と太陽のような関係で皇家を支えると約束したのにですよ」

 アヤベは話し続ける。

「オホクニの直系の子孫はあまた全国にいた。もちろん彼らの大半は皇家に従ったのですが、中には従わなかったものもいた。それらは時として戦い、結局は破れて地下の世界に追いやられていった」

「オンリョウになった?」

「そうです。だから、王家の子孫は皇家の子孫と話し合ったのです。オホクニとしてヤオヨロズのカミガミとともにオンリョウから皇家を守ると」

「でも、僕だけじゃないと言いましたよね」

 アヤベはゆっくりとうなずいた。

「継承者は一杯いるんでしょう。僕は誰かと競争してまでオホナモチになろうとは思わないよ」

 ナナモは心から思った。

「オホクニはこの国を初めて治めた王家ですが、ヤオヨロズのカミガミの子孫でもあるのです。それに、誰かと闘ったり陥れたりしてなったわけじゃないのです。それはわかりますよね。だから継承者として候補はいるのですが、自然と決まっていくのです」

「だったらヤオヨロズのカミガミが僕を選んだの?」

「さあどうでしょう。継承者はカミではないのですから」

 二人の間に、しばし沈黙の時間が流れたが、アヤベは静かに語り始めた。

「正当なる王家はこれまで皇家と同じように、その子孫がオホクニに即位していったのですが、いまいるオホクニを継承する者がいなくなるかもしれないのです。勿論もっと以前にはオホクニの子孫は多数居たはずです。けれど、それらの人達の中には、結局オホナモチとして育たなかったり、せっかくオホナモチになったのにオホクニになることを選択してくれなかったりしたのです。それに王家は皇家と違ってカミとつながりは弱いのです。だから、王家は常に存在できるとは限らないのです。その上、オンリョウに滅ぼされたり、オンリョウによって惑わされたりしたオホナモチは、強制的に辞めさせられたり、途中で挫折したりします。オホクニは激務なので譲位という形をとりたいのですが、王家に継承者がいなければそれもできなくなるのです」

「だいたい王家は皇家に国譲りをしたのだし、それなら王家は無くせばいいんじゃないの?」

 アヤベは困った顔というか、ナナモを窘めるように目を閉じ、一呼吸してからもう一度目を見開くと、ゆっくりとこう言った。

「ナナモさん、先ほども言いましたね、オンリョウから皇家を守ることを王家の子孫は皇家と話し合ったのだと」

 王家は皇家が地上の国を穏やかに治めることを条件に国譲りをしたのだ。だから皇家とともにその苦難を分かち合わなければならないのだ。オホクニとはそういう存在なのだ。そうアヤベは言いたかったのかもしれない。

「でもどうして僕なんだろう?」

「男系男子の継承者がなかなか見つからなかったのです」

 男系男子とはオホクニもオホナムチも男性でなければならないということだ。ナナモは女王がいるロンドンでそのことについて授業で話し合ったことがある。

「男系男子は現代においては時代錯誤だという意見がありますが、これはとても大切なことだと考えている王家もいるのです。けれど、このまま男子にだけこだわっていれば、継承者が途絶えてしまうことが分かったのです。だからこの講習には女子も参加しているはずですよ」

 ナナモは見えるわけもないのに反射的に教室を見渡していた。

「男系男子はわかったよ。じゃあ、父さんかマレおじさんのどちらかはオホクニだったの?」

「さきほども言いましたが、もはや王家では皇家と違って、オオナムチすら、一王家だけでは継承できなくなっているのです。だから、ナナモさんのお父さんやおじさんがオオクニだったとは限らないのです」

「でも僕は継承者なんでしょう。だったら、僕のご先祖様の誰かがオオナムチかオオクニだったんですよね。だって、アヤベさんはロンドンで、僕のことをオホナモチ・ジェームズ・ナナモだって、王家の継承者になるべき男だって、そう言いましたよね。」

「私が今ナナモさんに言えることは、ナナモさんは継承者と決まったわけではなく、継承者に成るべき資格を持っているということだけです」

 ナナモは少し気分が萎えてしまった。けれど、アヤベはこわばった表情で諫めることもなく、何か言いたげな、それでいてすべてを包み込むような穏やかさで微笑んでくれた。

「だったらなぜもっと早く、僕のところにアヤベさんは現れてくれなかったんですか?」

 ナナモはついそう尋ねていた。

 アヤベはナナモをしばらくじっと見つめていたが、正直なことを言うべきでしょう、と前置きしてから言った。

「オホナムチになるためには、十八歳になるまでに宣言したらよいのですが、ギリギリになったのは、ナナモさんのお父さんがイギリス人であるお母さんと結婚したからです」

 ナナモはしばらくアヤベの顔をただ黙って見ていた。そして、アヤベからそう言われたことになにかほっとしたような、肩の荷が下りたような思いがした。

「ハーフはオホナモチにはなれないんだ。そりゃそうだよね。皇家はハーフじゃないんだから、一緒に地上の世界を守ろうと言っても、相手にはしてくれないよね」

 ナナモはそう言い放った。しかし、アヤベはとても悲しそうな瞳でナナモを見つめていた。

「母さんは日本人じゃない。だから戸惑いがあったんだ。だから鼻っから相手にしていなかったんだ。それがどういう理由かわからないけど、急に継承者がいなくなったからといって、慌てて声を掛けたのでしょう」

 ナナモは一刻も早くこの教室から去りたい気分だった。ナナモ自身が選択できると言いながら、ナナモが選択されていたなんて、バカにするのも大概にしてほしい。ナナモに怒りという感情が沸き起こっていた。

「皇家は皇家同士で結婚しなければならないなんて、今や皇家でもそういう考えだけに縛られていることはありません。それと同じように、日本人は日本人と結婚しなければならないということもないと思うのです。なぜならこれだけ我々の住む世界が広くなってきたのですから。でも残念なことに、そのことにものすごくこだわる方たちは確かにいます」

 アヤベはそんなナナモを見て、瞳を潤わせながらもはっきりと言った。そして話を続けた。

「我々が継承者を探す場合、両親の家系をさかのぼって行かなければなりません。その時にお母さんがイギリス人であったため、我々はお父さんがご結婚されていないのではないのかと思ったのです」

「カミ様なのに?」

 ナナモはまだ素直になれなかった。

「十二歳、つまり、小学校が終わるまでは継承者を探し出すことはしないのです」

「どうして?」

「なぜなら、すぐに探し出せて、あなたが継承者ですと本人に伝えても、それまで王家ではない家庭で育てられた小学生が、受け入れられるでしょうか?」

 ナナモは顔を左右に揺らすしかなかった。

「だから時間を掛けないといけないのです。カミはままならないものですが、だからと言ってカミはヒトを操ったりはしないものです」

 ナナモは頷くしかなかった。

「それにあのときナナモさんは・・・」

 アヤベはそれ以上言わなかった。あの時のナナモはそれどころではなかったことを知っている。

「ナナモさんは、もしあの時に、私があなたに今のような話をしてくれていたらと思ったのではないでしょうか?」

 ナナモは確かにそう思っていた。

「残念ながらそういう時には私は現れないのです。その理由はいままでの私の話でわかりましたよね」

 ナナモはすべてを見透かされていた。けれど全く嫌な気分がしなかった。

「じゃあどうしてロンドンにいる僕のことが分かったのですか?」

 やっとナナモに冷静さが戻って来た。

「ナナモさんのお母さんはイギリス人でしたが、とてもよく日本のことを勉強されていて、あなたに日本についていろいろと教えられたのだと思います。それにロンドンでも、あなたのおばさんは、お母さんの意志を受け継がれました。だから王家は気が付かれたのでしょう」

「じゃあ、父さんや母さんのことも王家は知っているの?」

「さあ、どうでしょう。何度も言いますが王家はカミの子孫ですが、もはやカミではないのです。そして私はコトシロなので、私自身がカミに直接お聞きすることは出来ないのです」

 ナナモはそんなアヤベに失望したが、何も語らないアヤベの瞳がかすかに潤んでいるように思えてはっとした。

「アヤベさんは語りたくても自分の言葉で何も語れないんだ」と、リバプールで一生懸命スマホで自撮りしているアヤベのことを思い出した。スマホで自撮りばかりして何が楽しいのだろうと、ただ単に思っていたナナモであったが、実はアヤベは、瞳の奥に映る自分自身を撮ろうとしていただけなのかもしれない。

 ナナモはやっとアヤベの言おうとしている入り口に立てたような気がした。そして今まで味わったことのない高揚感が、身体中を駆け巡って行くのを感じていた。それはナナモの体を重くする。しかし、全く不快ではなかった。

 ナナモはこの列車と同じように、リバプールからの帰りの列車でアヤベが言った、「逃げていてはいけない。たとえつらくとも追いかけてきて下さい。私は信じています。そして待っています」という言葉を思い出していた。そしてあの言葉がなかったら、日本にも来なかったし、この列車にも乗らなかっただろうと思った。だから最後になるだろうと思いながらもアヤベに尋ねていた。

「この寝台特急はどこに向かっているのですか?切符に書かれていたあの地名はオホクニの社があったところなのですか?」

 アヤベはナナモの大声に、思わず自分の人差し指を唇に静かに押し当てた。そして、そのことには答えずに、ナナモに客室に戻るように促しながら言った。

「さあ説明会は終わりましたよ。あとはナナモさんが選択するだけです。もう一つの夏期講習を受けられますか?もちろん、夏期講習を受けたからと言ってナナモさんが継承者への道へ必ず進めるとはかぎりませんよ」


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