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その日の反省会、従者テオは心底蔑むような目で自らの主人を見た。
「ちょろすぎますよお嬢様」
「失礼な従者ね!」
ぶん投げたクッションはテオの顔面に直撃した。落としたクッションの埃をはたきながら、あきれた調子でテオは言う。
「まあ、お嬢様よりも、ご令息のほうが二枚も三枚も上手だったってことですね。いや、お嬢様が単純だったというべきか」
「だって!」
私はソファの上に立ち上がった。はしたない行為だが、どうせこの部屋には私とテオしかいないため、咎める者など誰もいなかった。私は力説した。
「サラ様のあんな悲しげなお顔を見たら、なんでもしてあげたいって思っちゃうじゃない!」
「どう考えても計算ですね」
従者の返事は辛辣だった。「で、ご令息は何か頼まれたんですか?」
「いいえ、特には。お父様のご本を何冊か借りられていたから、また近くお越しになると思うけど」
「様子を見ているのかもしれませんね。俺のことを気にしていたようですし。いいですか、次にご令息がお越しになった時は気をつけてくださいよ。あんまりホイホイご令息のおねだりを聞かないように」
テオの目が真剣だったので、私は口を尖らせながらも「わかってるわよ」と返した。
テオは確かに私に対して躾がなってないし、お互い好意とは程遠いところにいる。けれど、彼は憎まれ口を叩きながらも、決して私の、引いてはアレッサンドロ侯爵家の不利益になることはしないのだ。いけすかない従者だが、私は彼の忠誠心を高く評価していた。
私はソファに座りなおすと、気を取り直していつもの調子で言った。
「ところでテオ、今度のパーティに着ていくドレスのことなんだけど!」
「物欲も大概にしてください、お嬢様」
この国の社交界デビューの年齢は16歳で、王宮の舞踏会に参加することで一人前の淑女として認められるのだけれど、それ以前にも各々の家で行われるお茶会や夜会には12歳から参加していいことになっていて、正式なデビュタントまでに、女性たちのコミュニティを作っておく。
各家を取り仕切る家長となるであろう男性陣は後学のために12歳から王宮の夜会にも出ていいことになっているのに、私は16歳までおあずけだなんてちょっと悔しいが、王宮の話はあれから三日と空けずにやってくるサラ様が事細かに教えてくれたので、私は自分も王宮に招待されているような夢のような心地でそれを聞くことができた。
「ねえ、王宮のお庭はとてもすばらしいってお聞きしているけれど、実際はどんな様子なんですの?」
「そうだね、国いちばんの庭師たちが世話している庭だから、やっぱりとても立派だったよ。でも、とても広くて、あちこち入り組んだ迷路みたいになっていてね。下手に庭に出ると迷子になってしまいそうだったな」
「まあ」
サラ様が迷子だなんて、にわかには信じがたい話だったが、その姿を想像して私はくすくす笑った。サラ様はそんな私を見て目を細めると、私の緩やかにウェーブを描く髪を丁寧に撫でた。
「マリーは舞踏会が楽しみなんだね」
「ええ!はやく16歳にならないかなって、いつも思います」
もちろん16歳というのは没落へのカウントダウンも待っているのだが、それを食い止めるための今である。私はうっとりしながらサラ様の手の感触を楽しんだ。
「サラ様、私のデビュタントにはちゃんとエスコートしてくださいませね」
「うん、勿論」
そうしてサラ様は私の手を取ると、その手のひらに軽くくちびるを当てた。
「デビュタントといわず、今度のパーティでも是非ご一緒させてくれる?」
「よろしいの?」
「よければずっとそうして、マリー」
優しい調子でそんなことを言われるものだから、私はすっかり舞い上がってにこにこしながらサラ様に抱きついた。なにか騙されていようが、これが彼の策略だろうが、とにかく今のサラ様は私の腕を振りほどかないのだから、めいっぱい堪能させてもらえばいいのだ。
最近のサラ様と私の定番は、父の書斎に行って適当な本を借りてから、庭に行って本を読みながらまったりと過ごすのだ。立派な淑女になるために私だってさまざまな教養が叩き込まれているけれど、次期公爵であるサラ様の知識はそんな花嫁修業とは比べ物にならないほど幅広い。今日も庭のベンチで、難しい地理学の本を広げていた。
テオは、いつも庭に陣取るのは、サラ様が聞かれたくない話をしても、お部屋よりも声が伝わりにくいからだろうって言うけれど、サラ様はいつも内緒話をするみたいに顔を寄せてひそひそするから、場所なんて関係ないようにも思えた。
サラ様の胸から下にぎゅっと張り付いている私の背中をゆっくり撫でながら、彼はふと声の調子を落としてつぶやいた。
「でも…夜会もそう楽しいばかりではないからね」
「どうして?」
顔を上げると、サラ様の冷たい目がゆっくりと細められて、切なげな色をかもし出した。
「いらない相手に突っかかられることもあるし…みんながみんな、純粋な好意で僕の元に集まるわけじゃないからね」
もちろん私は違うとばかりに私の頬に手を当てると、サラ様は小首をかしげた。
「この間も、『お前は親の七光りででかい顔してる』なんて言われたんだ…」
「まあ!」
なんて躾のなってない輩が神聖な夜会に紛れ込んでいるのだろう!私はすっかり憤慨してサラ様と目線を合わせた。
「そんな鼻持ちならないやつは一体誰です?私がこらしめてやりたいわ!」
「そんな危ないことをしないで、マリー。彼だってきっと悪気があったわけじゃないんだ」
「あら!努力家のサラ様に向かって、悪気がなくてどうしてそんなひどいことが言えるというのです!」
するとサラ様はゆるやかに表情を緩めて、いかにも困った様子で眉尻を下げた。膝の上の私の腰に腕を回すと、甘えるように私の胸に頭を預けた。大好きなサラ様の弱った様子に高鳴る胸の鼓動が聞こえていなければいいんだけど。
「パトリックが…ああ、フィオデニール侯爵家の次男だけど、なにかにつけて僕と張り合おうとしているみたいなんだ。ライバルができるのはいいことだし、僕はともに切磋琢磨していけたらって思うんだけど、どうも向こうは僕を蹴落としたいらしい」
「お名前は耳にしたことがありますわ。私達のふたつ年上で、それなりに優秀なお方だとか。でも、サラ様の相手ではございません。きっとサラ様のことをひがんでいらっしゃるんだわ」
「そうかな」
サラ様はあいまいにそう答えただけだったけれど、アイスブルーの目の奥がきらりと光ったのを私は見逃さなかった。私はそうと知りながら、あえてサラ様の口車に乗ることにした。
「私がきっとお助けいたします、サラ様。そのフィオデニール侯爵の次男も今度のパーティにはいらっしゃるんでしょう?サラ様に二度と生意気な口を叩けないよう、私が諌めてまいりますわ」
「いよいよ声をかけてきましたね、ご令息」
「お声掛けしていただけるほど信頼いただいたということよ、この私が!」
主に利用できるって意味でね、不遜な口を利いた従者だったが、事実だということはわきまえているので私は何も言わなかった。…が、わざわざ指摘してくるところにいらついたので、手にしたタオルをテオの顔面に叩きつける。
「フィオデニール侯爵家はオーウェンの政敵だわ。あのご家庭は確かお兄様が病弱でいらしたはずよ」
「次男も十分に跡継ぎとなる可能性があるということですか。さすがご令息、未来の障害をきっちり排除にかかるなあ」
テオは私の投げつけたタオルを綺麗にたたんでから顔を上げた。「それで、どうなさるおつもりです?」
「私、まだパーティには数えるほどしか出たことないから、それを武器にするわ」
私はにやりと笑ってテオを見た。後にこの無礼な従者は、私の最高のほほえみに対してこう評すのだ。…まるで稀代の悪役の笑顔だと。
「色仕掛けよ」
「お願いですから傷物になって帰ってくるようなヘマだけはしないでくださいね、お嬢様」
今度の夜会はさる伯爵家で行われる、伯爵の誕生日パーティだ。普段の夜会は身内や親しい家のみを招いたこじんまりとしたものだが、誕生日や季節の節目のパーティはさまざまな貴族が集まって盛大に行われる。まだ数えるほどしか夜会に出席したことのない私にとっては初めての大々的な会となる。
まだあまり顔を売っていないアレッサンドロ侯爵家の末娘のお披露目となるし、公爵家の長男との婚約内定以降初めての出席だ。間違いなく注目されるだろう。
選んだドレスは愛らしい薄ピンク。サラ様のタイとおそろいの、淡い金のコサージュをつけて。結い上げた髪の毛には春色の小花を散らして、化粧も薄めに乗せた。今日は居丈高で派手な装いの侯爵令嬢はお休みだ。すっかり清楚なお嬢様の仮面を被った私に、半日奮闘したメイドたちも満足げに頷く。
「お似合いですわ、お嬢様」
「フン、当然よ!この私に不可能はないわ」
私の数々の叱責に耐え抜いたメイドたちは今日の成果を称えあっている。いつもならば主人の前で無駄口をきくなと叩いているところだが、今日は機嫌がいいので好きにさせてやろう。全身鏡を見て最後のチェックをしていると、従者テオがひょっこりと顔を出した。
「お嬢様、オーウェン公爵令息がいらっしゃいましたよ…ああ、随分化けましたね」
「ふふん、どうかしらテオ、私のこの姿!清らかな女神のようでしょう!」
くるりとターンして腰に手を当てると、すっかり白けた様子のテオは肩をすくめた。
「清らかな女神はそんな溌剌とした話し方をしません」
「勿論夜会ではもうちょっと儚げな態度をとるわよ」
テオを引き連れて後始末の残るメイドたちに見送られながら部屋を出ると、私は玄関ホールに佇んでいるサラ様の姿を見つけて気分が高揚した。
「サラ様、ようこそいらっしゃいました!」
夜会用の礼装に身を包んだサラ様は、いつもよりも幾分可愛らしさを追求した私の姿に目を丸くして、それからにっこりと笑って一礼した。
「今日のマリーは一段と可愛らしいね。よく似合ってるよ」
そう言ってサラ様は私の手を取った。いつもはサラサラと風になびかせたままにしている淡い金髪が今日は後ろにかきあげられていて、彼の怜悧なかんばせがあらわになっていた。私はドキドキしながらドレスのスカートをつまんだ。
「今夜は素敵なサラ様にエスコートしていただけるので張り切ってしまいましたの。本日はよろしくお願いいたします」
「こちらこそ、素敵なご令嬢をお連れできて光栄です」
じゃあ行こうか、サラ様に手を引かれて私は屋敷の出口へと向かった。ちらりとテオを振り返ると、いつもは無礼な従者はちょっとだけ心配そうにこちらを見てから、丁寧に頭を下げていた。




