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流行りの悪役令嬢といふものを、私もしてみんとてするなり。
世界観などはふんわりとお楽しみください。
某月某日、お天気は雲ひとつない快晴。気分も清々しい朝、私は汗びっしょりで飛び起きた。
(ど、どど、どうしよう、死んだ、私死んだ!)
ふわふわの眩い白のシーツをつかんで焦る。激しい動悸がして、顔色は真っ青だが、あいにくと鏡がないのでそれを確認することはできない。その時タイミングよく現れた従者のテオが、尋常ならざる私の様子を見てぎょっと目を剥いた。
「おはようございます、お嬢さ…って、どうかなさいましたか?」
「ど、ど、どうかなさいましたじゃ、ないわよ!」
絶叫した。ご令嬢の気品もなにもあったもんじゃないが、非常事態だ。
「私、サラディア様に捨てられて没落した挙句に民衆に馬につながれて町中引きずりまわされて、死んじゃう!」
テオは目をぱちくりさせた。ちょっと首を傾けると、彼のさらさらの黒髪がはらりと落ちた。それからにっこりとその端整な面持ちを綻ばせると、明るい調子で言った。
「お嬢様ってば、今日のお茶会に緊張して変な夢を見たんですね?大丈夫ですよ、お嬢様の美貌と気品があれば公爵令息もイチコロだって、お嬢様、昨日ご自分でそう言ったじゃありませんか」
違う!そう叫んだ私の声は、さっさと着替えてご準備なさってくださいね、と部屋を出て行くテオには不幸にも届かなかった。
「ドキドキ☆ロマンス~王侯貴族の甘い罠~」というゲームがある。
いわゆる恋愛シミュレーションと呼ばれるジャンルで、タイトルのとおり王侯貴族の社交界を舞台に、うつくしい貴公子たちを骨抜きにしていくのだ。
ヒロインは明るく可愛らしい、素朴な印象の女の子。商家から男爵位にまで上り詰めたいわゆる成り上がりのご令嬢で、平民に近いその感性が上流階級の陰のある青年たちの心を掴むという、ありがちな展開。ヒロインの恋路を邪魔してくるおそろしい侯爵令嬢なんかもいたりして、やっすいタイトルとは裏腹に、王道ながらも笑いあり涙ありハラハラドキドキのストーリーでそこそこの人気を勝ち得た作品だ。
その日、私はある女の人生を夢に見た。夢の中の女は、その恋愛シミュレーションゲーム、ドキドキ☆ロマンス…長いので「ドキロマ」と呼んでおく…の攻略を黙々と繰り返していた。女は歯噛みしながら画面の中の少女、金髪碧眼のいかにも高飛車なご令嬢をにらみつけ、こう叫んだ。
「あーっ、この悪役令嬢、ホント最悪!さっさと断罪イベントで没落して死ね!」
悲しいかな、その女はちょっぴり口が悪かったのだが、そこはそれ。肝心なのは、あまりにもえげつない苛めをヒロインに行ってくるその悪役令嬢とやらと、今の私がまったくもってそっくりだということだ。
しかもそのご令嬢の名前は、マルティーナ・ルル・エント・(長いので中略)・アレッサンドロ、通称マリー。
言わずもがな、私である。
夢の中の女が私の前世なのか、それとも単なる夢なのか、よくわからないけれど、とにかくその女が恋愛シミュレーションゲーム…いわゆる乙女ゲーム以外に嗜んでいたWEB小説から推察するに、どうやら今の私の状況は夢の中の小説にあった「悪役転生もの」というやつにあたるらしい。乙女ゲームとか、少女漫画の悪役に転生した主人公が、自身の没落ルートを回避したり、苛める予定のヒロインと仲良くなったり、はたまたその前世とやらの性格にコロッと変わって、本来自分が断罪される予定だったヒーローと仲良くなってしまったりとかいうやつだ。
私は目の前の鏡を見た。緩やかにウェーブを描く鮮やかな金髪に、きつめの碧の瞳。12歳ながらも均整のとれた、色白の完璧な身体。薔薇色のドレスが似合う派手な顔立ち。これこそ王侯貴族に名を連ねる侯爵家のお嬢様として胸を張れるいでたちだと、昨日までそう思っていたし、今だって我ながら惚れ惚れする出来だ。
確かに私は従者のテオをはじめとする家の者たちにはちょっと…ほんとにちょっとばかり…高圧的かもしれないし、お父様にはわがままも言うし、そんな商家から成り上がってきた連中なんて下賎だとも思うし、慈愛とか博愛とかそういう精神とは無縁の人間だと思う。夢の中で別世界の女の人生をなぞったとはいえ、特別自分の中でなにかが目覚めた様子はない。記憶はあくまで記憶であって、何か長い舞台でも見たような感覚に近い。
「ドキロマ」では、悪役令嬢マリーは王侯貴族の見目麗しい男性に次々好かれていくヒロインに嫉妬して、口にするのも憚られるような手口でヒロインを襲わせた罪で社交界を追われ、家族は爵位も失い、身一つで街に追い出された挙句に噂を聞きつけた民衆の手によって断罪され、命を失う。恋愛がメインのゲームのくせになかなかブラックだ。
でもさあ、商家から成り上がってきた品性も由緒もない女が上流階級のやんごとなき方々を篭絡したら、国政上あんまりよろしくないし、普通止めるよねえ?
そんなに私は周囲から恨みを買うような人間だろうか…そう思ったところで、またしても準備完了の報を受けた従者テオがやってきた。
「お嬢様、ご準備ができましたら馬車に向かいましょう」
「ねえテオ」
「はい?」
「アンタ、私のこと嫌いかしら」
テオは何も言わずににっこりと微笑んだ。ああ、そう。まあ分かってたわよ。
起きぬけには散々焦ったが、よくよく考えてみれば、この私が嫉妬に駆られて一人の女を苛め抜いた挙句に人生棒に振るなど、ましてそんな未来を知っていてなお愚かな真似をするなどありえない。まして自分のみならず家族まで路頭に迷わせるなどもってのほかだ。没落するというのなら、これまた先人の例に漏れず、その乙女ゲームのシナリオに関わらなければよい。
幸い、そのゲームの本編は私が16歳になる年にはじまる。まだ4年も先の話。ヒロインとは、攻略キャラクターのひとりである公爵令息との出会いイベントで、彼の婚約者として出くわすことになっている。幸いにも、当の公爵令息と初めて顔合わせするのが今日。一応お茶会と称されたお見合いの席で、私が彼に気に入られなければ婚約にはならないし、そうすればシナリオに絡むこともあるまい。
美貌も教養も余りあるこの私が、公爵令息にあえて嫌われようだなんて…考えただけで虫唾が走るが、背に腹は代えられない。今日だけ、今日だけだ。
ガラガラと音を立てて進む馬車に乗って、ふと窓の外の景色から馬車の中へと視線を向ける。向かいの席で従者のテオがじっと座っていた。
確か悪役令嬢マリーが没落するのは、テオがマリーを裏切って、これまでの悪事を暴露したせいだったっけ。彼もまた攻略対象のひとりで、今はこうして使用人としての身分に甘んじているが、実はとある身分のお方のご落胤なのだ。
「ねえテオ」
「はい?」
私はちょっと考えた。
「私、今までアンタに今まで辛く当たったけど、これからは心を入れ替えてちょっとくらいは優しくしてやってもいいわよ」
するとテオは目をしばたいた。まじまじと私の顔を見る。なによ、使用人ごときがレディの顔を見つめるだなんて無作法なやつね。これまでだったらぶん殴っているところだ。
テオはちょっと心配そうに眉を下げた。
「お嬢様、今日はどうされたんですか?」
「は?」
「そんなに怖い夢でも見られたんですか。あ、もしかしてお熱でもあるんですか?」
「なんですって?」
こっちが殊勝な態度をとってやっているというのに、テオはますます考え込みながらこちらに身を乗り出した。
「いや、あんな我侭放題好き放題のお嬢様が今日はなんだか冴えてないじゃないですか!俺に嫌われるとかいっぺんも考えたことなかったお嬢様が!」
「アンタそれ以上言うと蹴るわよ!」
もう蹴っていた。テオは脛を押さえてうめいた。
「それでこそいつものお嬢様です…」
「使用人のくせに生意気ね!公爵家に着くまでその減らず口を閉じていなさい!」
ああ、やはり無理だ無理だ!こんな令嬢に対する礼儀もわきまえていない使用人ごときの顔色をうかがうなど!
でもそうなると没落が…頭を抱える私に、何を思ったかテオは首をかしげながらつぶやいた。
「お嬢様、緊張したときは手のひらに三回『人』って書いてですね…」
「この私がたかだかお茶会ひとつで緊張などすると思って!?」
とりあえず、テオにはもう一発蹴りを入れておいた。
そうこうしているうちに公爵家に着いてしまったが、没落ルート回避への道はまるでまとまっていない。それもこれもテオのせいだ!生意気な従者をにらみつけるが、当のテオは平然としている。
「さあ、マリー。サラディア君にご無礼のないようにするんだぞ」
別の馬車から降りてきた父が私の肩を叩いた。言われなくてもそうしたいところだが、このお茶会が滞りなく進んでしまってはまずいのだ。私はあくまで尊大に言い放った。
「お父様、この私が、我がアレッサンドロ家に泥を塗るような真似をすると思って?」
すると父はうれしそうに笑って何度も頷く。
「それでこそ我が娘だ。とても頼もしいよ」
使用人に先導されて庭園への道を進みながら、私は今後の展開を考えた。お茶会と称した婚約前の顔合わせだ。お相手は公爵令息であるサラディア…ミドルネームはやはり長いので割愛しておく…オーウェン。オーウェン公爵家の長男で跡継ぎ。乙女ゲームではいわゆるクーデレ担当だったが、物語序盤の冷たい性格に対して、声を当てていた声優の口調が柔らかすぎて、評価があまり芳しくなかったキャラクターだ。
かく言う夢の中の女も公爵令息にはあまり熱を上げておらず、公爵令息ルートもさらっとなぞっただけ。スチルコンプのために申し訳程度に一周した程度のものなので、彼のことはよくわからず、今の私が持っている情報以上のことは知らない。
サラディア・オーウェン。私と同じ12歳。淡い金髪に怜悧なアイスブルーの瞳。公爵家の跡継ぎとしてふさわしい品格を持った人物で、当たり前だけど美形。とはいえ、直接会ったことはないので実際のところはどうだか知らないけど。
ゲームでは悪役令嬢マリーは嫌われていて、家のために仕方なく婚約を結んでいるとかいう設定だった。ならば話は簡単だ。こちらがちょっとでも婚約を渋る様子を見せれば、向こうだって乗ってくるはず。お父様には悪いけれど、一回お見合いが駄目になったからってそれで没落が回避されるのであれば安いものだ。
とりあえず二人きりになってからが勝負よ!そう意気込んで、お茶会の会場である中庭に足を踏み入れ…私は完全に固まった。
耳元にかかった金髪は柔らかな風に吹かれてさらりとなびいている。濃灰色のモーニングをきっちりと着こなして、そこから覗く肌は陶器と見まごうほどなめらかで白い。意思を感じさせないアイスブルーの冷ややかな瞳と相まって、まるでお人形のようなうつくしさだ。
少年がこちらにゆっくりと歩み寄ってくる。その薄いピンク色をしたくちびるが開かれた。彼は丁寧に一礼すると、冷たいいでたちとは裏腹に、耳に染み渡る甘くて柔らかい蠱惑的な声で挨拶した。
「アレッサンドロ侯爵閣下、本日はわざわざお越し頂きありがとうございます」
「ああ、サラディア君。」
父が鷹揚に頷いて、私の背中を押しながら笑った。
「こちらこそ、本日はお招き頂いてありがとう。娘のマルティーナとは初めてだったかな?」
「はい」
その冷たい双眸が、私を射抜いた。なんて温度のないまなざしなんだろう、胸の奥が締め上げられるようにうずいた。私は夢心地で真紅のドレスの裾を持ち上げた。
「アレッサンドロ侯爵家が末娘、マルティーナと申します。本日はお会いできまして光栄です」
背後でテオがぎょっと息を呑んだような気がするが、今の私にはどうでもいいことだ。それよりも、目の前のこの少年の視界にいかに長くとどまっているかが、最も重要なことだった。
サラディア公爵令息は、ふとくちびるの端を持ち上げて、目を細めて、微笑んだ。微笑んだのだ!
体温の低い彼の指先が私の手を拾い上げて、口元に寄せた。彼のくちびるが手の甲に当たる寸前で止まって、なんだか物足りない気持ちにさせられる。
「サラディア・オーウェンです。本日はどうぞよろしくお願いします、マルティーナ嬢」
「ど」
一瞬だけ頭の隅っこで、夢の中の女が「没落ルート!」と叫んだような気がするが、私には意味のない音にしか聞こえなかった。ふわふわとした感覚の中で、彼の薄い目の色の中に私の姿がいるのを見つけて、思わず顔を綻ばせてしまった。
「どうかマリーとお呼びになって。親しい者は皆そう呼ぶのです」
公爵令息はちょっと面食らった様子できょとんとした。ああ、そのお顔もとても素敵!すると、見る者すべてを魅了して回りそうなとろりとした微笑みでもって、彼はやさしくこう言った。
「では、僕のことはどうぞサラ、と」
底なし沼に叩き落されるような心地だった。ああ、どうしよう。頭ではそう思うのだけれど、気持ちのよい胸の高鳴りにかき消されて、これから来るであろう破滅とかなんだとか、そういう余計なものはどこかへすっ飛んでいってしまったようだった。
私、マルティーナ・アレッサンドロ、12歳。運命のお茶会の席で、公爵令息のサラ様に一目惚れしてしまったようです。




