裏話 ヘイルの密談
ヘイル側の視点の話です。
ついでに前回までの話を少し改稿しました。読み直すほどではありませんが。
大きな変更点としては、
・エリーゼ王女の名前をグレースに。エリスと名前が似すぎていると思ったので。
入学式後、教室へ向かうエリスと別れたヘイルはその足で学生寮に併設されている東屋へ向かった。
フィーライズ王国外からも生徒を受け入れているこの学院は、学生寮だけを見てもかなりの広さがある。その男女に分かれた学生寮の棟の間に、学生たちの交流スペースとしてその東屋は存在していた。もっとも、今日に限っては交流場所というよりかは父兄の待機場所のひとつとして使われているが。
その東屋の一角に、場違いな雰囲気の二人組が座っていた。平民やそれに近い身分が集まるこの場所で、使用人こそ連れていないものの明らかに上級貴族の風格を纏っている二人組。
大げさな身振り手振りと共に何かを熱弁しているのは赤髪の男だ。それに対し、優雅な動作で紅茶を飲みながらその熱弁を聞いているのは金髪の男。彼らはそこだけぽっかりと穴が開いているかのように周囲に誰もいないことなど気にも留めず、議論を交わしていた。
「……だからさー、狙うべきは秋なわけよ。今年ならいけるって!」
「しかし、そうそう機会が巡ってこないだろう」
「そこはほら、ヘイルに任せとけば……」
「お前ら、何の話をしている……」
ヘイルは近づくと聞こえてきたどこか不穏な会話に思わず突っ込む。ヒューバート、トーラスという二人の友人は1年生の頃からヘイルと交流があり、気が置けない、もしくは悪友とも呼べる仲なのだが、ときどき何かを計画してはヘイルを驚かせてくるのだ。今回は何をする気だと二人を軽く睨んだところで、長い付き合いの彼らに効くことはない。
ヘイルがそれを確認しため息をつくと、ヒューバートはその赤毛を揺らしてくつくつと笑った。そして席に着いたヘイルに訪ねる。
「エリスちゃんの様子はどうだった? 入学式とか嫌でも注目浴びるよなあ」
「まあ、多少はうんざりしているようだったが、俺たち“角付き”は注目されるのには慣れているからな。変わらないさ」
「そうじゃないだろう、ヘイル。愛しのエリス嬢の制服姿をどう思ったのかというのを私たちは聞きたいのさ」
ヘイルの返答にからかいを多分に含んだ口調で文句を言うのはトーラスだ。「ひとの恋愛ごとこそが最高の娯楽」と言い切る彼はその整った外見とは裏腹に、口にする話題の多くがそちらの方向へ向いている人物である。
にやにや笑いながらヘイルの反応を窺うヒューバートとトーラスをもう一度鋭く睨みつけ、さらりと言う。
「綺麗だったよ。エリスによく似合っていた」
「……ヘイルは照れないからな、つまらん。ああ、早く私もエリス嬢に会って話してみたいものだ!」
「……また今度な」
大げさな身振りで嘆くトーラスに、ヘイルは苦虫を噛み潰したような表情で返す。断らないのは、万が一のときのエリスの避難場所を増やすためだ。
ヘイルとしては紹介すると色々な意味で気苦労が増えそうな予感がしているのだが、トーラスという人物を信頼しているのも確かだ。早めに紹介する必要があると、ヘイルは頭の中で算段を整えた。
そして二人にそっと切り出す。
「で、どうせエリスのことはもう噂になっているんだろう?」
「そうだな。各所でエリス嬢を取り込もうと必死のようだ。ヘイルに関してはほぼ失敗しているから、余計にな。私にはレジーがいたから言われずに済んだが、ヒューバートなどは積極的にいけとでも言われたのではないか?」
「あー言われた言われた。可能ならエリスちゃんを落として引き入れろってな」
「……」
「そこでツッコミ来ないの、不安になるからやめてくれない? そんなつもりないからな? いや、仲良くはしたいけどさ」
慌てるヒューバートだが、もしもエリスが彼を選んだ場合、ヘイルは止める手段を持たない。譲るつもりは毛頭ないのだが、エリスの決断を尊重しなさいというのが育て親の言である。
それでも、エリスにそういう目的で近付こうとする男は徹底的に妨害するつもりだ。わざわざ今日こうして集まったのも、それについての協力の最終確認のためだった。
先ほどとは打って変わって真面目な表情でそのことについて議論していけば、時間はあっという間に過ぎていった。
「さて、そろそろ俺たちはエリスちゃんを迎えにいく時間だろ?」
話し合いがひと段落ついたところでヒューバートが時計を目で示しながら伸びをする。確かに、クラスに分かれての顔合わせは担当教員によっても時間が前後するがそろそろ終了してもおかしくはない時間だった。ヘイルたちから離れ遠巻きに座っていた者たちの姿も少なくなってきている。
「そうだな。トーラス、そっちも頼む」
「ああ、任せてくれたまえ。願わくばエリス嬢と見える機会が早く訪れんことを!」
残念そうな表情のトーラスがヘイルとヒューバートを見送る。今回トーラスを連れて行かないのは、ヘイルが連れているとはいえ見知らぬ最上級生2人に囲まれてはエリスも気疲れしてしまうだろうという配慮だ。上手く笑顔で隠しているとはいえ、彼女が人見知り気質であることをヘイルはよく知っている。
また、ヒューバートもトーラスも――もちろんヘイルも――学院内では有名な人物である。人数を減らしたのは、彼らがエリスに会って起きる影響を減らす目的もあった。
二人が教室棟へ向かうと、そこにはいつもに増して多い馬車の行列と、それを見て感嘆している二人の少女の姿があった。その片方は黒く長い髪に、後ろからもわかる一本の角がある。連絡して合流する手間が省けたなと思いながら、ヘイルはヒューバートを連れて目的の“角付き”の少女――エリスに近付いていった。
***
スコット商会に向かうと言うエリスとアリシアのことをヒューバートに頼み、ヘイルはひとり教室棟の入り口からは死角になっている庭まで歩いた。普段は休憩場所としてそこそこ人気がある場所だが、今日は入学式だということでヘイルの他に人影はなかった。
それを確認したヘイルは右耳に半ば同化させるような形で着けている魔道具を起動させる。ヘイルの持つ魔力を供給され起動したその魔道具は、自動的に目的の人物の魔道具と接続した。
『はーい?』
その魔道具から聞こえてくるのは若い女性の声であり、ヘイルとエリスの育て親の片割れであるルクスの声だ。もう片方であるピリカにも同様に接続されているはずだが、彼女があまり喋らないのはいつものことなので、ヘイルも特に気にしていない。
「入学式は終わったぞ。エリスはスコット商会へ向かったから、そこで合流したいんだと。……場所わかるか?」
『知らないねえ。まあ聞けば教えてくれると思うよ』
「いや、俺と合流して行けばいいから大丈夫だ。中央広場にいてくれればいい」
『そう? じゃあ準備してからいくね』
言いたいことを終えるとヘイルはそこで魔道具への魔力供給を止める。ぷつりと切れた会話だったが、魔道具で通話するときはこれもまたいつも通りである。
ヘイルは魔道具を起動させる前と同様周囲を見渡す。ここは学院の庭の一角であり、それはつまり人目につく可能性があるということだ。通話のための魔道具は存在の認知すらほとんどされていないものであり、傍から見れば先ほどのヘイルは独り言を呟く怪しい人物だった。やはり人目がないのを確認したヘイルは、何食わぬ顔で正門のほうへと歩いていく。
エリスたちと別れてからほとんど時間は経っていない。それゆえ正門の混雑は先ほどと変わりないものであった。その人ごみの合間を縫っていこうとしたところでヘイルは後ろから呼び止められる。
「ヘイルさん」
振り向けば、そこには金髪の美少女が不機嫌な顔でヘイルのそばまで迫っていた。ヘイルが振り向いたことで立ち止まった彼女は、やや見上げるようにヘイルを睨む。
ヘイルはそんな彼女の視線をさらりと受け流しながら挨拶する。
「久しぶりだな、グレース」
グレース・フィラ・フィーライズ。学院が位置するフィーライズ王国の末姫であり、今年から学院に入学した人物。そして、エリスやヘイルとは顔見知りの仲である。
にこやかに挨拶するヘイルとはうらはらに、グレースの口から出るのは硬い声だ。
「ええ本当に。金月の間首をながく、ながーくしてルクス様たち皆様を待っていましたのに。よほど忙しかったようですね」
「エリスの入学準備があったからな」
肩をすくめて返すヘイルの言葉を理解できても、まだ納得はできないのだろう。うー……と低く唸りながら上目遣いで睨んでくるグレースにヘイルは思わず苦笑した。
「後で王城に行くよう言っておくから、機嫌直してくれ」
「……もとから機嫌は悪くなどありません。それよりエリスを待って、一緒に城へ向かいますか? ルクス様とピリカ様には途中で合流できそうですし」
ゆっくりとヘイルたちのそばに近付いていた王家の紋が描かれた馬車をグレースが指さしながら言う。
「いや、もうエリスは出た後。これから合流しにいくところだ」
「あら、そうでしたの。それでは城でお待ちしておりますわ。来なかったら今度こそ怒りますわよ」
「ああ」
捨て台詞のようなものを残し、グレースは迎えの馬車の中に乗り込んでいく。御者はヘイルに軽く礼をしてからゆったりとしたスピードで正門を抜け出していった。その後ろ姿を眺めながら、ヘイルもまた混雑している馬車たちを横目にルクスたちとの待ち合わせの場所へと歩いていくのだった。
学院や貴族たちにとっては入学式のある日でも、平民のほとんどはそんなことは関係ない。普段より混雑している道にわずかに眉を寄せながら、それでも普段と変わらない休日を楽しんでいる。
そんな王都の南北を走る大通りと東西を結ぶ大通り。その二つが交差する場所こそ、王都の中央広場である。広場の中央にある噴水をぐるりと囲むように広がるそこは、そのわかりやすさから待ち合わせによく使われている。
その噴水のふちに腰掛けるようにして立っているのはそれぞれ銀と緋の色の髪を持つ二人の美少女だ。明らかに目立ちうる容姿の二人組はしかし誰の視線も集めないまま、待ち人であるヘイルが来るのを待っていた。
「ヘイル、こっち」
学院から一本道で続いている東の大通りからやってきたヘイルを先に発見したのはピリカだ。ヘイルの胸ほどの身長の彼女は、小さく上げた手と肩口で揃えた短い緋色の髪を揺らしながらヘイルにアピールする。
「お待たせ」
「ヘイル、待ってたよー!」
ハイテンションで挨拶するのはルクスだ。長い銀髪をふわりとたなびかせながらヘイルに駆け寄り、そのままハグをする。それを受け止めたヘイルはやんわりとルクスを引きはがした。
その扱いにルクスはやや不満気な様子だが、そのままにしておくとルクスの後ろにいるピリカが怖い。人一倍――といっても人ではないのだが――彼女はルクスに対する独占欲が強いのだ。
「元気だったかい? あ、エリスはもう先に行ってるんだっけ。友達でもできたのかな?」
「その辺は歩きながら話そう。スコット商会はここからギルド側に歩いていく途中にあるから」
「それもそうだね」
「じゃあ行くよ、ルクス。ヘイルも」
ルクスがヘイルから離れると同時、彼女の左手がピリカによって捕まえられる。そのままヘイルを先導するような形でルクスの手を引いて歩いていく姿に、彼は思わず苦笑した。その二人の後ろ姿を追いかけながら、ヘイルはエリスのことと、王城でルクスたちを心待ちにしているグレースのことを順番に伝えていくのだった。