無力な俺
結局、何も素養のない俺は、病院の言うがままであった。案の定、本当に親父の転院日はこの日に行いたいとの連絡があったのはその3日前であった。平日に突然の休みの取れない月給プロレタリアートは、取り合えず搬送を先に、退院と清算手続きは休みの取れた2日後にしてもらうことになった。格言じみたことを言うつもりはないが、災害と親の面倒は突然やって来るのである。そして一度そこに足を踏み入れると、もう最後までやり切ることしか選択枝は無いのである。そしていつ終わるかも予測できない。当然そんなことは初めてである俺は、この時全くそんな覚悟はなかった。しかし、そうなるのではないかという予感は前々から持ってはいた。それは何故かというと、あの女と比べれば、言っちゃあなんだが、明らかに人としての技量が歴然としていたからである。前述したように、これまでの生い立ちをを見ていれば自ずと理解できてしまう。ここで再びあえて言おう。甘やかして手を掛けた子供は、親の面倒はみないのである。可愛い子には、旅をさせろということわざとは、子の自立を促すことではなく、親をないがしろにする人間に育てないようにという警鍾ではないか。
#「来たよ。」「仕事で忙しいのに、ありがとうね。今、お父さんは眠っているよ、だから会っても喋れないね。」
# ゴンゴンゴン ガンガン トントントン
かなりうるさい音がしている。病院の拡張工事をすぐ傍で行っているのである。だいたいこの物音を四六時中聞かされて、入院中の患者達に悪い影響があるんじゃないのだろうか。紹介した救急病院は、この現状が分かっていないのではないか。分かってれば転院させることはないと思える程の呆れた有様である。
#「それでは父を宜しくお願いします」。
ここまで来てしまっては、もう再検討する予知は無い。知識がないということが、どれ程無力であるか思い知らされてしまう。そうかといって、事前に調べておくという機転を働かせる暇も無く、それ以前に術も持ち合わせていない。正に、初めて外国に来た時と同じ状態である。
#“アウアウ アウアウアウ”
#「・・・・」
驚くべきことに、親父はまともに言葉を喋ることが全くできなくなっていた。
#「そうね、よかったね、息子とお嫁さんが来てくれたんだよ。」
若干眠りから覚めたのか、お袋の喋り掛けに反応しているようである。いや、気付いているという程度で、俺達だと理解しているとは思えない。




