(19)聖なるケラ
松明とは違って弱々しかったが、鏡は柔らかな光で目の前の長い石の階段を優しく照らしていた。ナナモの一歩には少し窮屈な、それでいて一段一段と足を揃えるほどではない間隔だった。特に足腰が痛いわけではないが、まっすぐな階段にどれくらいの段数と、どれくらいの時間がかかったのかわからない。その単調さは次第にナナモの体から汗を噴き出させ、ゼイゼイと息を上げていく。
幾度かの疲労の到来で、ナナモは思わず腰を降ろした。ナナモは救世主でもカミでもない。またその思いが反芻する。臀部からは、巨石内に座り込んでいた時のような温かな伝導はなく、湿気を含んだ冷気が、中心部を通って頭部にまで染みてくる。その方が却って体から熱気を奪ってくれて、皮膚の枯渇に潤いを与えてくれた。
本当に聖剣があるかどうかはわからない。何もなくただ徒労に終わるかもしれないし、誰かに登ってきた階段から突き落とされるかもしれないが、ナナモは前に進むしかなかった。頂上があると思って、階段を這いつくばっても登っていくしかない。
ナナモは立ち上がった。ゆっくりと立ち上がれば良かったのに、心と体に気負いの差が生じたのだろう。思わず目の前が真っ暗になって、肉体とともにナナモの意識もしゃがみ込んでしまった。
終わりのない階段。嘗てナナモが味わったあの苦い経験。毎日毎日が壁にぶつかるあの経験。ナナモは朦朧とした意識の中でぼんやりとした過去が映し出される。
その世界は大空を静かに飛んでいるグライダーから見る光景だ。このままどこかに飛んでいけたらいいんだろう。きっと自分の知らない世界へいけるはずだ。でもそこにも必ず人はいる。人がいればまたいじめられる。だったらこのまま飛びつづけるしかない。それとも、人のいない所に行くしかない。それはきっと不可能だ。だって、グライダーにはエンジンがない。高度がみるみる下がっていく。緑のない、冷たいビルが立ち並ぶ。その隙間を縫うように人と車が行き来する。ここからだと簡単に握りつぶせそうだ。でも届かない。どんなに手を伸ばしても届かない。そのうちだんだん大きくなってくる。もはやつかめなくなる。着陸したくない。そうだこのグライダーに乗っているから導かれるのだ。だったら、ここから飛び降りよう。そうしたら・・・。
「ナナモ!ナナモ!」
どこからか声がする。
ナナモはその方角を見た。ヤソナが立っていた。ヤソナがしきりにナナモを手招きしていた。どうしてここに居るんだ、とナナモは尋ねるが、答えてくれない。だから探していたんだよ、と今度は大声で叫んでみた。
「ヤソナはやっぱり・・・」
ナナモを無視するヤソナに向かって思わずつぶやくと、やっと話しかけてくる。
「ナナモだって僕を無視していただろう。僕はナナモのために僕が出来ることはしたのに。それなのにナナモは無視しただろう。僕を影だとしか見ていなかったんだろう。僕はとっても寂しかったんだよ。それでも僕はおはようって言ったよね。だのにナナモはおはようって言ってくれなかったよね。僕はだからナナモを無視したんだ。僕におはようと言ってくれる仲間のもとに行ったんだよ。仲間はナナモも誘ったらと、僕に言ってきたんだ。けれど僕は嫌だったから嫌だと言ったんだ。せっかくおはようって言ってくれる仲間が出来たのにと思ったからだし、ナナモにおはようって言えない気がしたからね。そうしたら仲間は仲間でなくなった。奴らになった。けれど奴らはナナモとは違ったよ。奴らは何の感情もないのさ。朝起きて、トイレに行って、顔を洗って、朝ごはんを食べてと、そういう生活の一部と同じように、僕に接してくるんだ。でも奴らは過去を過去と認識していない。僕に創られた過去は奴らには創られない。ねえ、ナナモ。だから過去を捨てなよ。ナナモが無くなるわけじゃないだろう。お父さんやお母さんがいなくてもいいじゃないか。過去を忘れてもいいじゃないか。未来のナナモがいる方が大切じゃないか。そう、思わないかい?」
「だったら、ヤソナはそうできたのかい?」
「いいや、できなかったよ」
「じゃあ、ヤソナも僕と同じように・・・」
「僕は戦ったよ。負けたけどね。だから、血みどろになった。けどそれでやっと人間には暖かい血が流れているんだとわかったんだ。僕は生きているっていうことが分かったんだ」
「ヤソナ、きみ、ひよっとして・・・」
「きみって・・・。また、ナナモはそんな顔をするんだね。僕は寂しい。けど僕はナナモを無視することはしないよ。僕もね、今まで隠していたんだけど、ナナモの顔が嫌いだったんだ。だって、ハーフだもの。僕はどんなにイケメンでもハーフは嫌いさ」
鏡は相変わらず弱々しく、果てしなく続く階段を照らしている。ナナモは鏡で自分の顔を見てみようと思った。ヤソナがどう自分を見ていたのかその姿を確認したかった。しかし、ヤソナはきっとあの部屋でナナモを見た時に、ハーフだと自然な顔で言った。きっとナナモの顔が嫌いではなかったんだと思う。ヤソナのいうハーフはナナモの二面性なのだ。きっと自分では気づかない嫌なところなのだろう。だから、ナナモはいじめられたのだ。ヤソナはそうなる前に気付かせてくれようとしていたのかもしれない。
たとえ幻であったとしてもヤソナと話せたことでやっと意識の中に舞い戻ることが出来た。幾度立ち止まり、幾度体をかがめ、幾度座り込んだろう。それでも一歩も後ずさりすることはなかった。
鏡からだんだん光が弱まっていく。周囲から暗闇がナナモに忍び寄ってくる。ナナモはその前にもう一度鏡で自分の顔を見てみようと思った。そこには疲れ切ったナナモがいた。
そう言えばあの時もナナモは疲れ切ったはずだ。でもナナモはあの時は自分の顔を鏡に映さなかった。もはや自分自身を見たくなかったからだ。今のナナモは自分の顔が無性に見たい。誰もいない。誰とも話さない。単調な階段を上るということの繰り返し。肉体と精神の疲労。それでもナナモは鏡を見続けたかった。
鏡からは全く光を発しなくなり、暗闇の中に消えていく。
「ねえ、ナナモ、僕を助けてくれない?」
ナナモにはそう聞こえたような気がする。ヤソナかもしれないが、その声は持ち主をナナモには明かしてはくれなかった。
「一緒に頑張ろうよ」
ナナモは重い足かせをはめたまま、また一歩一歩階段を上がりながらつぶやいた。
ふっと風が舞う。まるで「こんにちは」と、ナナモの横をその声が通り過ぎていくようだ。
ナナモは思わず振り返る。何も見えない。今度はリンリンと大きな鈴の音がする。ナナモはまた前を向く。その途端、急に暗闇がナナモから遠ざかり、目の前には、人一人が通れるくらいだが、小さな鳥居がはっきりと見えた。
「頂上?」
ナナモから何かがはじけていき、また新しい何かが芽生えてくる。
ナナモは静かに頭を垂れてからその鳥居をくぐった。
暗闇は嘘のように消えていて、はっきりとした視界が拡がる。かと言って、頭上から太陽がその空間に充満しているという明るさではない。
この明るさはどこから来ているのだろうと、ナナモは先に進んだ。そこには少し小高い岩山があった。ナナモはその岩山を登ろうとするが、その岩肌に指先が触れた瞬間に大きくのけぞってしまった。
熱い。これは溶岩だ。しかし、全く普通に見えるその岩肌の灰色の色彩からは、熱気など微塵も伝わってこない。却って冷気すら感じられる。
「そうか、この明るさはツワモノが創造した灯りなんだ」
ナナモは独り言をつぶやき、岩山を回り込むように反対側に向かう。どこかで見たような小さな社が建っていた。
「タタラノ里にあった社だ」
今何時なのだろう?でもここには時計がない。勿論、勾玉もない。
ナナモは参拝しようと思った。そうすることが今は最も自然だと思った。
ナナモは社に近づく。なぜか石窯に清水が湧き出ている。ナナモは指先をそっと触れてみる。もしかして熱湯だったらと思ったからだ。そんなナナモの邪推をあざ笑うかのような冷水が、ナナモの乾いた指先から急激に身体の中に浸み込んでくる。ナナモはその心地よさにしばらく我を忘れていた。
階段を上っている最中のナナモだったら、枯渇に我慢できなくて、ガブガブとその水を飲みほしただろうが、ナナモはふやけてすじの入った指先ですくったかすかな水で、口をゆすぐと、心と体がずいぶん軽くなって、気分を落ち着かせることが出来た。
ナナモはその社に向かって、今までしてきたように、頭を下げ、柏手を打って、もはやその目的を忘れたかのように、無心のナナモは静かに手を合わせていた。
「何か用があるのですか?」
どこからか声が聞こえる。ナナモはツワモノだと思ったが、その割にはナナモと同じような年頃のようで、妙に懐かしさを感じる声だった。
そもそもツワモノの声をナナモは知らない。野太い厳つい声をつい想像してしまいがちだが、もし、若きツワモノであればそうではないかもしれない。先入観はその顔貌をつくる。ナナモはアヤベの声を重ねていた。
「私はヒトコトと言います」
ナナモの目の前に雲にまたがり、すーっと舞い降りてきたその影は、次第にはっきりとした姿で近づいてきた。ナナモと同じような服装をしていたが、大きな袋を担いでいる代わりに、片方の手には短槍を握っている。
「ヤソナじゃないか!」
ナナモは大声で叫んでいた。ナナモは、そうか、ここに導いてくれたのはやっぱりヤソナだったんだと、一気にこれまでのことをヤソナに話していた。
ヤソナは表情一つ変えず、相槌一つ打たずに黙っている。
ナナモはそんなヤソナにやっと気が付いた。急に恥ずかしくなって思わずぺこりと頭を下げていた。もしヤソナがここにナナモを導いたのなら、その理由があるはずだ。ナナモはそのことをまず聞かなければならない。
「ヤソナ、僕は何をすればいいんだい?」
ナナモはそう問いかけようとしてハッとした。そうだ、昔、小さな影はナナモに同じことを言ったのだ。
「何をすればいいか?って、それすら君はわからないのかい?」
だからナナモはヤソナと初めて会った時からのことを思い返してみる。ヤソナ自身の周囲に注意深く近づいてみる。そう言えばヤソナの家は町工場で何かを作っていると言っていた。それが何かまではナナモは思いだせない。ヤソナはその何かを作り変えるために、大学に行って勉強したいのだと言っていた。その何かとは、ひよっとしたら聖剣なのだろうか?いや、そうではないだろう。剣をヤソナが作りたいと考えているとは思えない。いや、しかし、いじめられっ子だったら剣は身を守る武器となる。相手を懲らしめる武器となる。ましてや自分こそがいじめっ子のリーダーになれる。ヤソナはそんなことであの夏期講習から抜け出したのだろうか?いやきっとそうではないような気がする。それにもし聖剣を手にしたいのなら、別にナナモを導かなくてもいいはずだ。自分一人でさっさと聖剣を持ち去ればいい。
「僕は救世主に会いに来た。救世主から聖剣を譲り受けるためにここに来た。その聖剣がどのような力を持っているのかは僕にはわからない。けれどその聖剣がタタラの人々を助けてくれると僕は信じている。だから僕は救世主にどうしても会わなければならないんだ」
ヤソナはまだ黙っている。だからナナモは、ヤソナに向かって、ツワノモと合わせてくれ、と叫んだ。急にヤソナは短槍を身構え、その切っ先をナナモの鼻先すれすれに近づけた。
「私はヤソナではありません。ヒトコトです。確かに私はあなたの言うツワノモを知っています。なぜなら聖剣を守るように言われているからです。だから理由がどうであれ、あなたに聖剣を譲ることは出来ません」
目の前に居るのはヤソナではなかった。きっとナナモの気持ちがヤソナだと思わせたのかもしれない。それでもかまわない。理由などどうでも良い。ヤソナの意志がナナモをここに導かせ、ヤソナの決意がナナモを奮い立たせた。
「きみはヒトコトなんかじゃない。ヤソナだ。僕はキミを探す為に・・・、いや、僕はキミが必要だったのかもしれない。ヤソナが必要だったからヤソナを追って行きたかったのかもしれない。ヤソナは僕をいじめたグループに居て、僕をいつも陰で観ていた小さな影に似ているんだ。でもヤソナはそうじゃないって言っていたよね。でも僕はそうじゃないかって勝手に思っている。だから二度と僕から離れてほしくないんだよ」
ナナモはそう言うと、口を閉じ、ヤソナをじっと見た。しかし、ヤソナは短槍の位置を一ミリも変えなかった。
「そうだよね。また、僕は自分の事しか話していないよね。いつもそうなんだ。だから僕はダメなんだ」
ナナモは涙があふれて仕方がなかった。その一粒が切先に触れた時に、短槍はきらりと光って眩しく輝いた。ナナモはつい瞳を閉じる。
「一言だけなら伝えることが出来ます。それがかなえられるかどうか、あなたにとって良いことになるのか悪いことになるのかはわかりません。けれど、もし、それでも伝えたいことがあるのなら、私がその導きをしましょう。ただし、一言だけです。いいですか一言だけですよ」
ナナモが瞳を開けると、ヤソナの姿をしたヒトコトはいなくなっていた。目の前には社がある。
ナナモはその言葉を聞いてずいぶん気持ちが楽になった。その一言は善であり悪であり、願い頼むことでも取引でもないからだ。ナナモはその一言をこれから必死になって考えなくてはならない。
ナナモはここまでたどり着いた自分の過去を思い出していた。その過去はしっかりと、消えることはなく、ナナモから自由に取り出すことが出来た。サマーアイズの仲間達、ロンドンのおじおば。おばあさん。夏期講習で出会った人達。タタラノ里の人々。どれくらい長く、どれほど一生懸命絞り出しても、その時間はあっという間に一つの言葉に吸い込まれていく。
「いのち」
手を合わせ、柏手を一度だけ打つと、ナナモは力強く叫んでいた。
ナナモは嘗ての自分自身に対する怒りも込めてそう言ったのかもしれない。だからか、ナナモは大きな荷を担いで歩いていたのに、やっとその荷から解放されたような気分になった。しかし、それは束の間で、また重い荷を担ぐことになる。重荷は急にナナモにめり込んでいく。このままずっと生きて行かなければならないことを強要する。
「聖剣」と、なぜ叫ばなかったのだろう。ヤズはタタラの窮地を十分に訴えたのだ。だからあの巨石が現れ、ナナモはここまで来られたのだ。「聖剣」と叫んでも取引ではない、頼み事でもない。
ナナモはヒトコトが言った、「善も一言、悪も一言」、を思い出す。ヤズが善として聖剣を手にしても、ムズを救おうと振りかざせば悪になる。テズが悪として聖剣を奪って数多を支配出来たら、ヒトビトは平穏な暮らしで善となる
聖剣がそうならないことをナナモは願っていた。しかし、願いごとは頼みごとになる。それに善だけを願えば取引になる。
諸刃の剣はきっとままならないものとなるだろう。ままならないものはカミになる。聖剣はカミではない。だったらその剣であってもままならないものは何だろう。ヒトだけでない、自然も、そしてカミですらもままならなかったもの、それはもっともままならないものではないのだろうか。
「いのちだな」
どこからか猛々しい凄みのある声が聞こえたかと思うと、ナナモの目の前で社が開いた。中には何か黒い塊が無造作に置かれていた。
ナナモはそれが何かすぐにわかった。
ケラだ。それもただのケラではない。きっと聖なるケラなのだ。
ナナモは社に近づき、そのケラを五本の指でしっかりと掴んだ。身体中の細胞から炎が湧き出てくるような感じだった。
ナナモはそのケラを握りしめながら持ち上げた。すると、そのケラはみるみる大太刀に姿を変える。ナナモから発せられた白灯をその切っ先が一身に受け、光の玉を作ると素早く手元まで流れ落ちていく。
嘗てこのタタラノ里の自然や、ヒトビトのいのちを育んできた剣。だから救世主はムラゲには聖剣を渡さない。救世主は次なる救世主にその聖剣を託す。ナナモは自分は救世主なんかではないと思っていた。でも今は救世主であろうと、これは運命なのだろうと感じていた。
ナナモはその聖剣を力強く握ると、天空を突き刺すように持ち上げた。雷鳴が轟き、それまで灯りで真っ白に照らされた空間には暗雲が立ち込め、岩山がガタガタと揺れ始めたかと思うと、その頂から、一直線に溶岩を噴き上げた。
ナナモは思わずよろけて倒れそうになる。それでも必死に体制を立て直すと、鳥居をくぐった。もしかして八つ頭の溶岩が襲ってきてナナモを食い殺すかもしれないのに、ナナモは振り返ると鳥居の前で頭を下げた。目の前には八つ頭ではなく、ヤソナの顔が見えたような気がしたが、それすら炎に変わって鳥居の前ですーっと消えてしまった。
ナナモは激しく揺れ動くその階段を必死になって駆け下りた。登ってきた時よりも足が絡むし、滑り落ちそうになる。危うく前のめりになって転げ落ちそうになる。それでも聖剣を放さなかった。
ナナモはどれくらい降りるのに時間がかかったのかわかなかった。本当にこんなに階段を登っていたんだと、ただ頭の中はそればかり考えていた。
やっと戻ってこられたのだ。ナナモは奥の見えない三つ鳥居の前で一礼すると、来たときと同じようにその石壁に吸い込まれるように入って行った。
「聖剣は?」
ヤズはついさっきまでそこにいたかのように、別れた時とほぼ変わらない待ち姿だった。
「ずいぶん待たせましたね、ここに・・・」と、ナナモは手元をみたが、聖剣をもはや握っていなかった。
「すぐに帰ってこられたので、やはり、・・・・」
ヤズは落胆の色を隠せない。手で顔を覆い、その隙間から涙がこぼれている。
ナナモはヤズとの時間差を思いながら、どこかに落としたのだろうか?いや、ひよっとして今までのことは幻だったのだろうか?と、後ろを振り返ったが、石壁にはもはや三つ鳥居はなかった。
ナナモはヤズに今までのことを正直に話そうと思った。ヤズならわかってくれそうな気がしたからだ。しかし、実際に聖剣はここにはない。ナナモは改めて固く握りしめている右手を見た。
何かを握っている?その感覚はある。
ナナモは慌てて開こうとするが開かない。反対の手でその指をこじ開けようと思っても開かない。
そうだ、きっとケラに戻ったのだ。ナナモはそう無心で信じた。
「テズさんの所に行きましょう」
ナナモは落胆し憔悴しきっているヤズを抱えるように起き上がった。ヤズさんにポケットから鏡を出してもらうと、天井から射しこんでくる陽光にその鏡で反射させた。石壁が照らされるとその部分は瑠璃色に輝き、次第に球面上に拡がって二人は地上の世界に導く通路を歩いて行った。
巨石の社の前に出た。陽が傾き、黄金色に染めている。
ナナモは注連縄の向こう側にいるテズを見た。ヤが数匹死肉になった男衆をついばんでいる。それでもテズは微動だにしない。きっとテズにはヤが見えないのだろう。
ナナモはヤズをみた。ヤズはただテズを見ている。ヤズも同じなのだ。
「ヤズさん。僕の右手の中には聖なるケラが握られている」
「聖なるケラ?」
「そう、最初に僕に説明してくれたケラだ」
「それでは聖剣は?」
「ヤズさんが言う通り、救世主がタタラノ里を嘗ては守ってくれたのかもしれない。けど聖剣なんてもともとなかったんだと思う。確かに聖剣は何人からも支配されない力を持っているのかもしれない。けど反対に何人も支配する力も持っている。その聖剣がどういう目的であっても使われたとしたら、いのちを救い、そしていのちを奪うことになる。もしそうなったなら、もはや聖なる剣とは呼ばれなくなってしまう。聖剣はカミではないんです」
ナナモは自然とそう口にしていた。
「それでは、そのケラから剣を作るのですか?でもそれなら人間が剣を作ることになる。だったら、テズの言う通り聖剣にならないのではないのですか?」
「僕はこう思うんです。タタラノ里が窮地に陥った時には、救世主が残してくれたケラから剣を作れば万物に勝る、そう言い伝えられていたのかもしれませんが、実は、聖なるケラ、つまり、この世でもっともすぐれたケラをまねしたり改良したりすることによって、たとえタタラの里がなくなったり、ムラゲがいなくなっても、また一からやり直すことが出来る。本当は、そういうことを言い伝えたかったんじゃないかなって」
ナナモは一呼吸置いた。
「だから、ヤズさんは救世主と取引をしたんでしょう。自分がいなくなっても、ムズさんや男衆が戻ってくれば村はまたまとまるし、テズさんはヤズさんの仕事を手伝っていたんだから、ムズさんを助けてくれて、時間はかかるかもしれないけど、また一子相伝の技が復活すると信じていたんでしょう」
ヤズの瞳はもはや涙でナナモを直視しきれていないようだった。
「僕は欲張りかもしれないけど、ヤズさんもテズさんもムズさんも、タタラノ里の男衆も助けたいし、ヤにこれ以上死肉が食べられないように、邪鬼も追い返したいんです」
ナナモはその欲は希望だと思った。だからもしそうできればヤソナと会えるような気がした。「いのち」という言葉はツワモノだけではない。きっとヤソナにも聞こえたはずだ。




