最愛の協力者
「何とか休みが取れたよ、行きは一緒に行けなくてごめんね。」
「それじゃあ、次の日に空港北口で待ってて。」
普段、勤めの仕事もしているカミさんが、後で来てくれる。独りでやるのとは大違いで、誰かが協力してくれて事を運べるのは非常に心強い。カミさんはこれまで、共に帰省して俺の親とは仲良くやっていたので、今回の面倒をすんなりと受け入れてくれたのだ。昨今、結婚は当人同士の問題というが、実際はそうではない。これからの若い人達に夢の無い話をするつもりはないが、結婚は知らない家族同士が付き合うようになる、少なくとも結婚相手の両親と自分が、かなり厚い繋がりを持つことになるのを受け入れることになるのだ。当然結婚するもの同士は、愛という関係で結ばれるのであるが、親はそうではない。子供が幸せになることも併せ、自分達が新しい者とこれから関わって行くことに至極注意深くしているのだ。下世話な言い方をすると、いつかは老いさらばえて独りで便所にも行けなくなった時、その面倒を受けてくれる人物なのかである。
前置きが長くなったが、そこでクソ女の話になる。お袋は、アイツの夫のことを嫌っていた。
“来ても、すぐ出て行って、全然うちに来ようとしないからねえ。”
つまり、里帰りした時は、ろくに会話もしないで全く俺の実家に寄り付かなかったのである。そうなれば当然のことわりで、信用しなくなり、一番大事な気持ちの上で、身内として認められなくなるものである。あの女からの移住の誘いを俺の所の方が良いと言って断ったのは、親父が住み慣れた土地から今は離れたくなかったこともあるが、疎遠に振る舞うあの男と同居することになる訳で、どうも本当に来て欲しいのか嘘臭いところであり、この不信感が実のところの理由だろうと俺は感づいていた。
また思うに、俺の親父は気の毒な生い立ちであり、実の親から育てられてはいない。またお袋の方はというと、10人兄弟姉妹の7番目で、上の兄達が財産とともに親の面倒を見ている。2人共に、自分の親達の老後の面倒を看る必要がなかったのである。なので今度は自分が年を食って介護が必要になった時の考え方が甘かった。以前に何度か、俺の所に来るか聞いたことがある。
“その時は、その時で大丈夫、なんとかするよ。”
そう言うばかりで、ついにその時が来たのである。今になって、もっと怖がらせておけばよかったと俺はつくづく後悔している。