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foundation  作者: なみさや
真誠
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先達の灯





令徳四年三月、幕府は新たな職制を発令する。国事公用掛と名付けられたそれは旧来の幕府の形ではなく、職制改革を模索するものとして公表され、直参旗本のみならず、各藩藩士、微禄どころか浪士までも国事公用掛直轄の国事公用局に迎え入れられており、その統括総覧として将軍後見職・一橋慶喜が公用掛首班となった。

同じ月には、京都においても国事参与掛の直轄組織として評定局が設けられ、江戸の国事公用局と同じく身分に問わぬ登庸が行われたことで、新たな職制の模索が公になった。

「町中も、どこに行ってもその話で」

八重の言葉に、真紀は微笑む。

「みな世の中がどうなるか、やはり気になるところなのですね」

「八重さんの家では賑やかでごぜえやしょう? 旦那様も兄上も、公用詰ですから」

「最近は毎晩我が家で飲み明かしながら、そったら話ばかりで」

右筆の友恵の言葉に嬉しそうに頷きながら、八重が言う。

「賑やかでよいことです」

「昨日、八百屋の者が言うておりやした。最近はやっとうも見なくなって静かになったけんじょも、夜中の怒鳴り声で魂消て外を見れば、土佐ことばのお人が国がどうの、異国には負けてられんがどうのと言い合いしていたとか」

「刀が出ぬなら、見廻組や新撰組も取り締まるのが難しいでしょうね」

面識は薄いが、見廻組や新撰組の面々が渋い表情で酔っぱらいの論客を諌めている様子が思い浮かんで、真紀は苦笑する。

確かにここしばらく、市井の喧騒の質が変容したことは参与合議の場でも議論されていると、容保が言う。

「治安が改善されているのならば、京都守護職を廃して、本来の所司代に任せてはとの意見も上がった」

「廃する、ですか?」

「うむ。所司代に別動隊である見廻組や新撰組の統括をさせればいかがなものかという話だ。なれば」

容保はにこりと笑んだ。真紀も穏やかに返す。

「残す数は?」

「百でも十分であろうと」

「家臣を随分帰すことが出来ますね」

「うむ。しかし、実現するかどうかは所司代次第となろう、福井さまの話では所司代に松平桑名家がなりそうだという」

真紀は数回瞬いて、

「桑名? 弟君ですね」

容保の生家・高須松平家には兄弟が多く、猶子に出された者が容保を始め、数名いる。松平定敬(まつだいらさだたか)は容保にとってはすく下の弟で十一歳年下だが、数年前に松平桑名家に婿養子として出された経緯は、容保のそれと良く似ている。

既に将軍・家茂に従い何度か上洛しているが、真紀とは面識はない。

「弟とは言え、わしが会津に養子に出た後に生まれた上に異母弟なので、正直言えば会ったのは数回しかないのだがな」

幾分照れくさそうに言う容保は、見慣れぬ兄の顔だった。だがすぐに表情を変える。

「しかし定敬が任じられるのは、わしが京都にあるからであろうの。家臣は帰すことが出来ようとも、わしの帰国はまだ先になる。すまぬな、真紀」

「何を仰います。家臣を帰すことが出来るならば国許の負担も減りましょう?」

真紀が刀を容保から受け取り刀掛けに置けば、容保は寛いだ溜め息を吐く。

「それはそうなのだが。一度穣太郎だけでも国許に帰そうかと思う。いや、真紀に同道せいとは言わぬ」

真紀の視線に気づいて、容保が慌てて言葉を足した。

「あくまでも穣太郎の為に、の話で他意はない」

「ないのですね」

「ない」

以前、穣太郎の養育を何処でするかで真紀の機嫌を損ねたことを思い出したのだろう、容保の短い言葉に真紀は頷く。

「穣太郎に国許を見せてやりたいとのお言葉、嬉しゅうございますが、もう少し大きくなってからがよいでしょうね」

「そう、か。ふむ、そうか」

四歳になった穣太郎は最近になって活発というより、やんちゃが目につき始め、悪戯が過ぎては真紀に叱責されては納戸の隅でぐずっている。容保も何度となくそれを見て、慰めては真紀にたしなめられている。

「やんちゃは構いませぬ。ですが、仕えてくれている右筆や家臣を無体に扱うことを覚えさせては駄目ですよ。だから無闇に慰めてはいけませぬ」

真紀は右筆や家臣達に、穣太郎の過ちは遠慮なく叱責してよいと下命してあるので、今日も珀に悪戯をしかけた穣太郎を見かねた八重が叱責し、穣太郎がいつもの納戸の隅で涙を拭う光景を見たばかりだった。

「今少し、大人しい子かと思うていたが」

容保の呟きに、真紀は苦笑する。

「良いのですよ。子供はあれで。やんちゃをして、怒られて、分別を学ぶのです。真綿と絹で包む育て方は、穣太郎の為にはならぬと、私は思います」

「だが、そろそろ勉学も始めさせねばならぬが……」

「年の近い家臣の子供たちを集めて、勉学をさせようと思っています。任せて頂けますか?」

真紀の言葉に、容保は頷いた。

穣太郎の教育が家臣達の子弟とともに、それぞれに優れた家臣達を教授方に据えて始まった頃、黒谷に客人があった。

容保の弟・定敬である。

容保に良く似た線の細い容姿に、柔らかい物腰の定敬に穣太郎は良く懐き、数回の訪いの内に定敬の膝の上に座るほど、打ち解けた。

「まったく、わしよりも懐いたようだな」

苦笑しながら、容保が杯を傾ける。

「そんなことはないでしょう? 兄上は父親なのですから、懐くという話とは別でしょう? なあ、穣太郎」

「父様は父様です」

幾分澄まして言う膝上の穣太郎の頭を撫でて、定敬が笑う。

「なんと頓知とんちのきいた物言いだな。さすが兄上の子だ」

他愛もない兄弟ならではの会話を交わす内、穣太郎は眠い目を擦り始め、頃合いを見計らったかのように真紀が穣太郎を引き受けた。

「さあ、穣太郎。そろそろ床に入りなさい。桑名の叔父様はまたいらっしゃいますからね」

「はい……」

穣太郎を寝かしつけて、真紀が再び部屋を訪れた頃には、兄弟二人は酒が程よく回り、容保は酒の勢いか朗らかに笑い声を上げていた。真紀が容保の側に座りながら言う。

「楽しいお酒でようございましたね。桑名さまはお泊まりになられてはいかがですか? 部屋はもう整えてありますよ」

「おお、そうせい。だいぶ治安がようなったとは言え、所司代屋敷には幾分遠い」

兄の言葉に、弟は嬉しそうに頭を下げた。

「ではお世話になります、義姉上」

真紀は数回瞬いた。

「あねうえ?」

「だってそうでしょう? 兄上の御側室ならば、それがしにとっては義理とは言え、姉上です」

二十歳になったばかりの初々しい呼びかけに、真紀は思わず目を白黒させて、

「そう、ですね」

「ほう珍しいこともあるものだ。会津きっての切れ者が、これほど困るのは見たことがない」

「容保どの!」

「よいではないか、定敬がそう呼びたいと思うのならば、呼ばせてやれ」





「正直、不安はありまする」

一頻り酒で明るい雰囲気を楽しんだ定敬だったが、杯を置いて呟くように言った言葉に、容保は目を細めた。

定敬のその言葉は、数年前江戸から京都に上洛して数年間、容保に常につきまとった思いと同じだった。

「不安、か」

「確かに京都の騒乱は以前に較べて収まりました。兄上を始めとした守護職の方々が非常な奮励を以て、新たな仕組みを作って下された故と解るのです。そして何より兄上が京都にある。それがそれがしにとっては何とも心強いのです。それでも、我が国の騒乱は未だに続いている。なんと言うか……漠然とした不安が、あるのです」

「うむ……」

それは定敬に限ったことではない。誰もがこの先の国の行く先が見えず、僅かな期待と多くの不安を抱えている。それは心を強く持てと言われても拭いきれぬものだろう。

かつての自身がそうであったように。

国事参与掛は京都の騒乱はある程度収まったとして、京都守護職首班の松平春嶽のみを残し、その他の参与は兼任していた守護職の任を解かれたので、常駐藩士の殆どは帰参することになる。

しかし容保は自ら願い出て、守護職補佐役の任を受けた。春嶽と相談の上に決めた役職だったが他の参与たちと同じく常駐藩士の数は僅かである。

京都守護職に与えられていた権能の殆どは以前そうであったように、京都所司代が持つことになった。京都守護職が統制していた別動隊とも言うべき見廻組や新撰組も、所司代の権能に入ることになる。

そのような変換期に、定敬は京都所司代に任じられたのだ。不安はいや増すばかりなのは察しがすぐについた。

「兄上、この国はいかがなりましょうか?」

「わからぬ」

容保はちらりと、真紀を見た。

真紀は静かに定敬を見て、

「定敬どのの不安は、よく分かります。私たち会津が上洛してしばらくは右も左もわからず、ただただ闇夜で藻掻いているような、不安ばかりでございましたから」

「そうなのですか」

幾分肩を落とす定敬の様子に、しかし真紀は微笑みかけた。

「ですが、大丈夫ですよ。定敬どのの前には同じように藻掻き迷いながらも、進んだ者があります。容保どのもその一人です。その思い、お忘れになりますな。小さくともそれが先達せんだつあかりです」

「先達の灯……」

「そして共に進む者もいるでしょう? 桑名の家臣達を大切にされることです。共に進む者なのですから」

真紀の静かな言葉に、定敬は力強く頷いた。





「ああは言ったものの、決して平坦な道ではありますまい」

呟く真紀の言葉に、容保は眉をしかめた。

「虚言か、定敬に申せしことは」

「まさか」

夜床を整えながら、真紀は溜め息を落とす。

「あれは本心です。でも代々の所司代よりも遥かに難しい舵取りを定敬どのは望まれましょうね。容保どのが側にあればなおのこと。会津中将の弟なればと、過大な要求をされるやもとは思いますよ」

「……わしは定敬の足枷か」

幾分酒気を帯びた容保の溜め息を真紀が止める。

「ではなくそういうこともあり得ると言うだけですよ。けれどももし、この危殆の事態を乗りきれば、必ずや定敬どのの糧になりましょう。だからこそ容保どの、あなたは必要なのです」

真紀が夜着の上に羽織った羽織を脱げば、微かに薄荷の香りが容保の鼻をくすぐった。






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