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foundation  作者: なみさや
禍乱
68/81

潜入




「間に合うたかの、一柳に」

「さて、()()く届けよと伝えておきましたが。もうそろそろ着く頃でありましょう。通用門の衛士に一柳は通して良いと文を出しました」

尹宮の応えに、上皇は小さく溜め息を落とす。

「まさか、このようなことが起こるのであれば、譲位せずにあった方がよかったやも知れん。言うたところで詮無きことやけども」

譲位以降、上皇は御所のすぐ隣にある仙洞御所に住まいを移し、穏やかな暮らしの中で両脚の回復に(いそ)しむ日々を続けてきた。全く動かなかった脚は上皇と医師団の努力もあって、太股辺りの感覚が戻りつつある。回復の兆しが見られたことで上皇にも心の余裕ができた。過日来、尹宮と囲碁に興じながら、日々完成しつつある新たな政権や、市井の様子などを語らうようになっていた。

今日も囲碁の相手にと宮を呼んだが、勝負に熱が入り遅い刻限になったので宮を泊め、上皇も床についてしばらく経ってから、真紀からの使者が飛び込んだ。

すぐに真紀の依頼の品と、叩き起こした院司(いんじ)に院宣を出させる準備の間に真紀宛の書簡ともう一通書いて使者に持たせたが、御所がどうなっているのか、隣の仙洞御所にも全く判らず、上皇と宮は苛々と時を過ごすしかなかった。

「祐宮は、いや帝は如何にしておるやら」

真紀からの書状によれば、元国事参与を鹵獲(ろかく)するだけならば御所から側仕えを立ち退かせるどけでもよいのに、内講六門全てが閉じられたということは、帝も何者かに幽閉された可能性もあると書かれていた。

「玉体に害を為すものなどおりましょうか」

「いや、余のこともある。あり得んことではない」

強い口調で告げられては、宮に返す言葉はなかった。

「一柳が少し前に訪ねて参った折り、気になる話をしておった。毒のことや、あのあと何度となく調べたけれど、その後に何の動きも見られないのは妙やと」

「妙、でござりますか」

「深読みやもと前置きしておったが、あれほどの事を為した者に、後の動きが何もないと言うならば、毒を余に含ませた者はそのまま御所におると考えるべきやと。それに余の死を望む者が起こした事ならば、その者の得は何であったのか。それは一つしかない」

宮は眉をしかめる。確かに考えられる答えは一つだ。

「今上帝の御即位、ですか」

「であろうな。やけど帝が即位を望むとは考えにくかろ? あれは東宮であって、いずれは即位する身ぃや。それにそんな野心を持つ質ではないことは我が子故に、よう判る。なら答えは少し変わるやろ。帝の『一刻も早い』即位、やな」

「まさか」

思い至った一人の名前を、宮は口にする。

中山忠能(なかやまただやす)どの、で」

「一柳も可能性としてその名は申しておったが、何分確証もない話や。余もそう思う。やけど確かに気になった故に、あえて参議復帰までに留めたんや」

今上帝の生母は典侍(すけ)・中山慶子である。その父である忠能は権大納言まで勤めたが、蛤門の変の折り、激派公卿に与した罪で処罰を受け蟄居となっていた。しかし外孫である今上帝の即位に合わせて、蟄居を解かれて参議になっていた。

とは言え、帝の外祖父は幼少の帝が即位した場合、これを輔弼する役目を担うため、摂政となるのが慣例である。しかし、上皇はあえて中山卿を摂政に据えなかった。今上帝が元服も済ませた十七歳であるということ、摂政を置かずとも首席宰相という新たな職制があるため、これに委ねるというのが公の理由だったのだが。

「左様な訳がござりましたか」

「外戚は我等皇族にとって切り離せぬもの。したが、のう……なんぞあってからは遅い。とは言え、歌舞音曲にしか興味のない、それに穏和な中山がそのようなことを企てるとは、どうにも腑に落ちぬところじゃが。それに一柳がもう一つ、妙な話をしておったわ。少し前にそなたにも言うた、幽霊の話や」

「ああ、あれは一柳の話でござりまするか」

少し前、囲碁の最中に上皇が四方山話(よもやまばなし)と語った、死んだはずの者達が目撃されるという奇妙な話を、宮は覚えていた。

「そなたに話した後に、不意に思い出したんやけど、中山の家にも死んだ者がおるの」

「は?」

「大嘗祭のあとであったか、慶子が申しておった。八瀬(やつせ)の育った家で世話になった者の見舞いに行った折り、通りすがりの者が亡くなった弟に余りに似ているので驚いて声をかけようとしたが、見失うたと」

「帝、それは」

確かに中山家には、不幸な死に方をした者がいる。それを思い出して、宮は自分の背筋が寒くなるのを感じた。

「先程の一柳への文にもそのように(したた)めた。やけど此度のことに関係するかは判らんのや。だが何度考えても、あの中山忠能に此度のようなことを行えるとは思えん。どうしても、『幽霊』話に一緒に考えてしまうんや」

上皇は小さく溜め息を落として、

「何事も無事に収まれば良いのやけど」

宮は御所の方角に目を向けて、頷いた。





凝華洞の広くはない広間に集まったのは会津、福井、薩摩、土佐の家老格。最初は埋め尽くさんばかりの人数が集まっていたが、内蔵助が新たな政権に官吏として所属している者が参集する難点を語れば、不平不満も上がったが、その内三々五々と人数が減り、今や十人ばかりとなっていた。

「しかし、賊が如何なる者か、数も判らぬのでは対処もできもはんぞ」

薩摩の家老が膝を打ちながら絞り出すように言う。

「況してや、こちらの動かせる人数があまりにも少ない。百もないなら、賊よりも少ない場合もあろうて」

福井の家老も渋面で語る。

「いや、方々。当家より進言をさせて貰いたい」

内蔵助が真紀を一同に紹介する。

土佐の後藤象二郎が声を上げた。

「ではそなた、いや、こちらの御方が会津の懐刀と呼ばれゆう御側室さまか」

女性(にょしょう)の身で口出しすることをお許し下さい。ですが、かような危殆の事態につき、如何ともし難く罷り越しました」

深々と真紀が頭を下げれば、一同は困ったように頭を下げ返す。

「賊の正体も数も判らぬのは、我等も同じ。ですが一つだけ判っておることがございます。斬奸状で記された、国賊と定めるとは即ち、帝が勅許を以て我等を国賊とされるということ。ですがその勅許、いまだ以て出ておりませぬ。勅許が出れば、賊は忽ち一気呵成に我等を責め立てる筈ですから」

「充分に有り得る話じゃの」

「畏れ多くも帝が抗しておられるか、違うのか、それを判ずる術もございませぬが、私はいまだ勅許は出ていないと考えます。我等を国賊と為すは、帝にとって上皇さまが推し進めて来られた新たな政権の否定に繋がります。それ即ち不孝と呼ぶもの。ただの奏上ならば、帝は全くお請けになりますまい」

「ならば」

幾分明るい表情に変わった一同とは違い、真紀は静かに溜め息を落とす。

「ですが、問題はただの奏上でない場合です」

「なんと賊は畏れ多くも帝を嚇すと、言うんか!」

「過日来、死したと届けられながら、知己に各所で目撃されたという奇妙な話を各々の家に問い合わせをさせていただきました。覚えておいででしょうか?」

真紀の言葉に、家老達は顔を見合わせ、異口同音に覚えていることを応える。

「最近、御所守備隊と京都守備隊が忙しなく立ち働くのもそれらの者達の捜索と聞いておるが、それと繋がりがあるとお思いか」

真紀は小さく頷いて、

「先程、火急の事態を上皇さまにお知らせしたところ、帝の御生母が死んだはずの弟君を市中で見かけたというお話をお知らせ下さいました」

「弟君を?」

「ええ、それも中山忠光卿ではなく、忠光卿と共に下野した、もうお一人の弟君です」

中山忠如(なかやまただゆき)どのか」

その名に全員が覚えがあった。

中山忠如、中山忠能の八男にして、尊皇攘夷激派公卿の一人で、帝の外祖父である父の威光もあって順調に出世していたにも関わらず、自らの地位を(なげう)ってすぐ上の兄・忠光と共に下野し、長州で攘夷を唱え続け、蛤門の変では首謀者の真木和泉に親しい存在として、朝廷からも永蟄居の下命を受けている。それでも攘夷の声を緩めなかった為に、朝廷・幕府との宥和(ゆうわ)を始めた長州の中で孤立し、藩士に暗殺されたと聞いている。

だが、暗殺されずに生きていたとすれば?

「帝にとっては、叔父君にあたられるか」

誰かの独白に、真紀は頷く。

「先程中山邸に確認したところ、主は御所に詰めているとの返答だったようですので、中山忠能どのも御所にいるかと」

「『幽霊』と此度の騒擾、繋がっておるのか……」

「判りませぬ。数少ない見聞を擦り合わせた結果はそうなります。したが違うやも知れませぬ。しかしこれが真であるならば、急がねばならぬでしょう。我等が最優先に行わねばならぬのは」

真紀は顔を上げて、静かに言う。しかし、その顔には常の微笑みはない。

「各々の主君を救出よりも、我等を国賊と為す勅命を阻止せねばなりますまい。しかしその事が主君の救出に繋がると信じておりますが」

「しかし一柳どの。勅命阻止とは、そは如何に」

背負ったままだった袋を解き、真紀は『院宣』と書かれた書状を開かずに持ち上げ、恭しく頭を下げた。

「畏れ多くも上皇様より頂きし、院宣でございます」

一同が慌てて平伏する。

「帝の出される勅命ほどは効果はないでしょう。しかし院宣が出たという事実を帝にお伝えすれば、事態が動くやも知れませぬ。よってこれを表沙汰にしたいと考えます」

「表沙汰とは、つまり」

「お伺いします、政権に名を連ならざる者を各々どれほど出せますか?」

真紀の言葉に、それぞれの家の家老達が声を上げる。それらを総合して、真紀が言う。

「では会津を除けば、九十あまりですね」

「それで何ができるゆうがや」

「出来ます、声高に内講にて主君の帰りを望むのです。応えがなくば、主君と当家は国賊に非ず、院宣にて忠臣と認められていると伝えることは出来ましょう」

「ふむ、なるほどのう」

「じゃが先程、数から会津を除かれたが、会津は如何するのじゃ」

真紀は小さく微笑んで、

「小御所近くの通用門から数名で秘かに入ります。上皇様より帝に書状を預かっております、これを早急にお届けします。院宣が出たとしても、勅命が下れば元も子もない。しかし賊の数が判りませぬ。それ故に内講六門の内、西側の唐門、清所門、准后門で院宣にて御座候うと騒ぎを起こして欲しいのです。さすれば賊の目はそちらに向きましょう。しかし、騒ぐのみで門を開き、入り込むことはないようにお願いしたいのです」

「騒ぎを起こしちゅう間に通用門から秘かに潜りこむ気ぃか。やけど、それやったら会津が被害が大きゅうないかえ」

「元より覚悟の上。帝にたどり着くことが出来ぬやも知れませぬが、それしか策がございませぬ」

真紀が黙れば、広間には家老達の低く唸る声しか聞こえない。

「じゃどん、急がんならん事もよう判った。御側室の仰る通り、策は無きやにおいも思いもすな。御一同、如何か」

薩摩の家老の言葉に、一同は頷いた。

真紀は小さく頷いて、

「ならば時を定め、事を起こします。皆々様懐中時計はお持ちですね、では三時を以て、西側の三門で起こして下さい。我等会津は三時丁度に通用門を抜けまする」





通用門の戸口を真紀は慣れた様子で、変わった拍子を取りつつ叩いた。

ゆっくりと開いた戸口から見知った顔の衛士が顔を出す。真紀を認めて幾分安堵の表情を見せる。

「一柳様、まことにお出ででござりますか」

「通してくれる?」

「尹宮様より言い付かっておりますが……」

開けてくれた戸口から真紀と数名の会津の者がするりと入り込む。

「賊は如何程?」

「それがここには参っておりませぬ。内講はとにかく閉じよとの下命と、両腕に白き鉢巻きを巻いた者に従えとだけ」

違う門の衛士から聞いた話と前置きして、顔見知りの衛士が言う。

「皆、衛士のように鎧を身に纏い、刀を佩くと。数までは判りませぬが、多くはないかと」

「そう」

懐中時計を見れば、三時より僅かに早い。

上皇がいまだ帝であった頃、夜の参内を乞われた時、最初こそ尹宮の用人に伴われて参内したが、やがてはこの通用門に直接赴き、お差しの伊織が迎えに来ることが多かった。それ故に衛士にも顔見知りが多いのだが、

「鉄砲を持つ者はいたかどうか、聞いていないかしら」

「唐門の衛士が何人か見たと聞いております。鎧も纏わず、銃を握りしめておったとか」

「衛士の配置は変えられていないのね?」

「はい。閉門とだけ命じられております」

「御方様、なれば数は思ったよりも少ないのではごぜえやせぬか」

山川大蔵の言葉に、真紀は答えない。

『幽霊』が今回の賊であったと仮定すれば、その最大の数は二百。しかし内講六門の御所側を警護する衛士を動かさなかったということは、二百あれば衛士を退去させて自分達で警護出来るだけの人数がないということを示す。しかし、御所は広い。占拠する場所を定めて、そこに人数を集中させているならば、話が変わる。

加えて数は判らぬが、銃手もいる。

「御方様、三時にごぜえやすが」

「……よし、行こう。いい?」

真紀の声に、たった八人の男たちが答えの代わりに力強く頷いたのを見て、真紀も頷いた。


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