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foundation  作者: なみさや
静穏
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どこまでもついてゆく




観桜の宴は暦法が変わったため、三月終わり頃となっていて、今年の宴は五日後と定められていた。ここ数年、蛤門の変や、大政権奉還、新政権発足などで宴どころではなく、観桜の宴も数年ぶりに行われることで例年よりも多くの者を招くことが公にされていた。その中には勿論容保の名前もあったが、当初真紀の名前もあり、真紀はこの招待を体調不慮につきと固辞した。それでも上皇が是非にもと譲らなかったので、真紀は宴が終わる頃を見計らい、いつもの大腰袴姿で参内した。宴の喧騒は既になく、御簾も格子も全て取り外された部屋に、庭に設えられた醍醐の桜の花びらが時折ひらひらと舞い落ちる中に、帝と上皇が二人きりで、花を愛でながら一献傾けていた。

「来たか。産後の肥立ちは悪うなさそうやな」

「畏れ入ります」

「迪と申したか、健やかに育っておるか」

「はい。上皇さまのおみ足は如何ですか?」

「そなたが持って参った杖が歩きようてな。あれで厠までなら行けるようになったわ。しかしまだまだや」

上皇と真紀の挨拶代わりの近況報告を聞いていた帝が声を上げる。

「一柳とやら」

「ご挨拶が遅れました、会津松平容保の側室、一柳真紀と申します」

「過日の騒擾、そなたの働きで収まったと聞く。父上からも一柳は大変な知恵者であると聞き及ぶ」

「そのように思われますと、赤面の至りにございます。たかが賢しらな女子の言葉とお聞き流しください」

丁寧な謙遜に若い帝は思わず微笑んだ。上皇がそれを見て、

「どうや、帝。一柳にあの事、聞いてみては如何や? 皆がどう思うか判るやも知れぬ」

「……そうですね。一柳、朕は近き内に徳川の雅千代と絲姫を猶子として迎えようと思う。しかし公卿たちの反対は判るが、市井の者達はどう思おうか?」

突然の下問だったが、真紀は迷うことなく即答する。

「反対は少ないと思います。新たな政権に滞りない委譲を望んだのは先の将軍であり、お二人はその将軍の忘れ形見にして、母御前(ははごぜ)は上皇さまの妹宮、帝の叔母ぎみに当たられます。それに徳川宗家はその御料地のほとんどを帝に献上しました。将軍と和宮さまのこと、忘れていないと帝が一言添えれば市井は寧ろ帝の御心の広深に感銘しましょう。それに幕府の旧臣たちも納得するやも知れませぬ、特に政権が変わったことで不遇を(かこ)つ者達は宗家の復権と喜びましょう」

「だが、徳川宗家の復権を示唆するのではないか、雅千代と絲姫がそのようなことを望むべくもないのに、御輿として祭り上げられはないか、と公卿たちから反意が示されよう」

真紀は一度だけ小さく頷いて、

「勿論あり得ます。しかし猶子となれば宮家を創設できますが、帝位継承権をどこまで認めるか、明確にされては如何ですか? 帝にあらせられては未だ皇后・中宮をお迎えになられてはおりませぬが、今現在の帝位継承の順位を(つまび)らかにしておけば、無用な期待を持つこともないでしょう?」

「順位か」

「勿論、順位は変動するものです。その度ごとに世の中に順位を明確にすれば、市井の者も次代の帝が誰かと噂に踊らされることも少ないかと」

「……なるほど。確かに父上の仰る通り、一柳は大変な知恵者であるようや」

真紀は深々と平伏する。だが続いた帝の言葉に、弾かれたように顔を上げた。

「父上、やはり先に倣い、一柳に褒美を与えようと朕は思いますが」

「ふむ、良かろう」

「後陽成の帝と同じ、褒美を望むときも、褒美の中身も一柳の望むままにしようぞ」

「いえ、そのような僭越なことは」

「よい。これは先の騒擾を収める端緒を作ったことへの褒美や。何が望みか?」

真紀は数度瞬いて、それから一つ深呼吸をした。

「ならば……」





「欲が薄いにも程がある」

「父上」

上皇は帝の手を借りて、座り直した。

「全く、帝に申し上げて褒美を促した余の面目はどうしてくれようか」

そう言う上皇はしかし、幾分楽しそうで帝がなぜかと問えば上皇は口の端に笑みを溢しながら、

「数年の交誼(こうぎ)になれど、一柳が自分の為に余に何かを強請(ねだ)ったことは一度もない。いつも会津のため、国のためやった。けど今度の望みは違う。あやつも時知らずの身を失うてこの方、ようやく人になったな。やけど望みの趣は一柳らしい。そう思うて妙に嬉しいんや」





芳和2年の秋に入ると黒谷に会津から続々と書状が届くようになった。総数千通を越える書状に容保は夜毎目を通した。真紀も迪を寝かしつけてから、容保の傍で書状を覗きこむ日々が続いていた。

「やはり賛同と反対が同数ほどか」

「致し方ないでしょう、俸禄が米と金であった時はそれを元手にすれば良かったけれど、これからは毎年あった俸禄がないのですから」

真紀が冬に語った策とは、会津二十三万石を芳和政権に全て委譲する前に、二万を超える藩士たち全てに俸禄に応じた土地を分け、その土地を藩士自身の所有とする手続きを取ることだった。容保は驚いたが数日考えて、

『しかしやはり先立つものもなく土地の所有だけを認めては、家中が混乱するのは同じことであろう。ならば一度、家中に領地分配の策を講じるならばどのような望みがあるか、各家ごとに京都に知らせるようにしてはどうだ?』

容保のその思いを認めた書状を懐にしまいこみ、内蔵助は会津に旅立っていった。楽隠居の日々を先送りにして、内蔵助は家中に領地分配の利を説いて回ったという。内蔵助の努力もあってか、士中と呼ばれる上士のほとんどが領地分配に応じている。しかし寄合(よりあい)と呼ばれる中士、その下の下士からはやはり反対の声が上がっているという。

何よりも税収の為の所有者認定を芳和政権が進めるのであれば、領地分配成ったとしても、続く地租を納めることに不安を感じるという声が多い。

「……切符取きりふとり扶持米取(ふちまいどり)になると、不安の声が多いか」

「当然でしょう、禄高も少なく、最近になって俸禄の買い上げがなくなったとは言え、手元不如意は間違いないのですから」

「間もなく頼母が上洛する。そなたの策に抗議を唱えるやも知れぬな」

容保の憮然とした表情に、真紀はいつもの微笑みで返して、

「何を仰います。それは当然のことでしょう? 私は会津の者達に良かれと思うて、容保どのに申し上げましたが、それでも今の会津の者達の窮状を理解しての策ではないやも知れぬのです。国許を長らくまとめてきた頼母どのだからこそ、最も良き方策を容保どのに知らせることが出来るのではないですか?」

「……そうだな」

十日後、京都に来た頼母は容保の前に通されると、挨拶もそこそこに切り出した。

「殿、領地分配のことでごぜえやすが」

「うむ」

内心身構えた容保は、頼母の言葉に瞠目する。

「賛同する、と申すか」

「はい。それがしは殿の策に賛同致します。神保さまと話し合いを持ちましたが、それがしは初めてお話を伺うた時から賛同致しておりやす」

思いもしなかった頼母の賛同に、容保は笑み溢す。

「左様であったか」

「ですが、一つだけ賛同しかねる儀、ある由にて参りやした。石高に応じた領地分配は中正に於いて良きことでごぜえやすが、蓄えのある士中よりも寄合、下士に身分が下がれば下がるほど、その暮らしは困窮しやす。況してや、幾つもの騒擾で命を落とした藩士の家は特に困窮が酷く、家財を切り売りしつつ生き延びる者もおりやす」

頼母の告げる窮状に、容保は眉をしかめた。

「斯様な仕儀になっておったか」

「はい。故にそれがしは領地分配がまこと成るならば、石高に応じての分配は無論原則として必要、それに加えて下位の者、特に困窮が酷い者に加算を頂きたく」

頼母は懐から取り出した書冊を、容保に差し出す。

「切符取以下の加算が必要と思われる家を精査し、記したものです。お目通し願いやすが……先に申し上げやす、それがしの策を額面通り行えば、領地分配は十二万石に達しやす。神保さまにもそれは膨大過ぎるとご指摘されやした」

パラパラと書冊を捲って、容保はしかし頷いた。

「この者達、わしの策では救いの手から漏れると、そなたは思うのだな」

「はい」

「相判った。再びの精査になろうが、そなたの存意、一考の余地多しとわしも思う。今一度、推考せねばなるまい。それともう一つ。松平家の領地は十万石でも多いと、わしは考えておる。真紀と穣太郎、迪が生活に不自由がなければそれでよいのだ」

容保の静かな言葉に、頼母は数度瞬いた。だがすぐに慌てた様子で、

「しかし、殿、そういう訳には」

「真紀が命じて試算させたところによると、五万石もあれば維持できるそうだ。とはいえ、これに鶴ヶ城は含まれぬ。鶴ヶ城は代々の藩主の居城であり、まことはわしが守らねばならぬものだが、もし政権の役所が出来るならば、わしは鶴ヶ城を差し出さねばならぬだろう。我等家族の住まいはどこぞ小さな館でよいからな」

そういう訳には参りますまいと反論する頼母に、口外するでないぞと付け加えて容保は苦笑する。

「正直申せば、国防大臣を受任した時は斯様なことまで思い至らなんだ。真紀は穣太郎の入国の頃に申していた。今後のわしの入国は嘗ての入国とは違うやも知れぬ、と。少し前に真意を問いただせば、政権の番所のことを言い出した」

「番所、でごぜえやすか」

政権が京都を中心に展開されていくことになるなら、政権の手足となる機関が地方に必要になります。その機関に各家の統治権が委譲されるでしょう。

真紀が迪をあやしながら言った言葉は、容保の心中に残っていた。内蔵助を送り出してしばらくしてから真意を問うた容保に、真紀が少し困ったように応えた。

『言葉の通りです。ですが……委譲せねばならぬのは、統治権だけではなく、鶴ヶ城も差し出さねばならぬやも知れませぬ』

瞠目する容保に、真紀は困惑の表情を隠しもせずに続けた。政権の手足となる機関がもし出来るのならば、各家中に統治権委譲を示す為にも城を明け渡し、あるいは取り毀すことも要求されるかも知れぬ、と。

『……況してや容保どのは国防相。政権内の者として拒むことは出来ますまい。出来ることはそんな話が持ち上がる前に率先して鶴ヶ城を差し出し、取り壊さず政権の機関にそのまま用いて欲しいと嘆願することだけでしょう』

「それは……そうでごぜえやすが」

「致し方あるまい。だが土津公より続く鶴ヶ城を手放さねばならぬのは、流石にわしも」

容保は言葉を切り、深い溜め息を落とす。

「殿」

「得たものも多いが、失うたものも多い。時代が動くとは斯様なものであろうか。だが何としてでも鶴ヶ城は残す。そこに住まうことがなくなろうと、そなたたちが日毎見上げていたものを簡単にうち壊すようなことはさせぬ」





「されど御方さま、左様なことは可能でごぜえやすか?」

「可能と言うより、恐らくそうなるでしょうね」

真紀が頼母を迎えたのは自室の縁側。秋とは言え、穏やかな昼間は縁側でも日差しを受ければ暖かい。真紀は膝の上で迪を遊ばせながら、微笑んだ。

「財務相の岩倉さまが地税の話を持ち出さねばならぬほど、政権は手元不如意なのですよ。ならば鶴ヶ城を取り毀し、新たに役所としての建物を建てるだけの財源を更にそこに住まう者たちから得ようとするよりも、余程可能でしょうね」

「そのような話もあるのでごぜえやすか?」

「ええ」

城とは即ち、そこに住まう者が支配者であり、威光を示す為に作られたもの。故にそのような威光は不要なもので取り毀すべしという意見が財務省を初めとした官吏から上がっているというが、一方財源をどこから捻出するかという現実に答えを見出だせないでいることは、真紀の耳に届いていた。

「それゆえの、試算であられやしたか」

容保の五万石残せばよい、と言われたことを頼母は納得していなかった。

「確かに松平家は既に会津の藩主ではなく、恐らく此度の領地分配で目に見える縁は切れるやも知れやせぬ。ですが我等会津の者にとって、主家はあくまで松平家であって、それ以外は主家に非ず」

「……頼母どの、嬉しいお言葉ですが他所では仰ってはなりませぬよ」

頼母は心得ておりやすと頭だけを下げたが、

「御方さま、それがしは政権に仕官せず、このまま会津に骨を埋める心積もりにて」

真紀が瞠目する。

「何故に?」

「……会津の行く末、会津にて見届けとうごぜえやす。政権が代わろうとも会津で困窮する者はおりやす。政権に仕官致せば、会津を離れることもありやしょう。自活の道を歩まねばならなくなった家中の者の行く末、最後まで見届けやす」

真紀は暫く黙していたが、やがて姿勢を正し、見事な所作で平伏した。それを見て頼母が慌てる。

「お、御方さま、なじょなさる!」

「頼母どの、お詫びとお礼を申し上げます。先の度重なる騒擾に伴う会津への負担と、それから、これからの会津を頼みます」

「御方さま……」

漸く頭を上げた真紀は、いつもの微笑みで続ける。

「頼母どのがいてくれて、本当に良かった」

「……土津神社に参詣した夜、御方さまが仰ったことをそれがしは今でも覚えておりやす」

頼母の言葉に、真紀は数度瞬いて苦笑する。

「それがしの命だけでなく家族郎党の命を擲ってでも、諫言をすることが出来るか、それが西郷の家の役目であると仰られやした」

「そうね、酷いことをお願いしたわ」

「いいえ。御方さまが仰ってくださったことで、それがしの心は定まりやした。西郷を名乗る者として持たねばならぬ責と気概を教えていただいたのです。故に殿に京都守護職拝命の折、あのような言を申し上げたのでごぜえやす。悔いてはおりやせぬ。会津の為に、殿の為に申し上げたのでごぜえやす」

「そう……」

「会津の国家老となって、国許を見るにつけ、その思いは強うなりやした。ですから政権が代わろうとも、もし変わらなかったとしてもそれがしは会津に骨を埋める積もりでおりやした。それが此度の領地分配で、心が定まりやした。それがしは会津で生きていきやす」

「そう……ならばなおのこと」

真紀は再び頭を下げた。

「私からも頼みます。会津を、頼みます」

その年の暮れ、政治府は全国に向けて土地所有と地税について公布を行った。土地所有の境界を確と行い、これを法務省に登録すべし、所有者として登録した者は地税を国に納めるべし、とされた公布が行われた翌日、松平容保はその領地二十三万石の内、十五万石を藩士、並びに家中に住まう者に分与した旨を法務省に届け出た。その余波は全国に拡がり、会津と同じように藩士たちに領地分配を行う家中もあれば、領地を全て藩主の所有として届けるなど、様々であった。

「土佐は取り合えず、上士だけが領地分配されたらしいちや。まあ、うちは下士とは言え、本家がそれなりの商売人で金持ちやき。当面はなんとか成るやろう。けんど、いずれは家族を京都に呼び寄せようち、思うちゅう」

坂本の言葉に、真紀は小さく頷いた。

「けんど、三年は土佐で堪えてもらうしかなきのう。おりょうを土佐に行かいた。三年花嫁修行するち、張り切っちょったけど、乙女姉やんとおりょうがどう戦うか、ちくと見てみたいけんど」

「嫁と小姑の戦いを見て喜ぶなんて、随分悪趣味だこと」

坂本が覚馬に伴われて黒谷を訪れたのは二月。五日後、国費留学生としてアメリカに向かうという挨拶を兼ねてだった。

「取り合えず、船でロスアンゲルスに渡って、そっから鉄道言う乗り物でアメリカを横断して、ワシントンに向かうことになる。今から楽しみやのう」

「……まったく。三年で帰ってくるのか?」

「金が尽きたら、働けばええだけや。わしゃぁ机に齧りついて学問をしにアメリカに行くがじゃないき」

真紀はくすくすと笑いながら、憮然とした表情の覚馬に言う。

「失踪して、行き方知れずになりそうね」

「国費留学ということ、忘れられては困りやす」

ふんと鼻を鳴らして、坂本が言う。

「きっかけを作ってくれた国には感謝しちゅう、けんどそっから先は行くもんの心意気や。只管本に齧りつくのもかまん、色んなもんを見て回るのもかまんろうが。わしらの役目は知ることや、学問だけで知るのも実地で知るのもおんなじことやき」

「坂本さん、それでも無事だけは家族にお知らせしなさいな。便り無きは無事の証拠とは言うけれど、気を揉むのは惨いことですよ」

真紀の言葉に、坂本は力強く頷いた。

「おうよ、家族あってのわしや。文は出す気やけど、地球の反対側に行くがやき、届くのはいつになるやろうな?」

この年、国費留学生は坂本だけでなく、かなりの数が海を渡って、西欧やアメリカに留学を果たした。その多くは二年から四年かけて学ぶことになる。

「大蔵の弟も夏にはアメリカに留学が決まった」

容保の言葉に、真紀は微笑む。

「若者は皆、出ていくのですね」

「長崎組も希望する者が多いが、如何せん、年齢条件に沿わぬ故に断念したらしい。何人か溢しておった。とは言え、留学生が帰って来た時、その見聞を存分に他に教え拡げるような場所を作る話は整いつつあるからな」

留学生を数多く選抜する一方で、彼らが持ち帰るであろう学問を有益に拡げるための学問所となる大学を立ち上げる方策も具体的に進みつつある。嘗て貴族の子弟の為の学問所であった学習院をそれにあてる予定で改築も進みつつあるし、国防省の敷地内に士官学校も間もなく完成する予定だ。

「漸く大勢が固まった、と言うべきか」

容保の安堵の溜め息に、真紀は微笑みながら、

「大変御疲れ様でございましたね」

「国防相に任じられてもう何年経つか……、あっという間ではあったが、長い道程であった……故に、真紀」

容保が紡いだ言葉に、真紀は瞠目したがすぐにいつもの微笑みを浮かべながら、頷いた。

「容保どのの、良きようになされませ。私はどこまでもついて参ります」





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