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2.イナゴ狩り(※ただし食用は出来ません)

 同日13時半過ぎ。

「つ、疲れた……」

 テーブルに突っ伏して果てているミクリ。雰囲気から生気が抜け落ちている。肘をテーブルに突き、両手で額を支えているエルも同様だった。

「まったくね……。どれだけ捌けた?」

「東区は終わったよ……。北区は見ての通り、中央区はまだ手つかずだよ……」

 エルが横目で台車を確認する。まだかなり残っていた。ミクリの口から「今日の、重いよぉ……」と嘆きが追加される。

「この辺り終わったら、中央区ってことね」

「そ」

 状況を理解したエルに、ミクリが一文字で応える。

 ここは北区にある食堂のテラス席。配送の途中で昼食をとろうと待ち合わせていたのだ。

 昼食を食べ終わって一休憩中らしき他の客から「おぉ、ずいぶん疲れてるなあ?」「大丈夫かー? お二人さーん?」「お疲れお疲れー」と声をかけられるが、ミクリは手をひらひらさせるぐらいしかリアクションがとれない。

「エルは?」

「封書は終わったけど、これからアリマとヒメジへ、ね……」

「……わーお……」

 エルのボヤキに、ミクリが棒読みの相づちを打った。

 実際、コメントのしようがない。お互いに。

「あらあら、二人ともお疲れだねぇ」

 二人と調子が真逆の声が降ってきた。

「……おばちゃーん……」

「何だい、しゃきっとしなよミクリちゃん。エルちゃんも、美人さんが台無しだよ?」

 注文を取りに来た女性が軽快に言い放つ。40代ぐらい、髪を後ろで無造作にくくって、質素なエプロン姿。中肉中背で、耳も翼も爪も尻尾も、何もない。

「ははは……えっと、何が残ってます? リンカさん」

「んー、ランチは切れちゃったわねぇ。夜に向けての仕込みを始めるところだから、有り合わせのサンドイッチとか、どうだい?」

 エルに訊かれて、リンカが少し考えながら応える。

「それでお願いします……」

「……しまーす……」

 エルの注文にミクリも乗っかった。その様子を見てため息を吐いてから、「よし、ちょっと待ってな」と、妙に張り切ってリンカが厨房へと戻っていく。

 入れ替わるように、小さな女の子が近づいてきた。

「エルお姉ちゃん、ミクリお姉ちゃん、大丈夫……?」

 テーブルにアゴを乗せるようにして、心配そうに尋ねてくる。

「あー、大丈夫大じょ……って、そっちこそどーしたの!? フィリカちゃん!」

「その羽、怪我したの!?」

 気の抜けた返事の途中で、ミクリが跳ね起きる。エルも身を乗り出した。

 テーブルの端に乗ったフィリカの指先から続く翼、正確には、腕自体が翼で、その途中に物をつかむための指があるのだが、とにかくその翼に包帯が巻かれていた。見れば、膝から下の鳥類の足にも包帯が巻かれている。

「あ、うん、ちょっと怪我しちゃって。でも大丈夫だよ? そんなに酷くなくて、明日には包帯もとれるの。学校にももうすぐ行けるし」

 慌てて手を振るフィリカ。確かに、揺れる翼を痛がる様子は無い。

「そ、そう?」

「もう大丈夫なのね?」

 そのそぶりを見て、ミクリとエルもほっと一息吐いた。

「うん。……それより、私よりも、ハルトくんの方が酷くて……」

 元気そうな笑みを作っていたフィリカの顔が曇る。

「? ハル坊がどうかしたの?」

 ミクリが首を傾げる。

 配達人はコウベ中を駆け回る仕事だ。よって顔が広い。荷物が届く住所に住んでいる人なら、大体が顔見知りと言ってもいいぐらいだ。実際、ミクリの午後の配達先の中に、ハルトの家宛ての小包もある。

「うん。この間ね、二人で東の森へ遊びに行ったときにね、トキリンゴの花がきれいに咲いてたの。でね、『きれいだね』って言ったら、ハルトくんが『採ってやるよ』って言って、木に登り始めて……」

 フィリカがたどたどしく話し始める。

「ん? トキリンゴの木って、そこそこ高くない?」

 ミクリが思いだそうとしながら首をひねる。

 トキリンゴはかなりタフな木だ。手入れいっさいナシの完全野生でも、リンゴのくせに熱帯に近い温度でも実を結ぶ。その代わり、いや、それ故か、幹は太く強固で、高さも10mぐらいまで伸びる。

 東の森で、少し向こうまで踏み込めば、結構自生しているのだ。

「うん、だからね、あたしが採るよって言ったんだけど、ハルトくんが採るって言って、それで……」

「登って、落ちた、と」

 展開が分かったエルが、フィリカの後を引き受けた。

「あぶないなぁ」

 ミクリが口をとがらせる。それから、ふと気づいた。

「ん? でも何でフィリカちゃんが怪我してるの? ハル坊だって、そんな酷い怪我になる?」

 ハルトはミクリと同じ猫科の獣人だ。子供とはいえ、受け身をとるぐらいは出来るだろう。

 怪我をするにしても、そんなに酷いものにはならないはずだ。

「……んとね、ハルトくんが足を滑らせるの見て、あたし慌てて、助けなきゃって……それで、飛んで捕まえたんだけど、そしたら上手く飛べなくなっちゃって……」

 ばつが悪そうにうつむくフィリカ。

「あー、なるほど」

「バランス崩したのね」

 仮にフィリカが大人なら可能だっただろう。しかし、まだ幼い彼女の翼では、そもそも二人分の重さを支えるのは無理がある。

 その上、落ちてくるものを空中で捕まえて、バランスを保って堪えるなど、それは無茶というものだ。

 つまりは、空中でのピックアップに失敗して、もつれながら墜落したわけだ。

「ハルトくんが下になってくれたから、あたしは大丈夫だったんだけど、ハルトくんが……」

 泣きそうになるフィリカ。

「んー、ハル坊は生きてるんでしょ? で、フィリカちゃんをかばえた、と」

 フィリカの沈んだ空気を意にも介さないで、ミクリが確認する。

「え? う、うん、そうだけど……」

「ならば良し! ハル坊でかした!」

 なぜかミクリが胸を張る。

「えええ?」

 おろおろするフィリカ。予想外のリアクションだったのだろうから、まあ無理もない。

「こら。良し、じゃないでしょうミクリ。無茶はしないように注意しないと」

「それはそうだけど、ハル坊やることはちゃんとしてるじゃん? で生きてるじゃん? 生きてるならおっけー♪」

 エルの冷静なツッコミに、あっけらかんと応えるミクリ。

「あなた基準で考えるんじゃないわよ、全くもう……」

 あきれるエル。だが、さして気にしている様子もない。

 実際、生きている、ということは一つの分水嶺だ。

 この世界では。

「ま、間違っちゃいないけどねえ。でもハル坊もフィリカちゃんも反省、だよ?」

 目を丸くするフィリカの頭上から声が降ってきた。見上げた先で、にこやかなリンカの目がウィンクしている。

「あ、は、はい。ごめんなさい」

「よろしい。では、お嬢さん方お待たせ!」

 そのかけ声に合わせて、両手のトレイをミクリとエルの前へと降ろす。

「よっ! 待ってましたあー!」

「リンカさん、ありがと!」

 二人のテンションが上がる。

 トレイに乗っているのは、サンドイッチとアイスティーのセットだ。といっても、ずいぶんとサイズが大きく、もはや軽食ではない。ミクリの分に至っては、エルの×2あり、アイスティーはジョッキに入っている。

「カッさんとこの地鶏の香草ローストにスクランブルエッグ、地擦りキャベツ他野菜にウチのトマトソース山盛りを挟んだサンド! パンは厚めに切っといたよ、どうだい!」

「リンカさん愛してるー!」

 言うが早いか、かぶりつくミクリ。「おっいしーい♪」と、注文したときのテンションと真逆、一気にご機嫌だ。

「いただきます……ん、美味しい!」

 一口いったエルも相好を崩した。

「ま、仕込み途中のと余り物の有り合わせだけどねぇ」

 若干苦笑混じりだが、景気良く笑うリンカ。

 そうは言うが、実際に旨いのだ。香草のスパイシーさと卵の甘いコクを、トマトソースがつないでまとめている。サラダの量もバランス良く、それら具の全てを支えるパンは重めの食事パン。具のインパクトに負けてない。トーストして内側に塗られたバターがいい感じに風味を出している。

 肉体労働者向けの、ボリュームの逸品である。

 リンカの『満腹亭』はコウベでも指折りの名店なのだ。味でも、量でも、そしてお値打ち感でも。

「もぁあ、ふあるぼうんぉことふぁみにしぬぁむぅてもいいんょおー」

 口いっぱいにほおばっているため、ミクリが何を言っているか全く分からない。

「ええ?」

「まあ、ハル坊のことは気にしなくてもいいよ、だって」

 戸惑うフィリカへ、エルが通訳する。そして「こら、食べながら言うんじゃありません」とくぎを刺されるも、「むー♪」と気にもとめないミクリ。

「で、でもね、ハルトくん怒っちゃっててね」

 フィリカの声と顔に困惑が表れていた。

「んふぅぁ?」

 ミクリが眉をひそめる。ただし口の中は忙しいままだ。

「怒ってるの?」

 エルも不思議そうだ。

「あ、いや、怒ってるんじゃない、かも、しれないんだけど……その、会ってくれないっていうか、会ってもちゃんとお話ししてくれないっていうか……」

 二人の剣幕が変わったことに慌てて、フィリカが言葉を言い直そうとする。が、少々要領を得ない。

 ジョッキをひっつかんで、半分ほど一気飲みするミクリ。一つ目のサンドイッチを胃に流し込んだ。

「ぷはあ。マジか、ハル坊」

「理由は分かる? フィリカちゃん」

「……わかんないの……」

 二人に見つめられて、フィリカはうつむいてしまった。

「あ、えーと、その、ね」

「フィ、フィリカちゃん?」

 泣き出す手前の雰囲気に、二人が慌てる。

 そこに、遠くから場違いな叫び声が乱入した。

「イナゴだあ! イナゴが出たぞおーっ!」

「やかましいっ!」

 思わずミクリが言い返したが、言った本人は遙か彼方らしい。姿も見えない。

「……全く、イナゴごときで」

 軽くグチるミクリ。周りの客も、「んー? イナゴ? 群れか?」「まあ、駆除士たちに任せときゃいいだろ」と意にも介していない。

「で、ハルトくんからは何も聞けなかったのね?」

 エルが話を戻した

「……うん」

「うーん」

 腕組みするミクリ。

 叫び声のした方向が、若干騒がしかった。

「仮にも助けようとしてもらったフィリカちゃんに、ねえ……。大体、始めから飛べるフィリカちゃんが採れば良かっただけでしょう?」

 あごに指先を当てながら、エルがつぶやく。

 テラス席の横の道を、ドタバタと人が走り抜けていく。

「あー、それは……あ。ああ、それで……」

 何か言いかけたミクリが、思い出したかのように手を打った。

 バッタン、ドッタンと響く音。軽い地響きのおまけ付きで。

「って、やかましいっての!」

 ダンッ!!

 ミクリが振り返るのと、真横に着地音が響くのが同時。

 デカいイナゴの顔とご対面。

 触覚が動いていた。ちょこちょこと。

「……は?」

「ギチギチ?」

 声と鳴き声では会話にならないのだが、意外と会話っぽい。

 しかしデカい。ミクリの顔よりも、イナゴの顔の方が大きい。

 その複眼がミクリの前のトレイに注がれる。

 次の瞬間、デカい顔がトレイへと突っ込んだ。

 テーブルが小気味良いぐらいにひっくり返る。

「あーーーっ!?」

 ミクリの悲鳴ガン無視で、口を動かすイナゴ。

 サンドイッチの残りは、一口で消滅した。

「あらら」

 一瞬早く空中へ避難したエルがのんきに驚いている。自分の分のトレイをちゃっかり持ったままで。フィリカも空中。「大丈夫? ミクリお姉ちゃん!」と言いながら飛んでいるところを見ると、本当に怪我は治っているらしい。

「うおっ! 何だ何だあ!?」

「イナゴぉ!?」

「って、おい、どんどん来るぞ!」

 客が指している方向、さっき叫び声がした方向から、バッタンドッタンと足音が近づいてくる。そして弾む影が。10や20ではない。

「駆除士はどうしたぁ!?」

「そういや、昨日パーティー組んで北へ出発してなかったか?」

「マジか!?」

 客同士で怒号が飛び交う。

 その中、ミクリの方がカタカタと震えていた。

 金髪が波打つ。

「ギチ?」

「……何してくれとんじゃワレぇぇぇっ!!」

 イナゴが察するや否やの瞬間、ブチギレモードのミクリのアッパーがその土手っ腹に食い込んだ。

「ギーーーッ!?」

 断末魔とともに、食事処にあるまじき姿となって飛び散るイナゴ。

 モザイクが必要なレベルで木っ端微塵だ。

 その横を他のイナゴがドッタンバッタンと飛び跳ねていく。

「……おどれら、人の昼食に何さらしとんねん……」

 ミクリが目を上げる。

 据わっていた。それはもう、どっかりと。

 その眼光が及ぶ範囲内のイナゴたちが、刹那硬直する。そして、猛烈に逃げ出した。

「待てやゴラあっ!!」

「待った!」

 バーサーカーさながらのミクリへエルの声が飛ぶ。

「何っ!?」

「待った! ミクリ! 潰さないで仕留めなさい!」

「何でよ!」

「思い出しなさい! イナゴの特徴を!」

 エルに言われるミクリ。

「はあ? えっと、イナゴは雑食で、群で行動して、でも弱っちくって、でも不味くて食えなくて、で……あ」

 指折り思い出していたミクリが、はたと気づいた。

「そう、食べられないけれど……」

「干物にすれば、良く燃えるっ!!」

 ガマグチオオバッタ、通称イナゴは何でも食べる雑食で、家畜でも、それこそ子供でも食べる立派な害虫だ。たいていは群で行動するので迷惑極まりないが、個体としては強くない。したがって大量に狩ることも可能なのだが、これが凄まじく不味く、狩ったところで食糧事情には全く無意味だ。

 しかし、干物にすれば良く燃えるのだ。これが。

 それも、長時間安定して結構な熱を放つ。良質の木炭にも引けを取らない。

 コウベでは電力も使われているが、港にある“大冷蔵庫”と研究所に大部分を消費するため、一般家庭向けにはそう供給されない。生鮮品を扱う卸問屋とか、市内の街灯とかに分けるのが精一杯で、薪だの炭だのは立派なエネルギー源だ。

 特に、冬の寒さをしのぐために、炭はポピュラーな資源である。

 そして、ガマグチオオバッタの干物は、良く燃える。

 ということは、だ。

 干物にしておけば、冬前には良く売れる。

 つまり、儲かる。

 ミクリの目が光る。先ほどとは別の意味で。

「ふっふっふ、ちゃーんす!」

 周囲を見渡すミクリ。先ほど威圧した奴らはもう市の中心方向へ逃げ去っていくが、北から後続が来ている。

 どんどん。それはもう、わんさかと。

 大隊、いや、もはや連隊だ。イナゴの。

 ま、ザコばかりなのだが。

 ガマグチオオバッタ連隊の第二波が接近。接敵まで推定5秒。

 ミクリが指を鳴らす。

 第二波先頭最接近。

 仁王立ちするミクリ。

 飛来するイナゴ。

 エンカウント!

「ふんっ!!」

 ミクリの掌が先頭のイナゴの頭をはたく。

「ギッ!」

 短い悲鳴を上げて墜落するイナゴ。そのまま痙攣して起きあがる気配はない。

 見た目は無傷。

 適当に打ち払ったように見えるが、ミクリの一撃は外皮を通り越して内側で炸裂したのだ。

 衝撃の作用点を、接触した外殻ではなく、その向こう側へと移す。

 異様に堅い外骨格を持つ害虫や害獣、例えばクロオニガミアリやシマヨロイイノシシなどに、特に有効な打撃法。

 コウベ五帝が一角、“地竜のクロキ”直伝の技である。

「そいや!」

 続けて、ジャンプして宙を浮いている一匹のあごへ、飛び上がったミクリの蹴りが下からめり込む。破砕しない程度に加減された一撃を受けて、さらに一段上へと舞い上がってから、これまた地面へと墜落した。

「はっはー! どんどんいっくよー!」

 突っ込んでくるイナゴの群へ、これまた突っ込んでいくミクリ。

「借金返済! おらおら、あたしの金のために死ねぇーっ!!」

 喜々として物騒なセリフを叫ぶミクリ。正面の一匹を掌で打ち落とし、返すその拳で横の一匹を撃墜。その反動で踏み切って斜めに跳び、空中の二匹へ続けざまに蹴りを叩き込む。

 さらに、落下中にはち合わせるイナゴへは手を添えるようにして一撃お見舞いし、おまけに踏み台にしてまたジャンプ。同様にして、上空のイナゴたちを次々と仕留めていく。

 縦横無尽。まるで、密閉空間で勢いよく跳ね回るボールのようだ。

「にゃはは! 金、金、金金金カネかねぇーーー!」

「教育上、良くないわねえ」

 空中で観戦中のエルがため息を吐いた。そろえた膝の上に置いたトレイから、のんびりとグラスを手に取る。そして、唖然としているフィリカへ、「真似しちゃダメよ?」と、にっこりと笑いかけた。

「う、うん」

 フィリカがこくこくとうなずく。妙に固まった笑顔の迫力に、何も言えない。

 代わりに、不思議に思っていることが口をついた。

「あの、エルさんは手伝わないんですか?」

「ミクリの邪魔しちゃ悪いでしょ?」

 片目をつむって微笑むエル。そして、眼下へと視線を向けた。。

「私がやったら、何も残らないから」

「あ……」

 エルのあだ名を思い出したフィリカは、今度こそ何も言えなかった。

 それにしても、数が多すぎる。ミクリがコンマ何秒のペースで撃墜スコアを増やしても、全てを仕留められるわけではない。

 そもそも、イナゴたちはミクリを狙っているのではないのだ。大前提として、イナゴたちの進行方向上にミクリがいるだけ。

 当然、他の人へめがけて襲いかかるイナゴもいる。

 数匹が『満腹亭』へと跳躍。

 が。

「あー! ちょっと、人の獲物を盗らないでよー!」

 ことごとく撃破されたイナゴを見て、ミクリが叫んだ。

「うっせえ!」

「んなこと言ってる場合か!」

 さっきまで食後の余韻を愉しんでいた客たちが怒鳴り返した。手にはそれぞれ剣や槍、棍棒、ハンマー、モップ、包丁、フライパン等々、実にバリエーション豊かに携えている。

 周りを見れば、同じような様子が広がってる。始めこそ混乱気味だったが、そこはコウベの住人、もうすでに応戦していた。

 コウベは外壁に覆われた街とはいえ、害虫や害獣が入り込むことは珍しいことではない。だから、各家庭に自衛用の獲物を準備しているのが多い。

 この程度のことなら、日常茶飯事なのだ。

「ありがとよ、アンタたち!」

 リンカが叫ぶ。

「いいってことよ!」

「世話になってるからな!」

「旨い飯を、いつもな!」

 客たちが景気良く笑った。

 何気に、コウベ市民はすべからく強い。自衛団員でない一般の市民でも、EクラスやDクラスの闘士はザラなのだ。イナゴごときに後れをとる彼らではない。

 が、リンカはニンゲン、戦闘力は欠片も無い。こと戦闘では完全にお荷物である。

 しかし、リンカには料理の腕がある。その腕前で、猛者ぞろいのコウベの住人を認めさせた。よって、何かと侮られがちのニンゲンでありながら、リンカを軽んずる者はコウベにはほぼいない。

 というか、むしろ、いればコウベの住人がただではおかない。

「さあ、景気良く行こうじゃないか! 晩飯はアタシの奢りだよ!」

「マジか!?」

「晩飯もうけた!」

「よっしゃ、やるぞ、お前らあっ!!」

「おおーっ!!」

 リンカのあおりに一同のテンションが上がる。

「もー、やるなら潰さないでよー!」

 一匹を蹴り落とした勢いで振り返りながら、ミクリが叫んだ。

「知るか!」

「文句あるなら自分で仕留めろ!」

 言いながら、一人がイナゴの頭をフライパンで叩き、動きが止まったところをもう一人がハンマーで叩き潰す。見事に潰れて、干物にする余地は残っていない。

「ああっ! も、もったいない……分かったよ、やればいいんでしょーやれば!!」

 ミクリの速度が上がる。今度は、先ほどまでより5割り増しの勢いだ。撃墜スコアが猛烈にカウントされていく。

 ものの数分で第二波が撃破された。あちこちに転がるイナゴたち。結構な数である。

「ほいよ、ミクリちゃん」

 着地して深呼吸するミクリへと、リンカが瓶を投げる。

「ありがとー、おばちゃん」

 受け取って水を一気飲みしたミクリが、空の瓶を投げ返した。

「次、来るわよぉ」

 空中からエルの声が降ってくる。イナゴ連隊の第三波。もう目前だ。

 店や家の前へ皆が散らばる。

 トカゲ顔の男が、フライパンを持った腕を振り回す。

 コウモリの羽を持った女が、レイピアを構える。

 熊の体躯の大男が、ハンマーを肩で担ぐ。

 ミクリが道の真ん中に陣取る。

「さあ、やるよアンタたち!!」

 リンカの号令が響きわたった。

「おう!!」


 30分後。

「うおっ、きったねーなココ」

「ちゃんと洗っとけよー」

 イナゴの粉砕した跡を避ける犬科の男へデッキブラシが跳ぶ。受け取った男は「うえー」とグチりながらも、鼻をつまみながらも、デッキブラシでこすり始めた。

 イナゴ連隊壊滅後。通りは元よりあちらこちらがイナゴの死体もしくはその残骸で埋まっている。

 今度は一同総出で大掃除中なのだ。

「えー!? ちょっと待ってよ!」

 道の真ん中からミクリの悲鳴が上がった。

「一匹250Eって、安! 安すぎるっしょ!」

 ミクリの抗議を受けるものの、鼠科の男は、まあ見た目は完全に人サイズのネズミなのだが、全く動じる様子はない。

「ほら、キレイなもんでしょ!? 外傷全くナシなんだよ!? ゼッタイいい干物になるって!」

「あのなあミクリちゃん。こんな量をどーするのって話なんだよ。まだ夏前なんだよ? ドコに置いとくのさ? これだけ置いとける倉庫となると高くつくよ? 倉庫代を立て替えてくれるわけ?」

 横を見上げるネズミ。まさに見上げる程にイナゴが積まれている。まるで小さい丘のようだ。

 数は、ざっと500近く。

「ぐっ……」

「それに、干物にするのだって手間かかるんだよ? 人手も場所も要るよ? まさか、放っておいたら干物になるとか思ってないよね? 放っておいたら腐るだけだよ?」

「うっ……」

 抗議への返礼としてのツッコミを倍、いや3倍返しでくらって、合わせてもぐうの音しか出ないミクリ。

「まあ、美品なのは認めるよ。冬前に売ればいい商売になるね。だから、干物にするコストと冬前までの保管費用をさっ引いて、一匹250Eって言ってるの」

 そろばんを弾くネズミ。その淡々とした、事務的な口調が、かえって揺るぎなさを際だたせていた。

 Eはエインの略称、コウベの通貨単位である。ちなみに、先ほどのリンカのサンドイッチは600Eぐらい(他の店なら800E、下手すれば1000Eぐらい取られるが)だから、3匹でようやく一食分の計算だ。

「……そんなぁぁぁ……」

 半泣きのミクリ。それはそうだろう、クロキから教わった武技まで使って丁寧に狩りまくった苦労の見返りが、ミクリの基本給程度にしかならないのだ。

「まあ、今月の生活は大丈夫になったじゃない?」

 エルがミクリの背中を優しく叩く。

「えるぅぅぅ……」

「でも、そうねえ……」

 ミクリの涙目を受けて、エルが思案げに顔を傾ける。

「……ねえ、チャムジさん、今の見積もりで当てにした倉庫って、もしかしてホッタ倉庫管理さん?」

 エルに言い当てられて、ネズミが少し驚く。

「あ、ああ。 どうして?」

「そりゃあ、北区でこの物量で相談できるのってホッタさんとこぐらいでしょ? ……ホッタさんなら、少し顔が利くのよねえ」

 にっこりと笑うエル。どことなく意味ありげに。

「そ、そうかい?」

「ねえ、私の名前を出して、もしまけてもらえたら、その分をミクリへの支払いに足してくれないかしら?」

 ネズミが若干たじろいだ。口では「もし」と言っているが、エルの笑顔には確信がにじみ出ている。

 ……あの牛頭の筋肉だるまの大男に顔が利く? あの堅物に?

 やや信じがたいところではあるが、エルの様子に怪しいところは感じられない。

 いや、別の意味で怪しい。チャムジの商人のカンがささやいていた。

 この娘、敵に回したらマズいな。

「……分かった。じゃあ、倉庫代まけてもらえたら、その分をミクリちゃんへ、でいいかな?」

「ええ、それでお願い」

 深い追及は避けて、あっさりと受け入れるチャムジ。エルも変わらない笑顔で応える。

「これで、ちょっとはマシになるはずよ、ミクリ」

「ありがとおぉぉぉ、エルぅぅぅ」

 泣き笑いのミクリに抱きつかれて、エルが「はいはい」と苦笑した。

「さて、仕事に戻らないとね。また時間が押しちゃったし」

 エルが時間を確認した。そろそろ14時半になる。

「あ、ちょっと待った」

「ん? 何?」

「今日、夜に時間空けてもらえないかな?」

 思い出したようにミクリが顔を上げて、エルをうかがう。

「? ええ、別にいいけど?」

 小首を傾げるエル。その様子へにっこりと笑ってから、ミクリが振り返る。

「フィリカちゃーん」

「は、はーい」

 呼ばれたフィリカが近づいてきた。

「フィリカちゃん、今晩空けといてもらえないかな?」

 エルへと同じことを言うミクリ。

「え? えっと、はい、大丈夫だと思います……けど?」

「さっきの話の続き、だよ♪」

 不思議そうなフィリカへ、笑顔で片目をつむってみせるミクリ。「ふぅん」とにやつくエルへも、「そーゆーことで」と片目をつむってみせた。

「よっしゃ、ちゃっちゃと片づけるよー!」

 いつもの調子に戻って、ミクリは台車を押して走り出した。

 そして同日18時半過ぎ、ちょうど日が沈む頃、コウベ市中央区の遺失技術管理研究センター、通称“研究所”へと突進するミクリの姿があった。

「お届け物だよっ!」

「うおぉっ!危ねえなあミクリちゃん」

 目前に急停車されて、思わず仰け反る守衛。

「ごめんごめん、で、三つだよー」

「あいよ。……OKだ。ん? これは?」

 宛先に目を通した守衛が指さす。

 台車にあるのは四つ、つまり小包がもう一つあった。

「それは、この後に届けるの」

「遅便か? まあいい、じゃあいつものようにA棟の受付へ頼むわ」

 守衛がうなずき、「あいよっ!」と景気よく返事をしたミクリがまた走り出した。「せわしない奴だなあ」と頭をかく守衛。

 小さな中庭がつながるような敷地内の道を瞬く間に走り抜けて、同じ調子でA棟の受付へ飛び込む。

「こんばんわー! お届け物だよ!」

「あらあら、こんばんわ。お疲れさまね、ミクリちゃん」

 ミクリのテンションに対して、ずいぶんとおっとりとした返答だった。受付の向こうに座っているのは、羊の角と毛皮をまとった初老の女性だ。

「シャンテばーちゃんもお疲れさまー、はい、これね!」

「はいはい……確かに、お預かりしました」

 老眼鏡の位置を直しながらシャンテは宛先を見て、受付の向こうの棚へと運ぶ。

「ねえねえ、ばーちゃん、カイって人はどこにいるか知ってる?」

「ん? カイ……って、カイ=アキツさんのことかしら?」

 受付から身を乗り出しつつ聞いてくるミクリへと、シャンテが振り返った。

「そー! そのカイさん」

「カイさんねぇ……」

 受付へ首を傾げながら戻ってきて、シャンテは机の上のスケジュール表をめくり始める。

「うーんと、今はD棟のご自身の研究室に戻ってるころ、かしらねぇ」

「ありがと、ばーちゃん!」

 言うが早いか、きびすを返して走り去るミクリ。その後ろ姿を「ぶつからないようにね~」とシャンテの声が追いかける……が追いつかなかった。扉の向こうから「ってえ!」「ごめーん!」とのやりとりが聞こえ、シャンテが「あらあら」と目尻を下げる。

 そのまま軽やかに敷地内をまた駆け抜けて、D棟の入り口の部屋割りを見て、今度はカイの部屋へ飛び込んだ。

「ちわー!」

 ドアが派手な音を立てた。

 突然の来訪者を振り返って確認するカイ。さすがに少々驚いた顔になっている。

「っと、ミクリさんでしたか。どうしたんですか?」

「ねえねえカイさん、アレ直ってる?」

 勢いを殺さずにカイへと顔をつきだして訪ねるミクリ。

「アレ? ……ああ、スカイクルーザーのことですか?」

「すかい?」

「いえ、ええと、扇風機のことですね?」

 首を傾げるミクリを見て、カイが言い直す。

「そーそー! 扇風機! 直ってる?」

「もう直ってますよ」

 カイが部屋の隅を指さす。

 修理済みの扇風機。プロペラは新品になり、おまけに、他の細かい傷も補修され、さらに磨きあげられてまでいる。

「おっしゃ! じゃあもらっていくね!」

 軽くガッツポーズして、間髪入れず扇風機を手に取るミクリ。「ええ、かまいませんが……」というカイの返事をまた置き去りにして、風のように去っていった。

「……元気な人だな」

 最後までテンションが合わなかったカイが、軽くため息を吐く。

 呆れて、ではなく、単純な感想だ。

 そして、扇風機が置いてあった横へと目を向ける。

 吊ってある服。妙に厚みがあるライダースーツのような、全身を覆う黒い服。所々にある金属性らしきパーツが、鈍い光を放っていた。

「見習うべき、なんだろうな」

 カイの口調は、あくまで淡々としていた。

 一方、研究所を走り抜けたミクリは、北区へ、満腹亭へと急行した。

「リンカおばちゃん、こんばんわー!」

「おや、いらっしゃい」

「おー、来たかミクリ」

「お疲れお疲れー」

「遅かったな、始めてるぞ」

 リンカに続いて店内の客から声がかかる。リンカの公約通り、今晩はタダ飯なのだ。

 店内は昼間の客でほぼ満席、さらに、ほとんどがもう出来上がっている。

 なかなかのどんちゃん騒ぎだ。

「ものが多かったんだよぉー。エルはもう来てる?」

「こっちよ、ミクリ」

 見回しているミクリへ、エルから声がかかった。奥側のテーブル席。エールのジョッキ片手に、もう片手で手招きしている。

「おっ疲れー」

「お疲れさまぁ」

 にぎわう店内をかき分けてきたミクリを、エルがねぎらう。

「ほい、お疲れミクリちゃん。昼はありがとね、約束の奢りだよ!」

 ミクリを追いかけるように来たリンカが、トレイを景気よくテーブルに置く。

 オナガシマエビとアオリイカのトマトソースパスタ、山盛りサラダに、ライ麦パンはホールで。クロヤギのチーズディップも添えてある。地鶏の香草ローストは骨付きの大振りバージョンだ。そしてジョッキのエール。

「いやっはーーーぅ!! いっただっきまーすっ!」

 満腹亭の奢りにメニューはない。リンカが作ったものを振る舞われる決まりだ。

 だが、不満など誰一人ない。

「うまっ! 旨いよおばちゃん!」

 エールをあおって口の中に突っ込んだパスタを飲み込んだミクリが歓声を上げた。大振りのエビの身はプリプリで、うま味が溢れてでくる。柔らかながら歯ごたえのあるイカからしみ出る滋味もまた堪らない。トマトの味に潜むガーリックと唐辛子の刺激が食欲をどんどん引き出してくる。

「はっはっはっ!そーかいそーかい、今夜はたっくさん食べていきなよ! すぐにエールのおかわり持ってくるからね」

「うん!」

 瞬く間に空になっていくジョッキを見て、去り際にリンカが笑いながら言い残していった。

 遠慮なくエールを飲み干して、サラダを抱えるミクリ。宴会状態なのにちゃんと瑞々しい。手を抜かずに、水にさらして、水気を切ってから持ってきてくれているのだろう。

「で? 話があるんでしょ?」

 ライ麦パンを手でちぎって、チーズディップを塗るエル。野菜と鳥の煮汁を煮詰めた出汁を混ぜて、柔らかくのばしたチーズ。黒胡椒の辛みと、コリアンダーとカルダモンの爽やかさが気持ちいい。

「んとね、むぐんぐ、フィリカちゃんの、んぐんぐ、ことだけどさ」

「食べるか話すか、どっちかにしなさい」

 サラダを頬張りながら喋るミクリに、エルがツッコむ。

「んぐっ、いやさー、ハル坊とのこと気にしてたでしょ? 何かしてあげたいなーと」

 サラダを飲み込んで答えるミクリ。次は地鶏へと手を伸ばす。

「そりゃあ……。何か考えがあるの?」

「まあねー、ハル坊の気持ち、分かる気がするんだ」

「そうなの?」

「ま、多分ね。何となく、ねー」

 そう言って、地鶏にかぶりつく。そこへリンカが「ほい、エールお待ちっ」とジョッキを持ってきて、ミクリが「んー!」と声にならない礼と手を挙げた。

「ふうん……。で、私は何をすればいいわけ?」

 深く追及せずに続きを促すエル。こういう時のミクリにハズレは、概ね無い。そう信じているのだ。

「むぐっ、さんきゅーエル、話が早いね」

 地鶏を食べ終わって、ジョッキへ手を伸ばすミクリ。そして、またパスタへと戻って、一気に口へと放り込む。

「あぐっ、んぐむぐむぐむぐ、んぐっ! んとね、あたしこれからハル坊ん家へ配達に行って、ハル坊を連れ出してくるから、エルはフィリカちゃんを連れてきて欲しいんだ」

 忙しく口を動かしてパスタを胃に送ってから、ミクリは一息に言い切った。間髪入れず、残りのパスタを一気に頬張る。

「昼間にフィリカちゃんに言ってたのは、そのため?」

「むー」

 まだパスタ満載のミクリの口は、キレのいい返事は出来なかった。

「そう。で、何処で待ち合わせ?」

「んー、東門の上でいっかな?」

 食べ終わったミクリが宙を見ながらつぶやくように言う。東門とは、コウベを囲む壁の東側の出入り口。「上?」とエルが首を傾げると、ミクリは「飛んでいくから」と笑い、「扇風機直ってたし」と言い添えた。

「あら、そうなの。じゃあ行きましょうか」

「ん? エル食べてないじゃん?」

 席を立とうとするエルを呼び止めるミクリ。

「あなたが来る前にもう食べたわ。お子さまに夜更かしさせるわけにいかないでしょ?」

「あ。そうだねー、急がないと」

 慌ててジョッキを飲み干すミクリ。そして、「これは明日の朝ご飯にしよっと」と、ライ麦パンを割ってチーズディップを塗って挟み込む。

 二人して席を立った。

「おや、お帰りかい?」

「早いな?」

「もういいのかー?」

 リンカに続いて、他の客からも声が飛ぶ。

「うん、おばちゃんごちそーさま!」

「ごちそうさまでした、リンカさん」

 手を振りながら満腹亭を後にした。

 エルと別れて、ミクリはハルトの家へ向かって突進した。

「こんばんわー! お届け物でーっす」

 ノックとミクリの呼び声に、ドアの向こうから近づく物音がした。

「はいはいっと。遅くまでお疲れさまね、ミクリちゃん」

 ドアを開けて、ハルトの母が笑顔で迎えた。「サインよろしくー」「はいはい」とテンプレートのやりとりをしてから、ミクリは話を切り出す。

「ね、ハル坊怪我したんだって? フィリカちゃんと遊んでて」

「そうなのよ、びっくりしちゃったわぁ。まあ、もうほとんど良くなったし、フィリカちゃんの怪我も酷くなくて良かったけど。ホント、他人様の子に怪我なんかさせちゃって、もうどうしようかと」

 心底ほっとした表情だった。

「そっかぁ。でも、フィリカちゃんが、ハル坊が話してくれないって悩んでてね、ハル坊怒ってるのかな?」

「そうなの? ……それがねえ、分からないのよねえ。怒ってるわけじゃないと思うのよ、だいたいウチの子がバカやったわけだし、逆でしょう?」

 どうやら、家でもハルトの様子は少々変らしい。首を傾げる様子が物語っている。

「何か、ふさぎ込んでるというか、不機嫌というか、ねえ」

 そう言って、ハルトの母はため息を吐いた。

「んー……やっぱりか。ねえ、おばちゃん、ちょっとの間、ハル坊を連れてっていいかな?」

 小さくつぶやいてから、ミクリが本題に入る。

「え? これからかい?」

 怪訝そうなリアクション。まあ、夜に子供を連れ出すと言われれば当然のことだろう。

「うん。空の散歩でもすれば気も晴れるかなーと。今夜は月もキレイだし」

 扇風機を片手に、にっと笑うミクリ。それから、「後でエルとも合流するから」と付け加えた。

「ああ。……そうだねえ……まあ、エルちゃんも一緒なら……」

 妙に納得してから、考え込むハルトの母。

 こういう時にエルの名前は、効く。何かしでかすミクリのストッパーとしての立ち位置が信頼感になっているのだ。

 それをミクリが全く気にしていないのが、むしろエルの悩みですらあるのだが。

「……うん。でも一時間ぐらいにしておいてね。怪我しないように気をつけてよ?」

「うん!」

 ミクリの威勢のいい返事にうなずいてから、ハルトの母は一度中へと戻って、しばらくしてハルトと共に現れた。

 確かに、不機嫌そうというか、ふてくされているというか、ばつが悪そうな感じである。

「……んだよ、ミクリねーちゃん」

「なー、ハル坊、ちょっと散歩いかない?」

 顔を逸らしつつも目でうかがうハルトに、ミクリがにっこりと笑いかける。

「散歩?」

「そ! 空のね」

 空と聞いて、ハルトの耳がぴくりと動く。

「空?」

「そうそう、コレ使ってさ」

 扇風機を掲げて見せるミクリ。

「マジで!?」

 ハルトが食いつく。一転、目を輝かせていた。

「マジもんの遺物じゃんか! すっげー! いいのかよ!?」

「へっへーん、特別だよー? 今夜限りだよー?」

「行く! 行く行くっ! いいよな!?」

 声を弾ませるハルトに、母親が「はいはい。ちょっとだけだよ」と苦笑した。息子の明るい笑顔に嬉しい気持ちと、夜の外出を諫めておきたい気持ちとが混ざっているのだろう。

「やったー!! 行こうぜミクリねーちゃん!」

「おーう!」

 ノリノリで応えてから、扇風機を肩に付けるミクリ。それからハルトを背負って、革紐で結びつけて固定する。

「ちゃんと掴まりなよー?」

「うん! じゃあ母ちゃん行ってくる!」

 ミクリに言われた通りにしがみついて、母親へと顔を向けるハルト。「はいはい、行ってらっしゃい」と呆れ気味に送られつつ、二人そろって「行ってきまーす!」と叫んで、ミクリは走り出した。

 道を真っ直ぐに走って、跳躍。

 その勢いを殺さないように、続けざまに跳ぶ。

 扇風機のプロペラが、瞬く間に、軽やかに、風切り音を響かせ始める。

 数歩の跳躍で、もうコウベの空に舞い上がっていた。

 距離よりも高さ重視で、山なりに飛ぶミクリ。

「うっわー! 飛んでる! すっげー!」

 背中のハルトの歓声に、ミクリも笑って応えた。

「にゃっはっは! どーよ? 気分良かろー!」

「うん!」

「今日は月もそろってるからねー、こんなフライトは滅多に無いぞー!」

 進行方向のさらに上空を指さして叫ぶミクリ。

 確かに珍しい。ナギツキとナミツキ、二つの月が上手く並んでいる。大きい半円と小さい半円が合わさって、見方によっては一つの円のようでもあった。細かい月の残骸たちの集まり、ツキノワが長い川のように重なって、まるで二つを繋いでるようだ。

 遙かな昔は一つの月だったものが、集って輝く夜。

「すっげー! すげーよミクリねーちゃん!」

 興奮の収まらないハルトの声に、ミクリも笑いが止まらない。

「にゃははっ! だよねー! 飛べるっていいよねー!」

「うん! 飛ぶってサイッコー!」

「翼があるヒトたちっていいよねー、自由に飛べるもんねー!」

「ホント、うらやましいよなー。こんな気持ちいいのさー」

「フィリカちゃんも?」

 テンポよく続いたやりとりが突然打ち切られた。

 押し黙るハルト。ミクリの肩を掴むその手に力がこもった。

「……羨ましいよねぇ。あたし等、翼ないしさー」

 下降したミクリが、屋根を蹴る。二人の体がまた空を舞う。

「あたしもさー、昔、エルが羨ましかったんだ」

「……ミクリねーちゃん、も?」

 ハルトが風の中でつぶやく。

「うん。ちょうどハル坊ぐらいのころかな? エルはいいよねぇってさー。それで拗ねて、ちょっと仲が悪かったこともあったんだよー」

「……そうなんだ」

「いや、分かってはいるんだよね、無いものは無いんだって。仕方ないって。でも、やっぱ、羨ましいのは羨ましいじゃん? 飛べるのってさー」

「……うん」

 夜風がハルトの返事を吹き消していく。

 高度が下がる。また跳躍。

 もう何回かで、東門に着くだろう。

「小さい頃のエルにはピンとこなかったみたいでねー。ま、あたしが言わなかったから当然なんだけどさ、なんか、カッコ悪いじゃん? そういうのさー」

「……だよな」

「ねー。でもね、そのとき、エルが泣きそうなの気づいてさー。どう思う? そんなあたし、余計にカッコ悪くない?」

 一回の跳躍の間、ハルトは答えなかった。

 その次、夜空へ舞い上がって月を迎えたとき、ハルトの口がため息と共にようやく開いた。

「カッコ、悪い、よなあ、やっぱ」

 やや呆れたような、独り言のような、声。

 風鳴りの中で、しっかりと通った。

「うん。だから謝った。エルに、ごめんねって。ハル坊はどうする?」

「……謝んなきゃいけねーよな、やっぱ」

 淡々としたハルトの声。他人事のようで、だから、はっきりとした気持ちが表れていた。

「だねー」

「どうすればいいかな? ミクリねーちゃん」

 肩越しにのぞき込むようにするハルトへ、ミクリが笑って返す。

「素直が一番じゃね?」

「そうそう、素直が一番よねえ」

 唐突に別の声が割り込んできた。

「にゃわっ!?」

「え、エルねーちゃん!?」

 翼をはためかせながら横へと舞い降りるエル。その向こうにはフィリカの姿もあった。

「ちょっ!? エル!? あたし東門の上で合流って言ったよね!?」

 横へと怒鳴るミクリ。東門は見えているが、まだ後ひとっ飛び分向こうだ。

「いつからいたのさ!?」

「んっと、『羨ましいのは羨ましい』あたりから?」

「それって、結構前からだよねっ!?」

「だあって、二人の話を聞いた方が色々手っとり早いと思ったのよねぇ」

 悪びれた様子の全くないエル。その横から、フィリカがのぞき込むように顔を出した。

「あ、あの、ごめんね、ハルトくん。あたし、何にも気づかなくて」

「いや、何でオマエが謝るんだよ、そうじゃなくて……その、逆じゃねーか……」

 驚いて混乱気味のハルト。だが、フィリカに真っ直ぐに言われて、思い切るように頭をガリガリと掻いた。

「……あー、その、何か、色々、悪かったよ……ごめん」

 顔を背けながら、しどろもどろながらだが、最後の一言まで、ちゃんと言い切った。

「ううん。……あ、あたしもね、羨ましかったんだ、ハルトくんのこと」

 首を振ってから、おずおずとフィリカが口にする。

「へ? オレが?」

「うん! だってハルトくん運動神経いいもん。あたしは鈍くさいから……いいなあ、カッコいいなあって」

 意外そうなハルトに、フィリカが照れくさそうに答えた。

「か、カッコいい?」

「うん!」

 唐突にほめられたようなもので、ハルトの様子が怪しくなる。一方のフィリカは、ちょっと恥じらいつつも、いたってにこやかだ。

「ひゅー! カッコいいだってさー!」

「あらあら、ごちそうさま」

「んだよっ! 何だよねーちゃんたち!!」

 年上二人の冷やかしに怒鳴り返すハルト。が、「良かったじゃないのぉ」「だね! にゃはははっ!」と余計にイジられる一方だ。

 その大笑いしているミクリへと、エルが軽やかに近づく。

「ね、話が早いでしょ」

「うー、確かに」

 耳打つように微笑みながら言われて、ミクリも苦笑した。

「んだよおっ!!」

 両手を突き上げるハルト。パニックが炸裂している。

「わわ、危ないよハルトくん!」

 慌てるフィリカ。

 その様子に、笑い合うミクリとエル。

「何でもにゃいよーん」

「じゃあ、エスコートの続きといきましょ? 二人のデートの、ね」

 エルの言い回しに、ハルトとフィリカの顔が赤くなる。

「で、でででデートって!?」

 少年少女がハモった。

 一際明るい笑い声が夜空に響く。

「にゃっはっは! よっし、いっくよー!」

 勢いよく踏み切るミクリ。

 済んだ夜空に光る月たちにも届きそうだった。

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