それだけで良いと、願う
「大丈夫」
いつの間にか口癖のようになっていた。病は気から、とはよく言ったもので、口に出すと少しだけ楽になれる。でも、言葉というのは簡単に心へ落ちてきてくれない。水で濡れたフローリングみたいに、つるつると滑ってしまう。
「大丈夫だよね」
ゆっくりと、かみ砕くように口にする。音は目の前の壁に当たって、するすると下がっていく。ほらね、1回じゃ足りない。
「大丈夫だよ」
あ、まるで自分の言葉への返答のようだね。今度は、耳の中まで入ってくれた。けれど、これでは駄目だ。心臓は、まだまだ重たいままだもの。
「大丈夫でしょ」
気軽に、笑みが零れそうな声音が聞こえる。それでも、心の中には到達しない。上滑りして、逃げていく。さあ、もう1度だ。
「大丈夫さ」
流すように、ちっとも気にしていないような言葉が入っていく。心の中へ降りてきて、外へと落ちていく。少し軽くなったね。この調子だよ。
「大丈夫だろ」
そう、大丈夫だ。もうじき、もっと軽くなる。「大丈夫」が、穴を開けてくれる。僕の中を、空っぽにしてくれる。
ある日、頭がくらくらと揺れだした。喉に圧迫感を感じた。体の中に溜まっているものが、内側から叩いているような感覚に陥った。気持ちが悪かった。
初めは少しの間で、日が経つにつれ長くなっていった。今では、普通にしている期間の方が短い。こんな風になったのは、大学に入って、バイトを始めてからだった。段々と酷くなっていく体調に不安が顔を出す。
気休めに「大丈夫」と吐いた。そうしたら、思ったより効果があって少しだけ楽になった。それが始まりだ。別に何てことはないだろう?
息を吐く。大分と落ち着いてきた。やっと寝ることができそうだ。明日も早い。体を倒して、布団の感触を確かめる。柔らかい布団も、僕の思考を絡めて包んでくれるような気がしてきた。
それにしても、「大丈夫」と呟き続けるのは、流石に骨が折れるね。今でも、こんなに言わなきゃいけないなら、大学を卒業して、働き出したらどうなるのだろう。その前に、就職なんかできるのかな。
ああ、また気持ちが悪くなってきちゃった。目を閉じて、瞼の上を手で覆う。耳を澄まして、口を動かす。
「大丈夫」
魔法の言葉は、きっと眠りへと誘ってくれる。だから、大丈夫だよ。安心して、脳を休めなさい。
頭の中で、声が聞こえる。
今日は、なかなか気持ち悪いのが、消えてくれない。どうしてだろう。もう、何度も息を吐き出した。口の中が乾いているよ。ねえ、そろそろいいだろう?
「大丈夫」
頭の中で何かが暴れている。全身がだるい。眠たいのに、寝なければならないのに、意識は途切れてくれない。
どうして、こんな風になってしまったのだろう。痛い。苦しい。辛いよ。自分から吐き出された言葉なんかじゃ、本当はちっとも楽にならない。助けて、お願い。本当は僕、大丈夫じゃないんだ。
「お願い。誰か……」
1人でもいいから、僕に大丈夫って言ってよ。抱きしめて、ここにいるよって、僕の声よりも早く耳に届かせてよ。
それが無理なら、せめて僕をゆっくり眠らせて。
口から漏れた嗚咽は、1人きりの部屋にやけに響いて、僕の耳にこびりついた。
それだけで良いと、願う
(それだけなんて言うほど、簡単なことでないのは、知っているけど、それでも)
ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
このお話は、お友達から貰ったお題「それだけで良いと願う」で書かせもらいました。
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