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作者: 北条かおる

 風が出てきた。細い枝が揺れる。

 反射的に手を差し出すと、紺野の掌にも山桜の花びらが落ちた。

「ほら、リナ。見てごらん、桜の花びら。パパが一番先に取ったよ」

「リナも取れた。やった、やったァ」

「リナ。跳びはねると危ないでしょ。転んだらお気に入りのワンピースが泥だらけよ」

「リナのワンピース、いい色だな。よく似合ってるよ。ママが選んだの?」

「ううん、リナが自分で決めたの。この色がいいって。昨日、幼稚園が終わってからママとデパートに行ったんだもんね」

「うん。ママと行った」

 親子三人の笑顔が輝いている。

 寒々とした木製のベンチで、紺野は、かつての自分たちを重ねて眺めていた。同じような幸福な風景が、紺野たちにも確かにあったのだ。

 薄墨色のワンピースではしゃぐ少女を中にはさんで、三人家族はやがて公園を出て行った。

 掌の忌々しい花びらを紺野はすり潰した。

 公園の反対側のベンチで、老いた浮浪者が上体を揺らしながら缶ビールをあおっている。

 他人の飲酒を見ても、今では心が動揺しなくなった。酒を断って九年になる。

 一日の大半を、この公園のベンチで過ごす毎日だ。だが、毎朝、髭だけは丹念に剃った。無精髭が気にならなくなったら浮浪者の第一歩だ。家があってもホームレスと大差なくなる。だから、誰に会うでもないのに、出かける時はネクタイもきちんと締めた。

 肌寒くなってきた。今日も長い一日だった。

(今夜こそは自炊しよう)

 そう決めて公園からスーパーに回ったのだが、結局、またハンバーグ弁当とペットボトルのお茶を買ってしまった。このところ缶詰の空缶も増えている。

 弁当をレンジで温めて、大音量で音楽をかける。いつの間にやら習慣になってしまったが、なあに誰にも迷惑はかからない。この日はチャイコフスキーを選んだ。

 ピアノ協奏曲を聴きながら、さして旨くもない弁当をぼそぼそと食べる。

 不毛の人生だ。いつまでこんな無味な日々が続くのか。六十になった今でも、紺野はおのれの明日が見えなかった。

        

 隣の部屋が賀茂川に面していて、アトリエになっている。もっとも今では埃にまみれた画材倉庫でしかないのだが。

 十二年前の秋……。

 あの頃のことは、今でも鮮明に覚えている。

 当時、四十八歳の紺野は、私大芸術学部の客員教授だった。金閣寺に近い大学での講義と実作指導は週二回、その他の曜日は自宅でキャンバスに向かう毎日だった。画家として関西ではすでに名を知られていた。

「パパ。ただいま」

 教科書で重い鞄と軟式テニスのラケットをソファに放り出し、中学一年の明奈がアトリエに入って来た。

 学校での出来事を報告した後で、キャンバスの絵を覗き込んだ。明日の講義で使うために、二日で描き上げた十号の風景画だ。窓から眺められる賀茂川畔の、花も葉もない寂しい枯れ木を油絵にした。

「へえ、パパ、凄いね」

「そうかい?」

 明奈は、これまでとは違う評し方をした。東京生まれの母親は京都弁を使わない。そのしつけを受けて明奈も家では標準語だった。

 夕食の時に、明奈はまたその絵のことを持ち出した。

「明奈、ほら野菜も食べなさい。さっきから凄い凄いって、パパの何が凄いの?」

 尚子は夫の最新作を見ていない。

「革命よ。前衛的な絵に挑戦したパパは画家として勇気があると思うわ。見直した」

 中学生が生意気に、謎めいたことを言う。どんな鑑賞の仕方をしているのか、思春期の娘の感性が紺野には理解できない。苦笑するしかなかった。

 その意味がわかって愕然としたのは翌日だった。

「先生、これはまた……」

 紺野が風呂敷をほどいて取り出した絵を見て、女子学生の垣内妙子が絶句した。

「うちの娘も前衛的な絵だと評したが、何を言ってるのか私にはまるで意味不明でね。ごく当たり前な写生画なのにね」

「でも、先生、これはほんまに革命的ですよ。私も意図を知りたいです」

「おいおい、垣内君。どうしたんだ、君まで」

 この絵が革命的? 初めは冗談だろうと思い、次にはからかわれているのかと紺野は不快にもなった。

 やがて垣内妙子は、ハッと何かに思い当たった様子だった。まさか、と呟いた。

「あ、あの、先生、窓の外にモミジがありますよね。あそこです。あれ何色に見えます?」

「ああ、そりゃもう秋だからね。茶色だよ。まだそれほど赤くはなっていないな。もっと寒くならないとね」

 垣内妙子は、まじまじと紺野の顔を見た。まだ紅葉は始まっていない。

 妙子は自分の絵の具と画用紙を出した。

「先生。私も枯れ木を描いてみますね」

 妙子は、長い黒髪を後ろにさばいて、手早く筆を走らせ、幹と枝に着色した。

「木の色合いはどうでしょうか」

「濃淡のつけ方はうまいね。優秀な学生だな。ただ全体的に茶色が暗過ぎる」

「茶色が? では、これはパトカーです」

 妙子は車の輪郭を書き、上半分を白紙のままで、下半分にざっと色を塗った。

「ボディの黒が薄いが、まあパトカーだとはわかるよ。垣内君、何かの実験のつもりかね?」

 妙子は緊張でふるえ気味の口調で告白した。私は枯れ木を緑色で、パトカーの黒い部分を赤で塗ったのです、と。

 前衛的、と言った明奈の評は間違いではなかった。紺野の描いた風景画には、ものみな枯れ始めた秋の河畔に、奇妙にも、色鮮やかなグリーンの枯れ木が立っていたのだ。

       

 大学病院での検査結果は、垣内妙子が直感した通りのものだった。後天性の第一色覚異常だと医師は言った。赤系統と緑系統の色の判別が困難になっているのだそうだ。

 紺野の場合は緑色が茶色っぽく見え、赤いものが黒く見える。

 教授室に保管してある紺野の先月までの作品を妙子に見てもらった。色彩は正常だった。

 では、ここ数日の間に、突然発症したものらしい。まるで自覚症状がなかった。

「まあ、原因はいろいろあります。心因性のもの、加齢によるもの、その他にも――」

 例えば最近、目とか頭を強打するようなことはなかったですか、と医師は訊いた。

 視神経や眼底、脳の視覚に関係する部位に強い衝撃を受けた場合にも発症することがあるそうだ。

 だが、心当たりはなかった。紺野は慢性的に血圧が高い。そのせいかも知れなかった。藁にもすがる思いで病院に通った。

 後天性色覚異常は、視神経の損傷など原因となっている疾患を治療することで回復することがあります。医師はそう励ましてくれたが、紺野には何の慰めにもならなかった。

 原因が不明なら治療法も不明ではないか。

 通院をやめた日から……。

 紺野の家の崩壊が始まった。

 画家としての仕事もできず、大学も辞職する羽目になった。紺野はおのれを人格者だと、少なくとも社会人として人並み以上の人間だと確信していた。その自負を持って尚子にも明奈にも接してきた。

 それが錯覚だったと思い知らされた。

 酒に溺れた。無理にも酔わなければ不安に押し潰されそうだった。苛々して飲む朝からの酒は、わずか数ヶ月で紺野を酒乱に変えた。

 夫を立ち直らせようと努力する尚子の言動が、いちいち癇に障った。

 絵を見て生意気に革命的だ、前衛的だと評した明奈も許せなかった。非がないのを承知しながら、泣き叫ぶ娘の髪をつかんで、容赦なく打擲した。

「パパ、最低」

 涙まみれの険悪な形相で、明奈は父親を睨みつけた。

 半年後、中学二年の新学期に合わせて、尚子は、めっきり無口になった明奈を連れて東京の実家に戻って行った。やがて、捺印された離婚届が送られてきた。

 当然だ、と紺野は冷静に受けとめた。これで自分も救われる気がした。

 紺野は、画集はもちろん、テレビさえも見なくなった。画壇とも縁が切れた。もっぱら音楽を聴き、読書に耽った。片っ端から濫読した。仕事をやめると、うんざりするほどの暇があった。

 日常生活に大きな支障はなかった。赤・青・黄の紙を並べて、三色の差異が判別できれば運転免許の更新も可能なのだそうだ。信号機にしても、一番上と右端が赤と決まっている。

 紺野が画家でさえなければ、泥酔に逃避するほど重大な問題ではなかったのだ。

 重度のアルコール依存症ではなかったが、それでも酒を断つのに三年という月日がかかった。紺野は、いくらか自信と意欲とを取り戻した。

 これなら尚子とよりを戻せるのではないか。明奈も一緒に暮らしてくれるのではないか。そう前向きに考え始めた矢先だった。尚子が東京で再婚したという話を聞いた。相手は明奈が通っていた学習塾の講師で、温厚な人柄だそうだ。明奈も高校生になっている。

     

 いつの間にかチャイコフスキーが終わっていた。ハンバーグ弁当も食べた気がしない。

 色彩ばかりか、味までわからなくなったか、と自嘲した。

 ソースがこびりつかないうちに発泡スチロールの容器を洗わなければならない。何年経っても、いちいち分別して捨てるのが面倒だ。

 明日は何曜日だ? ゴミの日か? 頻繁に壁のカレンダーを見るようになっていた。

 急須にお湯を注ぐ。墨を流したような色のポットだ。

 いや、そうではなかった。これは昔、紺野自身が買ってきたものだ。明奈の好きな赤い色を選んだのだ。

 中学生当時のテニス焼けした明奈の笑顔を、毎日のように思い浮かべる。今ではなんと二十五歳だ。あるいはもう結婚して、子供がいるのかも知れない。野菜嫌いだった明奈が、子供には野菜を食べさせようとしているのだろうか。母親顔を想像すると可笑しかった。

 またポットを見た。リナと呼ばれた公園の少女のワンピース。あれはたぶん赤い色だったのだ。

          

 市内の桜がことごとく葉桜に変わった頃、北山通りの小さな画廊の前で、紺野は足をとめた。絵本作家が水彩画の個展を催していた。

 鑑賞する気などはなかったが、絵本作家の名前に惹かれた。

 多岐川志保……。通りに面したガラスは透明だが、夕陽が反射して内部が見えない。紺野はためらった末に、意を決して中に入った。

 和服の中年女性と目が合った。紺野にはすぐわかった。目もとに面影があった。

 求められるまま受付カウンターの芳名帳に署名する紺野の手元をじっと見詰めていて、

「……コンちゃん?」

 小さな声で志保は問いかけた。四十年ぶりの再会だった。

「紺野先生! うわあ、お久しぶりです」

 パンフレットを手に、個展を手伝っていたらしい女性が、目を丸くして紺野に近づいた。

「おっ、君は」

 垣内妙子だった。女子大生の頃は長い髪を自慢にしていたが、十二年経った今はキャリアウーマンらしくショートカットにしていた。

 絵本作家となった多岐川志保は、一時期、児童書の出版社に勤めていたそうだ。垣内妙子が今その出版社の編集部にいる。その縁で個展に協力しているのだった。

 妙子がそう呼ぶので、志保も紺野のことを「先生」と呼ぶようになった。

 紺野が生まれ育ったのは、高野川の上流の八瀬という集落である。比叡山の西側の登り口になる。多岐川志保は幼馴染みだった。子供の頃は、三つ下の志保も彼を「コンちゃん、コンちゃん」と呼んでいた。

 両親を早く亡くした志保は、祖父の喜市と二人で暮らしていた。

 喜市は鮎専門の釣師で、六月半ばに解禁になると、一日も休みなしで川に入る。鮎を釣っては貴船や鞍馬の料亭に卸すのだった。

 ふだんは高野川や賀茂川、滋賀県の安曇川に竿を出しているが、

「やっぱり鮎は保津川のものが一番やな」

 それが口癖で、古い軽トラックを運転して右京区の嵐山にもよく出かけていた。何でも渡月橋の上流に、喜市だけが知る絶好のポイントがあって、そこだけ川底の苔がいいのか、型のいい天然の鮎が釣れるのだそうだ。

 喜市は口うるさい、少年たちには嫌われ者の爺さんだった。何人かで一緒に遊ぶならともかく、男子が一人で孫娘に接近しようものなら、本気で怒って排除しようとする。

 祖父と友達の間に立ちすくみ、困惑して泣き出す志保を紺野は何度も見た。

「あの爺さん、ちょっと精神異常やで」

 少年たちの見る目は一致していた。

 あれは紺野が十二歳の夏だった。高野川の瀬で友釣りをする喜市爺さんを、紺野はなんとなく川原で眺めていた。

 その喜市が、珍しく川に足をとられ、尻餅をついて流されそうになった。

 紺野は川原でハッとなったが、死んだらいいのに、とも同時に思った。あの爺さんがいなければ志保ちゃんが泣かなくて済むのだ。

 数日後、今度は、川で泳いでいた紺野が溺れそうになった。たまたまいた喜市爺さんが鮎竿を投げ出して、血相変えて助けに来てくれた。意外だった。

          

 北山通りのレストランで、志保と何度も夕食を共にした。

 紺野は志保の前では素直になれた。酒をすすめられても、

「いや、酒はやめたんだ」

 穏やかに断ることができた。苛立つこともなく、目の病気のことも、離婚した経緯も隠さず話した。

 八瀬の古びた家に、志保は今でも一人で暮らしていた。結婚もしなかったという。

 祖父を一人残して家を出ることはできなかったし、後には、その祖父の介護で結婚の機会を逸した。

 七十七歳になっても喜市は足腰が達者で、高野川で鮎を釣っていた。その喜市が釣竿を握ったまま脳梗塞で倒れた。竹薮の蔭だったため発見が遅れて、半身不随と言語障害の後遺症が残ったそうだ。

 志保は二十七歳、出版社のOLだった。編集部で児童書の挿絵を描いていた。だが、祖父の世話をするために退職を余儀なくされて、それで絵本作家への道を進んだのだ。

 祖父の介護は十一年に及んだ。

「お祖父ちゃん、八十八で亡くなったんですけどね。最後には認知症にもなって」

 寝たきりの喜市は、志保の手を放そうとしなかった。志保が用事でベッド脇を離れると、よだれを垂らして獣のように唸り続けたという。先に死んだ祖母と思い込んでいたのか。あるいは見放される恐怖に襲われたのか。自由に体も動かせず、意志も伝えられない喜市は、きっと無間地獄に悶えていたことだろう。

「こんなこと言ってはいけないんでしょうけどね」

「うん」

「お祖父ちゃんには申し訳ないけど、死んでくれた時は、ほんまにホッとしました」

 偽らざる心境だろう。たとえ身内でも、割り切ってつき合わなければ長続きするものではない。親戚はあっても他人同然だというから、あらゆる厄介な負担を一人で抱え込んで、おそらく志保は共倒れになる寸前だったのだ。

         

 六月に入ってまもなく……。

 近畿地方を豪雨が襲った。賀茂川に洪水のおそれはないが、八瀬の志保が心配だった。すぐ裏に比叡の山裾が迫っている。昨夜からの猛烈な雨で、地盤が弛んでいるに違いない。

 紺野はアトリエから賀茂川の濁流を見ながら、何度も志保に電話した。携帯に繋がらないのが不安を煽った。

 川向こうの上賀茂神社の森が、突風に激しくしなった。

 案の定だった。恐れた事態になった。深夜の土砂崩れで、志保の家が全壊したのだ。腰の打撲と足を骨折した志保は救急病院に担ぎ込まれた。だが、京都に身寄りがいない。

 紺野は病院に駆けつけた。保証人になって入院手続きを取ってやった。

 この災禍がきっかけになって、紺野と志保の人生が大きく転換した。

 退院日を迎えても、志保は松葉杖がなければ歩けなかった。

「この程度のハンディなら自分で克服しないとね。まだまだ介護に頼る年じゃありません」

 自宅を失った志保は、気丈に笑って、足が治ったら市内に単身者向きのマンションかアパートを探しますと言った。

 それまではビジネスホテルに泊まるという。

「志保さん。うちへ来ないか」

 充分に考えぬいた末の提案だった。部屋は空いているし、世間の目が、といっても六十と五十七の男女だ。生ぐさい同居ではない。

 志保は迷った。思わぬ怪我で気弱にもなっていた。先はどうあれ、ともかく足が完治するまでは、と紺野は説得した。

 紺野は寝室を使っている。志保には、かつての明奈の六畳間を提供した。

 あらためて片づける必要もないほど何も残されていない。明奈は壁のポスターまで、きれいに剥がして行った。この家にいた事実を完全に消去してしまいたかったのか。出て行く時は、さよならの一言もなかった。パパ、最低――結局、あれが最後の言葉になった。

 不自由な足で志保は台所に立った。

 独身に戻ってからの紺野は外食が多かった。味付けの濃いものを好む。

 志保の作る薄味の料理が実は不満だったが、口には出さなかった。紺野の高血圧を考えてのことだったからだ。志保になら我慢を強いられるのも不愉快ではなかった。

 紺野は若返った気持ちになった。志保は家の中の空気を明るく変えてくれた。会話の相手がいるだけでも素晴らしいことだ。

「私に遠慮はいらないから、志保さんは自分の仕事をしなさい。アトリエを使えばいい」

 気を遣って絵を描こうとしない志保に、紺野は言った。彼女は絵本用の水彩画を何枚も依頼されていたのだ。その晩から志保は部屋にこもり、隠れるようにして仕事を再開した。

 松葉杖がいらなくなった日……。

 夕食の後で、紺野は志保を寝室に呼んだ。

「志保さん。今夜からここに布団を敷きなさい。二つ並べて」

「え? あ、あの、私は今のままでも――」

「いいから」

 つい怒っているような口調になった。

 このまま、ここで一緒に暮らさないか。あらためて紺野は話を持ち出した。

 独身に戻らざるを得なかった紺野は、心のバランスを失っていた。絵が描けなくなったからというのは、今思えば口実だった。

 その実は、孤独な老後が不安だったのだ。

 いずれ訪れる人生の終末を、二人ともそれぞれ心細く迎えなければならない。共に暮らせば、いざという時に介護し合えるし、どちらが先に死ぬにしても、惨めな孤独死の心配はない。没交渉の遠い親戚より頼りになる。

 籍などは入れなくてもいい。必要のないことだ。

「二人だけの老人ホームみたいですね」

 志保がうまいことを言った。なるほど、まさにその通りだ。

 二人が高齢になった時、この家を老老介護の姥捨て山といわば言え。支え合って心安らかに暮らせればそれでいい。

「志保さん」

 布団の端から手を出して、志保の手を求めた。しっとりした、ぬくもりのある手だった。

 その夜は手を繋ぎ合ったままで寝た。紺野は安眠した。

          

 心の休まる日々に亀裂が入った。志保のやさしさが原因だった。

 その朝、志保に誘われて、右京区・花園の妙心寺に行った。嵐電で北野白梅町から三つ目の駅だ。境内に四十いくつもある塔頭のほとんどは非公開だが、退蔵院は拝観が可能だった。

 日傘を差した志保は、地味な柄の和服を着こなしている。洋服より着物のほうが落ち着くんです、とよく言っていた。お寺の境内に溶け込む姿だった。

 日本庭園を散策し、水琴窟の地底に響く音色を楽しんでから本堂に上がった。

 退蔵院の本堂では如拙の「瓢鮎図」の複製を見ることができる。池に大きなナマズがいて、男が瓢箪でそれを捕えようとしている。本物は国宝で、京都国立博物館にあるそうな。

(ははあ)

 志保の意図がわかった。この絵が目的だったのだ。色彩が失われていても、このような水墨画なら、墨の濃淡で表現できるではありませんか。志保はそう言いたいのだ。

 紺野を立ち直らせようと、妻だった尚子は、はっきりと直接的な言葉で諌めた。

 志保は、あからさまには口にせず、それとなく側面から押そうとしているようだ。紺野の十二年にわたる無為を、志保は暗に批判しているのだ。

 妙心寺からの帰り、商店街の鮮魚店で大きな鮎を見かけた。丸々と肥っている。

「先生。お昼はこれにしましょうか」

 志保は、もう財布を出しかけていた。志保ならずとも、立派な鮎は在りし日の喜市爺さんに繋がるのだ。

 志保が外出着にエプロンをつけて、遅めの昼食の支度をしている間、居間の紺野は何気なく庭に目をやって、ハッと緊張した。

 若い女が背伸びするようにして、垣根越しにこちらを窺っている。女の顔がみるみるうちに三年前、五年前、十年前と遡っていって、やがて中学生の明奈に重なった。

(あ、明奈――)

 外に跳び出そうとした紺野は、一瞬、ためらった。酒乱だった頃のようにみすぼらしくはないか。おのれの顎に触り、髪を撫でつけ、服装を確かめた。

 庭をはさんで、ふと目が合った。

 紺野は裸足で玄関から走り出た。ほとんど同時に明奈が車を急発進させた。あっという間に川沿いの道路を遠ざかった。黒い車だった。いや、赤い車だ。赤は明奈の好きな色だ。

 酒に溺れる父を軽蔑したものの、気になって様子を見に来てくれたのだ。今は何をしているのだろう。東京で会社勤めか。結婚して専業主婦か。尚子や新しい父親と一緒に暮らしているのか。

 同居している女性に明奈は気づいただろうか。きっとそうだ。逃げるようにして去ったのは、女の同居人を見たからに違いない。またしても父親に嫌悪感を抱いたのではあるまいか。運転しながら、パパ最低、と呟いているのではないだろうか。

 紺野が足を拭いて家に戻ると、鮎の塩焼きができていた。

 食卓には二冊の大型の本もあった。紺野へのプレゼントとして志保が買っておいたものだった。

 画集……?

 一冊は董其昌、文徴明など中国明代の水墨画集だった。

 もう一冊は、室町時代の画僧・雪舟、周文、明兆、如拙らの画集だった。室町時代は、わが国における水墨画の全盛期である。

 不愉快が昂じた。紺野は激怒した。二冊の水墨画集を床に投げつけた。

 明奈への後ろめたさが怒りに拍車をかけた。

 画家であり、大学の教壇にも立っていた紺野が、墨絵を知らない筈がないではないか。苛立ちを抑えて、志保と心穏やかに生活したいと願っていたのに、その志保から傷口に塩をすり込むような真似をされるとは。

 筆を折って十二年、やっと画業への未練が薄らぎかけていたのに、志保は人の気も知らないで、何という残酷な仕打ちをするのか。

 気心が知れてはいても、やっぱり他人は他人なのだ。考えが甘かった。同居など現実的ではなかった。もう一緒には暮らせない。

 紺野は声を荒げてまくし立てた。

 志保は反論しなかった。ごめんなさいとも言わなかった。昂ぶって肩で息をしている紺野の顔を、悲しげにじっと見ていた。

 やがて、床の二冊の画集を拾い、部屋からハンドバッグを持って来た。

 落ち着き先が決まったら引き取りに来ます。それまで荷物を預かって下さい。志保はそう言って出て行った。

 ドアの閉まる音を、紺野は背中で聞いた。

 頭の中が混乱している。椅子に座って、しばらく呆然としていた。本当に志保が出て行くとは思わなかった。

 鮎の塩焼きがすっかり冷めてしまった。レンジに入れた。まったくみごとな鮎だった。

「志保さん。ひょっとしたら、これは保津川の鮎かも――」

 思わぬ問いが口をついて出た。

 そうか。もう志保さんはいないのか。静寂と、孤独の重さが身にのしかかってきた。せっかくの鮎だが、食べる気がしなくなった。

 溜め息が出た。今夜からの寂寥は、前にもましてつらいものになるだろう。取り返しのつかないことをした。いい年をして、ついカッとなってしまった。

 何も手につかない二時間が過ぎた。昼を食べそびれたが食欲もない。

(久しぶりに公園に行ってみようか)

 そういえば、志保と出会ってからは一度も足を向けていない。

 紺野は外に出た。まさかとは思いつつも、道路の左右に目をやった。志保の姿も、もちろん明奈の車も戻っているわけがなかった。

 道路の下は賀茂川沿いの遊歩道になっている。紺野は遊歩道への石段を下りた。公園は川の下流にある。

 流れの中ほどに入って、友釣りをしている釣人がいた。麦藁帽子をかぶり、腰に網を挿している。長い鮎竿を構えたまま、少し前屈みになって石像のように動かない。

 賀茂川でも、この辺りで友釣りをする人は少ない。新しいポイントを求めて、他の川から遠征して来たのだろう。

 喜市爺さんも、ああして川の中に立って動かなかった。

 遊歩道のベンチに腰を下ろして、紺野は、しばらく釣りの様子を見物した。

 ポケットの中で携帯が鳴った。見ると志保からだった。何か大事な忘れ物だろうか。

「先生。晩ご飯は何がいいですか」

「晩ご飯? そう、鮎――鮎がいいね」

 とっさに口をついて出た。

「あら、またですか。わかりました。でも、スーパーにあんな大きな鮎はないかも知れませんけど」

 昼の台風はなかったような口ぶりだった。

「買わなくてもいいよ。昼のがある。温めて食べるから」

「もう固くなってるでしょう」

「仕方がない。自業自得だ」

「フフッ、そうですね」

 釣人が初めて身動きした。竿を立てて二十メートルほど移動した。再び、わずかに前屈みになって石像になる。

 紺野は、現実から目を逸らし続けてきた。だが、一生、こうして逃避を続けるわけにはいかない。人生はおのれとの闘いだ。心が折れそうになったら、必ず志保が味方してくれる。

 紺野は釣人の背中から目を離さなかった。

 遊歩道の下流のほうから、あの三人連れの親娘が歩いて来た。公園からの帰りなのだろうか。リナを中にはさんで手を繋ぎ合っている。今日は違う色のワンピースだった。

「おじちゃん、こんにちは」

 ベンチの紺野に、リナが声をかけた。初めてのことだ。両親も前を通りながら、かるく頭を下げる。公園での紺野の姿を見覚えていたとみえる。

「やあ、こんにちは」

 自分でも驚くほどの明るい声で、紺野は挨拶を返した。

 同じ遊歩道を、今度は着物姿の志保が戻って来るのが見えた。ハンドバッグとスーパーの白い袋を提げている。

 迎えに行こうと腰を上げた時である。釣人がいきなり腰を伸ばし、竿を立てた。腰の網に手をやる。やっと鮎がかかったようだ。

(この風景、墨で描くのにふさわしいな)

 紺野は素直にそう感じた。

           

             (終)

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