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foundation  作者: なみさや
真誠
58/81

断固たる縁




「知っちょったがか、一柳さんは」

「謁見の前日には知りましたが、それ以前は全く。まことに公方さまも思い切ったことをなさいますね」

真紀は相変わらず茶のみ。坂本ともう一人の前には既に手酌で空になった銚子が数本転がっていた。

坂本が酒気に帯びた溜め息を落とす。

「こっちは魂消たまげたわ。最初に聞いたがは大政権奉還、こりゃあ天地が引っ繰り返るち思うたら、帝が却下して新しゅうに作り直すまで猶予する言うたち聞いて、なんや絡繰(からく)りがあるがやったら、話が違う。ちいとがっかりしたちや」

「それで酒で憂さ晴らしで、八つ当たりに私を呼び出したのですか?」

馴染みの市元屋の女将から真紀に至急の手紙が届いたのは夕刻。書状には以前真紀と同席していた土佐の坂本某が、真紀に会いたいと来たという内容だった。

容保は連日の参与合議からまだ帰る気配もない。真紀は穣太郎を右筆たちに頼み、花街に顔を出したのだが。

明確な真紀の嫌味に答えたのは、坂本の連れの中岡だった。憮然とした表情で立ち上がり、

「おんしゃあ、何を言いゆう!」

「中岡、まあ待ちや。一柳、おまんはわしがそんなこんまいことで呼んだと思いゆうがか」

「いいえ。坂本さんは酒を飲みたかっただけ、国の大転換の契機がこのような妥協策になったと思えるのが腹立たしいのですね」

坂本は一瞬考え、杯を置いた。

「どういたことじゃ。おんしの言いゆうことはわしの思うちゅうとおりやけど、なんや含みがある言い方やのう。大政権奉還がならんかったことは事実やろうが?」

「ええ」

将軍・家茂が急遽上洛、帝にこれまでの異国との条約締結や賠償問題、京都を始めとした騒擾の数々は幕府の不始末であり、帝より与えられし大政権に相応しからず。しかし、かかる国難に抗するためには、新しい政の形が必要と考え、よって大政権を奉還すると奏上したのが、二十日ほど前の話になる。

家茂の大政権奉還奏上に対する帝の答は明確だった。

まず数々の不始末を謝罪したことは良しとすること。

続いて先に出された数々の勅許・勅命で示したように、幕府は単独で政にあたるのではなく、朝廷の意向を踏まえた上で政にあたるべし。これは国事参与掛新設以降、よく守られていると思う。

最後に、新しい政の形が必要であることは朝廷でもよく議論が行われるが、帝にあってはしかし幕府、朝廷、よくよく談論の元で行うべし。そのためには幕府が大政権を以てこれにあたることを良しとするゆえ、奉還に及ばずとした。

ここまでが、公式に朝廷から幕府、及びに各般に知らされたことであり、勿論市井には将軍が大政権奉還奏上を申し上げ、帝が及ばずと留めたことまでしか知られていなかった。

真紀が顛末てんまつをどこまで知っているか問い質せば、坂本はほぼ正確に把握していた。

「よくご存知で」

「勝先生に聞いた。まあ、わしらぁは商いをしゆう者やき。商いと風聞は切り離せれん。どんな些細なことも、商いにはとんでもない追い風に成る時も、向かい風になることもあるきにゃ」

坂本が塾頭を勤めた神戸の海軍操練所は、蛤御門の変のあと、騒擾に加わった元操練所所属の者がいたために、一年の内に閉所に追い込まれた。だが神戸の操練所は、江戸で名前を変えて軍艦操練所として再出発し、神戸海軍操練所で所長をした勝海舟が同じく所長に、坂本も塾頭並に収まった。

操練所では指導の一環として、通商を行う。坂本はこれまでの経験を生かし、教授方ではないが異国からの産物を長崎などで仕入れ、江戸で商っている。それ故の言葉だった。

「やき、この奏上はこの国の悪い膿を出すえい契機になるはずやったがや。勿体ないのう。思わんかえ、一柳さん」

「坂本さん。坂本さんらしくないですね。ちゃんと話を聞いているのに、大事なことを見落としていませんか?」

「なに?」

真紀は穏やかな微笑みで茶をすする。

坂本は杯を置く。見えぬ何かを見つめるように眉をしかめてみせて、ふと呟いた。

「新しい政の形が必要?」

すぐに答えを導きだしたその鋭さに、真紀は満面の笑みで、しかし何も答えず、相変わらず茶をすする。

坂本は四つ這いで真紀に近寄り、繰り返す。

「幕府はやる気ながか! なんぞ新しい政の形を造る気ながか?」

「さて? つまびらかに申し上げることはできませんよ? ですが、料理とて酒とて、下拵えは必要です。なにをなすにしてもです。様々な見聞が必要なことはお分かりでしょう?」

「ほうか、ほうか、そう言うことか!」

坂本も満面の笑みで、自らの膝を何度も叩く。しかし、ふと表情が怪訝そうなものに変わった。

「けんど、どう変える気じゃ? また、妥協に走るがじゃないかえ?」

「……下拵えには、知識が必要です。何が必要で、何が必要ないか。その見聞は一部の者だけでは判断つきませぬからね。ならば問う相手を選ぶにしても、多くの者に問わねばなりますまい?」

坂本の目の色が変わった。突然立ち上がり、

「中岡!」

「な、なんじゃ」

「後藤象二郎は京詰やったか?」

「おう、何日か前に京の土佐藩邸に入ったち、聞いたが。それがどういた?」

「一柳さん、茶をくれんか」

「はいはい」

真紀がなみなみと注いだ茶碗を差し出せば、坂本はそれを一気に飲み干して、

「よっしゃ。ちったぁ酒が抜けたろ。中岡、土佐藩邸に行くぞ」

中岡は目を白黒させて幾分吃りながら答える。

「土佐藩邸ち、何の用に行くがや」

「今の話、おまんは分からんかったがかえ? ゆうべも言いよったろうが。こん国を変えるには、新しい形が必要や。そんためやったらこうしたらえい、ああしたらえいと色々おまんも言いよったやろう。あれを土佐藩邸でぶち上げるがじゃ。今やったら後藤がおる。わしらぁの話を上に上げてくれらぁよ、そういう潮時が来ちゅうがじゃ」

「な、なに?」

困惑していた中岡の表情が変わる。相変わらずの笑顔の真紀が、無言で再び茶碗を差し出せば奪うように茶碗を受け取り、一息に明けて、

「よし、行くぞ。坂本さん!」

「おうよ」

既に準備万端整えた坂本が思い出したように声を上げた。

「一柳さん、ありがとう。これでこの国は面白い国になるかもしれん」

「私は何もしていませんよ」

既に部屋を出た中岡の急かす声に返事をしながら、坂本は姿を消した。

真紀は穏やかな微笑みで茶をすする。

「……あれ、お帰りにならはったんどすな」

女将が追加の銚子を運んできて、静かになった部屋を見回し、溜め息を落とす。

「なんや野分のわきのように来て、野分のように帰らはった」

「本当に」

けれど本当の嵐は、これから来るかもしれない。

真紀は内心だけで呟いて、微笑んだ。





令徳二年は瞬く間に過ぎる。

公にはされることはなかったが、帝と将軍が新たな政の形が必要という同じ看取みとりを示したことで、市井までは届かずとも、『新たな政の形』の準備が始まったことは朝廷、そして幕府に変化を促した。

幕府に先んじて国事参与掛を新設していた朝廷では、参与たちが『新たな政の形』に何が必要かを吟味する日々が令徳三年を迎えても続いていた。

江戸は、将軍・家茂による突然の奉還奏上から端を発したために当初は混乱する。

幕府が帝より大政権を『与えられて』二百有余年間、統治をしてきたことすら知らなかった幕閣もいたほどだから、奉還奏上は青天の霹靂へきれきだったのだが、将軍後見職・一橋慶喜が、この国難にあって旧来然とした職制を改めることを千代田城の大広間に諸侯を集めて宣言した後の混乱は、黒船来航時の混乱を上回った。

それは武家から町民にまで広がりに拡がったが、江戸の騒擾を収めたのは、将軍・家茂だった。

慶喜の宣言から数日後、幕閣並びに御三家・御三卿、主要な大名たちを召集し、自らの思うところを述べたという。

先祖伝来の大政権の奉還、謗りならば自らが受ける、東照大権現さまには自分の一存にて他の者に罪はなく我が命を以てお詫び申し上げると述べ、静かだが強い決意に集められた大名たちの中にはむせく声が溢れたと伝え聞く。

これにより千代田城の中での混乱は幾分収まり、それに続くように城下の町民の騒擾も収まり始めていた。

騒擾に変わって、幕閣たちに押し寄せたのは数知れぬ建白の書状だった。

先年、黒船来航の際時の老中・阿倍正弘によって黒船に如何に対するかを、世に広く意見を求めたことがあった。それを人々は再現したのだが、期せずして様々な見聞が建白として、幕府に集まることとなった。とは言え、それらを選り抜き、建白を挙げた者を選ぶのに幕府も正月を越しても尚、苦辛している状態だった。

「全く、どこまでいっても頑固者は頑固者、ということか」

容保が書状を読み終える頃を見計らい、春嶽が苦笑する。容保は慶喜からの手紙を丁寧に巻き戻し、畳紙(たとうし)に入れて春嶽に渡す。

「すぐには変われませぬ。会津でもそうでした」

「ああ、会津どのは既に軍制を変えられたか。如何にされた。古式調練を洋式調練に変えるとなると、なかなかに難しきことであったろうな」

春嶽が黒谷に現れたのは夕刻。慶喜からの書状を見せたいと、先触れもなく供揃えも少なく不意の来訪だった。慌てる家老たちに酒席を調えさせて下がらせ、今は二人だけである。

「最初はこの黒谷で始めました。それでも反撥はんぱつはありましたよ、古式調練が身にみている者達にとっては受け入れ難いものでしょう。とは言え、全て洋式調練に変えた訳ではないのです。古式調練の良いところも勿論あります。その折衷がなかなかに苦心したようにございますが。我が藩は筆頭家老が新しきを入れるは悪しきに非ずと、よく申しておりました」

「横山どのか」

ふと名前が出て、容保は驚く。

「よくご存知で」

「会津どのが京都守護職受諾の折り、随分と奔走したと聞いている。会うたこともある。穏やかな御仁であったが」

「四年になります。京都で病を得て、会津で療養させましたが、甲斐なく」

「そう聞いた。惜しい御仁を亡くされた」

養父・容敬の死後、幼くして会津を継いだ容保を支え続けた江戸筆頭家老・横山主税は、病身をして京都に留まり続けたが、見かねた容保が横山を国家老と定め、国許を頼むと会津に送り出した。

殿のお側に最期までお仕えさせてくだせえと涙ながらに袖を取られて訴えられたが、容保は心を鬼にして国許で養生して、再び上洛せよと振り切った。病故か、老身故か小さくなった背中を見送ったのが、今生の別れとなったことを不意に思い出した。

「亡くなる直前まで国許で良く藩士たちを導いてくれたと聞いています。そのお陰で国許での軍制改革も円滑に進んだとか」

「最期の勤めか……横山どのも本望であろう」

春嶽は献杯するように杯を軽く持ち上げた。容保も春嶽に一礼して同じように杯を上げた。

一献傾けて、春嶽が切り出す。

「話は変わるが、一橋さまの文、如何に思われる?」

「そうですね、確かにそういう時期には来ているとは思います。しかし、幕府にある職制を、同じく朝廷の直参(じきさん)で作れば、軋轢(あつれき)が生じるやも知れぬと懸念はありますが。しかし、参与合議のような職制は必要と考えます」

「会津の公用局のような職制ということか」

酒気を帯びた春嶽の視線が一瞬鋭さを帯びたのを見て、容保は思わず苦笑する。

「福井さまは、それをお聞きになりたくて黒谷に?」

おうよ、既に著効ありならば目安となろうて」

「とは言え、会津一国と比較になりましょうか?」

その時、酒膳を運んできた女性を見て、春嶽が声を上げた。

「これは一柳どのではないか。なんとその格好は……ああ、会津どのに不躾を申した」

穣太郎を黒谷に連れてきて以降、真紀は心がけて黒谷では打掛か、小袖にするようにしていた。まだ幼い穣太郎には黒羽織姿では、真紀を覚えるのに混乱を来すのではないかという真紀なりの配慮だった。

今朝から穣太郎の体調が優れず、昼前には熱も伴った。単なる発熱だと医師も診立てたが、ようやく薬が効き熱も下がり寝入ってくれた頃に、容保から春嶽が来ていると知らせを受けて酒膳を運びついでに顔を出したのだ。

瞠目しながら春嶽が真紀の姿を眺めているのを見て、思わず真紀は羽織袴にすれば良かったかと苦笑する。ちらりと容保を見れば穏やかな微笑みで座るようにすすめている。それに安堵しながら、真紀は少し離れた場所に座った。

「すっかり失念するが、一柳どのは会津どのの御側室だったな。これほどの才媛、如何に口説き落としたか、気になるところではあるが、それは言わずが花であろうの。それよりも先程の公用局の話じゃ」

春嶽が杯を傾けて、言う。

「国の大きさ、民の数ではないと、それがしは思う。微禄であろうと、国許生まれでなかろうと、国を憂う志を持ち、広い見聞を持つ者であるならば挙用する。その声を聞き、拾い上げる。それは剛直な職制を永年保って来た我が国ではなかなかに難しい。正直、幕府直参、朝廷直参だの序列は、あとでもよいのではないか。一橋さまは少なくともそのつもりで、幕府直参の職制を造るつもりではないか?」

先程見せられた慶喜からの書状には、ここ数ヵ月に幕府に寄せられた建白書にそれぞれ目を通し、これはという存意を示した者を召し出し、身分藩属を問わず、一つの職制を造る。その旨を参与合議の場で示してほしいとあった。

「……必ずしも、公用局が万事上手くいったわけではありませぬ」

ぽつりと呟くように言った容保の言葉に春嶽は目を細める。

「なんと?」

「会津のためになるのだと、分かっていてもやはり古き者には矜持が、新たな者には気負いがありました。それゆえの紛紜(ふんぬん)も何度となく見ました。真紀……一柳も公用詰と先の騒擾の際、言い争いましたから」

「ほう」

静かに座っている真紀に近づくように促し、春嶽が言う。

「何故に?」

「先の、長州に京都から退いていただいた際、わが会津は薩摩と謀りました」

「うむ」

あの頃、春嶽は未だ蟄居の最中で福井で京都の騒擾を風聞で知るしかなかった。

攘夷激派の長州と公卿たちが帝の拉致計画を企て、それを阻止するために会津と長州が激派公卿の参内差し止めと、長州の蛤門警護からの排除を狙い、早暁九門六門警護を各藩連携のもと厳しくし、結果長州と激派公卿の都落ちが成ったと聞いている。

「実は公用局からは、事を内密に進めるためには九門六門警護を会津が単独で行うべしという意見が出ておりました。それを留めたのが一柳で」

「ほう?」

春嶽が瞠目しながら真紀を見やる。真紀は静かに、いつもの幾分伏せた顔に微笑みを浮かべて座っている。

「独占警護をするは容易い。しかし、取り上げられた各藩の面子を潰すことは禍根を残す。会津だけで先走るなと、公用局を一喝したのです」

「……公用局は、必要な職制でした」

真紀の静かな声に、春嶽と容保は耳をすます。真紀は二人ではなく、ゆらりゆらりと揺れる蝋燭の灯りを見つめながら、呟くように言葉を紡いだ。

「京は会津にとって慣れぬ地です。京の騒乱を収めるためには、今までの会津のやり方ではならぬと、家老方が合議の上、定めた職制が公用局です。京だけでなく他国の見聞を持つ者を登用することは早くから決まっておりました。ですが、やはり他国の見聞を持つ者は即ち遊学経験者。微禄の者が多いのが事実です。それは会津だけではなく他国も同じでしょう?」

真紀の言葉に、春嶽は頷く。

「我が福井でも藩政改革を促そうと他国の者を召し出し、政治顧問としたが……なかなか思うようにはいかぬ」

「人の心とは、そういうものです。変化の必要なことは分かる。しかし、変化は受け入れ難い。それに若き者は得てして、度を過ぎやすい……それが不躾とは思いながらも一喝した理由です」

酔いの所為か、決して身軽とは言えない足取りで春嶽は真紀に歩み寄る。

「主は、相変わらずよの。さかしきばかりの女子でないことはとうに分かっておったが、人心まで計るか」

真紀は自分の前に立ったままの春嶽を見上げながら、いつもの笑顔で応える。

「人は、弱いのです。(よすが)がなければ立っていることすら、おののくほどに。不安や不満、恐怖に駆られた人心は思わぬ方向へ流れを作ります。違うのだと、諭し教えても一度流れが生まれれば、留めるのは難しい。だから流れを作らぬように導いていかねばならぬのです」

「短簡に言う。だが容易くないことは承知の上じゃ。一柳どの、ではそなたは新たな政の形、作らぬ方がよいと言うか?」

「いいえ。もちろん、新たな形は必要であり、早急に、そして断固として進めねばならぬと思います。ですが、先程申し上げたように、人には縁が必要なのです。不安に駆られることのない、支えとなる断固たる縁が。されば、奉還奏上で、江戸は大変な騒乱となったと聞き及びます。だからこそ建白も数知れずほど挙げられました。何の作意も持っていなかった幕府が建白を挙げた者の中から優れた者を選び新たな職制を造るところまで、わずか半年で成し遂げことは、騒乱が生んだ良き成り行きでございましょう? 一方の京都は? 江戸の騒乱はあくまで対岸の火事であり、参与合議の場で新たな政の形については何度となく論じられた筈です」

「……そなた、我らを愚弄するか」

酒気を帯びたものの、幾分怒りを滲ませた春嶽の言葉に容保は割って入ろうと立ち上がりかけて、ふと真紀と視線が絡んだ。

真紀はいつもの穏やかな微笑みで、僅かに頭を横に振った。

容保は片膝立ちのまま、二人を見守る。

「愚弄などと。ただ思うのです。京都には時があった。挙がる建白に隅々まで目を通し、優れた者を選ぶ余裕もあった。一気呵成に進んだ江戸よりも見様が広く持てたということです。ならば、導くことも江戸よりも容易いのではと」

「ふむ……なれば、江戸と京都に同じ職制を設けても、京都に主導させよと?」

春嶽がどさりと座り込み、溜め息を吐く。

「確かに江戸に先んじて参与合議では様々な見聞が挙げられた。だが、国事参与掛は朝廷の職制であって、幕習に非ず。此度の奉還奏上はあくまで幕府の変革を促すためのものであろう? 勅命を以て幕府を主導させよとそなたは思うのか」

「勅命でなくとも良いかと。奉還奏上で前例が出来ました。幕府が朝廷に伺いを立てるという前例です」

「ふむ……」

穣太郎の様子が気になると先に下がった真紀は、穣太郎の寝顔を見つめながら、小さく溜め息を落とした。

年が暮れる前、坂本から長い書状が届いた。

真紀の言葉に触発された坂本はその足で土佐藩邸に駆け込み、自らの思うところを家老・後藤象二郎に建白したことで土佐藩に新設された公用組に登庸とうようされた。今でも公用組で新たな政の形について建白をまとめつつあるという。長い書状には坂本の建白の骨子がまとめられていた。それについてどう思うか、返事を待つと締めくくられていた。

その少し前、御所で薩摩の西郷と、牧野家用人・河井継之助と話す機会があった。それぞれの国許でも建白が上がっているが、話をよくよく聞けば、西欧の例に習うべしという意見が大多数だという。それは会津の公用局でも同じだった。

「絶対君主制か、立憲君主制か……」

真紀は小さく呟いた。

君主が旗幟(きし)となるか、あるいは絶対的為政者となるかの差はあるが、君主はあくまで一人。

帝と、将軍は並び立つことはない。

奉還奏上は市井には帝の叡慮で差し戻されたことになっているが、実際は保留されただけなのだ。

奉還奏上の日、帝と将軍は一つの誓約を交わした。

新たな政の形が整い次第、奉還を実施すると。

その事実を知るものは少ない。

だが何れ白日の元に晒される。

その時、将軍家、すなわち徳川宗家は諸国の目にどう映るか。

そして、『宗家の守護者』たる会津はいかに動くか。

真紀には、想像もつかず、再びため息が漏れるだけだった。






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