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foundation  作者: なみさや
真誠
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死に物狂い




「なんと書いてありました?」

真紀の問いに、容保は書状ごと真紀に渡す。真紀は目を通し、小さく微笑んだ。

「成る程、大樹公たいじゅこうも動き始めた、というべきでしょうか」

「江戸も開くならば、神戸もとはなかなか思いきった話をされる」

容保も微笑みながら、真紀が返した書状を仕舞う。

昼には京都の内蔵助から急ぎの書状が届いた。参与合議で慶喜が条約に明記された江戸開港を行うことを幕閣と協議するための東帰を願い出、その際、同じく明記されている神戸開港も進める許可も申し出た。幾分紛糾したものの、慶喜が神戸開港には条件を入れると明言して、それを受けて帝が許可したようだと書いてあった。

深更、追っ付け届いた春嶽からの書状では参与合議での詳細が書かれていた。

前年の横浜開港の際、参与合議は揉めに揉めた。

参与合議では早い段階で横浜開港の勅許を出すことは決まっていた。それは国事参与掛発足の折、幕府による国外との決まりし事は尊重するが、今後は参与合議を参考に国事に当たるべしという帝が将軍並びに幕府に示した宸翰しんかんに沿った合議だった。

にも関わらず、幕府は早急に開港せよとの勅許を保留し、横浜における体裁が整わない、異国領事との交渉が進んでいないと様々に理由を以て開港延期を申し出、その意向に沿った慶喜がその度に参与合議に披露するため、参与合議は混乱することになったのが、昨年の夏始め、二条邸での宴の直前だった。

ところが秋の始め、慶喜の幕府に対する態度が幾分硬化したのだ。

何時ものように開港延期を申し出た幕閣に至急の書状を送り、これ以上の開港延期は幕府の権威を失墜させるもので、延期よりも幕府によりよい開港条件を異国領事と交渉すべし、出来ぬなら自分が東帰し、領事と直接交渉すると言うものだったという。

幕府が開港を渋り続けたのは、開港予定の横浜村が江戸に近いという理由からだった。実際は居留地を設けるなど、領事との交渉はほとんど終わっており、あとは開港宣言するのみまで話は進んでいたにも関わらず、幕府は異国領事に朝廷の勅許が下りぬと説明していたことを慶喜が知ったから、これ以上の遅延は参与合議における自らの地位失墜に繋がると、慶喜が恐れたからではないかと、春嶽が苦笑しながら説明したことを容保は覚えている。

それに続く江戸開港である。

難航することが予想されたのだが、慶喜が自ら腰を上げたのだ。

「真紀、一橋さまが提示された条件。なにゆえこれだったのだろうか」

慶喜は江戸開港を早急に進める代わりに、神戸開港の勅許も求めた。条約を重んじると明言しているとは言え、本来攘夷を考える帝にとっては京都に近い神戸の開港は避けたい、避けることが出来ないならば、後伸ばしにしたい案件だったはずだ。

だが、慶喜が神戸開港の勅許を得られるために参与合議に提示した条件として真紀が考えられるのは一つしかなく、それは真紀の考え通りに慶喜は参与合議にかけたのだ。

慶喜が提示したのは、神戸における居留地の他港よりも厳しい在留制限と、神戸開港の期限設定だった。

「……先に申し上げた通りになりましたね。しかし十年間とは、一橋さまも思いきった話をされる」

真紀が苦笑するのを、容保は咎める。

「何を笑う」

「いいえ。一橋さまも死に物狂いとなったというべきかしら」

幾分揶揄するように真紀が言う。

現将軍・家茂と将軍後継を争ったのが、慶喜である。家茂が将軍となっても、家茂には継嗣となるべき男子が居なかった。だからこそ、慶喜は将軍後見職という新設の役職であっても暗然たる『将軍継嗣』であり続けることが出来たのだ。

だが、状況は変わった。

母に帝の妹宮に持つ長男・雅千代の誕生が慶喜の立場を一転させた。もし蒲柳の質で病を繰り返す家茂が突然歿しても、雅千代以外が将軍となれば、朝廷から宣下が降りることはないだろう。雅千代はその生を享けた時から、将軍になることが定められた赤子だった。

つまり、慶喜に将軍となる望みは完全に絶たれたといっても過言ではない。

真紀はだからこそ、それを口にする。

将軍になれぬなら、慶喜にとって将軍後見職の役職を失うわけにはいかなくなったのだ。

つまりそのためには、幕府と朝廷を天秤にかけてでも、真紀の言う通り死に物狂いとなってでも条約の遂行を決めたのだと。

「東帰が認められたのであれば、追っ付け戻られましょうが……一橋さまとは行き違いになりそうですね」

会濤丸(かいとうまる)の準備は明日には整うが……真紀、穣太郎は良いのか?あの歳の幼児を船に乗せて」

真紀は微笑んで、

「問題ないと言えば嘘になるでしょうが、お気になさらず。海は荒れておりませぬゆえに」

「うむ、そうだが」

幾分船酔いしやすい容保は眉をしかめる。臓腑の奥から沸き上がるようなあの気持ち悪さを、もしや穣太郎も味わねばならぬのなら、今からでも海路で京都に向かうのではなく、中山道を上る陸路にでもと思うが、真紀に一蹴された。

「兎に角、一刻も早い方がよいのです。穣太郎はよくよく見ておきますから、御心配なさらぬように。それよりも会濤丸にとっては始めてのご出座船でしょう?」

長崎で学問に励む藩士たちに特別に買い付けさせたのが、イギリス商船を神戸で改造した会濤丸と、津洋丸(しんようまる)だった。帆船と操船術を学ぶ藩士たちにより二艘は改造を加えられ、江戸と大阪を片道五日で辿り着けるよう改良が加えられた。明後日、始めての容保を乗せての出港に備えて準備が整いつつあるという。

「風が良ければ四日の旅ですよ」

本当は上屋敷から僅かの近さまで会濤丸を着ければ早いのだが、珍しく真紀が我儘を言った。横浜に行きたいと言い出したのだ。

「居留地は既に大変な賑わいとか。異国の暮らしぶり、見てみたいとは思いませぬか?」

「……まあ、少し」

「では参りましょうね」

真紀ににっこりと微笑まれたら容保に異存はない。

「殿、御方さま。明日は早うごぜえやす。そろそろお休みになられては?」

その時、障子の向こうから修理の声がして、真紀は容保を見れば、容保は微笑みながら頷いた。

「修理どの。お入りなさいませ」

「……は」

ゆっくりと障子が開き、目を伏せながら修理が入ってくる。居住いを正して一礼した修理に容保が声をかけた。

「修理、そなたの出立も明日か」

「は。殿と御方さまをお見送りして、津洋丸にて出立いたしやす」

京都に上洛して後、既に二年が過ぎ、三年目に入った。最初に京都に上洛した藩士たちは既に一度国許に帰し、単身での藩士は半年の交代を、家族を伴う藩士は一年での交代するよう仕組みが出来上がりつつあったが、家老格や公用局詰はこの仕組みには組み込まれず、一度も国許に帰っていない者も多い。修理もその一人だった。とは言え、修理に帰国を示唆しても、殿のお側を離れるわけには参りやせぬと一徹に拒否し続けてきた。

それを帰してはと、真紀が言い出したのだ。修理が狼狽えながらなにゆえにと問えば、容保は答えた。

『よいか、修理。京都での常駐は長引くやも知れぬ。故に家老格であっても国許との行き来が出来る仕組みを大事にしたいのじゃ。そのためには、そなたを筆頭として一度公用局詰も国許に帰す…半年の後、次は妻子を伴って上洛せよ』

容保の言葉に、修理は涙を堪えて頭をさげたのだったが。

「修理、そなたの子の名は?幾つになった?」

「は、松栄(まつえ)と申し、正月で二歳になりやした」

「穣太郎と同じ頃か……可愛い盛よの。会うたことは?」

「…ありやせぬ」

婚儀を挙げて一月も待たず上洛の徒に着いた。

懐妊したことも、娘が生まれたのも、妻・雪子よりの文で知り、松栄と命名したのも文だった。

折々に触れて届く雪子からの文では松栄の成長が認められ、それを喜ばしく読む日々が続いている。

会いたいか、と真紀に問われたことがある。

会いたくないと言えば嘘になるが、自分には役目がある、殿が帰れぬのに自分だけ帰りたいなど言えぬと応えた。

真紀は幾分寂しそうに微笑んで、京都と会津は遠いと呟いた。

国許に帰すとの命が下ったのは京都を発つ五日前だった。慌ただしさの中で雪子や松栄に土産を買ったが、正直松栄への土産に迷いに迷って、干菓子にしたのが良かったのかどうか。

「修理どの」

席を外していた真紀が修理の前に風呂敷包みを差し出した。真紀に促されて風呂敷を開ければ小さな金と漆で装飾された帯留めに、下駄。持ち上げればちりりと鈴が鳴った。

「幼子にあまり高価なものは気が引けたので、こんなぼっくり下駄で申し訳ないけれど、良かったら私からのお土産とさせてくれないかしら?」

真紀に満面の笑顔で言われて、修理は言葉を失い、平伏する。

「あ、りがたいごとでごぜえやす!」

「帯留めももっと奥方には華やかな方がよいかとも思ったのだけれど……ああ、修理どのの帰参が慌ただしく決まったからと思って準備したけれど、修理どのの土産が同じでなければ」

「いいえ、いいえ。このような心のこもった物を頂けるとは、感無量でごぜえやす」

「次の上洛には妻子を伴うか?」

容保の問いに修理は力強く頷いた。

「そのつもりでおりやす」

「半年、家族を大切に過ごすがよい。京都で待っておるぞ」

「必ず。夏には上洛いたしやす。殿も御方さまもお健やかにお過ごし下さいまし」

力強い修理の言葉に、容保は微笑みながら頷いた。





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