ババ抜き②
『ババ抜き』を呼んでいない方は一度戻って!!
再び彼女とババ抜きをしたわけだが、あり得ない状況になっている。
彼女と僕の手札がそれぞれ一枚。
僕の手札にはクラブのA、だとしたら彼女の手札はジョーカーということになる。が、だとしても、これではAが揃ったことになることは永遠にない。
しかも引くのは僕の番だ。ババ抜きのルール上、彼女の勝ちはすでに決まっている。まあ、それが普通のババ抜きのルールならだ。
前回のババ抜きではJとQの駆け落ちとか、Jのハートブレイクとか、彼女のルールが勝手に適用されていた。だから、今回もそれがあり得るということだが、でも、ここまでの勝負で彼女に特に変わったことはなかった。
「君、なにかまた変なことしてないかい?」
「やだなぁ、パイくん。わたしは何もしてないよぉ~。ほら、引いて引いて」彼女はジョーカーであろう手札を堂々と差し出す。「引くがぁ~いい~っ!」
そして、見得を切った。
しかし、ここで引いたら負けだ。ゲームにも、彼女にも。
「ねぇ? どうして引かないの? 放置プレイなの? シカトなの? 無視なの? 害虫なの? ゴキ――」
「プレイでもシカトでも無視でも虫でもないよ」
彼女の口から聞きたくない単語が出るところだったので彼女の言葉を遮ることにした。
「君を疑ってるんだよ。また変なルールを使ってくるんじゃないかってね」
「もう、パイくん! おこだよ、ベリーベリーおこだよ! ぷんぷん丸がドン引きするぐらいおこだよ、わたし! さっき言ったよね? わたしは何もしてないよ。ついでに言うとこの後も何もしないよ、わたしは。さ、今度こそ引いて!」
仕方がない。とりあえず引いてみるとしよう。
僕は彼女の手札をゆっくりと彼女の表情を伺いながら引いた。
彼女はとても嬉しそうだ。前回勝ちが決まったときのように晴れ晴れしい笑顔だ。
「揃った……?」
僕は引いたカードがダイヤのAだったことに思わず呆気に取られてしまった。
そして、だひゃひゃひゃと嬉しそうに笑う彼女を見ながら静かにカードを捨て山に置いた。
「ババはどこ? ババはどこ行った!?」
「いやいや、パイくん。そんなこと言って勝負をあやふやにしちゃ駄目だよ。わたしの方が先に無くなったからわたしの勝ちだよ! もぉ、またわたしが勝ったのがそんなに悔しいの? パイくんこどもだなぁ~、だひゃひゃひゃ~っ!」
「ババはどこっ!!?」
「……」
彼女が沈黙を使った。
僕も沈黙で応戦する。
「……」
「……」
「……」
「……」
今回の彼女はしぶとかった。僕が痺れを切らす。
「バ、バ、は、ど、こ!?」
「……もう、しつこいなぁ、パイくんは。女の子に嫌われちゃうよ。わたしはそれでいいんだけどね、だひゃひゃ、ハズカシっ!」
彼女は頬を赤らめながら笑った。かわいい。が、そんなことはこの先色んな場面でも味わえるものだ。今はジョーカーの行方だ。
「うん、で、ババは? ジョーカーは?」
「むぅ……しょうがないなぁ。そこまで言うなら教えてあげる。あのね、パイくん。ババはあまりの疎外感で旅に出ました! 出ましたとさ、ちゃんちゃん!」
そんな投げやりに言われても。
「最初から入れてなかったってこと?」
「ううん、違うよ。最初はいたんだよ。いつの間にか、いなくなっちゃったの。わたし、本当になにもしてないよ」
「……」
カードが勝手にいなくなるわけがない。
僕がジョーカーを取り除いていないのであれば、彼女が取り除いたということだ。これは必然だ。
じーっと見つめる僕を彼女もじーっと見つめ返してくる。
とても真っ直ぐできれいな瞳だ。いま、その瞳を独り占めしている。と、そうではない。
「君がやっていないという証拠は?」
「パイくん! 信じて」
「うーん……君、それでは証拠にならないな」
「え~っ! パイくんのいじわるっ。ひどいよ、わたしのこと信じてないんだねっ」
ぷいっとそっぽを向く彼女。
そんなことをされても、かわいいだけだ。
「信じてるよ。だからこそ証拠を見せてよ。君が何もしてない証拠」
「う~ん、じゃあ、見せてあげる」
彼女はそう言うと、今使っていたトランプが入っていたのとは違うトランプケースを取り出してきた。
「はい。開けてみて」
受け取ったケースを開けてみる。
「ハートJだ」
一番上にあったのはハートのJでジョーカーではなかった。
「ああ、それはね、この前ハートブレイクしたJだよ。彼もあまりの疎外感でそこに逃げたんだよ」
「へ~、そうなんだ。Jも大変だな」
ハートのJの次のカードを見る。
ジョーカーだった。その次もジョーカーでそのまた次もジョーカー。最初のハートのJ以外、全部ジョーカー。ジョーカーどれだけ疎外感感じてるんだよ。トランプのケース丸々一ケースにきっちり納まるって、ハートのJを除いても五十二枚はジョーカーがあるってことじゃないか。
「色んなところから来てるんだね」
「そ、だからわたしは何もしてないって言ったでしょ。勝手に旅に出て、同じ痛みを持ってる仲間たちと一緒に暮らしてるんだよ」
「そう……。ババがなくなったトランプではジジ抜きをするのかな?」
「うーん……そうじゃないの? だってババがないんだもんね。あ、そうそう、このババだけのトランプではね、ババだけってゲームをするんだよ!」
「ババだけ……?」
「うん、そう、ある特殊な状況になったときだけできるの」
「特殊な状況?」
「うん。ババだけのトランプの中に、ババ以外のカードが入ったとき。ほら、このハートのJみたいに」
「そう、で、どんなゲームなの?」
「簡単だよ。ババ抜きと一緒。ババ以外のカードがババ抜きのババの役割をするの」
確かにやり方は一緒のように聞こえるが……。
「それって、配り終えたら勝負が決まっちゃうよね。全部ババなんだし」
「あっ! だひゃひゃひゃ~っ! そうだね、流石はπくん!」
「うん。なんか、今、記号の方で呼ばれた気がするんだけど」
「ああ、ごめんごめん牌くん」
「いや、麻雀じゃないんだけど」
「え、うん、知ってるよ、トランプだよ」
「……」
「……」
「……」
「ごめんごめん、ごめんね、パイくん。牌くんはやめるからぁ~、怒んないでよ」
どうせならパイくんもπくんもやめてほしいものだ。
「これくらいで怒るなんてぷんぷん丸に怒られちゃうよ」
「はいはい。分かったよ」
ぷんぷん丸もドン引きしたり、怒ったり大変ですな。
「うん、分かればよしっ」
どうして、上からなんだろう彼女は。
「あ、ところで、ババだけで抜かれたJはどうなるんだい?」
「え、もう、パイくんも分かってるくせにぃ」
「いや、分かんないけど」
「えー、うそだよ。想像くらいついてるでしょ~?」
「……」
「えー……」
彼女が僕を残念な目で見てくる。そして、仕方なさげに微笑むと内緒話でもするように僕も耳元に口を近づけてきた。
「ババだけで抜かれたJはそこでもひどく傷ついて、それでね、元いた場所に帰るんだけど、そこには幸せそうにしてる想い人がいるの。それでもう、うん、立ち直れないよね彼は」
耳元に彼女の息がかかるという状況は実に甘ったるい。それなのに、紡がれる言葉は冷たくて恐ろしい。
彼女が僕の耳元から離れる。真正面にいる彼女は明るく笑っていた。僕はJの運命が気が気ではないというのに。
「あれ? どうしたの、パイくん、怖い顔して」
「いや、だって、J不憫すぎるだろ。失恋の末に命を絶つなんて」
「え?」
え? えってなんだ。
「いやいや、Jは死んだりなんかしなよ」
「え?」
今度はこっちが「え?」だ。
「Jはね、立ち直れなかったんだけど、そんな彼を見たババたちに受け入れられてババになるんだよ。ハッピーエンドだよ!」
「そう、それはよかったね……」
もう、どうでもいいや。
「パイくん」
彼女が改まっている。変なルールのことを謝ってくれるのだろうか。
「わたしもJの想い人みたいに幸せになるよ」
謝罪ではなかった。でも。
「そうだね……そうなるように頑張るよ」
「だひゃひゃっ! パーイくんっ、大好きっ!」