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とにもかくにも没落エンド回避である。
散々ああでもないこうでもないと言い合い、時に手が出て足が出て、私もテオもどっと疲れて口論する気力もなくなった頃、ようやくテオがあきらめたように頷いた。
「わかりました。じゃあ、こうしましょう。要は公爵令息がその男爵令嬢を気に入らなければいいと」
「まあ、そうね」
ヒロインがあちこち社交界を引っ掻き回すのは癪に障るが、さして縁もない男たちがいかに篭絡されようと、私にとってはさしたる問題ではない。
悪役令嬢マリーがなんであんなバイタリティを持ってヒロインを苛め抜いていたのかは謎だが、今の私にとっては、誰ともしれぬ貴公子たちより目先のサラ様だ。サラ様がヒロインとくっつかないのであればあとは好きにやれ、なんならテオも熨しつけてくれてやる、というレベルまで譲歩できる。
「俺もそんな得体の知れない男爵令嬢なんかのために、身分を明かしてまで今の生活を捨てたくはないです」
この無礼な従者もなかなか毒舌だ。
「つまりですね、お嬢様とご令息が男爵令嬢と出会わなければなにも問題はないですし、仮に出会ったとしても、ご令息がその男爵令嬢に見向きもしなければ、お嬢様も俺もいたって平穏に過ごせるはずです」
「そうね、それで?」
「公爵令息を落としましょう、お嬢様」
「は?」
思わず素っ頓狂な声が出て、私は手にしていた紅茶をひっくり返しそうになった。しかしテオはいたって真剣だ。
「ご令息が男爵令嬢など意にも介さないくらいお嬢様のことを大事に思っていれば、惨事はありえません」
「そ、そんな、サラ様が私を大事にだなんて…」
想像するだけでドキドキしてくる。あの優しい雰囲気のサラ様に愛されたらそれこそ発狂しそうだ。
しかし目の前の従者はそんな妄想を打ち砕くかのように冷酷に言った。
「いいですか、お嬢様。俺の見立てによりますと、あの公爵令息からお嬢様への好感度は現時点で底辺、良くて都合よく扱えそうな女という認識です。それをなんとか引き上げなくてはなりません」
「そ、そんなことないわよ!だって昨日のお茶会だってあんなにお優しかったし」
「お嬢様はあのご令息の美貌にイチコロだったかもしれませんけど、世の中一目惚れなんてそうそう起こりえないんですよ。現実を見てください」
きっぱりとした従者の言葉に流石にへこんだ。
「サラ様が、公爵家のために私と仲良くしようとしているというの?」
「その通りです。お嬢様は気位が高く暴れ馬みたいに猪突猛進ですが、ご自身で仰るとおり美しさと教養と権力はまわりのご令嬢の比ではありません。ましてそんなお嬢様が自分に惚れている様子だとわかればなおのこと。お嬢様の利用価値はいくらでもあります」
息をするように自然な調子でけなされている気がするがいつものことだ。私は将来の安寧のために無礼な従者の苦言を飲み込むことにした。これでも誉れ高きアレッサンドロ侯爵家の秘宝と言わしめる完全無欠の令嬢なのだ、いちいち使用人の一言に取り乱すような真似はすまい。ちなみにそんなことを言っているのは後にも先にも親馬鹿な父ただひとりだが。
この従者は自分の主人に失礼な口を叩いているのが分かっているのかいないのか、私の様子など意に介したふうもなく続けた。
「幸いにも、お嬢様のような気位の高い人間でも男性には一定の需要がありますからね。男たるもの、自分ひとりに尻尾を振るさまを見せられれば悪い気はしないはずです」
「アンタ、そろそろ言葉を選びなさい」
主人の親切心から出た突っ込みはさらりと流された。
「でも、さじ加減が肝心です。なんでもハイハイと聞いていてはいけませんし、つれない態度をとりすぎていてもいけない。男心をくすぐりつつ、時に揺さぶりをかけて優位に立つのです。優秀な公爵令息といえど所詮は12歳の子供ですからね。俺のマネージメントがあれば一発ですよ」
「アンタだってひとつしか変わらないでしょう。でも、なんだか嫌ね。そんなことをしたら私、まるで悪女みたいだわ」
それにしてもこの従者は、齢13歳にして一体どこからそんな恋愛スキルを身につけたというのだろう。目の前のテオに一抹の底知れなさを感じながら文句を言うと、この不遜な従者はにっこりとおなじみの笑みを浮かべた。
「お嬢様、『ありのままの自分を好きになってほしい』なんて身勝手な幻想です。多少あざといほうが男性には受けがいいんですよ」
「…世の中の闇を垣間見たわ」
男性諸君の好みはともかく、好きな相手に気に入られる自分でありたいと思うのが、世の恋する乙女の性というものだろう。数日後、私とサラ様の婚約内定の報が入り、公爵閣下と一緒にやってきたサラ様の麗しい姿を見て、私は決意を新たにした。
「正式な婚約式はまだ先になるけど、せっかくの縁だから」
そう言ってサラ様は可愛らしいピンク色をした薔薇の花束を差し出した。先日会ったときと同じ、温度を感じさせない瞳で私を射抜くと、サラ様は恭しく一礼してみせた。
「マリー、私の婚約者になっていただけますか?」
「まあ…」
小首をかしげながら上目遣いで乞われて、断れる女性がいたら見てみたいものだ!私はすっかり薔薇の香りとサラ様の美貌の虜になって、こくりとひとつ頷いた。
「私でよければ、喜んで、サラ様に従います」
サラ様からは死角になっている物陰から、従者テオが無言で訴えてくる…「お嬢様、凛々しく、凛々しくなさってください!」
ちょっぴり気分が削がれたが、ふわふわと落ち着きのないみっともない姿をサラ様に見せては失礼にあたるだろう。私はドレスのスカートを持ち上げて片足を引き、膝を曲げた。ここ最近で最も優雅なカーテシーが決まる。フフン、どうよテオ、私の完璧なお辞儀は!ちらりと物陰を見ると、普段は不躾な従者も満足げに親指を立てた。
サラ様は私の完璧な淑女の礼に少しだけ眉を上げて意外そうな顔をしたけれど、すぐに口の端っこを引き上げて微笑んだ。アレッサンドロ侯爵の娘としての仮面を被っている私は、先日よりも冷静な目でその笑顔を見ることができた。
ああ、確かにテオの言うとおり、この方は私のことなんてちっとも好きじゃない。冷たい瞳は私になんの愛も訴えかけてこないし、そのほほえみだって人形じみてうつくしいばかり。それでも彼のその温度のないアイスブルーの両目に見つめられると身体の芯が震えてドキドキしてしまう。なんてこと、私ってちょっぴり冷たい方が好みだったみたい。
「マリー、よろしければサラディア君に屋敷を案内して差し上げなさい。父さんは公爵閣下とお話があるから」
「おお、それがいい。サラ、マリー嬢と行っておいで」
両家の父が笑う。公爵閣下は優しげな美丈夫だけれど、サラ様と同じアイスブルーの目の奥は笑っていない。値踏みするような目でこちらを見てくる。公爵閣下は野心溢れる策士だと耳にしたことがあるけれど、その噂にたがわぬ食えない雰囲気を感じた。けれど、いくらふた回りも年上の、経験豊かな公爵閣下相手とはいえ、このアレッサンドロ侯爵家の末娘の敵ではない。私はふんわりと花が綻ぶような笑みを見せて、無邪気を装って言った。
「お許しを頂きありがとうございます、公爵閣下。サラ様、よろしければ先日お話しした我が家の書斎などご覧になりませんか?きっとサラ様のご興味の湧く本がたくさんあるかと思いますわ」
「ええ、是非」
サラ様の差し出した手を取り、いかにも仲睦まじげにホールを去りながら、ちらりと背後の公爵閣下を伺うと、満足げな様子の閣下が応接間に案内されていくところだった。このマルティーナに不可能はない。
「お嬢様、お花を私室に生けてまいります」
すかさずテオが影のように現れたので、私は薔薇の花束を彼に預けた。サラ様の冷たい双眸がすうとテオに向いた。
「おまえは先日もマリーに付き添っていたね」
「従者のテオですわ。テオ、サラ様にご挨拶なさい」
「テオでございます。ご令息のような素晴らしい方に、お嬢様をお預けできまして光栄でございます」
テオもテオで、幼い頃から私に付き従って使用人としての心構えを叩き込まれているのだ。しかも生まれが王子だから気品が違う。一分の隙もない礼をしてみせるテオを見て、私はサラ様に言った。
「サラ様も、この家にいらっしゃった際には是非お目をかけてやってくださいな。幼い頃よりこの家に仕えてくれている、頼りになる使用人ですの」
「へえ」
耳によくなじむサラ様の声が、若干硬くなったように聞こえた。私がひとつ瞬きをすると、彼はもう柔らかい笑みをテオに向けていた。
「よろしく頼むよ、テオ」
「誠心誠意お仕えいたします」
そうして薔薇の花束を持って立ち去る間際、テオがちらりとこちらを見て、一瞬だけにやりと笑った。それみたことか、とばかりに。悔しいが今ここで彼を蹴るわけにもいかない。
「仲がいいんだね」
私たちの無言のやりとりに気付いたのか、テオの後姿を見送りながらサラ様がぽつりと言った。私は慌てて言う。
「五歳の頃から私に付き添わせていたんですもの、ただの腐れ縁みたいなものですわ。別に仲がよいわけでもありませんし」
それどころか普段から喧嘩ばかりだ。表情の読めないサラ様に不安になりながらも、私はくいと彼のジャケットの裾を引いた。
「あ、あの…何かご気分を害されました?」
そこで顔を三十度に傾げて上目遣いです、お嬢様!というテオの言が聞こえてくるかのようだった。サラ様を伺うと、彼は驚いた様子で私の顔をまじまじと見ると、ゆっくりと破顔した。
「いいや。でも、ちょっとばかり妬いたかな」
そのお言葉だけでお腹いっぱいだわ!心の中で私は狂喜した。ここまでもちろん、テオの策略だ。
サラ様が我が侯爵家に足を運んでいただけることになったとき、とにかくテオは私にこう言い含めた。
「ひとまずお嬢様がご令息の懐のうちだと思わせつつ、ご令息には多少警戒させる必要があります。間違ってもお嬢様を過度に利用されることがあってはなりませんからね」
「警戒って?」
「ぱっと見、お嬢様はなんでも自分の思い通りにいかないと気がすまない我侭娘ですからね。そんなお嬢様でも頼りにしている人間がいると見れば、当然ご令息は警戒するでしょう」
それからテオは非常に言いにくそうな苦々しい顔で憮然と言った。
「いいですかお嬢様、なるべく早い段階で俺をご令息に紹介してください。いいですか、『頼りになる使用人』として紹介するんですよ。それでご令息が俺を気にするようだったらもうけものです。お嬢様は俺はただの従者だとかなんだとか言って、ご令息に甘える様子を見せてください。とりあえず最初の揺さぶりはそんなものでいいでしょう」
そこからの数時間は苦痛そのものだった。なにせ甘えるしぐさの練習をあの忌々しいテオを相手にやらされたのだ。お互いが嫌悪感を押し殺してそんな練習をしたものだから、しばらくテオとは険悪状態だった。
しかし、今のサラ様のお言葉ひとつで報われるというものだ。私はすっかり嬉しくなって、頬をばら色に染めてにこにこした。先日のお茶会と同じように、頭の中がふわふわと霞がかっていく。
すっかりメロメロになっている私になにを思ったか、サラ様はかすかに表情を歪めて言った。
「僕にはマリーのように、頼れる人がいないんだ」
美少年が悲しげな表情をするとこうも薄幸そうなはかない存在になれるものなのか。私は絵画の世界のように芸術的なサラ様に撃ち抜かれた。
「父や母は僕に期待してくれているけれど、僕が弱音を吐くことを嫌うんだ。でも、僕が困ったとき、誰も相談できる人なんていないし…」
「私がおりますわ!」
思わず私はそう口にしていた。「どうかなんでもおっしゃって、サラ様!」
サラ様はゆるやかにその目を細めて表情を緩めた。すべてが計算された動きであるかのようにスマートに両手を私の両腕に添えると、彼はそっと私に顔を寄せた。こつりと軽く額が合わさる。心臓が破裂しそうだった。
そうしてサラ様は、ちょっぴり掠れたささやき声で、「マリー」と甘く甘く私の名前を呼んだ。
「僕のこと、たすけてくれる?僕のかわいいマリー」
こういうとき、どう返せばいいのか分からないわ!視線を彷徨わせても、頼りになる従者であるところのテオは今花を生けに行っている。私は彼の冷たい瞳の奥に怪しげな光を見て、驚くほど簡単に陥落してこくりとひとつ頷いた。




