いつ死んでもいい
お互い世話になった者同士であるからには、まずどう負担し合っていくかを決めようとするのが先である。意気なり私がやるからお前は感謝を示せと強要される筋合はない、それもお袋を使って。結局、親父が拒んで、もし老後を看てもらうなら俺の方が良いと言ってきたため破談になってしまったらしい。そして親父の望みが現実となってきたのか、入院している病院からの依頼は、俺に掛かってくることが多くなった、いや、多分ほとんどであろう。
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℡「それで、俺に何か?」
℡「それであんたはどうするの?、私はついこの間会ったばっかりだもんね。」
℡「だから何、何が言いたいんだ。」
℡「あんたも遠い所だけど、私も遠いしね。そう何回も行けないでしょう?、お母さんも、大変だろうから来なくても良いって言うからね。」
なんだコイツ、俺に同調してもらおうと思っているのか。いつもながらのその自分中心の甘い考えを戒めてやろうと思った。
℡「何、それで何が言いたいんだよ。」
℡「そうたから、もう、いつ死んでもいいかと・・・。」
℡「何考えてんの?、俺もアンタも育てられた恩がある身だよ。俺は、行くけどね、まさか行かないつもりなの?、そんなこと言うつもりで掛けてきたならもう電話切るからな、それじゃあ。」
前述したがコイツのアホな性格は昔から分かっている。俺にとっては全く驚くことではない。予測した通り自分が手助けに行かなくて、つまり、面倒なことをやりたくない願望が許される道を探そうとしているのだ。確かにそんな了見で親を世話をすることなど到底ありえないだろう。それでも、親父やお袋が育てあげたことからすると余りにも不憫であり、親に対する感謝の恩返しをここで何故しなのかが許せなかった。
この時から親への支援を手掛けるのは、俺しかいないのではないかと感じ始めた。とにかく明日には故郷に向かうことを決めたのだ。
そうして、出発の日となった。