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foundation  作者: なみさや
真誠
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蓮見の宴




「さあさ、大したおもてなしはできへんけど、どうぞ」

二条斉敬が声を上げれば女房たちが静々(しずしず)と膳と酒を運ぶ。

「まあ雅やか言うても、出来ることなど高が知れるけどなあ。参与がたには出すのも申し訳ないほどのもんやけど」

「何をおっしゃいますやら。二条さんの御膳は、うちが隠棲しとった時のに比べたら、極楽浄土のようや」

呵呵と笑ってみせた岩倉が真っ先に箸を進め、

「うむ、やはり美味でござるのぉ」

「岩倉さんもお口が上手うござるなあ」

斉敬は苦笑しながら、傍らに座る慶喜に声をかけた。

「慶喜さん、どないされた?ささ、一献」

「……は」

ある日の合議の終わりに斉敬が声を上げた。

『我が家に蓮池がありましての。そろそろ花の見頃を迎えるので、花見の宴を開こうと思うておすのや。良かったらいらしゃりませぬか?』

関白から誘われれば、余程の理由がなければ断れない。参与だけで、装束も平素に、供も最小限にと言われては参与達は足並み揃えて宴に参加することにした。

容保は少ない供揃えに真紀の参加を頼み、真紀は宴の場である釣殿の手前の渡り廊下に修理と座っているのが、御簾越しに見えた。

「しかし二条さん。蓮の花見をこのような刻にとは珍しいおすな?蓮は夜半に咲いて、明け方萎(しぼ)むもんやと思うてましたけど」

既に手酌で始めていた岩倉の言葉に、斉敬が頷く。

「ほんまはそうやけど、うちの蓮は夕暮れ時に咲き始めて、夜半過ぎに萎むんや。昔からそうれしい。まあ、お陰で蓮見の宴を開けるんやけど」

今年はいつもより半月も早ように咲き始めて。宴が間に合うて良かった良かった。

穏やかに笑う斉敬をちらりと容保は見た。

公卿は武家を忌み嫌い、未だに宮中で下賤のものでありながら、と陰口を囁く者もいる。上洛してすぐの頃、容保もそんな罵詈讒謗(ばりざんぼう)の嵐に何度となく晒され、その度必死に(こら)えたことを未だに覚えているが、そんな中で二条斉敬はさらりと容保に救いの手を差しのべることがあった。

後に分かったのだが、斉敬の母は水戸斉昭の姉妹であり、つまり仏頂面で斉敬の傍らに座る慶喜の従兄にあたり、安政の大獄ではその水戸寄りの主張を責められて罰を受けたというから、孤立無援の容保を気にかけてくれていたのだろうと思い至れる。

従兄とは言え、既に六十に近く老境だからか、穏やかに慶喜に膳を進める様子は、父親のようにも見える。

ポン。

小さな音が庭池に響いた。

釣殿の一同が夕焼けに染まる池に目を向ければ、一輪薄紅の蓮花が生い茂る蓮葉の間からすくと茎を伸ばし、ゆっくりと花開き始めていた。

「おお、これはなんと(おもむき)のある」

「不思議やけど、花が咲き始める時には斯様(かよう)な音を発するんや」

時折小さな音が響く釣殿で、細やかな宴は進む。

「ほう、会津も酒が上手いところであられるか」

「いや、それがしは(たしな)む程度で。あまり強くはないので、詳しくはありませぬが」

容保は苦笑する。何時の間にやら、国許の酒の話が容堂と久光と盛り上がった。いや盛り上がっているのは程よく酔いが回った容堂だけで、後の二人はあくまで聞き役だ。

「そう言えば、黒谷に前日国許の酒が届いたようでしたから、今度お届けしましょう」

「忝ない。いやあ、楽しみじゃ。東北の酒はきつうはないが、程よく甘いと聞く。土佐の酒は辛いきのう」

「辛い?」

「甘いというより、辛いのう。そうじゃ、土佐から新酒が届いたらお届けしよう」

「はい」

「薩摩は如何な酒が名産で?」

「……薩摩は、唐芋の焼酎でごわすな」

「焼酎とは、それは」

その時、大きな声が湧いた。

「幕府のためではないと、仰るか!」

「慶喜さん」

「一橋さま」

釣殿にいた全員が急に立ち上がった慶喜を見る。幾分酒の酔いが回った赤い顔で、慶喜が叫ぶように言う。

「福井どのは、それがしが保身に動いておると仰るか!」

「そこまでは申しておりませぬ。ただ、以前申し上げたように江戸の威光のみ気にされては、成せることも成せぬと申し上げているのです」

応える春嶽の声も大きい。廊下に座る供たちも何事かと、腰を浮かせているものもいる。

「まあまあ、慶喜さんも中将さんもお静まりなされよ。ほれ、慶喜さん。お座りい」

袂を引かれて、慶喜はどすりと座ったけれど、眼光は爛々と春嶽を睨む。

「なんや鬱憤あるみたいやけど、声を荒らげるのはようない」

諭す斉敬の言葉に、しかし慶喜は応えない。

前月、容保も交えて幕府は学ばねばならぬと話をした。そのあと、慶喜と春嶽とで何度なく交わされた会話を容保は春嶽から聞かされていた。江戸の意向だけでなく、慶喜自らの意向を参与合議で述べてもよいのではという春嶽に対して、慶喜は様々な理由を付け加えつつ、自分は将軍後見職である以上は、江戸の意向を無視できぬと繰り返す。

江戸の意向とは、嘗て朝廷に膿むように存在していた『前例無しや』を覆す事はできぬと、朝廷以上に主張したものであって、慶喜自身がそれでは幕府が揺らぐと分かっていても、参与合議では幕府の意向を第一に意見するのだ。

矛盾に満ちた慶喜の態度が、参与合議に影響を与え始めているのも、事実だった。

朝廷だけで合議をしても、実践する最たるものは将軍であり、幕府なのだ。

のらりくらりと、揺らぐ慶喜の意見に他の参与たちが苛立ち始めているのも、また事実だった。

「参与合議で定まりしことを、やはり江戸から成らぬと返事があれば覆される。その繰り返しでは、慶喜どの、そなたが参与にいる意味などないのでは?故に保身と申し上げたまで」

春嶽の声も僅かだが怒りに震えていた。

「それがしは、幕府のためにと思えばこそ!」

「幕閣は江戸にあって、小さな世界しか見えておらぬと仰ったのは、一橋さまご自身でござるぞ」

「お二方とも、ここは宴の場にて。議論ならば、お帰りになられてから」

堪りかねた伊達宗城が割って入れば、慶喜は憮然とした表情で、

「伊予どのもそれがしが保身に動く愚か者とお思いなのであろう」

「なんと、そのような」

「それほどにそれがしは阿呆か、うつけか!」

容保は思わず声を上げた。

「一橋さま、御酒が過ぎたのでしょう。心にもないことをおおせになるとは。しばし別室でお休みになられては?」

容保の言葉に、呆気に取られて従弟の乱行を見ていた斉敬が我に返る。

「そうじゃ、慶喜さんはお疲れやったか。たれか、部屋を用意せい」

その時、容保の耳に微かな箏の音が届いた。

一瞬聞き違いかと思ったが、あえかな箏の音は、しかしゆっくりと何かの旋律を奏でている。

薄氷の踏むような雰囲気の中で、容保は音の主を見つけて。

一瞬瞠目するけれど、小さく息を吐き。

「一橋さま」

「なんぞ」

「福井さまは、一橋さまがまことのお姿でなく、江戸に振り回されているのが、悔しくてならぬのです。ですから、何度も諫言なさるのです。一橋さまほどのお人柄なれば、その事よくよくお分かりかと思いまするが」

穏やかな容保の口調に、慶喜は憮然としたままだったが、

「わかっておる。だが」

「ならば、お謝りになられませ。諫言なさったことではなく、声を荒げたことに。勿論、伊予どのにも。後見職のお立場で、酔うた席でもなりませぬ」

「む……」

慶喜の表情は、憮然としたものから幾分困ったものに変わる。

「後見職にもお立場があり、福井さまにも、伊予どのにも、お立場があります。それがしは会津の田舎者なれども、お立場が難しいことは皆様のお立場があるのはわかります。それに、会津では土津公より伝わりし、言葉がございます。会津の子どもでも知っております。ならぬことは、ならぬものですというものです」

「……土津公か」

「はい」

酒気を含んだ深い溜め息を、慶喜は落として。

「うむ。それがしの言葉が過ぎた。福井どの、伊予どの。それがしが言い過ぎた」

座ったまま、深々と頭を下げて。

慶喜はそのまま、ごろりと横になる。

一同が何事かと顔色を変えたが、すぐに鼾が聞こえ始め、斉敬が苦笑しながら、

「やれやれ、ようやっと寝入ったか」

一橋家中の者が寝入ってしまった慶喜を背負って別室に向かったあと、斉敬が再び苦笑しながら、

「さても、飲み直しましょうぞ。さあさ、御酒を持ってこぬか」

何事もなかったかのように酒を運ぶ女房に、斉敬が思い出したように声をかけた。

「さきほど箏の音ぇが聞こえたが、矢吹が弾いておったのかえ?」

「いいえ。会津のおかたが、箏を貸して欲しいと仰ったので、御貸ししましたのえ」

「会津の?」

容保は慌てて頭を下げる。

「家臣が不躾な真似をしました。お許しください」

「いいえ、怒ってやしやしません。なんというか、絶妙な時宜(じぎ)でしたなあ。箏の音ぇを聞いた瞬間、わしも心が落ち着きましたからなあ。会津さんが声上げてくれてよろしおした。慶喜さんはここのところ忙しおしたから、疲れて酔いが余計に回ったんやろ。その御仁は?」




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