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foundation  作者: なみさや
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松平容識





松平容識(まつだいらかたのり)は、少し不貞腐れた顔で、会津駅前に立っていた。

何度もスマートフォンの画面を確認するが、着信もメール受信もない。

「……ったく、何やってんだか」

実家には何度も電話をかけてみた。普段誰かは必ずいる家だ。かつては藩主をつとめた家柄だけあって、かつての家臣の子孫と繋がりが深いから、家族が電話に出られなくても、家臣の子孫がいれば何の抵抗もなく電話を受ける筈なのに、それもない。

迎えに行くと夕べ電話で話した幼馴染みの携帯を鳴らそうかと思ったが、止めた。

もし運転中ならまずくないか? やっぱりもう少し待ってみるか。

スマートフォンの画面に幼馴染みの電話番号表示にして、待受にして、スマートフォンをしまう。

そんなことを数回繰り返していた時。

「あれ? 松平じゃん」

背後からかけられた鼻につくような声に容識は眉をしかめた。その言葉その台詞を言う人物を知っていたからだったが、だからと言って逃げることも出来なかった。ゆっくりと振り返りながら最小限の愛想笑いを浮かべる。

「ご、無沙汰してます」

「あ~、やっぱそうじゃん。松平、元気?京都にいるって聞いたけど全然会わなくない?俺も京都でさ」

「はあ」

名前を覚えていないけど、高校の剣道部の二年先輩で、昔からチャラい人。部活でも、ましてやそれ以外など全くといっていいほど接触したことがない。なのにこの馴れ馴れしさは、前にもあったけど、一体なんなんだ?

容識は内心で首を傾げる。

「ダイキ、こいつ何?」

金髪に染めているというより、痛みすぎて銀髪のような色素の薄い髪をどこかの王女様のように巻き、厚い化粧ときつい香水の匂いを漂わせた女性がダイキと呼んだ男の肩を叩く。そこでようやく容識は男の名前を思い出す。

そうだ、ハラダダイキだ。

「こいつ、俺の後輩。世が世なら殿様って奴」

「はあ?何それ」

記憶が甦る。そうだった、俺が原田先輩が苦手な訳。大した接点もないのに、今と同じように他人の前で先輩風を吹かせて、俺の名前と先祖を知らない人に披露する。

意味がわからない。

「こいつ、松平容識って名前。ユキ、わかんねえか?」

「はあ?昔の殿様っぽい名前じゃん」

「おい原田。世が世ならって言うなら、お前の方が打ち首になるって分かってんのか?」

女性の気怠そうな声を押し潰すように、突然降ってわいた不機嫌そうな声に、原田先輩は竦み上がった。

「じ、神保先輩」

「はあ? 打ち首って何それ?」

気怠そうにしかし、彼女は突然現れた男を睨むように見て、

「イケメンじゃん」

……なんだ、この緊迫感のなさ。

「このトノサマもイケメンだけど、こっちもイケメンじゃん。ダイキ、あんたイケメンのトモダチいるじゃん」

「あ、いや、こいつ、じゃなかった、この人は」

相手によって態度を変える人って、変わり身の早さは本当に見事としか言いようがない。昔もこの先輩はそうだったな、と思い出しながら原田先輩を見ていれば、あんなに威圧的に俺に近づいてきたのに、今となってはへっぴり腰。目が泳いでる。

「失礼します、先輩!」

「おう。それはそうと、明日、日新館で総練があるの知らねえか? よかったら来いや」

「行きます! あ、いや、今日、京都帰るんで」

「はあ? 明日は福島行くって言ったじゃん、何それ」

少し苛立った様子の女性を引きずるように、原田先輩はいなくなった。

「まぁったく。相変わらず、ええかっこしいだべ」

呆れたように言う『大先輩』を睨むように見て、俺は不貞腐れる。

「俺も言っていい? はる兄」

「ん?」

「遅い。でもって、何かっこよく登場したわけ?」

「ああ、悪い悪い。御蔵に寄ってたら親父たちの手伝いに巻き込まれて、遅くなった」

幼馴染みで三歳年上の神保明己(じんぼはるき)は近くの喫煙スペースまで俺を連れていき、煙草に火をつけながらベンチに腰かけた。吸わない俺も手持ち無沙汰で、仕方なくはる兄の横に座った。

「御蔵って、何。うちの御蔵のことだろ?」

「あ~、それは言えねえ。親父さま、じゃなかった。お義父さんに自分で聞け。言うなって言われてっから。それでなくても京博出品でてんてこまいだけんじょ」

昨日の夕方、突然父から電話を受けた。

明日、帰って来れないか。

実家と疎遠ではない。疎遠どころか、寧ろ旧い家柄なのでとにかく行事ごとが多いから、長男である以上、参加しないといけない。時間を遣り繰りしていつも行事には出来るだけ参加するようにしている。最近だと三週間前に御先祖の百年祭に帰ってきたばっかりだ。

誰か病気でも罹ったかと不安になったが、父はそうではない、ただ帰って来て欲しいの一点張りで、それ以上は何も言わなかったので仕方なく帰ることにして、幼馴染みの明己に連絡すれば二つ返事で迎えに行くから、駅で待ってろと言われたのだが。

一時間近く遅刻していても、俺を助けるように登場されては腹を立てようにも立てられない。

「それはそうと、総練まではいられるか?」

「ああ、四日休みを貰ったから大丈夫。行ける」

日新館は鶴ヶ城のすぐ西にある。かつては会津藩の藩校だったところだ。日新館は学問所と武芸場で出来ていて、学問所は福島県立鶴ヶ城高校になり、武芸場はそのまま残された。今は年に一度、市内一円の武芸を学ぶ者が集まる総練に用いられている。ちなみに俺はその鶴ヶ城高校に通い、剣道部だったから学生時代、総練は必ず参加していた。市内一円の小中高校生に社会人まで集まるから、数は500を越える。一斉に行う演舞は自分が見る立場に変わってから、その見事さを知った。

「けど、何年も剣道やってないからなあ、現役OBのはる兄とは当たりたくない」

「なんだ、その現役OBって。そりゃ今でも剣道部には顔出すけど俺だって30の手習いって程度だ」

明己は小さく笑って、タバコを吸殻入れに放り込んだ。

「お前は、名代で上座に座るんだろ? 若殿さま」

「……だから」

「お前がそういうのが嫌まではいかねえけんど、違和感か? あるのは誉穂(たかほ)から聞いて知ってる。つうか、家臣一同察しちゃいるだろうな」

「………」

旧い家だ。藩主という立場がなくなっても会津松平家は会津では無条件に尊重されているし、とうの昔に藩主と家臣という身分の上下がなくなっても、家臣の子孫は会津松平家を慕い、會津会(あいづかい)という集まりを作り、何か手伝うことを見つけては、ことあるごとに家に来る。その度ごとに若殿と呼ばれることに、ずっと違和感を感じていた。

子どもの頃、自分達は松平家の家臣だと胸を張る人々の中心にいて、穏やかに彼らと談笑する父を見る度、その父の場所にいずれは長男である自分が立つのだと、母に言われれば、幼心に何かが違うと思った。

むしろ違和感というより。

「なんつうかさあ……」

ポツリと言った俺の言葉に、明己は苦笑した。

「俺、まだまだ無理って思うわけ」

「なんだ、そりゃ」

「親父みたくはなれねえ、っていつも思う」

「別に親父さま……じゃなかった、お義父さんを見習わなくてもいいじゃねえか?」

ベンチから立ち上がって、来年には義兄になる予定の明己は座ったままの俺を見下ろした。

「お義父さんはお義父さんだし、のりはのりだろ?」

「まあ、そうなんだけど」

「今すぐ決めなきゃなんねえ話じゃねえし。それに嫌なら、誉穂(たかほ)が継いでもいいって言ってたし」

弾かれたように顔を上げた俺に明己は続ける。

「俺んとこは兄貴がいるし、誉穂が家継ぎたいって言う話になったら婿養子に入っても構わねえよ。のりが嫌な思いしてまで、跡継ぐ必要はねえって誉穂が言ってた。まあ、その話は今度だ。とりあえず、帰んべ。お義父さんが待ってる」





猪苗代湖を見渡せる場所に会津松平家はある。

五代前の当主・容保、つまり俺にとっては高祖父にあたるが、鶴ヶ城を出て建てさせた住まいは、豪奢ではないが重厚な造りの門を抜けると正面に洋館風の母屋、通称御殿があり、御殿からいくつもある離れに渡り廊下が繋がっている。

母屋の横に広く取られた駐車場に明己が車を停めれば普段見かけぬほどの数の車がぎっしり詰め込まれていた。もともと家臣の子孫である會津会のメンバーが出入りすることはしょっちゅうだけど、この数はさすがに年始挨拶くらいしか見たことがない。

「はる兄、車多くないか?」

「ん? ああ、今日は御蔵を開ける用事が山ほどあるんだよ。京博出品で……つうかその話もお義父さんに聞けって。俺は言うなってお義父さんに言われてっから」

御蔵の手伝いに行くからという明己と別れて、俺は御殿の横にある小さな玄関を上がって、家族が住まいにしている一番大きな離れ、こっちが俺たちにとっては母屋へと向かった。

「あら、のり。随分遅かったわね」

待ち受けていたのはすぐ上の姉の誉穂。俺が土産を差し出せば、肩を竦めて受け取る。

「はる兄が迎えに来るって言った時間は一時間早かった」

「何それ? 明己は早く出たわよ?」

「御蔵の用事につかまったって言ってた」

「ああ、昨日から年末掃除みたいにドタバタやってるからね。京博で特別展があるから、その出品準備でしょ。そうだ、京大からも正本先生のゼミが来てるわよ、毎年のことだけど。はいはい、とにかくお父さん、待ってるから」

ついでに持っててと渡されたコーヒーと茶菓子を乗せた膳を渡された。渋々受け取り、思わず聞く。

「父さんにお客さん?」

コーヒーと茶菓子が二人分。すかさず姉の返事が飛んでくる。

「父さんとのりの分。あたしも忙しいから、そのぐらいの不調法許してよ」





「まったく、これで来年には嫁に行くと言うのだから」

俺が差し出した盆から自分の分のコーヒーと茶菓子を受け取りながら、親父は苦笑する。

「……はる兄でよかったよ、引き取り手」

「おいおい、仮にも姉だろうが、お前の方が」

親父の容恒(かたひさ)はコーヒーをすすって、

「だけんじょ、誉穂の点てるコーヒーは父さん好みなんだがな」

のりが嫌な思いしてまで、跡継ぐ必要はねえって誉穂が言ってた。明己の言葉を不意に思い出し、俺は眉をしかめた。それを親父は見逃さなかった。

「どうした?」

「……いや、何でもない」

誉穂が跡を継ぐ。なら俺は継がなくていいのか。

そう思った時、胸の奥に訳のわからないわだかまりを感じたことは親父に言わなかった。コーヒーを一口飲んで、俺は切り出した。

「そう言えば、昨日の電話。帰ったら話すって言ってたけど、あれ何?」

「ああ、あれな。だけんじょ、コーヒーを飲んでしまおう」

誉穂が茶菓子で用意していたのは昨日来たと言う大学教授の、それも自分と同じ大学の見知った教授の京都土産のカステラで、そこから俺の研究テーマに話が飛んだ。

京都の国立大学に進んだ俺は日本史を専攻し、そのまま大学院に進んだ。実家に帰れば會津会の年寄り達の会話にさらりと出てくる先祖達の名前が、幕末史に列挙されていることに興味をそそられて、研究テーマも幕末から芳和初期における会津藩にした。実家に史料は山ほど保存されている。実家にない史料でも、専門機関に問い合わせれば、直系子孫というだけで、審査もおざなりで簡単に出してくれる。おかげで論文もそれ相応のものが書けるから、それを評価されてか大学院を卒業しても同じ国立大学の准教になることが出来たのが、今年の春。

「ひいひいじいさんは、本当にしっかり記録を残してくれてるから、助かるよ。余所の家ではそうもいかないから」

「前にも言ったが、ここに移ってから書き付けた物を防備録としてまとめ始めたらしい。よく孫に、つまり容識にはおじいさんになるか、言ってたらしい。自分達の記録が後世の役に立つなら、自分の中で消えてしまう前に書き残せと」

親父は部屋の壁にかけられた写真たてを見た。俺もつられてそれを見る。そこにはひいひいじいさんから歴代の当主の写真が飾ってある。一番奥にある写真がひいひいじいさんの松平容保。亡くなる間際の写真らしい。若い頃の写真を見たことがあるけど、俺の切れ長の目や線の細い顔立ちはよく似ていた。とはいえこの写真の松平容保は、穏やかに微笑むおっちゃんって感じだが、不意に思い出した。幕末から芳和初期に会津を率いた、稀代の名君である。今年の卒業論文概論で容保を絶賛する学生の論文の中に出てきた言葉だ。子孫として面映ゆいばかりの話を苦笑しながら読んだ。そんな俺の内心だけのつもりだった苦笑が顔に出ていたらしく怪訝そうに親父に問われた。

「どうした?」

「いや、そう言えばひいひいじいさんを絶賛する論文骨子をこの前読んでさ。学生に聞いたら読んだ本の内容を要約したらそうなったって。論文てのは要約ではなく考察だから、練り直せって指導したらすっごい不思議そうに俺に言うんだ。ご先祖なのに喜ばないんですね、だってさ」

「美化されているところはあるな、容保公は。それだけ時代が動いた時にそれなりの地位を得ていれば、そうなるのかな」

空になったコーヒーカップを盆に戻し、親父は隣の部屋に向かった。帰ってきた時には手袋をしたその手で慎重に何かを運んでいた。それをテーブルに置けば、それが和綴じの旧い書物で、表書きには『京都守護職始末』と書かれていた。

「それって」

「容識の知っている『京都守護職始末』は誰が書いたものだ?」

親父に言われて首を傾げながら、応える。

「知ってるって……山川の浩さんって人と弟の健次郎さんがひいひいじいさんから防備録を渡されて、他の家老格と自分の防備録を編纂し直して、芳和になって出版した、会津藩第一級史料だろ? 出版にあたってはひいひいじいさんからもお墨付きを貰ったって」

「その通りだ。だがそれが本当に真実かどうかは分からんだろう?」

「え?」

時折見せる茶目っ気たっぷりの口調から一変した、真面目な親父の表情で続いた言葉に、俺は言葉を失う。

「これが真実の『京都守護職始末』だ。作者は松平容保」

「……どういう」

手袋を差し出され、思わず受け取ったものの、俺は親父を見つめる。

言葉が出ない。

「山川兄弟の京都守護職始末は読んでるな? 一級史料なんだろう?」

それには頷きで、応える。

「では読み比べてみると分かるだろうな」

先程の茶目っ気たっぷりの顔でも、強い口調でもなく、親父は穏やかに言った。

「容識に知らせていなかった事実が、そこにある」





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