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foundation  作者: なみさや
真誠
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「朕は、無理やと思うんや。一柳はどう思う?」

突然の帝の問いに、真紀は小首を傾げた。

久し振りの召出しだった。尹宮から届いた急ぎの書簡には大腰袴にて、今宵とだけ記されていた。それだけで真紀には分かる。容保に断りだけ入れて、御所に赴き通された途端の、帝の言葉だ。さすがに真紀でも意図が読めない。

「帝?」

「幕府はもうあかんのか? 幕府を残すことは皆考えられんのか?」

帝の回りに散らばっているのは、奏上された建白の数々で真紀は静かに自分の近くに放り出された建白の一つを手に取る。

薩摩藩士から出されたその建白には、幕府を廃して帝が日本の主権者として君臨することで、西欧の君主制に並び立つことが出来る、幕府は諸藩と同じく遇するべしとある。

「朕は幕府は廃するべきではないと、思うんや。確かに黒船来航以来、断固たる処断を行わず、失策に失策を重ねてきたけど、幕府に朝廷が代わることが出来るか言うたら、代われん。今の朝廷では無理や」

鎌倉に源頼朝が幕府を展いてまもなく七百年。国を治める役目は永らく武門の因習となってきた。征夷大将軍が源、足利、徳川に遷っても朝廷が国を治める時世は訪れることはなかった。それは公家も同じこと。朝廷という小さな箱庭の中で、小さな権力争いを続けてきただけなのだ。

だからこそ帝はかつて容保に語った。親政を行うつもりはなく、従前通り、国家鎮撫を永久

に都にて祈願する役目を果たしてもよいと思うと。それは真紀も聞いた言葉であり、あの頃は前提として幕府による鎖国があったが、鎖国が難しと帝が理解して以降は、その前提も口にせず、親政はなく将軍の大政権扣除(たいせいけんこうじょ)もしないと宣言していた。

朝廷をもっともよく知る帝だからこそ、下せた判断だと真紀は理解している。

だが、帝の思いとは異にする思惑がある。

数百年、朝廷という小さな箱庭に生きてきた公家は、目の前に自分達の輝かしい而今(じこん)が拓けたと曲解し、七百年の時を越えて朝廷が持っていた権能を主張し始めた。

一方、幕藩体制下でありながら、露呈した幕府の続いた失態故に、幕府による体系を総て否定し、新たな政とは西欧列強に(なら)うことだと誤想する建白が散見する。

「このままでは、我が国は異人に(おもね)るだけやないか? そうは思わぬか、一柳」

「……西欧の政の形を参酌(さんしゃく)にとする建白には、異議は唱えませぬ」

真紀の言葉に、帝は真紀に咎めるような視線を投げた。

「そなたもか」

「ですが、西欧になく我が国にないのは幕府なのです」

真紀が静かに立ち上がり、散らばった建白を拾い上げて、揃えていく。

「西欧にあっては、王が君臨し、王から権能を享けた貴族が、授かった領地を治めるという仕組みが長年続いてきました。確かに王の上にも存在はあります。それが西欧諸国が国教と認める耶蘇教の教主たるローマ教皇です。彼の者は王が耶蘇教の神から王たる権能を享けることを認める者です。つまり、王が耶蘇教に反して過ちを犯した時にのみ、王の権能を認めぬと宣することが出来るのです」

整えた建白の束を帝の前に置き、真紀は帝の正面にゆっくりと座り、

「ですがそのローマ教皇にあっても世襲ではないのです。耶蘇教の僧侶は婚姻、媾合の類いを禁じられておりますので世襲にはならず、高位の僧侶の合議によって教皇が決まると聞いております。ですから我が国の仕組みにそのまま西欧の仕組みは使えぬのです」

「ならば」

「西欧に阿るのではなく、勿論旧来の我が国の仕組みではない、新たな政の仕組みを作らねばならぬのです。しかし、その為には幕府は鴻大(こうだい)すぎるのです。二百年続いた仕組みですから」

今度は帝が立ち上がる。その拍子に焚き染められた薫物が香る。

「家茂の言うた通りになるんやな。酷いことや、あそこまで悲壮な話をあたら若い身空でせねばならんとは」

奉還奏上の翌日の夜、容保は家茂を伴って御所に現れた。

その日の早暁、真紀に尹宮から急ぎの書状が届いた。真紀の夜の参内と、叶うならば容保、そして家茂を伴うようにと書かれてあった。容保と相談の上に何とか家茂を御所に伴ったが、帝は家茂を睨み付けて開口一番、

『何故にあのような仕儀になったんや!』

慌てて平伏する家茂に帝は言葉を重ねる。

『礼など要らん。ここにおるのは、兄と妹婿や』

真紀は容保の袖を引き、几帳の裏に導く。とは言え、薄い絹で拵えられた几帳では声は勿論、家茂の白い顔色までも透けて見える。

『先ほど、和宮から文が届いた。宮はそなたに何処までも付き従う、そなたの決意を尊重する、例え一介の寺住みになっても構わぬとまで書いてきよった。朕はそこまで求めぬ。幕府に大政権を留めたは、幕府を滅せよという意味ではない!』

『お、怖れながら申し上げます』

震える声で家茂が言う。

『和宮様には、それがし、こう申し上げました。帝に大政権奉還を奏上申し上げる。しかし失策続きの責めを請うのではなく、新たな政の形を整える為に近い内にそうなるであろうと』

『朕にも昨日そう申したな。だがそれが何故身をやつす話になるんや』

『……こうも申し上げました。新たな政の形は如何になるかはまだ判らぬが、恐らくは朝廷が中心となり、地方を各家が治めることになる。ならば、幕府の形は大きく変わる。いまのままではなかろうと』

震えていた家茂の声が、朗々と響き始めた。家茂は顔をあげ、まっすぐに帝を見上げて、

『帝の御懸念は、もしや他の者にそれがしが何を言い含められたのではないかということかと、ご推察申し上げます。勿論、様々な者から様々な話を聞きました。しかしどれを以てしても今の幕府では、新たな政の形を担うには及び難いのです』

『……及び難し、やと』

『はい。ならばと心が定まりました。大政権をお返ししても、帝は憂慮下さりましょう。しかし、いずれ新たな政の形が定まった時、まことに大政権を奉還し、徳川は一家うち揃って江戸から去るやも知れぬ。場合によっては、永蟄居となろうと。その旨、宮さまに申し上げた次第です』

『……良いんか、それで』

家茂は小さく微笑んだ。

『我が身なれば、新しき御代の為の礎となること、厭いませぬ。既に心は定まっております。しかし宮さまは帝よりお預かりした高貴な御方。勿論、雅千代も同じに思いまする。よって宮さまに大政権奉還が定まる前に、都にお戻り下さるようお話申し上げましたが……』

帝はフンと鼻を笑って、

『なるほど、それゆえの寺住みか。宮のことや、何処までも付き従うと聞かんかったんやな? そんなことで京都に帰ると、聞き入れるおなごではないやろ。そのくらい、離れておっても妹の考えそうなことや。それは分かった。けれどそなたも良いのか?そなたこそそこまで分かっておるなら』

『なればこそ、誰かが贄にならねば新たな政が始まらぬというなら、それがしがなりまする』

家茂の、幾分高い、しかし強い言葉に帝は思わず目を閉じた。

『それがしは十二の時に将軍職を拝命仕りました。その折り先の将軍御台所・天璋院様に承りし言葉がございます。将軍とは国の頂にあるように見えるが実はいしずえである。礎が揺れ動いては国が揺らぐ。揺らぎなき将軍になってほしいと。その言葉、ずっと胸に刻んで生きて参りました。故に今こそその時であると、心定めた次第です』

真紀はちらりと傍らに座る容保を見た。心持ち身を乗り出すように帝と家茂の様子を見つめている。膝の上で握りしめられた拳は白く、小刻みに震えていた。真紀はそっとその拳に自らの手を乗せると、容保は驚いたように真紀を見て、密やかに息を吐いた。

『なんとまあ、武門とはここまで身ぃを贄にするのをいとわんとは』

帝は深く長い溜め息を落とした。

「のう、一柳。なんぞないか、知恵者のそなたならば幕府を残すこと、一考なきや?」

「本意を申し上げれば、中々に難しとは思います。但し方角を示すことは出来るやも知れませぬ」

帝が眉をしかめた。

「方角を、示すやと?」

「はい。新たな政の建白を挙げよとの下命のもとに江戸の国事公用掛も、京都の評定局も動いております。ならばほんの少しだけ、方角を示すのです。幕府を残せと指示を出せば、混乱を来しましょう。ですが、徳川宗家のより良い存続の方法ならば、示唆することが出来るのではないかと。今ならば良き御方が宗家にいらっしゃいます」

帝は真紀を見つめて、数度瞬いて、それからニヤリと笑った。

「その為に、和宮を使うと?」

「使うなどとは、畏れ多い。ですが、いつぞや帝が公方さまを妹婿と仰せになったではありませぬか?」

真紀の穏やかな微笑みに、帝は小さく笑った。

「まことにそなたは知恵者やのう。会津中将の側室には勿体ない、朕の所に来ぬかと言いたいが、叶わぬやろう?」

「はい、勿論」

帝は再び鼻で笑う。しかし如何にも楽しそうに笑って、

「まあ、中将の側室にするは惜しいというのは、言葉の綾や。忘れてたも」

「分かっていますよ」






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