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foundation  作者: なみさや
真誠
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将軍逝去





翌朝早々に、容保は広間に主だった者を集め、昨日の二条城での家茂との謁見の内容を詳らかにした。集まった者には動揺が広がったが、真紀によって読み上げられた正之の書状には皆、平伏して聞き、中にはむせび泣く者もあった。

そんな中で書状を読み終えた真紀が控えると、容保はおもむろに声をあげた。

「土津公の遺言により宗家の守護者たる役目は終えた。しかし宗家の行く末を見守り、困窮の折りは手を差し伸べよとの御言葉もあったように、宗家危急存亡の折りは、全身全霊をもってこれに対する。だが、御家訓一条、大君の儀については土津公の遺言をもって、これを変えることとする」

容保の言葉に広間の一同は深々と頭を下げた。

では参内の準備を整えると、容保が立ち上がった時だった。

「と、との!」

半ば悲鳴のような声をあげながら駆け込んできた藩士を、内蔵助が叱責する。

「なじょした、御前であるぞ!」

「一大事で、ごぜえやす!」

内蔵助の制止も聞かず、広間の端に飛び込むように平伏したまま、藩士が叫ぶ。

「大阪城にて、公方さま御逝去!」

「なんじゃと!」

広間が藩士たちの不安の囁きに包まれた。

「……静まらぬか。大阪よりの報せはそれのみか」

報せを持ち込んだ藩士は平伏したまま、容保の問いに応える。

「は、それのみにごぜえやす」

「……御逝去のみでは事態が解らぬ。わしはとにかく参内する。報せが届き次第、追っ付け報せよ」

私室に下がり、真紀の手を借りながら支度を整えつつ、容保は溜め息を落とす。

「いくら病がちであられたとは言え、昨日の今日ぞ。何かあるやも知れぬが……」

「容保どの」

真紀は大刀を差し出しながら、言った。

「昨日のお見送りは役目を解くお話以外、何もなかったのでございましょう?」

「うむ。道中恙無きようにと声をおかけしたらば、これほど清々しく帰るのは久方であると、またあとのことは頼み置くと仰せであった」

「……これから、宗家は如何になりましょうね?」

容保は差し出された大刀を腰に佩いて、呟くように言った。

「解らぬ。解らぬが、決して(へい)たる後があるとは今は思えぬな」





享年二十歳だった家茂は、戒名を昭徳院殿光蓮社澤譽道雅大居士とされ、代々の将軍の墓所である増上寺にしかし将軍としては異例なほどひっそりとした葬儀のあと葬られた。

正室である和宮は家茂逝去の報を受けた翌月、家茂との第二子となる長女を出産した。家茂の形見の中に、生まれてくる我が子の名前の推敲が見つかり、和宮はその中の一つを選び、長女を絲姫(いとひめ)と名付けた。そして落飾らくしょくし静寛院と名を改めた。

密やかに家茂の死を受け入れた徳川宗家とは違い、騒々しかったのは幕府だった。

将軍後見職の一橋慶喜は泰然と新たな政の準備を進めていたが、幕閣たちは家茂が大政権奉還し、しかし帝が将軍職について保留したことをもって、次期将軍に家茂の嫡子・雅千代を推す準備を最優先に据え始めた。

とは言え、雅千代は正月で四歳を迎えたばかりの幼子だ。朝廷の参議たちは江戸の動きを察すると一斉に反対に動いた。

その急先鋒は、参与の岩倉具視だった。

「たった四歳の幼子を将軍に就けるとは言語道断にござります。臣具視、奏上申し上げます。この際、徳川に与えし征夷大将軍の任、お解きになられては如何でござりましょうや?」

参与合議でいつもは好々爺の体で他の参与たちの喧喧囂囂けんけんがくがくを聞くばかりであった岩倉の変わりように、参与たちは瞠目しながら岩倉を見遣ったものだった。

しかし、帝の答えは明確だった。

「岩倉の言う通り、確かに雅千代は幼い。しかし、先代将軍の血を引くおのこは、雅千代しかおらぬ。よって徳川宗家の当主となるは必然であろう。願い出があればこれを認める。しかし新たな政が始まる今、征夷大将軍が必要かどうかは未だ判ぜず。よって、征夷大将軍叙任については願い出があってもこれを慰留する」

「い、慰留にござりますか?」

「岩倉はん、帝の御言葉でありますよ」

二条関白にたしなめられ、岩倉は慌てて頭を下げた。

凝華洞に戻れば、容保の控えの間に珍しく久光が顔を出した。

「これを見てもらいたか」

差し出されたのは一通の書状。

「天璋院さまの御文にごわす」

「……宜しいので?」

久光が頷くのを確認してから、容保は書状を開いた。そこには見事な筆跡で雅千代将軍職任官は本人が幼いこと、何より静寛院が先代が将軍職継承については帝の御叡慮に委ねると遺言したと伝えてきた。よって将軍職任官を徳川宗家は望まず、ただ宗家の存続のみを望んでいるので、参与合議でそのように述べて欲しいと書かれていた。

「……お恥ずかしい話でごわすが、天璋院さまはそれがしをあまり好ましくお思いではごわさん」

元来無口な質の久光だ。参与合議の場でも、自ら発言する姿を容保はあまり見たことがない。

訥々(とつとつ)と言葉を選ぶ久光の様子を、容保は静かに見つめる。

「天璋院さまにはそれがしは兄が、この国の為、よかれと思うてなそうとしてきたことをことごとく覆したと、思われておりもす」

兄と目指すところは同じでも手口が違うと、周りは諭したと言うが、天璋院の耳には届かなかった。久光は無口な質故に弁解も拙い。結果として義理とは言え、叔父と姪の距離は決定的となり、書状の行き来も絶えたに等しかったと言うのに、突然の書状に驚き、一方でそこまで行き来がなかった叔父に頼らざるを得ない天璋院の心中を察して、久光は動くことに決めたのだ。

「帝は先程慰留すると仰せでもしたが、いつまでも慰留できるものではごわはん。帝の御心中、御存じではありもはんか?」

「……さて、如何でしょう? 雅千代さまは帝にとっては甥御さま。このまま、和宮さまと捨て置くようなことはしないとは思いますが……」

「なんぞ御存知かと、参ったのですが……わかりもした。ですが、お話したことで心が定まりもした。薩摩は徳川宗家存続の嘆願を出しもす。形はどうなるか分かりもはんが、宗家断絶だけはなりもはんと奏上申し上げもす。会津さまは如何に?」

容保は力強く頷いて、

「無論。宗家存続は会津も望むところ。賛同いたしましょう」

三日後、参与合議の場に島津久光から徳川宗家存続の嘆願が奏上された。これに参与合議は全員一致して賛意を示し、帝は勅命ではなかったが、参議の前で已然いぜんの通り、征夷大将軍叙任については慰留するが徳川宗家断絶は望まずと表明した。これにより朝廷内の征夷大将軍職を徳川宗家より召し上げる策は声高に叫ばれることはなくなり、その後に江戸の幕閣による雅千代将軍職任官の働き掛けもなし崩しに消えた。

ただ、声高に叫ばれることはなくなっただけで、朝廷のここそこで密やかに囁かれるようになったのは。





「慰留されただけで、いつ任官をお許しになるんやろ、任官の話が出たら何を置いてでも反対せねばならぬと言うてはるみたいやな」

珍しく黒谷を訪れた尹宮いんのみやの言葉に容保は眉をひそめ、真紀は小さく苦笑する。

「誰が申しておるのか、お主には分かっておろ?」

「岩倉さまでございましょう。いつぞやのように公卿大挙で帝に奏上申し上げるおつもりでしょうか」

かつて幕府が条約を締結する許しを帝に求めた際、岩倉は賛同する公卿を集めて勅許などもっての他、幕府に攘夷を求めよと御所で座り込みの抗議をしたことがある。その時は帝の思いも攘夷鎖国にあったので罰せられることはなかったが、参与合議の場で穏やかな岩倉の様子を知る容保にとってはかつてそのようなことを仕出かしたようには信じがたい話ではあった。

「百人に近い公卿に囲まれると怖れた時の関白、九条尚忠の心持ちや察するにあまりあるわな。まあ、数に物言わせる手口をするやも知れぬと言う話なだけや。やけど帝の御叡慮と反するところでは、公卿が騒いだところでどうにもならぬやろ。しかし帝は徳川宗家存続の安堵は認められたけど、将軍職を慰留したまんまで、公卿達が騒ぐようにこれは如何になさるおつもりやら」

「さても図りかねますが、新たな政に二君並び立たず、故に大政権奉還を先代将軍が持ち出され、これをお受けになられた以上は、いずれ将軍職の意味は無くなります。それ故に空位の今なら廃するにはよいかと考えますが……」

「そうやな。公卿が大挙参内するまでもないか」

方違(かたたがえ)と古い仕来たりを持ち出して、一夜の宿を求める尹宮を拒むことは出来ず、容保は本陣に宮の部屋をしつらえさせた。その準備が調うまで酒膳を用意したのだが、宮はとりとめのない話を繰り返すばかり。

『宮は私の教授のおつもりなのでしょう』

時折宮からの呼応で宮邸を訪れる真紀に、かつて呼応の理由を聞いた時の真紀の答えだ。

『今、この事態をどう思うか、如何にすべきか。大抵そのようなお話です。聞き上手というか、わたしとの話の中で宮様自身の身の処し方を諮っているような、そう思えるのです』

だが真紀のその言葉、いつもの微笑みの裏に、実は策士の面が微かに見える気がして、容保は苦笑したことを思い出す。

真紀が『教授のおつもり』とたとえた問答が目の前で繰り広げられるのを、容保はただ黙して見つめていた。

「なんや会津中将は御機嫌斜めのようやな」

突然尹宮に言われて、容保は慌てる。

「いいえ、そのようなことは」

「大事な側室と、我が話すのが気に入らぬか」

「いいえ。まったくそのようなことはありませぬ。宮さまが博識でおられることに感服しておりました」

容保の世辞に、宮は鼻で笑って。

「何を言うのや。博識であろと、直宮であろと、我は一介の宮家の主でしかない。そなたと違い、力も(したが)える者も少ないんや。けど帝の御信任を戴いている以上は知ったかぶりで御所を掻き回すわけにもいかん。やから確たるものが欲しいのや。その為の一柳や。自分の側室やから、いけずせずにたまには一柳を貸してくれ」

本音の中に露骨な嫌味を見つけた容保は一瞬瞠目したが、ちらりと宮と真紀を見る。何かを含んだように笑う宮と、いつもの微笑みの真紀。容保は嘆息して、応えた。

「出し惜しみなどしたことはありませぬが、これが宮のお役に立つならば」

「ふん。そなたもや、一柳。参与合議が終われば中将は真っ直ぐに黒谷に帰る、宴に呼べばほとんど断るとあれば、女房達が目の保養がなくなった、余程新しい側室が袖を引くのであろうと嘆くのも、致し方あるまい?」

以前は参議達との繋がりを重んじてあまり行きたくもない宴に参加し、公卿の真綿に包んだ風刺に晒されて、憔悴して帰ってきていた容保が、参与の役目が多忙を極め始めた頃からか、宴に赴くことが少なくなったことは勿論知っていたが、宮の思いもしなかった話に真紀は数度瞬く。ちらりと容保を見れば、小さくふるふると首を僅かに横に振っているのが見えた。だから真紀はいつもの微笑みに戻って、

「左様でしたか。お役目繁忙につき、なかなかそういう場に伺えないのでしょう。ですが、目の保養ならば主だけでなく、女房どのたちには数々いらっしゃいましょうに」

「まあ確かにのう。弟の桑名どのはなかなかに見目涼やかと、雀どもが騒いでおるわ」

宮中の四方山話よもやまばなしをして、宮は設えられた部屋に下がって行った。

「すまぬ、宮中ではそなたの所為になっておるのだな」

幾分消沈した様子の容保を、真紀が慰める。

「私は気にしませぬが、よもや公卿たちが容保どのを罵る素にしておらぬか、それだけが気掛かりですね。お忙しいことが宴を断る理由なのは分かっておりますよ」

羽織を丁寧に畳んで、側仕えに渡す真紀の後ろ姿を見つめて、容保は思わず黙った。

繁忙につき、と宴の誘いを数々断ってきたのは事実だ。参与の役目、会津藩主としての役目、それらをこなせば悠長に宴に赴くなど無理というもので、誘いを受ければ丁寧に断ってきたし、それについて嫌味を言われることは少なかったのだが、最近はそれほど役目に追われることも少なくなった。だが断る理由は変わっていない。

本音を言えばそれほど楽しくもない宴に顔を出すよりは、黒谷で真紀と共に穣太郎の他愛もない話に耳を傾ける方が、余程容保にとっては楽しいからだ。だが真紀が『中将を外に出さぬ悋気持ち』と思われることには、容保は嫌だった。

「容保どの?」

「………宴に、少しは行くことにする」

振り返れば良人の眉をひそめた答えが返ってきて、真紀は小首を傾げる。

「どうされたのです? 忙しいなら」

「行く。そなたを話の種にされるのは叶わぬ。わしを悪し様に言うのはいくらでも堪えよう、だがそなたのことは堪える矜恃を持てぬ」

はっきりと告げられて、真紀は苦笑するしか出来ない。

「御無理にならぬように」

「……うむ」






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