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foundation  作者: なみさや
禍乱
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生きたい




喧騒は少し前に止んだ。

この静寂が賊の鎮圧が成った故か、あるいは成らなかった故か、今の真紀には知る術がなかった。

御常御殿(おつねごてん)までは賊の姿もなく辿り着けた。だから気の緩みがあったのかもしれない。御常御殿の横をすり抜けながら、小御所に向かう途中で銃撃を受けた。響いた銃声に間を置かず、一人が倒れた。慌てて物陰に飛び込んだが、撃たれた者が取り残された。銃手は必殺のつもりか、執拗に倒れて動けぬ者を狙った。だから真紀は周りが止めるのも聞かず、物陰から飛び出し救出に向かったのだが脇腹に銃弾を受けた。

灼けるような痛みは何度も経験しているもので、何時ものように痛みに捕らわれないように気を配りながら、肩掛けた会津者の身体を引きずるように物陰に辿り着いた。脇腹に触れれば滑りで手が滑った。

『御方様!』

『………大丈夫、という訳にはいかないか』

立ち上がろうとしてみたけれど、自分の身体の筈なのに、全く言うことを聞かなかった。真紀は苦笑しながら溜め息をついて、血塗れの手で背中に負う袋を下ろし、中身の書簡を山川に渡す。

『御方様?』

『見ての通り私は動けないから、あなたたちで小御所に向かいなさい。必ず帝にこの御書簡と小箱、お渡しなさい。小箱にはみ印が入っているから』

『しかし、御方様を置いていくなど出来やせぬ』

『……忘れてるようね、私は時知らずの身を持つ者よ。少し休めば動けるようになるでしょうが、それを待つ時が惜しい。早く行って。事が成ったら迎えを頼みます』

痛みに耐えながら、真紀は微笑みをその口の端に浮かべる。一度反論しようとしたが、六人は真紀の再びの促しに顔を見合わせ、頷いた。

『わかりやした、参りやす。すぐにお迎えに参じやすので、お心強くお待ちくだせえ』

『ええ』

六人は一斉に物陰から飛び出た。銃手は一人を撃ち取ったがそれ以上は取り逃がしたようで、執拗に倒れた一人と真紀たちが隠れる物陰を目掛けて銃を射かけた。

それも止んで、どれ程の時が経ったのか。

真紀の横で最初に撃たれた者は山川たちが飛び出す前に事切れた。次に撃たれた者も見える限りではあるけれども、ピクリとも動かない。

静けさだけがそこにあった。

真紀は空を見上げる。

間もなく夜明けだろう。僅かばかり白みかけた夜空に明けの明星だけが一つ輝いていた。

「月は、出てないか……」

思わず出た自分の言葉に、真紀は苦笑する。

これほどの深手、恐らく生死に関わる怪我だ。出血は止まる様子もなく、脈打つように溢れてくる。持ち合わせの手拭いで止血してみたけれど効果はあまりない。時知らずの身を失った以上、助かる術は無いかも知れない。

「死ぬ、のかな……」

真紀は深い溜め息をつく。

出血が多い所為だろう、五月という季節なのに肌寒さを感じた。急な睡魔に襲われ、抗しても瞼が閉じようとする。

「怪我よりも、出血多量で死ぬのかな」

冷静に自分の死に様を分析出来ることに、真紀は思わず苦笑する。

だが次の瞬間、脳裏にふと思い出したのは。

『わしのそばにおれ。共に老いて、共白髪となるまでそばにいてくれ。それがわしの望みだ』

時知らずの身を失ったと告げた時の容保の静かな言葉。

『きっとですよ、母上。お迎えあるまで、私のお役目、必ず果たします』

涙を必死に堪えながら、そう言った穣太郎の言葉。

「……皮肉なものね」

真紀は苦笑する。

時知らずの身を持っていた時、欲しても手に入らなかった『死』。

どんなに辛くても、生きねばならぬのだと知った時の絶望を真紀は未だに覚えている。けれど時知らずの身を失って『死』を間近に考えることなどなかった。だけど、『死』を目前に感じた時、真紀の脳裏に浮かんだのは、容保と穣太郎のこと。

まだ死ねない。

違う、まだ死にたくない。

生きて、容保と共に穣太郎の成長を見届けたい。

だから、まだ死にたくない。

生きたい。

一度思い至れば、その思いは止まらない。

真紀は力の入らない身体を無理矢理に起こして、両手で脇腹を押さえた。強く押さえれば押さえるほど痛みは酷くなるが、真紀は構わず押さえ続けた。

血を止めなくては。

その一心で押さえ続けてどれ程の時が経ったのか。

睡魔が何度となく襲い、意識が遠退きかけるのを、身体を動かすことで引きずり戻すことも何度か。山川の呼び掛けも朦朧としながら幻聴のように聞いていたけれど、肩を強く揺すられて、意識が戻る。

「やま、かわどの?」

「御方様、御方様、よく」

「……容保、どのは?」

「手傷を負われましたが、御命無事にごぜえやす。御方様、賊一党を速やかに平らげよとの勅語が下りやした。御方様、事は成りやした!」

「そ、う」

そこまでが限界だった。肩を揺さぶられているのは分かったけれど、もう目を開けていられない。真紀はゆっくりと目を閉じた。





芳和元年五月十日、観兵式の行われた深更に起こった御所襲撃事件の公式記録はほとんど残されなかった。勅語は直ぐに勅命として文書となったが、首謀者とされた中山忠如が帝の叔父であるという事実と、賊を御所まで侵入を許してしまったという国家・政権としての失態を大阪に滞在していた各国領事や報道関係者に知らせない為の苦肉の策で、首席宰相・二条斉敬を初めとした政治府の合議で決定し、奏上を受けた帝もこれを良しとしたためだった。

とは言え、国賊とさだめられた賊一党の捕縛・詮議は続いている。

御所を占拠していた賊のほとんどは、国防軍が掲げた十六菊花紋の御旗印を見て、投降を促せば国防軍が拍子抜けするほどあっさりと恭順を示した。昨日から詮議が始まったが、その数は意外にも五十を数えるほどで、幽霊となった二百余名のうち、市井に潜伏するのはやはり五十ほど、残りの百名ほどは内部抗争で既に死亡していることが判り始めていた。

「……分裂していたか」

「詮議によれば、多数の穏健派と少数の急進派があり、春先の大規模な内部抗争によって穏健派は事実上粛清されたとか」

調書に目を通しながら説明する修理の言葉を聞きながら、容保は眉をしかめる。

「ならば中山忠如は急進派の最先鋒であったということか」

「ならば御所の賊どもがみ印を見て、すぐに恭順を示したのは、急進派からの恐怖から逃れたいという思いもあったということか」

弟・定敬の言葉に修理は頷く。

「牢と定めた兵舎は、心を病んだ者の呻き声が夜な夜な聞こえるそうにございます」

「病んでおらず傷も浅い者から取り調べよ。しかし、病持ちが多いのは問題だな。医師に診立てさせるべきやも知れぬ」

「そのことですが、医師の手配をしようと思いますが、お許し願いやすか」

「致し方なし」

修理は幾分申し訳なさそうに書類を差し出す。

「如何しましょうか、決裁には殿のご署名が必要なのですが」

「定敬、そなたが代理で記せ。修理が一筆添えれば構わぬ」

「然らば」

定敬が筆を取り、さらりと署名を記すのを見ながら、容保は溜め息を落とす。

「まあこの指で筆を持つことに慣れれば何事もないのだが」

「右手は治りませぬか、兄上」

「動かぬであろうと医師は言う」

包帯が分厚く巻かれた右手を見つめて、容保はもう一つ溜め息を落とした。

昨日の朝、朝餉の箸を持ち上げようとして気づいた。親指、人差し指は平素と変わらず動くが、中指の動きが悪い。薬指と小指はほとんど動かない。医師に診立てさせたところ、指を動かす筋が突き立てられた脇差しで傷付いたのではないか、恐らくは一生動かぬとのことだった。

とは言え、動きが悪いが中指までは動く。筆と箸を持つこと以外には不自由を感じていないと容保が言えば、定敬は切り出した。

「義姉上は如何ですか」

「……まだ意識が戻らぬ」

手当てを済ませて小御所を出たところで、真紀を抱えた山川を見つけた時は息が止まるかと思った。意識の無い真紀の顔色は見たことの無いほどに蒼ざめていて思わず息を確認したが、浅い息に僅かばかり安堵して、慌てて黒谷に運び込んだ。脇腹の出血はまだ続いていたけれど、医師の手当てのうちに止まったという。だが翌朝になっても、次の日になっても真紀は目覚めなかった。

医師の煎じた薬湯を飲ませれば飲み込むので、薬湯だけでなく白湯や粥も口に入れてやれば飲み込む。しかし、蒼白い顔色は変わらず、付きっきりの医師たちはため息混じりに首を振って言った。

『今日明日の内に御目が覚めねば、もしやのことも有り得まする』

それが今朝のこと。

一時たりとも真紀のもとを離れようとしない容保だったが、国防大臣の役目もあることは理解していた。出来ることは定敬を初めとした者達が引き受けていたが、それでも大臣として先日の騒擾詮議の進捗状態を把握せねばならず、定敬と修理を黒谷に呼び寄せて、話を聞いていたのだが。

「……今日明日の内に起きねば、覚悟せよと医師に言われた」

静かに紡がれた容保の言葉に、修理は溜め息を落とすしかない。凝華洞に赴く真紀の後ろ姿を見送りながら内心を過った、不安。もしや真紀は時知らずの身を失っているのではないかという根拠の無い不安が現実となって、修理にのしかかる。

「兄上、まだ判りませぬ。今日明日に目覚められるやも知れぬではありませぬか」

「ああ。その通りだ」

容保は自分に言い聞かせるように言って頷く。

「真紀が起きた時に、役目を果たしていなければ、真紀は怒るであろうな。だからしばらく黒谷を離れられぬが、国防省のお役目滞ることのないようにせねば。定敬、すまぬが黒谷に逐一の知らせを頼む。署名はそなたと修理の連名でしてもらって構わぬ故に」

痛々しく見える容保の笑みに、定敬は微笑みながら頷いた。





「桑名さま?」

本陣の表玄関で馬上の人とならず、ぼんやりと玄関を見つめて立ち竦む定敬を怪訝に感じて、見送りに出た修理は声をかけた。定敬はようやく我に返って、

「ああ、すまぬ」

「如何されましたか」

「……義姉上は、回復されような」

「……無論」

「わしは、兄上が羨ましいのだ」

ぽつりと告げられた言葉に、修理は首を傾げる。

「羨ましい、とは?」

「兄上と義姉上、穣太郎との夕餉に誘われたことがあってな。三人の和気藹々(わきあいあい)とした夕餉は、なんというか、ここが暖かく感じるのだ」

定敬は微笑みながら胸に手を当てる。

「穣太郎の他愛ない話や、義姉上の気配りなどもそうだが、何よりもその時の兄上の穏やかな顔が、わしは羨ましいと思う……だから、あの兄上の穏やかな顔をなくしてほしゅうないのだ」

定敬の目は、まだ表玄関に向けられていて、修理は思わず言った。

「それがしも」

「?」

「それがしだけでなく、皆須く、御方様の御回復を願うておりやす」





おおばあちゃん、雪って何?

雪は、白いべ。冬になって雪が降ったら真っ白になんべ。だけんじょ、雪は冷てえ。冷てえから、そのまま触ったらなんねえ。いっぱい服着て冷えねえようにして、外に出んべ。雪の日は、冷えるから。

キレイなの?

会津の雪は、キレイだ。真紀に見せてやりてえなぁ。

曾祖母の年老い、節くれが目立つ掌が、頭を撫でてくれる。それがとても心地よく感じて、幼い真紀は目を閉じた。

あれはいつの頃だったか。

もう覚えていないけれど、福島に住む曾祖母が、始めて高知に来た時だと思う。福島と高知はとても遠い。その上、農家の曾祖母が祖父に連れられてとは言え、高知まで出てくるのはなかなかに大変だったのだろうと、大人になって思う。曾祖母が真紀の住む高知に来たのはその一度だけ。膝と腰を痛めてからは、もっぱら真紀たち一家が盆休みに訪れるばかりになり、それも真紀が小学生の頃までだった。最後に祖母に会ったのは、就職が決まった報告を兼ねた大学最後の冬休み。小さくなった曾祖母が雪のなかで言った。

『昔、ちっちぇ真紀に、会津の雪を見せてえ言うたべ。ほれ、会津ん雪はキレイだろ?』

そう微笑んだ曾祖母の姿を、真紀はあのとき見た一面の雪景色と同じくらい覚えている。

曾祖母の死の知らせは、次の冬を迎える前に真紀に届いた。だからこそ雪の中の曾祖母の姿を一層覚えているのかも知れないが。

真紀は一面の雪景色の中にいた。輝くような白いだけの世界。冷たさを感じなかったけれど、真紀はその白さは雪だと思った。

「おおばあちゃん、キレイだね……」

雪に触れると、さらさらと真紀の手から溢れ落ちて、風もないのに細かな白い粒子が舞う。

白い粒子がゆっくりと地面に落ちれば、そこから花が芽吹いた。一つ二つ。花の数はあっという間に増え、真紀の回りは雪景色から一変して、花の野になった。

白、赤、黄、紫。色も大きさも様々な花が咲き誇る。

真紀は花の野に座り込み、一つの花に触れる。すると、真紀のすぐ近くの花を手折る手を見つけて顔をあげると、穣太郎より小さな男の子が一輪手折った花を持って立っていた。

「取っちゃうの?」

「……花冠を作るの」

小さな声で応えて、男の子がいくつか花を手折り、花冠を編んでいく。やがて男の子の手に余るほどの大きさの花冠が出来上がると、男の子はそれを黙って見つめていた真紀に差し出した。

「くれるの?」

「うん」

真紀が頭を下げると、男の子は花冠を真紀の頭の上に乗せた。真紀は穏やかに微笑んで、

「ありがとう」

「うん」

可愛らしく頷いて、男の子が笑う。

その笑顔が誰かに似ている気がして、真紀はそれを口にしようとした時だった。

遠くで呼ぶ声が聞こえた。

幽かだが、確かに自分を呼ぶ声。真紀は立ち上がり、辺りを見回す。すると遠くに人影が見えた。

呼ばれているように感じてそちらに一歩踏み出そうとすると、男の子が袖を引く。

「行っちゃダメ」

「でも呼んでるの」

「ちがうよ、ここで聞いて。行っちゃダメ」

幽かな声は、それでも真紀の耳に届く。

帰れ。まだ来るときではない。その時には、ちゃんとわしが迎えに行く。帰るのだ。

「正之どの?」

遠くの人影はやがて姿を消し。気付けば袖を引いていた男の子の姿もなくなった。

真紀は目を閉じる。

帰らなくては。

まだ、来るときではないのね。

そう思った瞬間、花冠が頭から外れ落ち、身体がふわりと持ち上がる感覚を覚えながら、真紀は一つ、深呼吸をした。





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