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foundation  作者: なみさや
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家を継ぐ





「なんじゃ、明己。まだ帰らんのか」

松平家の駐車場でタバコをくゆらせていた明己は呼びかけに振り返る。同じ様にタバコをくわえた山川敦士(やまかわあつし)が左手を差し出した。

「ライター、貸せ」

「敦士さんも帰らんのですか? 作業は終わったのに」

「……一服したら帰んべ。妊婦になってから嫁が家でタバコ吸うなってうるさい」

思わず苦笑すると、すぐに敦士から突っ込まれる。

「笑うなよ、早かったら来年にはおめえも俺と同じ扱いになんべ。誉穂だって母親になった途端、豹変すっから」

「あ、それは」

「覚悟しとけよ。女ってのはそういうもんだ」

結納は済ませたが、誉穂と入籍するのは年を越して、容保公の百年祭が済んでからと決まっている。既婚者から脅されて想像してみる。母ちゃん然としている婚約者の未来の姿。

「想像、つかねえ……」

「その時になってみたら思い知るさ。それより、のりが帰ってるのか」

「親父さまが急遽呼んだらしい。帰って来る前に、『京都守護職始末』を準備してたから、そういう理由なんだろうけど」

「そうか……のりは幾つになった?」

「26、かな」

「……そうか。だけんじょ、のりはどうすんだべ。親父さまの跡を継ぐつもりか?」

気づけば明己も敦士も二本目のタバコに火をつけていた。煙を吐き出しながら、敦士が続ける。

「あっちの『京都守護職始末』を見せるってことは、親父さまが明かすってことだろが。いくら『きっかけ』が来てるとは言え、ずっと跡を継ぐのを渋ってるのりに結論出せってせっつくみたいだな」

「……のりは当主になりたくねえじゃなくて、親父さまみたいになりてえんだと俺は思う。でも親父さまのようにはなれねえ、ずっとそう思ってんだ」

明己の言葉に、敦士は鼻で笑う。

「なれる筈がねえ、會津会だってそったらこと望んでねえ。のりはのりのまんまでええんだけんじょ、のりは真面目だな。まったく」

そうだ、家臣の子孫みんなが現当主・容恒のようにあって欲しいなど、誰も思っていないし、誰もそれを言ったことなどない。だが容識一人が『自分は当主に相応しくない』と思い込んでいる。明己の目にはそう映る。そう言えばと、敦士は苦笑する。

「幕末なら藩主としての役目やら何やら背負うものも多かったやろうけんども、今は正化の時代じゃ。当主の役目は全然違うべ。だけんじょ、それは俺らが何か言うこっちゃねえ。親父さまが話してくれるべ」





「容識、少し休憩しないか」

親父の声に、俺はようやく我に返った。

背筋を伸ばせば、固くなっていたのだろう、節々が僅かに痛んだ。窓を見れば昼過ぎだった筈なのに、すっかり夜空に変わっていて思った以上の時間が経っていたことに驚いた。

「晩飯、誉穂が準備している。食うか?」

「今はいい。さっき読み終わった」

早いなと苦笑して、親父が思い出したように言う。

「そう言えば、容識は昔から本を読むのは早かったな。だけんじょ、達筆だったろうが」

「だから読み易かったよ。ひいひいじいさんの()はすごく綺麗で読みやすいから」

丁寧に書物を閉じて離れた所に置けば、親父が茶を差し出した。

「まず、感想を聞こうか」

「感想も何も、これが真実なのか?」

「そうだ」

「じゃあ、俺の知っている会津藩史ってのは」

「全て容保公の指示によるものと聞いている」

離れた所に置いた『京都守護職始末』に目を向けて、俺はそこに何度も現れる名前を呟いた。

「一柳、真紀」

「そうだ。その人の痕跡を表向き消してしまうこと。それが容保公の望みだった」

理解が追い付かない。夢中になって一気に読み上げた『京都守護職始末』には、『一柳真紀』という人物が元々会津において重要な地位を持つ女性であり、 京都守護職を容保公が拝命した頃に家老補佐役という役目に就き、幕末から芳和初期にかけて京都における会津を先導した上に、容保公の側室に上がったとなっている。

「言っておくがな、容識。この一柳真紀こそがお前にとっては高祖母にあたる」

「は?」

親父は近くにあったメモ帳を引き寄せ、さらさらと書き付け始めた。

「容識の父に、容恒。僕の父は容至(かたゆき)。容至の父は容真(かたさだ)だな」

そのくらいの我が家の家系図は勿論把握している。俺は声を上げた。

「だけど容真は容保公の養子で実際は甥で血の繋がりはあるけど」

「容真は幼名・穣太郎と言ってな、これとは別に容保公には実子が二人いる。(みち)容紀(かたもと)、幼名・瓊二朗だ」

会津松平家には芳和年間に分家が出来た。長男・容真は家督を継ぐことを随分渋ったらしい。自分は実子ではない、容保公の跡を継ぐのは容紀だと何度も主張したらしいけど、結局家督を継いだ。そのきっかけは次男・容紀が京都に京都松平家という分家を開いたためらしい。

でもこの京都松平家は娘三人の家系で三人とも嫁いだために、結局一代で絶えてしまったから祭祀を行う人間がいないので、今は本家である会津松平家に合祀されている。

けれど容紀の母親のことは側室に上がった家臣の娘ぐらいしか史実には残されていない。親父も語ることがなかったから、俺もそのぐらいしか知らなかった。

「確か、廸が俺のひいばあさん?」

「そうだ。容保公と一柳真紀との間に廸と容紀が生まれた。容真は廸と結婚して容至、容朋(かたとも)、志紀子をもうけた」

旧い家の人間は家系をほぼ把握している。俺も子供の頃から何度となく親父から何代遡ろうと答えられるくらいまで、家系図を叩き込まれた。芳和から後は4代しかないので、男系だけでなく女性の系譜もほぼ分かる。だが一夫多妻だった江戸時代は女性の名前すら家系図に書かれていないことが圧倒的に多いから、容保公の側室が誰だったのか、分からないのも無理はないと思っていた。

だが、問題はそこではない。

「一柳真紀が、俺のひいひいばあさんてのは分かった。分かったけど、でも藩を挙げて、その功績を隠さなきゃいけなかった理由は?」

男尊女卑とは言わないが、女性は政に参加せず、させず、が不文律だった時代だ。会津藩で長く重んじられた『御家訓』の中にも女性は政に口出させずの文言があった。にもかかわらず会津において重要な地位を与えられていた女性がいたことが不思議でならない。だから隠したというのか。

「御城に万喜御殿跡地があるだろう?」

親父の話が飛んだように感じたが、俺は記憶の中から鶴ケ城内にある石碑を思い出す。藩主の居住区域の一部に残された、礎石跡から考えたら二間ほどしかない小さな建物。その建物は『万喜御殿』と呼ばれ、藩祖・保科正之の守役を勤めた万喜の御方を祀った建物だったが、後に保科正之を祀った土津神社に合祀されたため、取り壊したと、石碑には書かれていた。勿論碑文を(したた)めたのは、松平容保だったことも思い出した。

「万喜の御方を祀るというより、会津において万喜の御方が逗留する時に使われた御殿だったそうだ」

「…………は?」

「分からんのも無理はないな。つまり、一柳真紀と万喜の御方は同一人物だ。藩祖・保科正之公の守役を努め、代々の藩主に知恵を授け、容保公の側室となられた人と、お前の高祖母は同じ人なのだ」

話が理解出来ない。頭が理解しようとしない。座っているのにクラクラと目眩を感じて、俺は頭を支えるように額を触る。

「分からんのも無理はない。僕も父から聞かされた時、全く理解できなかった。というより何日か前まで単なる伝承かも知れないと、心の隅で思っていた。だが、代々言い伝えられてきたのは、嘘ではないと今なら言い切れる」

「親父……」

「小説で時々あるだろう、ある日目覚めれば違う時代に飛ばされていた。自分が望んだ訳ではないけれど、その時代で生きざるを得ない。一柳真紀はそういう人だったんだろうな」

タイムスリップ。実際ではあり得ないかもしれない現象だ。だが自分の身内にそれを経験した人がいる。

「考えれば考えるほど、残された記録を思い出せば、当てはまるのだ。容保公の日記があるのは知っているな」

俺は頷く。御蔵に所蔵されている容保公の日記は十冊以上あるけれど、代々の当主以外触れることも許されず、虫干しすら親父が一人で行う。残された記録の数々を積極的に学者や博物館に提供することにしている松平家でも、門外不出の品の一つだ。ということは、と俺は閃いた。

「その中にはもっと詳しくひいひいばあさんのことが載っているのか」

「そうだ。容保公は日記に一柳真紀のことは秘して世に出すな、それが彼の者の遺言であると書き添えてある。容保公の遺品の中に、一柳真紀の遺言書も残っている。それにも同じことが書かれていた。自分が生まれた時代から、戦国の世に飛ばされなければ、また歴史が変わる、と」

「だから、門外不出にしてあるのか…」

俺は自分の論文参考にするため、容保公の日記を見せて欲しいと親父にせがんだことがある。親父は断固として、出せない。容保公の日記の内容を引用している、息子の容真の日記ならば出そう、それを参考にしろと譲らなかった。結局、俺は渋々親父の言う通りにしたけれど、全然納得出来なかった。でも、今なら分かる。世に出せないのは、ただただ『一柳真紀のことを秘して世に出すな』の容保公の遺言だったのだ。

「そこまで隠す必要があるのか……想像つかない」

現代社会に生きている高祖母。利便性が極められた世界に生きていた人間が、何もない、頼るものもない世界に投げ出される。でも生きていかなくてはならない。その恐怖は想像もつかない。

「不思議なことだが、土津公の守役を勤めた時から、幕末まで一切老いることがなかったらしい。それもあって会津では神格化されていたらしい。だがなぜか結局亡くなったのだが」

「でも三百年以上、生き続けた……」

少しずつ追い付かなかった理解が与えられるピースが填まるごとに、進み始める。

「飯を食ったら、御蔵に行くぞ。お前に見せたいものがある」





「何、今頃起きたの? 朝御飯、ていうか昼御飯食べる?」

「……少しでいい」

リビングに顔を出した俺に、姉がテキパキと食事の準備を整えてくれるが、正直食欲は無い。箸が進まない俺を見て、姉が叱咤の声をあげる。

「夕べも遅かったのは分かるけど、今日は忙しいんだからね、無理矢理でも食べときなさい。まったく独り暮らしだと、自分勝手に生活してるんだろうけど」

「何人ぐらい来るんだ?」

進まない箸を何とか進めながら、俺が聞けば、姉は指折り数える。

「京都大学の正本先生のゼミから八人、京博から十人と、運送の業者さんが十二人、會津会から十六人かな」

「……何だよ、その大人数」

「京博の方はお父さんが付き添うし、會津会のほとんどはそっちだけど、正本ゼミは初日じゃないし、のりと正本先生が知り合いだから、のりの担当にするって、お父さんが言ってたけど……のり、大丈夫なの? 酷い顔してる」

夕べはほとんど眠れていない。遅い夕飯を食べて、親父と御蔵に行き、『一柳真紀』の事を色々聞いた。布団に入っても悶々と考え続け、いつの間にか夜が明けていた。

「たか姉、あのさ」

「ん?」

何とか朝飯を茶で流し込んで、俺は声を上げた。洗い物をしていた姉が顔をあげる。

「はる兄から聞いたけど、うち継いでもいいって言ってたらしいじゃん」

「……明己も口が軽いわね。そうよ、のりが無理して継ぐ必要はないのよ。あたしはそう思ってる」

「無理じゃない」

差し出された食後のカフェオレを流し込んで、俺は言った。

「俺、継ぐから。この家」

「え?」

「決めた。親父みたいになれねえかも知れねえけど、でも継ぐことにした。でも今の仕事も続けたいから、家にはいられないけど。親父に夕べそう言ったら、俺のしたいようにしていいって」

「のり、あんた……」

呆気に取られた姉を、小さく笑いながら見る。

「何て顔してんだよ、たか姉」

「だって、ずっとあんた、困ってたじゃない。どうしようか迷ってたんじゃないの?」

「まあ、正直言えば今でも迷ってる。でも決めた」

夕べ御蔵で見た写真が脳裡に浮かぶ。

一枚だけ残された、『一柳真紀』の写真。

首席宰相を勤めた一橋慶喜公が訪れた際に撮ったという、松平家の家族写真。幼子の容紀を腕に抱き、容保公や幼い容真公、廸に囲まれた穏やかな表情のもの。凛と背筋を伸ばし、真っ直ぐにこちらを見つめる顔は30代半ばだろうか、たか姉よりも上の姉の由紀名に似ているのは血筋だろう、美人ではないけれど大きな目が穏やかにしかししっかりとこちらを見つめていた。

容保公の書いたものの中には『一柳真紀』が大学で会津史を研究していたから、会津に関する知識が豊富だと言ったとあると、親父は言った。

それでも、と俺は思う。

知識があり、老いない身体を持っていても、三百年の永い時を生きるということは、幸せなことなのだろうか。

そして三百年を生きて、それでもなお現代を生きる自分に、タイムスリップが起こる事実を知らせず、会津を、松平家を護りたいと遺言した彼女の思いの毅さを思えば。

自分の悩みなど小さく思える。

支えてくれる人がたくさんいる。

そして何より自分を隠してまで、この家を護ろうとした女性の血を引いているという事実。

なら、大丈夫。

きっと。

「大丈夫、だと思えるようになった。まあ……何となくだけど」

「のり、あんた、顔が変わったね」

姉が穏やかに微笑んだ。

「いい男になった気がする」

「当たり前だろ」

俺は胸を張って、言った。

「俺は、松平容識だから」





「いやあ、今年もこんなにたくさん史料を見せていただけるとは感謝しなくては。それに松平くんがいるのは心強いね」

同じ大学、同じ学部の正本教授とは勿論見知った顔だ。俺は穏やかに微笑んだ。

「すいません、父がお相手すべきなんですけど、京都博物館の展示用搬出に掛かりきりで。後程ご挨拶に来ると言っておりました」

「なるほど、来年は容保公没後百年やからそのイベント展示が大々的にあるんやな。京都松平家の修復もそろそろ始まる頃やし」

ふむふむと頷き、正本教授は作業を恐る恐る始めた学生たちに声をかけた。

「ええか、毎日言うけど貴重な史料やから、慎重に慎重を期して扱うんやで。そこ、手袋はどないした? 御蔵に入ったら手袋しぃて言うたやろ」

正本教授のゼミでは毎年四回生に三日間の予定で、会津松平家での古文書調査を行わせている。今日が最終日だが、いくら連日の調査作業で少しは慣れたとはいえ、おっかなびっくりの学生に国宝や重文を扱わせるわけにはいかないから、提供している史料は写本が主だがそれでも貴重な史料には代わりない。

「松本くん、要領分からんかったら、一柳さんに習いなさい」

正本教授の声に振り返れば、虫食い跡に引っかかり、開かない本に悪戦苦闘している大柄な男子学生に、小柄な女性がフォローに入るところだった。かなり状態が悪い古書だけに難しいかと思えば、女性はテキパキと男子学生に指示を出して、本を開いた。

手際の良さに感心していると、正本教授がいつの間にか俺の側にいて、

「やっぱり連れてきて正解やった。見事やろ? 手際の良さ」

「そうですね、でもあんな学生、いましたか?」

俺の疑問に正本教授はニヤリと笑って答えた。

「松平くんも聞いてるんじゃないの? 社会人入試で院に入った変わり者の学芸員」

「ああ、あの」

噂は聞いたことがある。地方の国立大学を卒業して地元の史料館に学芸員として就職したものの、その仕事を捨てても、京都大学での研究を取った物好きな大学院生。入学が決まったのは先月。その時話題になったのを思い出した。

「一柳くん」

正本教授に呼ばれた女性が振り返る。想像はついていたけれどその顔に、俺は内心の動揺を抑えるのに苦労した。

「松平准教は初めて会うじゃないかい、来年度から中世史のゼミを持つことになりそうやから、ご挨拶しときなさい」

「初めまして、一柳真紀と言います」

頭を下げる女性の声に、俺は思わず口を開きかけて、一つ短い溜め息を落としてから、笑顔を作る。

「……初めまして、松平容識です。学芸員の職をなげうって院に入ったというのはあなたでしたか」

俺の言葉に彼女は照れくさそうに笑って、

「皆さん、よくご存じですね。ですけど、どうしても会津のことが知りたくて。実は高祖父が会津で微禄を頂いていたそうです」

名前を言われても、聞き覚えのない名前だった。俺の反応が予想できたのだろう、彼女はすぐに、

「ご存じなくても当然なほどの微禄ですよ。お気になさらないで下さい。ですが、会津の話をよく聞かせてくれた曾祖母が亡くなった時、もう少し会津の話を知りたかったと思ったのが、転職のきっかけです」

「そうでしたか。じゃあ、専攻は会津藩史ですか?」

「ええ、そのつもりです」

「お手伝いできることがあれば、いつでも声かけてください」

「ありがとうございます。一昨日、御当主にも同じように言っていただきました」

『どこかで見かけた顔とは最初思った。名前を言われて、心の底から驚いたよ。まさか実在するなんて。伝承の通りとは、と』

夜更けの御蔵に『一柳真紀』所縁の品を広げながら、親父は言った。だからこそ俺にすぐに帰って来いと電話をしたのだと。

『本当は容識が当主を継がない場合も考えていた。誉穂が継いでもいいと言っていたから、『一柳真紀』に関わる話は、あくまで伝承として誉穂に引き継げばいいと思っていたんだが。本人を見て、気が変わった。誰が当主を継ぐ継がないなど関係なく、お前に伝えたかった。歴史を学ぶ容識に、僕たちの先祖の決断を知って欲しかった。それだけだ』

おかしいだろう? 自分でも変だと思うんだが。

親父の苦笑を聞きながら、俺は応えた。

おかしくない。おかしくないけど、俺の気持ちは決まった。家を継ぐ。

親父は何か言いたそうな顔をしていたけれど、何も言わずに頷いた。

「あの、松平先生?」

不意に呼び掛けられて、上の空だったことに気づいて、俺は苦笑しながら謝った。彼女は微笑みながら、作業に戻っていった。





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